表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/139

7話「イズの志望動機」

 ヴィーレが酒場の前まで来ると、観客であった群衆は彼から逃れるように道を開けていった。


 すると、人混みに揉まれるだけ揉まれたイズが、そこでようやく解放され、勇者の前まで飛び出してくる。


 つんのめりながらの再登場だった。


 ヴィーレとは対照的に、彼女の方は相当苦戦していたみたいだ。汗だくで、髪は乱れ、見るからに疲弊している。


 人の多い場所に慣れていないのも、賢者の体力を奪った一因だろう。人付き合いが苦手で本の虫であるイズらしい弱点だ。


「ぜぇ、ぜぇ……。蟻地獄に落とされたような気分だったわ。『誰一人知る者のいない群衆の中に身を置いたときほど、痛切に孤独を感じることがない』とは、よく言ったものね……」


 膝に手をついていたイズは、呼吸を整えるのに必死だったため、近付いたヴィーレの靴が視界に入るまで、彼の存在に気が付いていなかった。


「……あっ」


 だからだろう。彼女はこちらの姿を認めるや、慌てて体裁を取り繕い、いつも通りに腕を組んでみせた。


 かなり手遅れな気がするが、イズの中ではギリギリセーフの判定が下っているらしい。何事も無かったかのように優雅を気取っている。


 と、そこで、勇者の遥か後ろでピクピクと痙攣(けいれん)しているドゥリカを発見したイズは、意外そうに尋ねてきた。


「……倒せたの? 若手(ルーキー)のはぐれ者っぽかったとはいえ、現役のハンターを」


「ああ。かなり深く酔いが回っていたんだろう。勝手に暴れて好き放題に喚いた挙げ句、自分から街灯へ突っ込んで、ついさっき気絶してしまったよ」


 準備していた嘘をしれっと突き通すヴィーレ。


 滅茶苦茶な発言だけれど、『普通の農民であるはずの勇者が、呪文使いに丸腰で挑んで、しかも倒した』という物語よりは、よほど信憑性があるはずである。


(どうせここにいる野次馬も俺達には話しかけてこないんだ。利用できる現状ならば、利用しない手はないだろう)


 卑屈に眉をひそめて、ヴィーレは周りをチラと見る。


 先日まで村人という肩書きを着て生活していた彼は、『庶民で役立たずな勇者』として、ここらの町では有名なのだ。


 ただし、知名度はあるが人気は無い。


 冒険に出る前から散々な扱いを受けてきた。元々どういう訳か差別的な態度を取られる事が多かったのだけど、勇者に選ばれてからというもの、嫌がらせはより過激で露骨になる。


 そんな彼が実は絶大な力を持っていたというのだ。


 先の決闘を目撃した人々は、ヴィーレの報復を恐れて一層関わらないようになるだろう。


「何はともあれ、この件はもう片付いたんだ。お前も無事で良かったよ。貴族の娘に怪我でも負わせたら大事だからな」


 ヴィーレは頬の傷を手のひらで隠しながら、イズの横を通り過ぎていく。


 が、イズは彼の言葉にハッとしたような顔になり、悔しそうに俯いてしまった。スカートを両手で掴んで、奥歯を食い縛っている。


 他方で、仲間の変化を見落としたまま、一人で酒場の方へと歩き続けるヴィーレ。店から漂ってくる香ばしい料理の匂いに夢中になっているようだ。


「……守られていたくなかったからよ」


 建物の入り口へ差し掛かった勇者を直前で制止したのは、そんなイズの呟きだった。


「えっ」


「私が魔王討伐任務に参加した動機の話」


 振り返るヴィーレに、イズが補足を入れてくれる。


(……あぁ、酔っぱらいの男と戦う前に交わしていた話の続きか)


 食事中の会話を思い出しながら、ヴィーレはその場で踵を返した。


(そういえば、ドゥリカと戦闘した後は、このタイミングで打ち明けてくれるんだっけな)


 今回辿ったルートは稀なケースだったので忘れてしまっていた。


 会話を続ける前に、一旦辺りの人々へ視線を向ける勇者。無感情な瞳だが、受け取り手によっては『邪険だ』という感情を隠さない眼光に思えたかもしれない。


 酒場の入り口に集っていた野次馬達もそうだったのだろう。彼らは誰からともなく空気を読んで、店の中へと戻っていった。


 観客が全て建物内に消え、二人きりになったタイミングで、賢者は固く結ばれた口を開くだろう。


「私は小さい頃から強い人間に守られて生きてきた。両親には不便なく何でも与えられてきたし、お兄様やお姉様からも過剰に甘やかされてきた自覚はある」


 初めてイズと出会った場所。酒場の入り口前にて、ヴィーレは彼女の身の上話を聞く。


「でも、だからこそ、死の蔓延した現代で、私は己の強さを証明してみせたかったの」


 イズの声に力が込められる。


 それは普段の虚勢から来るものではなく、彼女の芯の部分から滲み出たもののように感じられた。


「自分は一人でも大丈夫なんだって。肩書きだけの人間じゃないんだって。誰かを守れる側の人間なんだって……」


 賢者はヴィーレと目を合わせずに、地面を見つめながら語り続ける。


「証明……したかったの……」


 彼女がどうしてこの場でこんな告白をしているのか、ヴィーレは薄々勘づいていた。


 要するに、イズは悔しかったのだろう。


 争いの原因を自分から作ってしまったことが。それなのに、始末をつけたのは彼女自身ではなく、勇者一人であったという事実が。


 存在しない誰かに「またお前は守られたのだ」と説かれているようで、たまらなく悔しかったのだ。


「……イズ」


 ヴィーレは彼女に近付いて、その肩に手を伸ばそうとした。


 助けなければ。何か慰めとなる声をかけなければ。と、自分の本能から突き動かされたように、考える間もなく自然と体が動いていたのだ。


 けれど、ヴィーレの行動は、イズが決意に満ちた顔を上げたことにより、寸前で止められてしまう。


「私は自分を曲げない女よ。もう庶民(あんた)なんかには守られない。むしろ、これからは私があんたを守り抜いてみせるわ!」


 イズはいつもの強い語気で、しかし嫌味な刺々しさは全く含ませずに、これからの旅における自身の目標を宣言した。


 だが、そのすぐ後、彼女はヴィーレの赤い瞳から不意に視線を逸らすだろう。


 そして、長い前置きを経て、ようやく本題に入るはずだ。


「だけど、その……」


 胸の前辺りで落ち着かなさそうに手遊びしながら、賢者イズは蚊の鳴くような声で台詞の続きを呟いた。


「今回のところは、助かったわ。……ありがと」


 絞り出すようにそう言って、明後日の方向を見ながら、片手を差し出してくる。


 ヴィーレは彼女へ応えぬままに、相手を観察した。


 シルクのような手のひらが、開かれた状態で無防備にこちらへ向けられている。小さな賢者は唇を固く結んで頬をほのかに紅潮させていた。


 あの強情なイズがそうしているのだと思うと、まさしく世にも奇妙な光景である。


 だけれども、ヴィーレは彼女の意図をすぐに察せられたみたいだった。


 友好の証として求められる握手。酒場に入る前、つまり数時間前の今朝に、勇者の方がイズへ仕掛けて、見事に玉砕したものだ。


 最悪だった出会いをもう一度やり直しましょう。


 と、そう言いたいのだろう。イズが過ちを犯してしまった、この場所から。


(自分から断った手前、どう切り出すべきか悩んでいただけで、仲直りはずっとしたかったのかもしれないな。……いいや、流石にこの考えは都合が良すぎるか?)


 心の中で自問自答するヴィーレ。


 その様が握手を断ろうとしているように見えたのか、イズは不安そうに揺れた瞳でこちらを見上げてきた。捨てられた子犬みたいな態度だ。


「……あぁ、すまない」


 彼女の心情を読み取ったヴィーレは、でき得る限りの親しみを込めて、相手の求めているであろう温かい挨拶を返した。硬くなった表情筋を微かに綻ばせながら。


「改めてよろしく、イズ」


 その時、ヴィーレは確信した。


 やはり目の前に立っている少女は()()()()()()()()()()だったのだと。


 才色兼備で、自他共に厳しく、根は優しい女の子。それが勇者パーティー二人目のメンバー、大賢者のイズ・ローウェルだ。


 少し汗ばんだ相手の手のひらを、対応する手で掬い取ったヴィーレは、親愛の意を込めて、それを優しく握り返してやる。


 すると、イズはまた口をモニョモニョさせて、気恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった。


 知識過多なものの、経験不足な彼女には、適切な返事が見当たらないようだ。


 この賢者を素直にさせるにはまだまだ時間がかかるらしい。


 ヴィーレは自身の手の内に感じる彼女の明らかな葛藤を、しばらくの間だけそのまま楽しんでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ