16話「奪還せよ」
遠くから女性の呼び声が聞こえる。
カズヤは微睡みの中で、空中を浮遊しているような感覚に囚われていた。
声が次第に近付いてくる。いや、どちらかというと、カズヤの体が声の方に引き寄せられているといった表現の方が適切だろうか。
「――――ズヤ、カズヤ! 起きなさい!」
ふと、頬を打たれる痛みで目を覚ます。
瞳を開くと、すぐ傍に落ち着かない様子のイズが座ってこちらを見下ろしていた。
(いけない、気絶してしまっていたみたいだ)
体を起こして二三、頭を振ってみる。わずかに痛みがあったが、それだけだ。特に何か異常は感じられない。
地面に打った箇所を恐る恐る触ってみる。馬車から降ろされた直後にかなり強い衝撃を頭に食らったのだけれど、傷はない。イズが治療してくれたのだろう。
「あ、ありがとう……!」
「礼なんて今はいいわ! それより、ヴィーレとネメスがッ!」
彼女は今にも泣き出しそうな顔をしていた。周囲にはイズとカズヤのみしかいない。
辺りを見回すと、離れた場所に四匹の馬が走っているのが見える。カズヤはその中に気を失っているヴィーレとネメスを見つけることができた。
「まさか、連れ去る気か……!」
「待ちやがれぇッ!!」
カズヤが悟ったのとほぼ同時に怒気の込められた声が響く。
走って追いかけていたエルがその勢いを短剣に乗せ、逃走者に向かって投げ放ったのだ。
それは馬体に当たり、一人の男を落とす事には成功する。しかし、ヴィーレ達を乗せているのは別の馬だ。
「チッ! おいバレン、しくじってんじゃねえよ!」
落馬した少年を見てもう一人、強面で低い声の男性が引き返してくる。彼は引き上げて逃走の再開を図ろうとするが、イズがそれを見逃さなかった。
「逃がすわけ……ないでしょうがッ! 《フローズンスノウ》!」
馬に氷をぶつけ、倒れさせる。最小限のダメージで失神させたみたいだ。先日愛馬を失ったばかりなだけあって、流石に殺すのは気が引けたのだろう。
男は馬が倒れる前に飛び降り、危なげなく着地した。横目で初めに転んだ少年、バレンを睨んでいる。
「ごめんて、ヤーバン! まあコイツら始末すりゃいいだけでしょ!」
バレンは軽い口調で謝っている。まったく謝意は感じられない。服を着崩した格好でへらへらとした笑みを浮かべている。
他方のヤーバンは葉巻を口にくわえていた。それを捨て、懐からもう一本取り出すと、イグニッションを唱えて着火する。白煙が風に揺られていた。
二人は茶色のジャケットを着ている。肩の部分に鷹の刺繍が施されており、何かの制服にも見えなくはなかった。ヴィーレ達を連れ去った人物達も着ていたものだ。
「ムカつく連中ね。これから重要な戦いがあったっていうのに、こんな時に限って……」
「それはこっちも同じだっての。被害者ぶっちゃって、まあまあ」
イズの愚痴にも負けじと言い返してくる赤髪碧眼の少年、バレン。むしろ彼女を挑発しようとして身振り手振りが大げさだ。
「あんた、自分達が何をしたか忘れた訳じゃないでしょうね……? 被害者ぶってるんじゃなくて、正真正銘の被害者なのよ!」
「どうして断言できるのさ? ちゃんと相手の事情も考えてから発言してよね」
「屁理屈しかこねられないのなら黙ってなさい! この悪党め!」
「ハッ。解釈を事実として語るなよ」
バレンはイズとの口喧嘩に夢中みたいだ。激昂する彼女の言葉をのらりくらりと煙に巻き、マトモに会話を成立させようとしていない。
(それなら、僕が今、彼を仕留める!)
その隙にカズヤが先手を打つべく、バレンへ意識を集中する。ヴィーレから先日プレゼントされた一振りの剣を握りしめ、慎重に距離を詰めていく。
「《インビジブル》!」
「《ブラックアウト》」
そこで突然、二つの声が発せられた。焦りの混じった叫びと全てを凍てつかせるような冷たい詠唱。
一つはエルのものだ。任意の人や物を一定時間透明にする呪文、インビジブル。
そしてもう一つは引き返してきた男、ヤーバンが唱えたものである。
効果はまだ不明だが、エルの反応の早さに軽く眉をひそめているため、彼の不意討ちは失敗したようだ。インビジブルのおかげでヤーバンの呪文の対象から外れたのだと思われる。
その証拠にカズヤとイズの姿が消えていた。しかし、エルの姿はそのまま。
ということは、彼はカズヤ達にだけ呪文を使用したのだろう。エルだけ消えていないのは、魔力量と呪文の慣れが不足しているからだ。
「イズ! カズヤ! 返事はしなくていい、よく聞け! 相手の呪文は視界を奪う能力だ! そのせいで俺は今目が見えねえ!」
そう言うエルは目を開けているにも関わらず、まるで暗闇にいるかのような動きを見せていた。短剣を構え、その場からほとんど動けないでいる。
「俺の呪文の効果が切れる前に、ヤーバンとかいう男だけでもどうにかしろ! じゃねえとみんな視界を奪われて終わりだ!」
暗闇で物を掴むことが困難であるように、呪文は対象を強く認識しなければ使うことができない。
ブラックアウトを唱えられれば、相手はほとんど無力な状態になるというわけだ。エルはその状況をいち早く察知した。
「強がっちゃってさぁ。どうせ痛い目見たら、すぐに泣いて謝るんでしょ!」
バレンが腰にかけていた剣を抜くとエルに飛びかかり、鋭く斬りかかった。
しかし、エルはまるで見えていたかのようにそれを受け、カウンターの蹴りを放つ。攻撃はバレンの腹に炸裂し、奴はそのまま三メートル程も吹き飛ばされた。
「足音聞いてからの後ろ廻し蹴り余裕でしたぁ! 目が見えない程度でこのエル様を封じられたと思うなよ、クソガキ!」
蹴りを放った方向へ尻を向けて叩いてみせるエル。目が見えていなくても相手を小馬鹿にするのは変わらないようだ。
彼がカズヤとイズに透明の呪文を唱えたのは、二人の安全を優先したためだけではない。
「この通り、俺は余裕だぜ。イズ、カズヤ、後は任せたぞ!」
両手を広げてアピールしつつ、空を仰ぐエル。
そう、彼が透明にしない一人に自分を選んだのは、自身の強さにそれだけの信頼を置いていたからだ。
「ちょっと、ヤーバン! アイツ実は目見えてんじゃないの! なかなかにキツい一撃貰っちゃったんだけど!」
「しっかり呪文が効いた感覚はあった。今のはお前のミスだ。遊んでないでさっさと終わらせるぞ。クスカ達に心配をかけるからな」
そう言ってヤーバンはこちらに一歩踏み出した。
バレンも腹を押さえながら立ち上がる。まだまだ平気で動けるようだ。
(流石エル。目が見えていない状況でも防御に徹することはできるのか。だとすれば、あっちは問題ないみたいだね。あのバレンって男が呪文を使えないなら、の話ではあるけど……)
カズヤは一部始終を見てエルのフォローは必要ないと確信した。既に相手の分析を開始し、攻略法を考え始めている。
(しかし、どうしよう。爆発の呪文は人間相手だと、威力をセーブしても、取り返しのつかない怪我を負わせてしまうかもしれない)
彼には未だに躊躇があった。他人に大きな怪我を負わせる責任、或いは殺人を犯してしまう未来に耐えられるだけの意志が無かったのだ。
(他の呪文を使うとみんなに怪しまれることになるし、鈍重の呪文を使って、攻撃はイズさんに任せるしかないか)
だから援護に回ることにした。傍観者でいる事を選んだ。
「《イグニッション》」
そして先制を許した。カズヤが行動を起こす前に、ヤーバンが炎の波をエルに向かって走らせたのだ。それはバレンを巻き込んで、そのままエルの体も飲み込もうと迫る。
「なっ……!」
その行動にカズヤは戸惑いを隠せない。敵はあっさり味方を巻き添えにするほどの広範囲攻撃を仕掛けてきたのだ。
「《フローズンスノウ》!」
何もできずにいると、カズヤの近くからイズの声が聞こえた。エルの前に氷の障壁が立ちはだかり、襲いくる炎をかき分ける。
そこに至ってカズヤは初めて気付いた。
「しまった、これじゃあ相手の思う壺だ! イズさん逃げて!」
「そこにいたか。《イグニッション》」
ヤーバンの放った無数の炎球が、二人の声がした方へと降り注ぐ。カズヤはそれを走って避け、イズは再び氷の壁を生み出して防いだ。
「いつまでも受け身でいるとは思わないことね。《フローズンスノウ》!」
直後、氷壁の隣から数えきれないほどの氷の矢が空に現れ、一斉にヤーバンを襲う。
「援護するよ! 《スロウ》!」
カズヤはできる限り力になろうと、敵の動きを遅くした。呪文を唱えながらも切に祈る。
(敵とはいえ、人間なんだ。頼むから死なないでよ……!)
ヤーバンは走って避けようとしたようだったが、一本の矢がその右足を貫くことに成功した。その痛みで派手に転け、足を押さえて傷口を睨んでいる。
「くっ……!」
やがて氷の矢は溶け消え、そこからはドクドクと血が出てきた。傷口から溢れ出る赤の奥にはうっすらと骨も見える。
「ぐ、グロい……」
カズヤは反射的に目を背けてしまった。戦闘に慣れていないのはこういう部分で隙を生む。
だから彼も察知できなかったのだろう。少し離れた場所に佇む人影に。
「へへっ、人に血を流させた気分はどうよ?」
聞こえるはずのない声が耳に届くや、ハッとして声の方を見るカズヤ。
そこには信じがたい光景が広がっていた。
先ほど火の海に沈んだはずのバレンが、全くの無傷で立っていたのだ。その手は剣を握っていて、何もない空中へ向けられている。
赤髪の少年は剣を捻ったり押し引きしたりしていた。ただの虚空を撫でるように。
……いいや、きっとそこにはいるのだ。彼の刃に体を貫かれてしまった、透明な姿の賢者イズが。




