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13話「アクセサリー」

 時計の針はもうすぐ二つとも真上で重なろうとしている。通常なら勇者パーティーは就寝中だ。


 それは今日も変わらない。ヴィーレ達は夜の十時前には既に床に就いていた。ついさっきまでは四人分の寝息が二つのベッドの上で鳴っていたのだ。


 しかし、今日はいつもとは少し訳が違うらしかった。


「ごめんごめんごめんごめんぐえっ!」


 夜中の部屋に鈍い音が響く。見ると、エルの頭に氷のハンマーが打ち付けられていた。


 ウシガエルみたいな鳴き声と共に倒れた彼の頭頂部には、それはもう大きなタンコブができてしまっている。かなり痛そうだ。


 けれど、氷槌を振り下ろしたイズは容赦なく、エルにゲシゲシと蹴りの追い討ちを放つ。相当頭にきているようだ。


「あんた、こんな時間に何してくれてんのよ!」


 そう言うイズの髪からは水が滴っている。

 否、あれは水ではない。『コーヒー』なのだ。

 同じベッドで眠っていたヴィーレやネメスも、彼女と同様に体をコーヒーで濡らしている。


「ひ、ひぃっ! すみません! ちょっと眠れないからコーヒーを飲もうとして……」


 エルは為す術なく蹴られ続けている。どうやら飲もうとしたコーヒーを転ぶか何かして三人にぶちまけてしまったらしい。


 まだ熱々でなかったから良いものの、夜中にいきなりコーヒーぶっかけられたらそりゃ怒る。ましてやそれがイズやネメスにかかったのだから悲惨なものだ。これがカズヤやヴィーレだけだったらまだ許されていただろうに。


「コーヒーっ! 飲んだらっ! 余計にっ! 眠れなくなるでしょうがっ!」


 イズは締めに思いきりエルの腹を蹴飛ばすと、ベッドの近くの荷物を探り始めた。タオルを取りだし、自分とネメスの髪や体を拭く。


「まだ大浴場はギリギリ開いてるはずだわ。ここが夜中まで使用可能なところで良かったわね……」


「イズお姉ちゃん、またお風呂入るの~?」


「そうよ。流石にこのままじゃ気持ち悪くて眠れないでしょ。ネメスも来なさい。それにヴィーレも」


 ネメス達は言われて仕方なく体を起こす。二人ともまだ頭が回っていないようだ。


「二度風呂とは面倒だな。俺まだ眠いぞ」


「ん~? お兄ちゃん行かないの? じゃあわたしも一緒に寝てる~」


 寝ぼけ眼で抱きついてくるネメス。速攻で二人だけの世界を作り上げる。


 ヴィーレもボンヤリとした思考で「別に風呂は朝でもいいか」と考え、寄ってきた彼女を抱き返してベッドに戻った。


 濡れた服やシーツの肌にまとわりつく感じも、今だけは気にならなかった。互いの肌が触れ合う部分が心地良い。苦い香りが甘美な眠気を誘う。


「お兄ちゃん、もっと強く抱き締めて~」


「ん」


 既に半分夢の中なヴィーレがネメスの指示に従うと、彼女は嬉しそうに身をよじって抱き締め返してくる。前回のような胸に埋もれる体勢ではなく、お互いの顔が真正面にある形だ。


「ふふっ。寝顔可愛い」


 小声でそう言うと、ネメスはヴィーレの顔を弄りだした。頬に触れ、耳を軽く揉み、唇をそっと突っつく。


 そして最終的には紺色の髪を優しく撫で始めた。普段のお返しのつもりらしい。その甲斐あってか順調に眠りに落ちていくヴィーレ。


「ねえ、ヴィーレお兄ちゃん、わたしの事、好き?」


「う~ん? 当たり前だろ。好きだよ、好き」


「えへへ、そっかぁ~。わたしも~」


 甘ったるい音色で返すネメス。ヴィーレの腕の力が弱まった途端に、少しだけ体を上へ移動させ、彼の顔を自分の胸の中に抱いた。これも前回のお返しなのだろうか。


「今は頼りないからこんな事しかできないけど、沢山甘えてくれていいんだからね。お兄ちゃんがすごく頑張ってるの、わたし知ってるんだから」


 ネメスはとても最年少とは思えない母性をもってヴィーレを寝かしつけにかかる。


 ヴィーレの方も最早訳も分からずに従っている状態だった。ただ本能の赴くままに、安らかな眠りを求めようとしている。


 それを見たネメスは満足そうに微笑んで「良い子、良い子」と髪を撫で続けている。これを天然で行っているのだから恐ろしい。ヴィーレが完全に彼女の魅力に落ちるまで、もうほとんど時間はいらなかった。


「チィッ!」


 しかし、それを保護者たるイズが許すはずもない。大きく舌打ちをしてヴィーレの視線を自分に誘導すると、一睨みして顎で外を指した。「さっさとついてこい」との事らしい。


 ヴィーレの背筋を悪寒が走る。彼にはたったそれだけの事が十分な目覚まし要素となった。


「や、やっぱり臭いが気になるな、うん。ちゃんと体を洗ってこよう。ネメス、行くぞ」


 ようやく覚醒したようだ。先ほどまでウトウトしていた者とは思えないほど機敏な動きで、再び眠りに落ちかけていたネメスを起こした。


(あ、危ない……。何だ? 俺は何をしていた? 眠気に支配されていたとはいえ、ネメスに甘やかされるなんて……)


 彼は心中で激しく取り乱していた。普段ならネメスの前では絶対に恥ずかしい行動なんか取らないのに、と。まさか自分がそこまで疲弊しきっているとは思っていなかったのだ。


 急ぎ着替えを用意し、ヴィーレはネメスの手を引きながら、イズに続いて部屋を出る。半ば駆け足ぎみに。


「いくら疲れてるからって簡単に呑まれてんじゃないわよ。ネメスの前ではしっかりなさい」


 すれ違いざま、イズに厳しくそう告げられる。しかし、すぐに気遣うような囁き声で、「私の前でだけだったら弱音を吐いてもいいから」と付け加えてきた。


「えっ」


 ヴィーレが何かを聞き返す前に、彼女自身の手によって、彼はネメスとまとめて部屋の外へと押しやられる。


 ネメスがさらに近くに来てしまい、イズに話しかけるタイミングを逸してしまった。


(マズイな。ネメスやイズがここまで態度に出してくるってことは、どこかで精神的な疲弊を表に出してしまっていたのか。これは、エルやカズヤにも気を遣わせてしまっているのかもしれんな……)


 勇者は温泉帰りの寝言については覚えていないようだ。ついでに自身が睡眠欲や食欲に素直すぎる人間だという事も自覚がないらしい。


(気を引き締め直さねば。今のところは順調なんだ。ここで凡ミスを犯して、また全てが台無しになるなんて事は絶対に起こせない)


 ネメスと交わした約束を、彼は忘れてはいなかった。

 今回こそは必ず平和な結末へと辿り着かなければならないのだ。


 失敗は許されない。これ以上の時間遡行(じかんそこう)をすれば、ヴィーレの精神もいよいよ壊れてしまうだろう。


「あんた、帰ってくるまでにシーツを取り替えててもらいなさいよねっ!」


 最後に部屋を出たイズは、壁際でボロ雑巾のようになっているエルに向かってそう吐き捨て、扉を閉めた。


(エルは……ちょっと可哀想な気もするが、自業自得だろう。イズの性格なら、なんだかんだ言いながらも、後でヒーリングを唱えてやるはずだし)


 ヴィーレはそう思いながらに、エル達の関係が以前と変わりないようで安心していた。彼の暗い過去の件については、特に裏でアクションを起こす必要も無さそうだ。


(それにしても、始終ピクリともせずに熟睡していたカズヤは相当な大物だな。熱々のコーヒーかけられても起きなそう)


 パーティー最後の一人に呆れつつも感心するヴィーレ。

 彼の感想どおり、泣きながら部屋で掃除を始めるエルの横では、カズヤが幸せそうに眠りに就いていたのだった。







 ブラックコーヒーの匂いを纏った三人で廊下を歩いていると、ネメスがヴィーレの手を握ってきた。もう片方の手はイズの手を掴んでいる。


「ヴィーレお兄ちゃんとイズお姉ちゃんって、本物のパパとママみたい」


 それは多分、ネメスの両親に二人が似ているという意味ではなく、ただの比喩だろう。


 確かにヴィーレもネメスといると、度々父性が目覚めそうにはなるし、事実彼は彼女を自分の娘のように思っていた。


(親子みたいなもんなんだよな。もっと言えば、このパーティーの大半に家族がいないから、みんな各々を家族や兄妹のように慕っている節がある)


 感慨に耽るヴィーレ。彼にとって、さしづめエルは兄貴、カズヤは弟分といったところだろうか。


「失礼ね。私はまだそんな歳じゃないわ」


 そんな勇者とは対照的に、イズは変なところが気になっているようだ。結婚適齢期なのに未だ相手が見つからないのを気にしているのだろうか。


(そういう意味じゃないと思うぞ。そしてその返事はかえってオバサンくさい)


 無言でツッコミを入れるヴィーレに彼女の視線が向けられる。別に心を読んだとか女の勘とかではなく、話題転換のためである。


「そういえばあんた、そのロケットいつも身に付けているのね」


 ロケットとは、ヴィーレの首に掛けてある写真入れのことだろう。素材は銀でできており、表面には花の紋様が刻まれている。


 それは彼にとって、とても大切なものだった。だから常に装備するようにしているのだ。風呂の時間を除けば、手に入れてから今まで一度も外したことはないかもしれない。


「まあな。宝物だから大切にしてるのさ。ある女の子にプレゼントしてもらったものなんだ」


「へぇ……」


 ヴィーレの答えを聞くと、イズはそっけなく返事を返してきた。


(反応薄っ。自分から聞いといて、何なんだこいつは)


 怪訝に思わずにはいられなかった。だがここは「夜中だから情緒がおかしいのだろうか」と疑うに終わる。


「あんた、彼女とかいたの?」


 すると次は唐突に関係のない話題へと変えてくる。いや、もしかしたら、件のロケットをくれた人がヴィーレの恋人だと思ってそう聞いたのかもしれない。


「こんな冴えない農民に恋人なんているわけないだろ。これはそういう関係の人から貰ったものじゃない」


「ふーん」


 答えを聞くや彼女はそっぽを向いた。


(いや興味無いんかーい。なんで聞いたんだ、おい)


 すんでのところで出かけた言葉を飲み込んだ。イズが変な言動をとることは前々からよくあったから、この際気にしないでおくことにする。


「あ、そうだ!」


 もうすぐ大浴場に着くというところで、ネメスが思い出したように声を上げた。


「ヴィーレお兄ちゃん、わたし達と一緒にお風呂入ろうよ!」


「まーたこの子はとんでもないことを言い出しちゃって……」


 突拍子もない提案に、ヴィーレも思わず女っぽい口調になってしまう。パーティー内きっての癒しキャラだったはずが、ネメスという存在が最近はヴィーレにとって、とても心臓に悪い子になってきている。


 勇者が寝起きの頭を捻って何かを言うまでもなく、イズが慌てて彼女の説得に入ってくれた。若干赤面しつつ人差し指を立てる。


「ネメス。前にも言ったと思うけど、男の人と女の人は一緒にお風呂に入らないものなの。いい?」


「えー。でもここには『こんよく』ってのがあるんじゃないの?」


「だ、誰にそんなことを聞いたのかしら……?」


「カズヤお兄ちゃん達!」


 百点満点の笑顔と元気一杯の返事だった。

 ヴィーレとイズの額に青筋が浮かぶ。


(エルとカズヤか。あいつら、余計なことを教えやがって。一体どういう話の流れで混浴の話に至ったんだよ)


 ネメスは自分が何も間違っていないと思っているのか、曇りなき眼でヴィーレ達を見つめてきている。


(そんな純粋な瞳を向けられても、俺は負けないぞ)


 子犬のような視線に屈してなるものかと決意を抱くヴィーレ。その心には、先のようには流されまいとする、彼なりの強い意志が宿っていた。


 しかし十数分後、三人揃って混浴風呂に入る展開になることを、この時の勇者達はまだ知らない。



 ――――勇者ヴィーレが前回死んだ日まで、あと二日。

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