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閑話「混浴と膝枕」

 結局、頑固なネメスを納得させることはできず、ヴィーレ達は三人で一緒の風呂に入ることになってしまった。


(ネメスのゴリ押しには勝てなかったよ……)


 さっきまで男湯の方へ行こうとしていたのに、いつの間にか混浴風呂へと続く脱衣場で入浴の準備を進めている。


 十分に及ぶ二人がかりでの説得にも関わらず、何故かヴィーレとイズは彼女に言い負かされていた。ネメスへの甘さがここに来て悪い方向へと事を進めている。


(それにしても、なんか最近こういうイベント多くないか?)


 余計な詮索をしながら、ヴィーレは所々に穴の空いた寝間着を脱ぐ。


(興奮したら負け。興奮したら負け。興奮したら負け……。男であるとかどうこうの前に、ここで本能に敗北することは、今までに築いた二人分の信頼を一発で失うということだぞ。あってはならない最悪なエンディングだ)


 腰のタオルをきちんと巻き、絶対に落ちないようにすると、二重の意味で事故が起こらないよう足下だけを見て、脱衣場から出る。


(大丈夫。女の裸なんて小さい頃に散々アルルのを見てきた。これまで潜り抜けてきた死線に比べれば、別にどうってことない試練だ)


 普段より饒舌に思考しながらも、最小限の目の動きで周囲を確認し、体を洗う場所へ向かった。


 幸いにも、他に人はいないようだ。こんな時間だから当たり前と言えば当たり前なのだが。


(イズの裸を見たら即、死だ。けれど早々に逃げ帰れば、それはそれで彼女達を傷付けてしまう。戦わなければ生き残れないぞ、勇者ヴィーレ。戦え、戦え、戦え。逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ)


「お兄ちゃん! おまたせ~!」


「……っ!」


 小椅子に腰掛け、体を流していると、背後から何者かに抱きつかれた。

 確認するまでもなく分かる、ネメスだ。タオルがしっかり巻いているのは背中に伝わる感触で察することができた。


「ヴィーレお兄ちゃん、背中大きいねっ!」


 一枚の布越しに柔らかで控えめな双丘が押し当てられる。ヴィーレの背筋を走る背徳感。桶を持つ手は自然と止まってしまっていた。


「こらネメス、お風呂場で走ったら駄目じゃない!」


 イズの声が少し遠くから反響して聞こえる。

 ヴィーレには見えていないが、彼女もきちんと体をタオルで隠していた。ネメスを追ってきたようで、小走りでペタペタと近付いてくる。


(これ、今後ろ向いたら最悪殺されかねんよな。たとえ軽傷でも目は潰されるはず。何だ、ただのホラーじゃないか)


 ヴィーレは汗を滝のように流しながら硬直している。多感な時期の男性には辛すぎるシチュエーションだ。


 イズは男の裸体に免疫が無いのか、茹で(だこ)のような顔で彼の体をガン見していた。「や、やっぱり男は骨格が違うわね……」と呟いて興味津々だ。


 ネメスは気にせずヴィーレの背中を擦ったり、胸板や腹筋を手のひらで撫で回したり、おんぶされようとしたりしていた。気ままなものである。


「ほら、ネメス。いつまでも遊んでないでイズに体を洗ってもらえ」


 平静を装いつつも、言葉だけで何とか彼女に離れてもらおうとする勇者。

 しかし、ネメスはこういう時に限って、まるで言うことを聞いてくれない子だった。


「せっかく一緒に入ったんだから勿体ないよ!」


 そうやってずっと背中から離れないどころか、挙げ句の果てには彼に体を洗ってくれとせがんできた。


(いやいやいやいや、社会的に俺を殺す気か!)


 下唇を噛んで理性を保つ。やはりヴィーレに女耐性はほとんどないらしい。


「い、イズ、何とかしてくれぇ……」


 情けない声が口から漏れる。ネメスのこの甘え方は彼の弱点になってしまっているようだ。どうにも押しが強くて突き放せない。


「……はぁ、本当にこの子にはハッキリ言えない人ね。ネメス、洗ってもらうのは髪だけにしなさい。ヴィーレが困っているわ」


「えー……。うん、分かった」


 イズの注意にはネメスも渋々従う。彼から離れ、自分の石鹸をイズから受け取った。


(ふぅ、やっと折れてくれたか。でも結局洗うんだよなぁ。頭だけならギリギリセーフなのか?)


 まあ体を洗うよりはマシかという結論に落ち着く。ヴィーレはもう考えるのをやめて、妥協に走ることにした。


(まだこいつの体型が幼くて良かった。それでもやたら柔らかいから、鋼の理性は必要とされるが)


 ネメスが勇者の膝の上に座る。彼女はヴィーレの苦労も知らず、無防備にもたれかかってきた。彼女の臀部(でんぶ)と背中が椅子役の男と密着する。


 もうヴィーレは彼女を野菜か何かだと考えることにした。これは野菜を洗う作業。そう自己暗示をかけて半目で取りかかる。


「お湯かけるぞ」


「はーい」


 ちょうど良い熱さに調整した湯を頭から浴びせると、巻いてあったタオルが彼女の体に張りつく。それにより、ネメスの体のラインがさらに分かりやすくなった。


(女の子ってこんなに細いもんなのか。改めて見ると、本当に別の生き物みたいだ)


 そんな感想を抱きながら頭を洗ってやる。髪はサラサラで全く指に引っかからなかった。ネメスは顔を少し上に向けて、気持ち良さそうに目を瞑っている。


(こうして見ると可愛いんだがなぁ……)


 何度かお湯をかけ、頭の上に乗る泡を流してあげた。途中でタオルが落ちそうになったりもしたが、そこはレベルの高さを駆使してギリギリ食い止めた。


「よし。じゃあ後はイズに洗ってもらえ」


 ホッと一息をついてネメスを立たせる。ヴィーレも風呂場でこんなに冷や汗をかいたのは初めてだったろう。


「んーん、それは後にする。その前に……」


 しかし、そんな彼のことを神はさらに苛めたかったようだ。

 頭を横に振ったネメスがクルリと振り返り、天使のようにニッコリと笑いかけてくる。


「今度はわたしがヴィーレお兄ちゃんを洗ってあげるよっ!」


 そう言うと、彼女はタオルと石鹸を手に取って見せつけてきた。


 久しぶりに表情筋が収縮するのを感じるヴィーレ。どうやらまだ彼の試練は続くらしい。







 幸運なことに、ヴィーレは試練を乗り越えたようだった。

 一度もイズと目を合わせる事なく、ネメス達に邪な感情を抱く事もなく、混浴地獄から帰還したのだ。


 今は風呂からあがり、脱衣場の前で待っているところである。

 彼が逆上せかけた頭を冷やしていると、イズ達も着替えを終えて出てきた。


「待たせたわね。……大変だったみたいね、お疲れ様」


 すっかり参ってるヴィーレに哀れみの視線を向けるイズ。


(同情するくらいなら止めろと言いたいところだが、ネメスの事になったらイズも弱いからなぁ。彼女が危険な事にならない限りは積極的に止めないし。いや、よく考えれば大人の男の体を洗うって危険すぎるだろ)


 一人で言葉のお手玉をする勇者だったが、口から出た言葉は少なかった。


「どうも。さて、じゃあ改めて寝るとするか。もう眠気は覚めてしまった気がするけど」


 椅子から立ち上がって二人を見る。ネメスの手を引くイズに、ヴィーレは少しだけ見とれてしまった。


 その髪はまだ水気を帯びており、肌にペッタリと貼りついている。普段見えない首筋や鎖骨も見えるから妙に扇情的だ。


 いつもより色気があるように感じるのは、先ほどまでの緊張が抜けきっていないためだろうか。ヴィーレに答えは得られない。


「そうね。でもこの子はもうおねむみたいよ」


 そう言うと、イズは隣のネメスを見る。彼女は頭を揺らしながら瞼を繰り返し開閉していた。ヴィーレ達の視線には気付いていないようだ。


「みたいだな。明日ちゃんと起きれるのかね」


「まあ少しくらいなら出発が遅れてもいいでしょう。帰りを遅らせれば良いだけだし、原因がネメスにある訳じゃないもの」


「そうだな。……よし、ネメス、もう寝ていいぞ。俺が部屋まで運んでやるから」


「んぅ? ありがと~……」


 ネメスはヴィーレに辛うじて返事を返すと、大人しく抱き抱えられた。この様子だと、頭を撫でなくても、部屋に着くまでには眠ってしまいそうだ。


 ヴィーレは代わりに自分の汚れた着替えをイズに持ってもらう。明日の汚れと一緒に洗ってもらわなければなるまい。


 階段を上り、廊下を進んで勇者達の部屋に入ると、エルとカズヤは既に眠っていた。室内にはまだほんのりコーヒーの香りが漂っている。


「良いご身分なものだわ」


「まったくだ」


「カズヤがいなかったら熱々のコーヒーをぶっかけてるところよ」


「容赦無さすぎて怖いわ」


「鼻から飲ませないだけ良心的じゃないかしら」


「思いつく嫌がらせが陰湿で悪質すぎる……」


 言葉を返しながら部屋の奥へ移動する二人。

 ヴィーレ達のベッドはちゃんと毛布とシーツを替えてもらっていた。


(よかった、無事に寝れるみたいだ)


 ネメスを真ん中に寝かせ、その隣に滑り込むように寝そべる。彼女はもうとっくに夢の中だった。


(くっついてこないと大分マシになるな)


 ヴィーレがそう考えていると、何故か彼のすぐ横にイズが腰を下ろした。彼がそれを確認するより前に、細く白い手のひらが瞼の上に乗せられる。


「さっきの事だけど……」


 イズはヴィーレが言葉を発する前に先手を打って口を開いた。


「甘えたいなら私に甘えなさい。みんなの前じゃ恥ずかしくていつも通りになっちゃうけど、二人きりの時くらいは愚痴も聞いてあげるわ」


 言いながら寝転がり、ヴィーレの後ろから抱きついてくる。彼の首の前で二つの腕が交差した。


 ヴィーレは言葉を失ってしまっていた。しかし、そこは持ち前の精神力でカバーする。紳士として、頼れる男として、最適解と思われるものを投げ返すのだ。


「若いお前らが気を遣うなよ。大人が愚痴なんて吐けるかって」


「あら、大人だって甘えていいのよ? 私が認めるわ。ほら、たまにはワガママを言ってみなさい。できる事なら何でもやってあげるから」


 他の三人を起こさないように気を付けているのだろうか。囁き声がヴィーレの右耳を魅惑的にくすぐる。


「……何でもいいのか? 例えば、例えばっ――――」


 口から溢れ出る好奇心をヴィーレは抑えきれなかった。


「お前のポエム、『恥的財産(ちてきざいさん)』を拝読させてもらうという願いは!」


「殺されたい?」


「ごめんなさい。何でもないです」


 すごく良い声で謝罪をかますヴィーレ。久々にイズから殺意を向けられた気がした。


「……もう。別に何もないなら、無理して言わなくてもいいわよ。私なりに力になりたくて勝手に申し出た事だし」


 尻すぼみに小さくなる彼女の声がヴィーレに危機感を抱かせた。イズなりに勇気を出してくれた事を、自身のちっぽけなプライドで茶化したり、無下にしてしまったりしていいのか、と。


「あー、いや、一つだけあったな。前々からやってみたかった事」


 結局、彼は無意識にそうこぼしていた。

 自分が疲れていることを理解していたからというのも大きかったが、何よりイズに悲しい顔をさせたくなかったのだ。


「何? どんな事?」


 ヴィーレの希望通り、イズの期待に満ちた声が返ってくる。彼はもう為るようになれという自棄な気分になっていた。


「ネメスにするみたいに優しく接してほしい」


 嘘は言ってなかった。これは本当に叶うなら叶ってほしかった願いである。先ほどのように怯えるのは、精神的に負担であるという事を否めないからだ。


「……そう。いいわ、分かった。ちょっと待ってね」


 すると、モゾモゾと動く音がしばらく続く。枕が退けられたり、体をベッドの中央側へ寄せられたりもしているようだ。


 ヴィーレが気になって目を開けようとしたところ、彼の頭が持ち上げられ、何か柔らかい物の上に乗せられた。


「な、何だ、この体勢は……」


 膝枕だ。ネメスはベッドの端に移動させられ、イズが枕元に正座してヴィーレの頭を太ももの上に乗せて枕代わりにしてあげている。


「寝つくまでこうしてあげるわ。小声でいいなら、数分くらいは話も聞いてあげられるわよ」


「金を取られそうなサービスだ」


「うふふっ。追加で頭も撫でてあげようかしら?」


 言葉に違わずイズの手はヴィーレの髪に手櫛(てぐし)を入れ始める。ネメスにする時と同じように、その表情は穏やかで愛おしげだった。


「夜中特有の変なテンションになっていないか? お願いしておいて何だが、いつもなら恥ずかしがって絶対にこんな事しないだろ」


「……そうかもね、気の迷いなのかも」


 頭を撫でていない方のイズの手はヴィーレの手をそっと掬い上げた。指を絡めて握られた手は冷たく、ヴィーレの熱を奪っていく。


「でも実は、こうしたいって気持ちはあったのよ」


「えっ」


「初めてあんたを見た時、正直『不気味な奴』って思ったわ。どんな時でも無表情で、瞳も色に反して冷たくて、何を考えてるか分からないから。感情と表情筋の欠如したヤバい奴、仏頂面で畑のミミズ食べてそうって失礼な想像をした事もある」


「ソーダッタンダー」


 できればそんなキツイ暴露は聞きたくなかっただろう。返事もカタコトになるってものだ。

 ヴィーレは傷付けられながら慰められるという奇妙な構図に陥っていた。


「でもね? あんたの性格を知るうちに、それは心配に変わっていったの」


「心配?」


「ええ。考えてることが分からないから、あんたが何か問題を抱えていても、なかなか気付いてあげられない。そう、今回みたいにね。あんたは必要があってそうしているのかもしれないけれど、私もそれをみすみす見過ごしたりはできないのよ」


「……そんなに追い込まれてるように見えたか?」


「自覚無いかもしれないけどね。頑張りすぎなのよ、あんたは。たまには休みなさい。仲間に甘えなさい。私にとっても大切な人なんだから」


 言葉が音色となって身体中に染みていくような心地だった。その主があの素直じゃないイズだという事が、どうしようもなくヴィーレの心を締めつける。


「それに、あんたって意外と寂しがり屋なのよ?」


「ん……? それってどういう……」


 続く言葉は唇に添えられたイズの指で止められた。


「続きはまたね。聞きたいならまた誘いなさい。夜中に二人でお話しましょう」


 耳元で囁かれる言葉は酷く甘美で逆らいがたい魅力を持っていた。

 彼女はヴィーレの表情を見てふっと微笑み、また綺麗に背筋を伸ばす。


「さあ、今日はそろそろ寝なさい。私と違ってあんたは朝が弱いんだから」


 もうヴィーレに言い返す気は無かった。ただ不思議と早まる胸の鼓動が新鮮で、心地よくて、すぐに眠れてしまいそうな気がしたから。これだけは言っておこうとイズの顔を見上げたのだ。


「……イズ」


「なぁに?」


「おやすみ」


「……ええ、おやすみなさい」


 窓から入り込む月明かりに照らされた彼女の笑顔があまりにも神秘的で、ヴィーレはそこから目を背けた。


 寝返りをうち、イズのお腹に顔を埋めるようにして目を閉じると、彼の意識は驚くほどすぐに落ちていったのだった。

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