9話「魂の値」
四人分の驚愕が広大な草原を駆け抜ける。
モルト町が遠くに見える事と、一本の大樹がある他は本当に何もない淡緑の地にて、本日の訓練内容『対人模擬戦』が告げられたためだ。
「え、えーっと、それって五人で戦うってこと?」
「そうだ」
カズヤが言葉の意味を確認してきたので、ヴィーレは厳かに首肯する。
驚く四人の反応に気分を良くしたらしい。仁王立ちで腕組みをして、いつになくノリノリである。
「特にカズヤとネメスは、本番で人を攻撃することに酷く抵抗を感じてしまう恐れがある。そして、隙だらけになったところを、相手に突かれて殺される……。そんな事になったら最悪だ」
相手はそれなりに数もいるはずである。
イズとエルの二人も、ネメス達の面倒を終始見てやれる余裕は無いかもしれない。今のうちに少しでも慣れさせておかなければ。
と、ヴィーレの目的はそこであった。
(本当は個人対個人でなく、集団対集団で戦闘訓練を行いたかったが、それだと結局ネメスやカズヤの成長が少ないかもしれない。まずは正面から小細工なしでぶつかり合わせるルールにした)
勇者が一晩考えて至った結論を振り返っていると、エルが困ったように首を掻いた。
「総当たりってことは、イズやネメスちゃんとも戦うのか……。すっげえやりづらいな」
「あら、手加減している余裕なんてあるのかしら?」
戸惑い気味のエルへ、イズが不敵に返す。
早速やる気満々のようだ。というか、彼女は単純にエルをぶちのめしたいだけのように思えるが。
そりゃあヴィーレだって、イズやネメス、カズヤには積極的に攻撃をしたくはなかった。
だから、最悪『怪我をさせずに済むルール』も追加しておいたのである。
「制限時間以内に相手に一度でも大打撃を負わせるか、行動不能にしたら勝ち。基本のルールはそれだけだ」
簡単に規則を説明する。
シンプルな内容である方が実戦に近い戦いもできるだろうという事でそうしたのだ。
行動不能にすればいいから、動きを封じて呪文を唱えられないようにすれば、怪我もさせずに済む。
唯一『大打撃』の基準が審判の裁量に委ねられる事にはなるが、『イズの回復呪文で治せるくらいなら大丈夫』という共通認識はあるだろう。
「じゃあまずは、カズヤとネメスからだ。審判は俺な。イズとエルは休憩と観戦。並行して戦闘を行う二人の弱点を探ってやってくれ」
早速試合の準備を進めさせるヴィーレ。
当のカズヤ達はといえば、いきなり告げられた特訓内容に未だ動揺している。
怪我をするのにも、他人を傷つけるのにも慣れていない二人だ。精神的に甘いところがある彼らは重点的に鍛えていかなければならない。
故に最初に持ってきた。
(万が一の事も考えて、試合をする二名以外は観戦に回らせたから、致命傷並みの怪我をする心配はないだろう。だけど、ネメスとカズヤの場合、果たしてちゃんとした試合になるかな……)
どちらからも攻撃を仕掛けない。そんな消極的すぎる結末ばかり想像できてしまうのが、また困りものだ。
一抹の不安を覚えながら、ヴィーレも自身の役目を果たすべく移動する。
数十メートルほど離れた二人が向き合い、ヴィーレが中央に立つような形だ。
「位置についたな? では、いくぞ」
片手をスッと挙げてみせる。
審判の勇者が「用意!」と声を放ってやると、半ば条件反射気味にネメスとカズヤは身構えた。
それがまさに好機とばかりに。
彼らの戦闘態勢を確認したヴィーレは、空を切るように手を振り下ろす。
「……始めっ!」
風が吹き荒ぶ草原に、開始の合図が響き渡った。
試合は滞りなく進んでいた。
ネメスとカズヤ戦はカズヤの快勝に終わり、観戦していた三人から助言や意見を聞く。
そして、反省会と治療を終えた二人が休んでいる今、早くも次の試合が始まろうとしていた。
先の試合に参加しなかった三人が移動を始める。
「次は……私とあんたの試合のようね」
言いながら、イズはヴィーレと対峙する。
先ほどエルへ飛ばしたように、煽り文句の一つでも入れようとしたけれど、止めた。
彼女は早々に気付いたのだ。勇者の纏う雰囲気がいつもと異なる事に。
両者の開始地点はかなり離れているが、確かにイズの予感は外れていなかった。『予感』とはつまり、悪い予感である。
これまでにあった脱力感のようなものが今のヴィーレからは感じられない。赤の瞳は果てしなく深く、底知れぬ勇気を宿している。
本気を出すつもりだ。イズはそう直感する。
ヴィーレが絶大な魔力量を持っている事は、チェックを使えない彼女にも、すぐに察しがついていた。
それが何故かは分からない。
けれど、簡単に詮索していい事情でないというのは、空気の読めないイズにだって判断できた。
だから、これまで無理には踏み込まないでいたのだ。ただ、「悩んでいるのなら味方にはなる」とだけ告げて、あとの決断はヴィーレ自身に委ねていた。
そして今、イズが差し伸べていた手のひらを、ようやく彼が自ら掴もうとしてくれている。自分の秘密を打ち明けようと、寄り添ってきてくれている。
であるとするならば、こちらにできる最も誠実な対応は一体何だろうか。
「……本当に、待ちわびたわよ」
小声でそうこぼすイズ。手のひらに湧く汗を握り潰し、乾いた舌を潤すために唾の珠を一つ飲む。
イズにとって、この試合はまさに僥倖であった。
館での一件。ヴィーレがひたすら自分達に何かを隠していると知った時。
あれからイズは彼をずっと気にかけていたのだ。
実は、表に出さなかっただけで、嬉しかったのである。
ずっと家に引きこもっていた人見知りの自分に、初めて友達ができたという事が。どうしようもなく喜ばしかった。
ユーダンクの酒屋前で独り自己紹介の練習をしているのが発見された時は、ひどく取り乱してしまい、農民というだけで彼を滅茶苦茶に罵倒してしまった。
しかもあろうことか、謝罪も無しで一方的に立ち去り、その後も心中で激しく後悔するだけ。
それなのに、ヴィーレはそんな彼女でもあっさりと受け入れてくれた。
他の三人もそう。イズの事を『賢者様』と崇めず、『生意気な娘』と陰で罵ったりしない。対等な関係で接してくれた。
それだけで彼女には十分だった。大賢者は生まれつき、傲慢な小心者であったのだ。
だからこそ、イズは焦っていた。自分は信頼されていないのではないかと。
仲間が正体不明の何かに苦しみ、悩んでいるというのに、傍にいる自分に助けを求めてくれない。
その事実に激しくショックを受け、落ち込んでいた。
きっとヴィーレは他の三人にも打ち明けずに苦しみ続ける事になる。たった一人の友人すら助けられないで、イズは今後も彼から支えられ続けるのかもしれない。
「この私が惨めに足を引っ張るだけだなんて……嫌よ。御免だわ」
では、どうするか。
決まっている。
今まで自分の身に降りかかった問題は、すべてそうやって解決してきたように。
彼女は目の前の壁を『努力のみ』で打ち壊す女性なのだ。
「そう、私は賢者よ。数千年にも及ぶ人類の叡智にかかれば、できない事なんてないわ。だから――――」
頼れる女だと認めてもらうために。
背中を預けあえる仲間となるために。
そして、自分の大好きな友達を救うために。
「勇者をここで、ぶちのめす……!」
賢者イズは勇気を抱いた。
「レベルが……」
ヴィーレはイズより少し上の虚空を見つめて、どこか嬉しそうに目を見開いた。
が、その視線はすぐにイズへと戻される。
「……しかし、それは俺も同じだ。今回からは本気でいかせてもらう」
勇者が両の拳を握る。
二人から少し離れた位置にいるエルが手を挙げた。
両者の戦闘態勢は、既に出来上がっている。
「よーい……」
気の抜けた声と共に一陣の風が吹き、イズの髪をなびかせる。
集中が深まり、深まり、それが限界点に達したその時――――
「始めっ!」
開始の合図が発された。
「《イグニッション》!」
同時に呪文が詠唱される。イズの周りに二メートル程度の炎球が五つ出現した。
「いくわよ、ヴィーレ。実力の差を思い知りなさい!」
イズが胸の辺りに握っていた拳を開いて、体の前へと突き出した。それと連動するように、業火の塊はヴィーレへと吸い込まれていく。
勇者はその軌道を確かめるように一睨みした後、猫のような俊敏さで横へ跳ねた。
近くに落ちた炎から肌を焼くような熱風が届いているはずなのに、その顔は涼しげだ。調子を崩さず、軽快な足取りで全ての攻撃を避けてみせる。
「まだまだ……ッ! 《フローズンスノウ》!」
数十の氷槍が着地直後のヴィーレを襲う。彼は手の甲でその内の一本を弾きながら、背中に差していた大剣を引き抜いた。
その後は凄まじいものだ。来る槍、迫る槍を一本の剣で叩き、斬り、薙ぎ払う。
彼が攻撃を凌ぎきった頃には、砕かれた氷の破片が辺りを舞い、日光を反射して爛々と輝いていた。
(やっぱり……。ヴィーレの魔力量は異常だわ。じゃなきゃ普通の人間にこんな動きはできっこない!)
イズの頬を一筋の汗が伝う。思わず離れたままになっていた歯を慌てて噛み締めた。作戦を考えるために、手頃な言葉を放り投げる。
「前々から思っていたけど、大剣を軽々と振り回せるだなんて、とんだ馬鹿力ね。今日は一段とキレが良いようだけど、何かあったのかしら?」
「心境の変化ってやつだ。お前こそ、今回はやけに張り切ってるじゃないか。さっき仕掛けられた怒濤の攻撃には肝を冷やしたぞ。呪文の扱いが出会った頃よりも上達している。やっぱり天才は違うな」
「ふんっ。優秀な者のことを『天才』の一言で片付ける奴は、大抵が怠け者なのよ」
ヴィーレはここまで一度も隙を見せていない。
先の言葉もきっとお世辞だ。そうは分かっていても、ついつい上がりそうになる口角を抑え、イズは勝つための策を練り続けていた。
「そうだな。……期待しているのは本当だぞ?」
「重いだけの期待なんていらないわ。私に必要なのは評価のみよ!」
滅多にない彼からの褒め言葉に赤面しながら叫び返す。他の底辺貴族達から贈られるものとは勝手が違った。
恥ずかしさが爆発して、まだ考えがまとまらない内に呪文を唱えてしまう。
「《フローズンスノウ》!」
瞬間、吹雪のような冷気が辺りを吹き抜けた。
突風に目を細め、顔を手で庇っていたヴィーレが次に見たものは、王城にも匹敵するほどの体長を持つ氷人形だった。
以前出会ったゴーレムのように、氷のブロックを継ぎ合わせたような体をしており、全身からは白い冷気を吐き出している。直射日光の下でも溶ける様子がないのはイズの魔力ゆえか。
「これで……終わらせてやるわ……!」
魔力の枯渇が一気に近付いたイズが息を切らしながらそう告げる。
片膝をついていた巨大な氷人形が、まるで生きているかのように、おもむろに立ち上がり始めた。
「第二ラウンドよ……」
イズは立っているのもやっとだった。両膝に手をつき、苦しい胸を押さえて必死にヴィーレを睨む。
「さあ、力比べといきましょうかッ!」
彼女の絶叫に近い宣言の後、前屈みだった氷ゴーレムが上半身を持ち上げ、圧倒的な威圧感をもってヴィーレを見下ろした。
(イラスト:飯屋@様)
(イラスト:ねこしば様)




