14話「種明かし」
時を遡ること数分前。イズは子供部屋から飛び出したエルを目撃して固まっていた。
けれどそれはおかしい。彼女はずっとその金髪碧眼の男と行動を共にしていたのだ。今だって彼はイズが背を向けている部屋の中で探索をしてくれているはず。
(でもさっき階段を下りて行った男だって、どう見てもエルだったわ。一体何がどうなっているの……?)
イズは混乱していた。階段を下りていった男が本物なのか、それとも彼女といる方が本物なのか。いつまで経っても分からないということが、ジワジワとイズの心を恐怖で蝕んでいく。
「待たせたな。次行こうぜ」
早くも部屋の探索を終えたエルが出てくる。イズの考えはまだ整理されていなかった。
いくらバカな男とはいえ、いないよりは全然マシだと思っていたのに、今はもう不信感しかない。
(思いきって聞いてみようかしら。本物のエルしか知らないようなことを)
例えば、この前貸した本。あれの題名なんかだったら、いくらバカなエルでも覚えているだろう。
臆病な彼女が覚悟を決めるのは存外早かった。いなくなったと言われていたネメス達が、彼自身の手によって危険な目に遭わされているかもしれないからだ。
心臓がうるさいくらいに脈打っていた。呪文を唱える準備をしながら、イズは恐怖で乾燥しきった口を開く。
「……あの」
「う、うわぁぁぁ!!」
エルに話しかけた瞬間、それを遮るように下の階から叫び声が聞こえた。予想外の事態にビクッと体が跳ねる。
しかしすぐに冷や水をかけられたような感覚に陥った。屋敷全体に響くようなその声に、彼女はひどく聞き覚えがあったからだ。
まさか……。最悪の事態が頭をよぎる。
「カズヤよ! ネメス達に何かあったのかもしれないわ!」
緊張に声が裏返る。急いで向かおうと一歩踏み出すと、右手をエルに掴まれた。
握る手にはイズが顔をしかめるほどの力が加えられている。彼の顔は髪で隠れていて見ることが敵わない。
「な、何よ……」
「怪しいだろ。三人で行動しているはずなのに、カズヤの声だけ聞こえるのはおかしい。魔物の仕業かもしれん」
「あ、怪しい……? 何言ってるのよ! 仲間が危ないのかもしれないのよ!?」
「…………」
イズの反論にも男は動じない。深く観察してみても、何を考えてるかすら読みとれなかった。
(おかしい。彼が本物のエルだったら、むしろ私よりも真っ先に助けに行こうとするはずだわ……)
たった一日半程度の付き合いでも分かる。エルという男は決して仲間を見捨てたり疑ったりしない。危険が迫っている恐れがあれば、一人でも飛び出していくような愚直な人物なのだ。
もう限界だった。イズは半ば怒鳴るように目の前の男へ思いの丈をぶつける。
「大体、怪しいのはあんたじゃない! 短剣はどうしたの? ヴィーレ達が帰ってこないのに、武器を持たず探索するなんておかしいわ!」
男に掴まれた手を振り払いながらそう訴える。彼は未だうつ向いており、表情は窺い知れない。
しかし次の瞬間、唯一明かりが届いていた口元が裂けんばかりに大きくつり上がった。
「……バレちまったか」
そう言うや否や、男は彼女の手めがけてランプを投げてきた。思わず悲鳴をあげてしまうイズ。
手に握っていたランプが弾かれ、床に落ちるとガラスが割れた。灯りが消え、辺りがふっと暗闇に包まれる。
「なんてこと……嘘でしょ……。《イグニッション》」
手のひらの上に呪文で火をつけると、偽物のエルは忽然と姿を消していた。
(怖がってばかりで、この可能性を考慮し忘れていたわ。幽霊の正体は魔物じゃなくて人だったのね……!)
幽霊じゃないのなら怖がる必要も無かった。イズは逃亡した犯人の追跡を迅速に開始する。
しかし、彼女が犯人に追いつくのは肩透かしを食らうくらいに早かった。階段の方に視線を向けると、そこに人影とランプの灯りができているのに気付いたのだ。
人影は二つあった。互いに倒れて取っ組み合うような形になっている。互いの焦り混じりな声が途切れ途切れに聞こえてきていた。
「えっ……」
彼らに駆け寄ったイズはその数メートル前で無意識に足を止めてしまう。
いない。エルがいなかった。言い合うように喧嘩をしている二人の男女は、そのどちらもがイズの友人で、先ほど彼女に敵意を向けてきた人物の容姿とは異なっていた。
「ネメスと……カズヤ……?」
「イズお姉ちゃん! 助けて! カズヤお兄ちゃんがおかしいよ!」
「イズさん、騙されちゃダメだ! こいつはネメスじゃない!」
人影の正体である二人は登場したイズに気が付いたようだ。一斉に彼女の方を振り向き、それぞれが大声で主張してくる。イズは言い知れぬ気味の悪さに鳥肌が立つのを感じた。
(落ち着け、落ち着くのよ……。知っている。あれは自分や身に付けている物の形を知っているものに変えられる『トランス』という呪文だわ。つまり、二人の内どちらかは本物で、もう一方は偽物……)
あり得ない光景に一瞬混乱するが、すぐに冷静になるよう自分に言い聞かせる。肝心な時になってようやく頭が回ってきたみたいだ。
「イズお姉ちゃんの声を聞いて階段を上ってきたら、急にこの人が襲ってきて……!」
「嘘だッ! イズさん、信じてくれ! 地下でヴィーレ達が大変なことになっているんだよ!」
引き続きイズの取り合いが繰り広げられている。だが当のイズは二人の口論には耳を傾けず、じっと彼らを観察していた。
ネメスはうつ伏せで両手を背中に回され、細い体躯を地面に押さえつけられている。イズに悲痛な声で訴えつつも、体はもがき続けて逃走を図っていた。
カズヤは彼女の両手を片手で押さえ、膝をその腰に乗せて逃がすまいとしている。空を迷うように動く彼の右手にはエルの短剣があった。それが彼から奪った物なのか、借りた物なのかは分からない。
二人の近くにはランプが転がっている。ネメスかカズヤの本物が階段から上がってきた時に落とした物だろう。
そこまで観察したところで、イズはある事に気づいた。「確証は無いけど、多分あいつが偽物だわ」自らへ言い聞かせるように小さく呟いて、人差し指を犯人へ向けてやる。
「ネメス……いや、ネメスに化けているあんた。大人しく降参しなさい。でないと痛い目に遭うわよ」
確信を持ってそう言うと、偽ネメスは目を見開いた。
が、すぐに普通の表情に戻り、往生際を弁えずに悪あがきする。
「イズお姉ちゃん、何を言っているの? わたしを信じてくれないの……?」
この期に及んでまだすっとぼける偽物。イズの言葉がハッタリだとでも思っているらしい。実に甘い考えだ。
「本物だというなら、あんたの使える呪文で私を笑わせてみなさいよ」
彼女の言を皮切りに廊下へ静けさが舞い降りる。きっとこの場にいる誰の耳にも雨風の雑音は届いていない。
「……どこで気付いた?」
さっきまでとは打って変わり、低く野太い声がネメスの口から発せられる。
「答え合わせはしてあげないわ。観念なさい。カズヤ、手伝うわ。縛り上げるわよ」
「へっ。むざむざやられるもんかよ。《トランス》!」
そう唱えた瞬間、ネメスだったものが不定形な何かの塊と化す。
赤黒い液状のそれは触手のような動きでカズヤの腕をすり抜けると、彼のすぐ後ろで再びネメスの形を作った。
「なっ……!」
カズヤが驚きで身を固めている隙に、偽物は床に転がっているランプで彼の頭を強打した。痛みでうずくまるカズヤから短剣を奪い、彼の喉元へ軽く食い込ませてみせる。
「動くなよ、賢者さん。こいつがどうなってもいいなら別に構わないけどな」
偽ネメスは嫌な笑い声をあげながらイズを牽制する。
カズヤを制圧した一連の動作。動きは完全に素人のそれだが、とても素人とは思えないほど躊躇が無かった。形だけの脅し文句ではないことは明らかだ。
「……何が目的なの?」
「そう怖い顔するなよ、お姉ちゃん。そこまで難しい事じゃないさ。もう潮時みたいだからな。俺をちょっと見逃してくれるだけでいいんだ。別に人殺しがしたいわけじゃないからな。言うとおりにしてくれたら、こいつも無事に返してやるよ」
「その前に私があんたを消し炭にするわ」
イズの威嚇に偽物はまるで動揺を見せない。それどころか鼻で笑って返してくる。
「お前にできるのかよ? こんな姿をしている俺を? いいぜ、やってみな。ただし、ちょっとでも油断してみろよ。大事な仲間の首が飛ぶぜ」
「くっ……」
偽物が言ってることは的中していた。イズはネメスの姿のしたそれを本物じゃないと分かっていても、どうしても攻撃することができなかったのだ。
まだ一緒にいた時間は数日分しかないけれど、ネメスは既にイズにとって妹みたいな存在となっていた。
皮だけはネメスであるそれを、イズは何もできず、ただ睨むことしかできない。
「滑稽だなぁ! 仲間の姿をしているだけで反撃すらされないとは! 甘ちゃん相手だとこれだから楽なんだ!」
言ってカズヤを人質に逃走しようとする犯人。イズに背を向けないようにして後ろ歩きに階段へとすり寄っていく。
カズヤは意識が朦朧としているのか、頭から血を流しながらうわ言のようにイズの名前を呼んでいた。
「ありがとね、お姉ちゃん。お前が情けないおかげでわたしは助かったよ~」
とてもネメスがしそうにない顔で彼女の声を真似る犯人。イズは怒りと悔しさで頭が沸騰しそうだった。
しかしもう遅い。偽物は彼女から十分に離れ、その姿の大部分を闇に隠してしまっていた。イズが先制をとれる事は不可能に等しい。
偽ネメスもその事を悟ったのか、唐突にカズヤをイズの方へ突き飛ばした。短剣だけを手に踵を返し、捨て台詞を吐いて逃走を開始する。
「一生そうして何もできないままでいろよ! それで他でもない、この姿の少女に慰めてもらいな!」
彼が言い終えた直後、その近くでダンッと床が大きく鳴った。
「冗談言うんじゃねえよ。ネメスちゃんはお前と比べ物にならないほど可愛いぜ」
声がした瞬間、偽物の体が頭から吹き飛ぶようにして壁に叩きつけられた。
それは階段と反対側の床に倒れ落ち、やがて幻覚が解けたみたいに薄汚れた男の姿へと変わる。
ちょうどその時、片足を浮かしたエルがカズヤの近くに突然現れた。
「まったく……。ヴィーレ達が下の魔物共を片付けてなかったら間に合わなかったかもな」
ツンツン頭が首を掻いてそう言うと、下の階からヴィーレとネメスが遅れてやってきた。二人とも少し汗をかいているが、見たところ怪我はないみたいだ。
「ま、魔物にやられたはずじゃ……!」
どうやら犯人の男はヴィーレ達が地下へ入っていくのは確認済みだったようだ。口の端から垂れる血を拭いもせず、唖然として眉を上げている。
「俺とネメスも下に見られたもんだな。まあ、ちょうど良い。悪いことをした奴がどうなるのかってのをネメスに教える絶好の機会だ」
肩を回して犯人に歩み寄るヴィーレ。眠気がピークなのか機嫌の悪さを隠そうともしていない。
だが、数歩進んだ彼の前にエルの腕が突然差し出された。制止の意だ。
「待てよ、ヴィーレ。ここは俺にやらせてくれ」
「何……?」
「相手は回避に優れた呪文持ちだ。お前じゃ分が悪いよ。だけど、俺なら館を最小限の被害に抑えたまま勝てる」
エルは返事を待たずに歩き始めた。もちろん向かうは犯人のいる場所だ。
だが、犯人の男もただ黙って話を聞いていたわけではない。ヴィーレ達の会話中に壁へ寄りかかりながら何とか立ち上がっていた。
「さあ構えろよ、悪党」
床に寝転がっていた短剣を蹴り上げるエル。宙で二度三度回転した後にその柄を掴むと、深い青が剣先と共に壁際の男へ向けられた。
「俺様が成敗してやんぜ」




