28話「憤怒の一撃」
勇者ヴィーレは幾度となく時間遡行を繰り返している。
何度も何度も死にゆく中で、彼の精神は壊れるどころか、むしろ反対でより強固になっていった。
仲間を守るという使命はいつしか執念に変わり、勇気と呼ばれた感情は狂気へと変化していく。
狂気とは、常軌を逸した異常な精神の事を言うらしい。
ヴィーレの精神はリミッターが外れ、感情による魔力の増加量は、常人のそれとは比べ物にならない膨大さになっていた。
「アルル、ネメスを頼む」
「分かった!」
ヴィーレに短く指示されたアルルは過呼吸になっているネメスを落ち着かせに向かう。
その頃エミーナは、壁に身を預けながらも、やっとの思いで立ち上がっていた。折れた鼻に加え、切れた目と口からダラダラと血を流しており、ヴィーレを射抜くようにひた睨む。
(ヴィーレ・キャンベル……特別な呪文も使えないのに勇者として選ばれた怪しい男みたいだけど……。五百人相手とはいえ、あれだけボロボロなのを見ると、やはり噂に嘘は無かったようだね)
傷口を凍らせて血を止める。
エミーナの長剣はヴィーレと彼女のちょうど真ん中の位置に転がってあった。下手に拾いに行って隙を晒すよりかは直接彼を呪文で攻撃した方がいいだろう。
(幸い魔力は残してある。ここで奴等を殺すには十分すぎる量の魔力をね……!)
壁から体をゆっくり離す。若干ふらつきながらも、自身の足だけでしっかりと立ってみせた。ヴィーレと彼女の視線が交わる。
「最後に笑うのはこのアタシだ……ッ!」
「守るべきものが俺にはある……ッ!」
互いが同時に一歩踏み出す。
二歩、三歩、四歩。次第に足を繰り出す速度が上がり、二人の距離はグングン縮まっていく。そして、それに応じて二人の闘志は加速度的に膨らんでいった。
「歯ァ食いしばれ、エミーナッ!」
ヴィーレが腕を振りかぶる。
それと同じタイミングで、エミーナも彼の体を己の間合いに入れた。
(馬鹿め! そこは既にアタシの射程圏内だ!)
彼女は口を開いた。端から血の跡を伸ばしている唇は素早く、しかし正確に、一撃必殺の呪文を紡ぎだす。
「インテンス……ッ!」
瞬間、エミーナの視界が激しく回った。衝撃が体のあちこちから伝わってくる。
そして気付けば、彼女の体は地面に突っ伏しており、強烈な痛みと脱力感が後から一斉に押し寄せてきた。
「な、何が……ッ!?」
何が起こった? 問いかける事すらできず、エミーナ・ボイドは意識を絶つ。
その後ろには、すれ違いざまに彼女を高速で数十発も殴打したヴィーレが、拳を見つめたまま威風堂々と立っていた。
【レベル31582・エミーナを悪夢の呪文から解放した!】
拳の上に文字が浮き出てくる。「相変わらず意味の分からない文だ」と独りごちて、勇者は地に伏すボロボロの盗賊幹部を流し見た。
「お前とは違うんだよ。背負ってる魂の値がな」
そこまで言うと、彼は瞑目して仲間のもとへと去っていった。
ネメスはあの後、具体的にはヴィーレが戻ってきた時、糸を切ったように気を失った。
極度の緊張状態が続いていたのだろう。痛みを我慢していたのも関係があるかもしれない。
そういう訳で、彼女はつい先ほどまで夢の中であった。過去形であるのは、たった今ちょうど彼女が目を覚ましたところだからである。
「んぅ……。あれ、ここは……?」
仰向けのままネメスが見つめるのは、大きな菱形の穴が一つある洞窟の天井だった。
痛みはない。誰かが治療してくれたのか、腹部や顔に負った傷も完全に消えてしまっている。
白の布が簡易的な敷き布団と掛け布団の役割を果たしているようで、硬い感触はあるものの、そこまで肌は冷えていない。
後頭部に柔らかい感触が伝わり、すぐ近くから大好きな人の匂いがした。自分と同じ石鹸の香りだ。
「ネメス……? ネメス、私よ! 分かる!?」
そして聞こえる必死な声。真上からこちらを覗きこむ顔をわざわざ見ずとも誰だか分かった。イズだ。
「イズ……お姉ちゃん……?」
「ネメス……! ネメスッ!」
バッと覆い被さるようにして体を抱き寄せられる。そこでネメスはさっきまで自分が膝枕をされていた事に気付くだろう。
「よかったな。もし仮に脳へダメージが通っていたら、イズの呪文でも回復できたか分からなかったぜ」
ふと聞こえてきた声の方へ目をやると、エルが冷や汗を手のひらで拭っているところだった。その隣にはカズヤ、ヴィーレもいる。
「お兄ちゃん達も……! みんな……よかった~!」
ネメスは大泣きしながらそう言うと、イズに思いきり抱きついた。それをあやすイズも涙を流している。
彼女達の周りでは、兵士が盗賊を拘束したり、捕虜を解放したりと、忙しなく走り回っていた。捕まった盗賊の中にはクスカの姿も確認できる。
「終わった……のか?」
感慨に浸るヴィーレ。イズから離れ、エルに抱きついているネメスを見ながら、ふと何気なくそう呟いた。
「まだだよ」
だが、カズヤがこれを即座に否定してくる。
(えっ。この流れで終わりじゃないの?)
「おいおい、気を抜いてんじゃねえよ。まだ他にも潜伏している盗賊どもがいるかもしれねえんだぞ。これから兵士達とヨーン村へ行って、俺達も一緒に夜まで警備だ」
ネメスをカズヤの方へ送り出したエルが呆れた様子で伝えてくる。
常時無表情なヴィーレも、これには面倒だという気持ちを表に出さずにはいられなかった。
「あ、あぁ、そうだったな……」
「もしかして、本当に忘れてた?」
「…………」
尋ねてくるカズヤには黙秘を貫いた。飛びついてくるネメスを抱き締め返して深い息を吐く。
(そうか、まだあるんだな……)
ヴィーレは緩みかけていた気をもう一度引き締め直しつつも、今は仲間達の無事を全力で喜ぶことにした。
ヨーン村での警備はあっさりと終わった。
いや、というか略奪自体が無かったのだ。幹部達が捕まったことが知られたのか、それとも初めから他に潜伏している者はいなかったのか、村の襲撃は行われないまま日は落ちようとしていた。
勿論、まだ油断はできない。今も兵士が見張りを続けているが、盗賊幹部との戦闘に参加した者は魔力の回復も兼ねて先に休むようにと命令が下ったのだ。
(まあ今日は気を張りっぱなしだったから、正直助かったよ)
ヴィーレが回想がてら思考を巡らせていると、イズが溜め息混じりに口を開いた。
「……で、なんであんたまでここにいるわけ?」
勇者達はヨーン村で宿を借り、そこで今日は心身を休めることにした。
やる事を一通り終えた後で、今は狭くも広くもない男組の部屋にみんなで集まっている、のだが……。
「どうせ戦場に帰るのは明日だもん。せっかくだし遊びに来たんだよっ!」
睨まれたアルルはニッコニコでVサインをしている。
そう、どういうわけか彼女は軍の借りた施設ではなく、ヴィーレ達と共に泊まることにしたらしいのだ。
「どうなってんだよ人間軍。しっかりしろよ上官」
「許可なんて取っておりません。呪文で誤魔化しているのです」
胸を張って自慢にもなってない自慢をするアルル。ヴィーレと話す時は兵士の時と違って、素の女らしい声だ。
「それにさ、色々聞きたい事もあるんじゃない?」
そう言って何故かイズをじっと見つめ返すアルル。視線を受けたイズはギクッと体を固まらせてからそっぽを向いた。
(聞きたい事、か……。個人的な質問なら沢山あるんだけどな)
とりあえずここは全員が気になっているであろう事を聞いておくかと、ヴィーレは軽く手を挙げた。
「どうして俺達が襲われてから、すぐに駆けつけてこれたんだ?」
「通報があったんだよ。若くて可愛い商人ちゃんから」
満足げに返答するアルルの言葉に、ヴィーレは「ん?」と疑問を抱いた。
「もしかしてその子、黒いローブを着た栗色の髪の娘だったか?」
「え? うん。なに、知り合いだったの?」
「……ああ、まあな」
詳しくは話すことなく会話を終える。
様々な疑問が湧き上がってきたが、きっとアルルに尋ねても答えは得られないだろうからだ。
「あの人達はどうなるんですか?」
会話の空白を見つけたネメスが続けて質問する。ちゃんと知らない年上の人には敬語で話すらしい。『あの人達』とは捕らえられた盗賊のことだろう。
「ん~、盗賊のアジトだとか目的だとかを聞きださなきゃだし、しばらく軍で預かるよ。ヴィーレの事を可愛がってくれたお礼もしなきゃいけないしねっ!」
そう言うアルルは拳を痛そうなくらいに力強く握っていた。
(恐いわ。口調と表情が合ってないぞ。相変わらず過保護だな、こいつ)
ドン引きする勇者には気付かずに、彼女はスッと話題を切り替える。
「ところで、ヴィーレ達はあの事、知ってるの?」
「あの事?」
「魔王城を総攻撃するって話だよ!」
「えっ。何よ、それ?」
彼女の言葉にイズが眉をひそめる。
(あー、アルルは兵士だからその辺の事情を知っているのか。考えてみれば当たり前のことだよな)
そこまで考えてからカズヤと目配せしあうヴィーレ。
(もともと今日の夜には伝えようと思っていた事だ。せっかくだし、ここで話してしまおう)
カズヤも同意見であるようだったので、ヴィーレはアルルの説明へ被せるように言葉を挟んだ。
「俺から話そう。実はな――――」
彼は先日カズヤと話した内容を簡潔に説明した。
初めてその事を知る三人は衝撃を受けていた様子だったが、最後まで静かに話を聞いてくれる。
どうして黙っていたのかという疑念を、ヴィーレなりに気遣っての事だろうという信頼が打ち破ってくれたのだ。
「――――という事らしい。だから、これから先は、あまりのんびりもしていられないんだ」
「えっ。何言ってるの、ヴィーレ。その計画は……今日、実行されたんだよ?」
ヴィーレが話をまとめると、アルルが思ってもみないような事実を知らせてきた。
「へぁ?」
不意を突かれ、最上級の間抜け声を出すヴィーレ。
「だから、魔王城総攻撃の作戦は数日前にいきなり決定して、その決行も今日だったんだよ」
アルルが丁寧に言い直してくれる。
一方で、勇者はあまりの驚愕に口だけがパクパクと動き、声が全然出ていない。表情だけは真顔だからとてもシュールだ。
「はぁ!? じゃあ何だ、もう大勢の兵士が魔王城に乗り込んでるってことか!?」
困惑している彼の気持ちをエルが大声で代弁してくれる。答えるアルルは神妙な面持ちだ。
「うん。夜明けから攻め始めるってのと、一日で一気に押しきるつもりっていうのは聞いたから、多分そろそろ終わってるんじゃないかな?」
彼女の声に頭を殴られたような感覚に襲われる。
(な、なんて事だ……。どうなったんだ? 勝ったのか? 負けたのか? 負けたのだとしたら、どれほどの人々が犠牲になった?)
ヴィーレの今回の計画の代償が、ここに来て自身のもとに押し寄せてきたようだ。
彼は今まで、イズ達四人とアルル以外の人々は多少犠牲にしてでも、使える時間は最大限に利用してやっていくつもりでいた。
しかし、今回の件は訳が違う。総攻撃というくらいだから、上手く行っても何千何万の人々が亡くなったかもしれないのだ。それはヴィーレの人並みな責任感を刺激するには十分過ぎた。
「ヴィーレ、そんなに落ち込むことないよ。僕達が魔王城へ行っていたところで結果は変わらなかったかもしれないし」
カズヤが慰めのつもりか言葉を投げかけてくる。
(あぁ、駄目だ、落ち着け。みんなに動揺する姿は極力見せない方がいい)
彼の言葉に落ち着きを取り戻すヴィーレ。できるだけ普段通りを心がけて返事を返す。
「そうかも、しれないな……」
そう言う勇者の声はまだ少し暗いままだった。




