23話「決死」
カズヤは思い出していた。これまで辿ってきた冒険の日々を。
暗闇の中に思い出の欠片が舞っている。宙に浮かぶ無限の宝石の中に過去の映像が流れているというような光景だ。
もしかしたら走馬灯なのかもしれなかった。ただ、カズヤにとってはそれがどうしようもなく心地よく感じられたのである。
(楽しかった。充実していた。久しぶりに何の憂いもなく誰かと笑いあえた。理由はそれだけでいい……彼らを守り抜くためにはそれだけでいいんだ……!)
思い出の欠片、その一つに手を伸ばす。握った途端に掴んだ手のひらから彼の血が溢れだした。カズヤは臆せず、さらに左手へ力を込める。
(イズさん、ヴィーレ……ごめんなさい。君達との楽しい思い出をこんな事に使って……)
心の中で謝罪して握り潰す。宝石が音を立てて割れた瞬間、カズヤの意識は空想から解放された。
さっきまで宝石を握っていた手は彼の喉元に突きつけられていた刃を掴んでいる。
突飛な行動に訝しがるバレンを見て、カズヤの表皮を謎の高揚感が走った。
「随分……離れたね」
ポツリとそう漏らすカズヤ。
「あ? 何言ってんすか?」
「イズさんやエルのいた場所から大分遠ざかってしまったねって呟いたのさ」
剣を握る手には初めこそ痛みや熱があったものの、もうカズヤへそれらは伝わっていなかった。脳内麻薬が大量に出て、痛覚が麻痺してしまっているようだ。
「チッ、時間稼ぎかよ。みっともない下策を使いやがる。わけ分かんねえ事言ってねえで、とっとと剣を離しやがれッ!」
そう言って武器を引っ張るバレンだったが、根が張ったみたいにびくともしない。
カズヤの言葉が再び静かに紡がれる。
「この世界に来たばかりの僕の魔力量じゃ、君に攻撃を仕掛け続けても先に魔力切れを起こす……。それは正しい。正しいけれど、君の目論見には決定的な間違いがある」
現在この場にあるコピー可能な呪文は火炎の呪文、氷雪の呪文、回復の呪文、透明の呪文、研磨の呪文、暗闇の呪文、防壁の呪文、索敵の呪文の八つ。
三つまでならコピーできる。だが、バレンを倒すだけならその内の一つだけで十分に事足りた。
「君の薄っぺらい防壁なんか、金魚すくいの網よりも簡単に打ち破れるのさ」
カズヤは詠唱する。全ての魔力を注ぎ込んだ会心の呪文。
「《フローズンスノウ》!!」
瞬間、辺りは影に包まれた。カズヤ達の頭上には野球ドームほどもある巨大な氷山が浮かんでいる。先日のヴィーレとイズの模擬戦において、イズが使用した攻撃と同じだった。
「イズさん達は巻き込まない……! 君はここで僕と一緒に仲良く圧死するんだ……ッ!」
そのためにカズヤは離れた。接戦に見せかけて、ずっとイズ達から遠ざかろうと計画的に移動していたのだ。
氷山にかかっていた浮力が消える。必然、それは圧倒的な質量をもってカズヤ達に降りかかった。
大量の砂埃を立ててそれは地面に落ちる。が、完璧に着地したわけではない。傾いている。
氷の塊はバレンの上で、一部だけがまだわずかに浮いていた。水色の障壁が火花を立てながら何とかバレンを守っている。
「ぐっ……! 野郎、謀ったな……ッ!」
重力は伝わっているのか、バレンは動けないままカズヤをただただ睨んだ。その間にも彼の魔力は驚異的な速度で消費されていく。
カズヤは彼の傍で悠長に座ったまま、踏ん張り続けるバレンを観察していた。
逃げる時間はない。それだけ大きな氷塊を用意した。バレンが力尽きた時がカズヤの最期だ。
「『逃がさねえぜ』……だっけ? 仕方ないな。君は聞いていなかったようだから、もう一度言い返してあげるよ」
そう、カズヤは確かに言ったのだ。イズとエルを助けると。そして、そのためならば自分の命を擲つ覚悟もしていると。
だから彼は嗤った。狂気的に口の端を歪ませて、とても中性的な顔立ちの好青年がするとは思えない笑顔でこう言った。
「こっちの台詞だ」
分厚いガラスの割れる音が響く。バレンの纏っていた水色の障壁が破れたのだ。
彼の肝を冷やしたのは氷塊から伝わる冷気ではなく、目の前にいる黒髪少年の狂気だった。
「一緒に地獄へ落ちようぜッ!」
カズヤが雄々しく叫んだ後、彼らの姿は氷山に覆い隠された。
バレンは焦燥していた。真上で激しく火花の散る音がそれをさらに加速させる。冷や汗が頬を伝い落ち、底知れぬ倦怠感が足を震わせた。
障壁だけで氷山の一角を支えているが、このままじゃ魔力が尽きるのも時間の問題だ。そうすれば待っているのは無惨な死のみ。
「嘘だろ……! こんな、こんなところで……ッ!」
魔力を抑えるためサーチを解く。バレンの目の前が真っ暗になった。
しかし、もう既に事態は手遅れの域に到達していた。彼は『恐怖心を抱いた』のだ。それによって魔力レベルは減少し、命のカウントダウンは目前まで迫る。
ふと、バレンが膝から崩れ落ちた。その瞬間、耳につく音を立てて、障壁が粉々に割れる。魔力はとうとう底をついたようだ。
「一緒に地獄へ落ちようぜッ!」
隣でカズヤが叫ぶが、バレンの耳にその声は届いていなかった。ただ歯をガタガタと鳴らして、迫る壁を見つめているのみである。
(死ぬ……? 俺が……? 潰されて、脳ミソも腸も全部ぶちまけて、虫けらみたいに死ぬっつーのかよ……?)
その光景が脳裏に過る。あまりにリアルで身近な想像に吐き気が込み上げたが、彼を突き動かしたのはそれ以上の『生きたい』という純粋な本能だった。
「い、嫌だ! 死にたくないっ! 助けてっ! ヤーバン! クスカ! エミーナァァァ!!」
がむしゃらに泣き喚く。盗賊幹部としての体裁などは捨て去って、普段のトボけた軽い口調も消し去って、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら助けを乞うた。
その願いを神が聞き届けたのかは分からない。が、確かに言えるのは、一人の女性がいつの間にか彼らの前に姿を現していたという事だけだ。
「その願い、あたしが叶えましょう!」
カズヤとバレンの間に現れた快活な声の主。
茶髪のポニーテール、白銀に輝く鎧、厚手のグローブ、背中には身の丈ほどもあるハルバード。十八にしては幼い顔立ちだが、体つきは年相応に健康的である。
呪文も使わずにただ駆けつけただけの彼女に、今の今まで二人は気付けなかった。それほど彼女は『速かった』のだ。
「伏せてッ!」
言うや、女性は氷塊を殴り上げた。ヒビが入って少し止まるものの、氷山は依然としてそこにある。それが再び下降を開始する前に、彼女は次の拳を叩き込んだ。
すると、ヒビがさらに深く広がり、大樹の枝葉みたいに分かれていって、派手な音を鳴らして砕け散った。破片の一つがカズヤに降りかかるも、女性の裏拳がそれを粉砕する。
彼女は手をカズヤに差し伸べると、向日葵のように笑った。
「間に合ってよかった……。よく耐え抜いてくれたね」
「あ、ありがとうございます……?」
状況に追いつけないまま感謝を述べるカズヤ。彼女の手を取ると、女性のものとは思えない力強さで軽々持ち上げられた。
兵士と思われる彼女は満足げに微笑み、すっかり染み付いた動きで敬礼してみせる。
「通報により救援へ参上いたしました! アルル・シェパードと申します! あとはあたし達の部隊にお任せを!」
彼女の後ろには百人近くの騎兵が同じく敬礼をして控えていた。
これはアルルがヴィーレとネメスを救出する、約三十分前の出来事である。




