5話「魔王」
魔王の間にはまだサタンが鎮座していた。
レイヴンは何か用事でもあるのか、彼女の側にはいなかった。側近と呼ばれているが、いつも付いている訳ではないらしい。
サタンは一人で何かしていたようだが、新入りが来たのに気付くと、犬みたいに人懐っこく彼を歓迎してくれた。
それから和也は階段に腰かけて、彼女と残りの時間を共にする事に決めたようだ。彼なりに尋ねたい疑問があっての行動だったようだが……。
「和也ぁ~」
サタンが玉座に座り、足をバタつかせながら話しかけてくる。
和也は彼女のユルユルな雰囲気に飲まれてしまっていた。一見すると十歳くらいの少女だが、魔王というだけあるなら相当な権力者だろう。
まずは彼女の性格を把握する必要がある。和也は目的を変更し、サタンと雑談を交わすことにした。
「何ですか、サタンさん」
「あっ! その堅苦しい言葉とさん付け禁止!」
即座に訂正させられる。
指差された和也は意外な言葉に拍子抜けしてしまった。
(魔王自らやめさせるのか……。普通逆だと思うけど)
身構えていたのが馬鹿らしく思えてくる。
とはいえ、既に歳上のウィッチやレイヴンに敬語無しで話していた身だ。むしろサタンだけに丁寧語を使う方が、彼にとってはやりづらかった。
和也は彼女の言葉に従い、態度を少しだけ崩すことにする。
「……分かったよ、サタン。さっきは何を言おうとしていたの?」
「私の悩みを聞いてもらおうと思って」
「悩み?」
「うん。私ってさ、魔王らしくないじゃない? もちょっと威厳が欲しいんだよね~。だからこの羽黒く染めようかなって思うんだけど、どうかな?」
サタンはそう言いながら、大きい羽で自分の体を包み込み、ぬくぬくとしている。温かそうだ。
(えっ。魔王らしくあろうとしてるの? 敬語やめさせるくせに?)
彼女の抜けている相談に疑問符を浮かべる和也。冷たい階段に深くもたれ掛かると、念のために無難な回答を寄越す。
「良いかもしれないけどさ、羽が痛んじゃうんじゃない?」
「そうだった……!」
サタンは頭を抱えている。どうやら言われて初めて気づいたようだ。この魔王、絶対に賢さが低い。
「それは嫌! 私のもふもふ羽毛布団が無くなっちゃう~!」
そう言うと、彼女は自分の羽に顔を突っ込んだ。我ながらかなり気に入っているらしい。
(魔王城の近くは寒い気候だそうだから良いものの、暑い場所だと羽って邪魔じゃないのかな? いや、邪魔だからといって外したりできる物ではないのだろうけど)
「どうしたの? そんなに私の羽を見つめて。あ、この羽は誰にも触らせてあげないよーん」
何を勘違いしたのか腕でバツを作るサタン。器用なことに、羽でもバッテンを作っていた。
(何なの、その小技)
呆れてシラケた表情になった和也は、後ろに向けていた首を前へ戻した。玉座の位置からは彼の後ろ姿しか見えない。
「サタンはさ、怖くないの? 勇者が攻めてくるかもしれないのに」
思いきって切り出してみる。
この件に関して、当事者である彼女がどういう考えを持っているのか、知っておきたかったのだ。
もしかしたらサタンなりに何か考えているのかもしれない。そう考えての問いかけだったのだが、彼女はこれまでとまるで変わらない笑みを返すだけだった。
「怖くないよ、レイヴン達がいるし。何より、新しい勇者君と色々お話したいしねっ!」
「……そっか」
やはり特に何も考えていないようだった。レイヴン達の気苦労が察せられる。
話が切れてしまったので、サタンが口を開く前にまたまた話題を変えることにする。これも以前から気になっていた事だ。
「疑問なんだけどさ、なんで皆は日本語で喋るの? この世界って一つの言語しかないわけ?」
和也の質問にサタンはクスリと笑う。なんだか馬鹿にされているみたいだった。
「そんな訳ないじゃんっ! この言語を使うのは、普通の人間だけだよ」
普通の人間とは、勇者や王国の人々を指しているのだろう。
「でもそれなら、サタン達はどうして彼らの言葉で話しているの?」
「そりゃさ、人間が久々に遊びに来るんだよ? 言葉が通じなかったら可哀想でしょ? だからみんなに勉強してもらって、勇者君が来るまでは、その言語で話すようにって命じたの! 私も最近出てきた言葉なんかは調べたよ~」
サタンは頭の天辺にあるアホ毛を動かしながらそう応じた。まるで当たり前の事のように。
(えー、変なとこで権力行使してるな。勇者のために勉強を頑張って、こうして流暢に人間語を話しているあたり、良い子なのは間違いないんだろうけど。でもバカだよなぁ)
和也の中での魔王サタンという人物像が確立した瞬間であった。『偉くて純粋で可愛いモフモフだけど、おバカで天然な魔王様』だ。実に的確である。
(それにしても、どうして勇者達はこんな優しい女の子を殺そうとしているんだろう。彼女達は友好的で、心の底から仲良くしたがっているのに)
そんな小さな疑問を頭の隅で燻らせながら、和也はその後もしばらく魔王との談笑を楽しんだ。
夕方、和也たちは予定通りの時刻に魔王城を出発した。レイヴン以外にも、彼を召還したウィッチと、何故かレイチェルもついてくる。
途中何度か凶暴な魔物と遭遇したが、三人が難なく片付けてくれたおかげで和也は戦わずに済んだ。
ちなみに移動方法は、レイヴンが和也を背負い、他二人を両肩に担いで、ただダッシュするというものだ。
最初はバカにしていた和也だったが、レイヴンがいざ走り出すと、新幹線に乗っている時よりも圧倒的に早く周りの風景が過ぎ去っていった。体にかかるGが凄まじかった。
ウィッチとレイチェルが体を掴んでくれていなかったら、間違いなく振り落とされて大怪我をしていただろう。
そうして耐えること数時間。
ようやく人間国の王都ユーダンク付近に到着したらしく、三人は地面にゆっくりと下ろされる。
「ねえねえ、レイヴン」
「何だ、和也」
「吐きそうなんだけど」
「そうか。……いたぞ。あれだ」
「え、無視?」
和也が密かに傷つく横で、レイヴンが遠くの草原を疾走する二つの影を指差す。
彼の指し示す方向を見てみると、そこには和也とそう変わらない歳の男性と少女が、それぞれの馬に乗ってどこかへ向かう姿があった。月光のおかげで彼らの顔ははっきりと確認することができる。
和也はウィッチに引っ張られて近くの木まで移動すると、レイヴンやレイチェル達と共に屈んで身を隠した。四人はその体勢で勇者一行の様子を窺う。
「ここで今、あの二人を誘拐してしまえば、わざわざ和也をスパイにしなくても良いのではなくて?」
「いや、ダメだ。できるだけこちらから手は出したくない。それにそんなことをしても、サタンにバレてすぐに返しに行かされるさ。できるだけ手荒なことはせずに衝突を避ける必要がある」
ウィッチの疑問にも、レイヴンは目標から目を離さずに応答する。
(あの子は読めないからね。みんなを従えている魔王のくせに、チェックしてみたら普通に弱かったし)
魔王というからには実は強いのではと疑ったのだが、そうでもなかったようだ。和也はすっかりサタンを庇護対象に認定してしまっている。
しばらく観察していると、勇者達は大きな森の前の分かれ道で止まった。男が森へ続く道を指す。どうやらあそこを突っ切るつもりらしい。
森の先にはアルストフィアの村がある。二人はそこへ向かっているようだった。
彼らが木々の中へ消えていったタイミングで、もう一度レイヴンが口を開いた。
「よし。じゃあこれから、奴らが通る道の先にお前を放置するぞ。できればでいいが、勇者達のレベルも小まめに確認しておいてくれ。まあ、参考にもなるかも分からん情報だが」
そう言ってようやく顔を和也の方に向けた。
最終確認だ。もうすぐ和也はレイヴンの手によって気絶させられる。
(……あれ? そういえば気絶って、どうやってさせるつもりなんだ? 痛いの嫌なんだけど。今ここで変に殴られたりしたら吐く自信あるよ、僕)
和也の心の声など聞こえるはずもなく。
レイヴンは立ち上がりつつ、何の反応も示さない彼へ向けて、落ち着いた声色で言葉を続けた。
「恐らく兵士達が総攻撃を仕掛けてくるのは八日後だ。戦いが終わったら、すぐにお前を迎えに行く。それまでの時間稼ぎは任せたぞ。……よし! レイチェル、森全体にスロウを使え!」
指示されたメイド長はコクンと頷き、最小限の口の動きで呪文を唱える。レイヴンはそれを確認すると、和也の肩に手を置いた。
「また会おう、必ずだ」
「う、うん!」
「……上手くやれよ」
その言葉を最後に、和也の意識は絶たれた。
(いきなり異世界に召還されて、こんな事になって……。これは本当に現実なのだろうか)
未だに半信半疑のままで彼は地面に倒れ落ちる。レイヴンはそれを担ぐと、森へ向けて走るのだった。
――――それから始まる八日間が、想像していた以上に濃密な日々になるという事を、当時の和也はまだ知り得ない。




