29話「任務完了」
日が完全に沈み、村全体に灯りがポツポツと点き始めた頃、ヴィーレは宿の外で一人、夜空を眺めていた。
入り口の扉近くで壁に背をつけ、人を寄せ付けぬ顔で低く唸っている。端から見ると猛犬みたいである。酷い営業妨害だ。
「はぁ……」
彼の悩みはいつまでも解決しないようで、時折溜め息までもが自然に漏れ出ていた。ユーダンクと比べ、夜風がかなり冷たいけれど、そんな事も今は気にならない。
「ヴィーレ君っ。何してるの?」
そんな勇者へ子供っぽい女性の声がかかる。
青い月から隣に視線を移すと、幼なじみのアルルがいた。風呂に入った後で髪は下ろされており、フリルの多いキュートなパジャマを着用している。
久しぶりに部屋着の彼女を見たからか、それとも星明かりがその姿を美しく彩っていたからか、ヴィーレは数秒だけアルルに見とれてしまった。
ハッと我に返り、誤魔化すようにして顔を下に向ける。
「軍に所属しているだけあって寝間着も良いもん持ってんな」
「おっと? 初めに服装を褒めるとはヴィーレも男になりましたな~。まあその程度ではあたしを攻略できないけどね!」
「そういうつもりで言ったんじゃねえよ」
「あ、そなの? ……それで、兄やんは一体何してたんです?」
彼女は言いながら手を後ろに組んで、ヴィーレの顔を覗きこんできた。地面しか映っていなかった視界にアルルの心配そうな表情が入る。
ヴィーレの態度が素っ気ないのはいつもの事だったが、あまりにも少なすぎる表情の機微から、普段の調子とは違うらしいという事を悟ったのだろう。
「ちょっと考え事をな」
「あの作戦のこと?」
「……ああ」
短く頷く。アルルの前では弱気になっても構わないと考えているからか、どんどんネガティブな思考になってしまう。
考えても仕方のない事だが、『もしもこうしていたら』と自分を責めてしまうのだ。
ヴィーレの反応を見てからアルルは姿勢を元に戻した。のんびりした口調で沈黙を埋める。
「んー、明日の朝に言おうと思ってたんだけどさ。さっきちょっと軍のとこに戻って、総攻撃作戦の結果がどうなったか聞いてみたんだ」
アルルはいつもの笑顔ではなく、不可思議な現象に直面したような表情をしていた。瑞々しい下唇に指を当て、上空に広がる星空を見上げる。
「びっくりしたよ。軽傷者はいたけど、全員が何事も無く生還したって」
「……なに?」
自然と体がアルルに向き直る。耳の奥で彼女の声が木霊していたけれど、その意味は到底理解できる気がしない。
ヴィーレの返事からアルルもそれを察したのだろう。彼の隣に並び、同じく通りの方を向いて、もう一度言い直してくれた。
「作戦はちゃんと行われて、みんな真剣に戦ったけど、死者はおろか、大きな怪我をした人さえもいなかったの。しかも、魔王城付近では誰も敵の姿を見ていないんだって。なのに撃退されたらしいよ。不思議だよね~」
詳しく説明されたというのに謎は深まるばかりだった。近くの叢で鳴いている虫の声や、通りを行き交う人の話し声などはもう耳に入らない。
(どういうことだ? 誰も『あの魔王の姿』を見ていないどころか、敵を視認すらせずに生きて帰ってきた? あり得るのか、そんな事が。あそこで一体何が起こった?)
様々な疑問が頭の中を駆け巡った。
しかし、ヴィーレを置いていくようにアルルは説明を続ける。
「流石にまた同じ手を使ったところで効果がないのは目に見えてるから、しばらくはヴィーレが心配してるような事は起きないと思うよ!」
そこまで言うと、ヴィーレを安心させるためにいつも通りの笑顔を見せてくる。
彼女はこの件について深く考えていないようだった。否、そういう風に振る舞っていた。
勿論何かが変だとは思っているけれど、今はヴィーレの不安を取り除こうとしてくれているのだろう。いつものお転婆っぷりとまではいかなくとも、明るく接することで場の空気を和ませようとしている。
偶然だと思うか? そう聞こうとして、ヴィーレは言葉を飲み込んだ。
アルルに尋ねてみたところで納得のいく答えが返ってくるわけでもないだろう。
いつまでも辛気くさい雰囲気でいるのも申し訳ない。適当な話題に切り替えるかと、彼は重たい口をゆっくりと開いた。
「……腹減った」
「え、シリアスな話題から転換する場所そこでいいの? 落差凄いんですけど。ていうか、さっき五人で晩御飯食べたばっかじゃん!」
声色を目まぐるしく変えながら反応するアルル。
急にテンションが上がったところを見ると、これでも通常の雑談に戻れて喜んでいるらしい。
「どこかへ出掛けてこようかな。誰か誘って、喫茶店にでも」
ヴィーレが頭を掻いて独り言のように呟くと、アルルが眉をピクリと動かした。
「でもでも、イズとネメスちゃんは疲れたから早めに寝るって言ってたよ」
彼女達が泊まっている部屋を指差して教えてくれる。確かに、女部屋からはもう既に灯りが消えていた。
「そうか。仕方ない、じゃあカズヤを誘おう」
「カズちゃんも慣れない戦いの後でヘトヘトなんじゃないかな!」
「なるほど。それならエルと行くか」
「おい」
低い声がアルルから投げられる。
見ると、彼女は真顔にジトリとした目を貼りつけてこちらを睨んでいた。
ヴィーレは鬱陶しそうに問い返す。
「何だよ」
「あたしを誘えよ」
「は?」
「あたしを誘えよぅ! 美味しいパイが食べられるって噂の店を知ってるんだよぅ! 甘い物を食べたいという乙女心をもうちょい理解しろよぅ!」
「いや知らんけど……」
ぷりぷりと怒りながら喚くアルルにヴィーレは特別辛辣に当たる。
これが小さい頃からずっと一緒だった彼らの『いつも通り』だった。だから別に彼女を嫌いだというわけではない。
勇者はわざとらしく、やたら長い時間をかけて熟考してから、分かりきっていた結論を出す。
「うーん……。じゃあアルルでいいや」
「その『妥協してやんよ』みたいな態度、あたし気に食わない!」
だが、アルルはしつこくケチをつけてくる。
ヴィーレは大きく肩を落として、彼女の方へと向き直った。
「俺に必要なのは……アルル、お前だけだ」
「やーん! ヴィーレったらキッモーイ!」
「殴りたい、この笑顔」
顔を背けて独りごちたのだが、どうも聞かれていたらしい。
幼なじみはウインクしながら挑発をかましてくる。
「おうおうおう、殴れるもんなら殴ってみ~? このプリティーキュートでチャーミーなフェイスを殴れるもんならな~?」
「ふん。お前、いいのか? 俺は女だろうと容赦しない男だぞ」
冗談でファイティングポーズを決めてみると、指を振りつつも舌を鳴らされる。
「チッチッチッ。甘いね、ヴィーレ君」
「何が」
「『自分は男女平等主義者だから女も平気で殴れるぜ』的な発言はだね、『そもそも他人へ普通に暴行を加えられる時点で人として終わっている』のだから、正常な社会には通用しないのだよ」
「あっそう」
得意げに説教を垂れるアルルに背を向けて、ヴィーレは宿の入り口へと歩きだした。
「ともあれ、お前は行かないってことでいいんだな。エルかカズヤでも誘ってこようっと」
「ちょいちょいちょ~い! 行くよ! 行きます! 御供させていただきますっ! ここで待ってて! パパっとおめかししてくるから!」
腕にしがみついてきたかと思うと、ドウドウと馬を宥めるような仕草をしてから、すたこらさっさと宿の中へと駆け戻っていった。戦闘の後とは思えない元気っぷりである。
「……あいつ、相変わらずだな」
わがままな妹のような、構われたがりな姉のような、お転婆で頼りがいのある幼なじみ。数分前まで落ち込んでいたはずのヴィーレはいつの間にか彼女と冗談を言い合っていた。
(アルルのおかげで早めに立ち直ることができたんだし、お礼ってわけじゃないが、久しぶりに二人で楽しく話でもするか)
またさっきの場所に戻り、壁にもたれかかる。
宿の前の通りには夜の世界へと出かける人々がちらほらと確認された。避難をしなかった人はやはり少数であるらしい。
(俺はちょっと後ろ向きに考えすぎていたのかもしれない。ひとまず今のところは何も問題ないんだ。この調子でしっかり進んでいけばいいんだよな)
そう心の中で言い聞かせて自分を取り戻す。
彼は冷たい空気に肌を撫でられながら月を見上げ、やたらと準備の長い幼なじみを待つのだった。
アルルとの食事を終えて宿に帰ると、カズヤだけがまだ眠っていなかった。
エルは真ん中のベッドで爆睡しており、カズヤが入り口から見て一番手前、ヴィーレが一番奥のものを陣取っている。
彼はそこで体を起こして、暗い部屋の中、何をするでもなく虚空を眺めていた。
(もう夜もかなり深いんだが、何をしてるんだろう)
部屋の扉を閉めたところで、ヴィーレの存在に気付いたカズヤがおもむろに顔を上げる。
「ん、ヴィーレ。遅かったね」
「あぁ、ちょっと話し込んでてな。どうした、眠れないのか?」
「……うん。まあね」
カズヤの声は心なしか思い詰めているように聞こえた。灯りがついていないから表情はよく見えない。一人分の影と話しているような感覚だ。なんだか不安になってくる。
「明日からまた長距離移動の連続だ。疲れるだろうから、せめて体は寝かせて、目を閉じるだけでもしておいた方がいい」
気遣って忠告すると、カズヤの小さな笑い声が返ってくる。
「ふふっ。ヴィーレこそ、よく寝過ごしたりする事あるでしょ? そろそろ眠った方がいいんじゃない?」
「……うむ、そうだな」
彼の言葉に過去の寝過ごし歴を振り返るヴィーレ。
カズヤよりは少ないものの、うなされたりして起床が遅くなることがしばしばあった。男で唯一のしっかり者なエルがいるから、大幅に遅刻する事も無く、ここまで来れているのである。
「じゃあ、俺はもう寝るわ。おやすみ」
欠伸を漏らしながらベッドに入り、ヴィーレは瞼を下ろす。
気持ちが前向きになって心配事が消えたからだろうか、今まで感じていなかった分の眠気が一遍に押し寄せてきた。
「……ねえ。ヴィーレはやっぱり魔王を殺すつもりなの?」
突然、何の脈絡もない話題を振られる。
真剣な話らしかったが、ヴィーレはとっくに眠気へ身を委ね始めていた。暗闇に落ちていくような心地よさが襲ってくる。
そんな中、回らない頭で必死に考えて、誠実な答えを捻り出した。
「それで世界が平和になるなら、な」
「……そっか」
納得したように呟くカズヤ。
ヴィーレは瞳を閉じているから、彼がどんな表情をしているのかは分からないが、その声からは決意のような何かを感じ取れた。
「ヴィーレ。もし本当に、本当に君が魔王を殺すつもりなら――――」
カズヤの声はもうヴィーレには聞き取れていなかった。言葉の輪郭がボヤけてしまっている。あと数秒もあれば眠りに落ちてしまうだろう。
体が深い沼に沈んでいくように、意識が閉じる寸前で、カズヤの静かな声が頭に響いた。
「――――僕達は敵同士という事になるね」
翌朝、彼はヴィーレ達の前から姿を消した。
【達成】裏目標「勇者一味を魔王城へ到着させる事なく、九日目を迎える」




