13話「ご近所迷惑」
温泉から帰った後、エルは部屋で愛用の短剣の手入れをしていた。料理に並ぶ彼の趣味である。
「最近まではなかなか使ってやれなかったが、それももう終わりだ。今日だけでも大分強くなることができた。これで目障りな怪物共を簡単に倒して回ることができるな」
独り言をこぼすエルの顔は笑っている。しかし瞳の奥には仄暗い感情が渦巻いていた。
「だけど、今日は依頼があるから日課のアレにも行けねえな~。冒険中も夜は毎日魔物狩りをしたかったんだが」
聞く相手がいなくても喋り続けるのは彼の癖だ。一人で暮らすようになってからは特に酷くなったように感じる。
「不甲斐ないな。今もどこかで町や村が襲われてるかもしれねえってのによ……」
一瞬だけ昔の事が思い出される。自然と短剣を握る手に力が入った。
だが、それはベッドに置いていた懐中時計に目を向けたことによって打ち消される。そろそろ見回りへ向かったヴィーレ達と交代する時間だ。
「あいつら、全然帰ってきやがらねえな。どっかで遊んでんのか?」
痺れを切らしてベッドから立ち上がる。短剣一つとランプを手に、エルは部屋を出た。
「俺らへの報告を忘れてんじゃねえだろうな。既に部屋で寝てるとか。……だとしたら一発文句を言ってやんねえと」
ヴィーレの言いつけ通り鍵を閉めてから周りをゆっくり照らしてみる。月明かりが届かない夜は窓の外まで黒一色だ。
彼の部屋からヴィーレの部屋は最も遠い。まずは一番近いカズヤのとこにでも行ってみるかと、ぶっきらぼうに足を前へ踏み出した。
「おーい、カズヤ!」
部屋に着くなり名前を呼びながら扉を開けるが、カズヤは留守だった。ランプも無い。鍵を閉めてないからトイレに行ったのかもしれないが、エルはそう断定するだけの情報を揃えていなかった。
(本当にまだ見回ってんのか。……ちくしょう。話し声とか足音がしないか確認しようにも、雨の音が邪魔で何も聞こえねえ)
聞き耳を立てるのにもすぐ諦めがつく。
そうして考え事をしながら歩いているうちに、イズの部屋の前まで来た。
(ヴィーレ達がいてもいなくてもどうせ呼ぶことになるんだし、先に声かけとくか)
エルは彼女がヴィーレ達から何か聞いている可能性も考慮して大きく声をあげた。
「イズ、開けてくれ。何故かカズヤ達がまだ帰ってこないんだ」
戸を叩いてそう言うものの、まったく反応はない。何度か扉の奥に話しかけてみても、全然言葉は返ってこなかった。
ダメもとで黒の金属ノブを捻ると意外や意外、シンプルな木製扉はすんなり開いた。
「えぇ……。女子として鍵をかけ忘れたらいかんでしょ……」
心底呆れながら部屋の中を照らしだす。
「あれ、いない……?」
おまけに中には誰もいなかった。彼女の荷物は置きっぱなしだ。
「ランプが無いし、便所にでも行ってんのか? おいおい、真面目に仕事してるのは俺だけかよ?」
ドアを閉めてから再び床の軋む廊下を歩いていく。生温いジメジメした空気が彼の肌にまとわりついてきた。
しばらくすると、エルはネメスの部屋の前に立っていた。一応ノックしてみる。「これで俺だけをのけ者にして皆で遊んでたりしてたら泣くぞテメェ」なんて内心怒りながら。
しかし、結局いくら待っても部屋の主が出てくる気配は無かった。
途中で鍵がかけられていない事に気付いたが、扉を開けてもそこはやっぱりもぬけの殻だ。
「ったく、何なんだよ……!」
エルは苛立ちをそのまま吐き出して早足でヴィーレの部屋へ向かった。
到着するなり扉に手をかけ引っ張るが、こちらの鍵は閉まっていた。扉を少し叩いて呼びかけてみる。
「おいヴィーレ、いるんだろ? 何だよこれ、新手のイジメか? つまらねえからさっさと出てこい!」
窓を叩く雨音だけが廊下を満たす。扉に耳をつけてみるも、中からは物音一つしない。
(もしかして、本当にいないのか? それぞれの部屋の鍵は一応持っているはずだし、あいつは閉めて行ったのか)
ヴィーレの部屋の中でイズがまだ眠っている事などつゆ知らず、見当違いの考察を脳内で繰り広げる。
「はぁ、まさか一人で見回ることになるとはな……」
一つ愚痴るように呟いてから、彼は諦めてみんなを探すことにした。
「一斉にいなくなりやがって。俺がいないとダメダメだな。ほんと、手間のかかる奴らだぜ」
にやけながら舌打ちするエルはまだ余裕があるようだった。
一階の部屋をざっと見て回るエルだったが、誰もいなかったし、特に異常はなかった。広い部屋の確認も入り口から声をかけた程度なので、たとえ異常があっても気付かなかったであろうが。
「もう一度ヴィーレ達の部屋を訪ねてみてもいなかったし、本格的にヤバいのかもしれねえ……。イズも便所からまだ帰ってきてなかったし、あいつのお腹の調子も大変らしいな」
どうやら彼の中ではイズはお腹を壊したことになっているようだった。
二階と地下へ続く階段の前で頭を抱えるエル。一人でもオーバーリアクションなのは変わらない。
「つまりは、やっぱり一人で見回りしなきゃなんねえのかよ……」
となると上と下、どちらを先に調べるかだが……。
手がかりもないのだ。彼は直感でまず二階へ行ってみることにした。
「真夜中の館は雨風のせいもあってか、妙に雰囲気があるんだよな~。ネメスちゃんは絶対ビビってただろうぜ」
二階へ上がるとすぐ目の前に一つの部屋があった。左右へ顔を向けても、突き当たりの見えない廊下と無数の扉が迎えてくれるだけだ。
エルは手当たり次第に近場から調べようと、目の前の部屋に入室する。念のため構えはしているが余裕の姿勢は崩さない。
「にしても、どこもかしこも馬鹿みてえに暗いな。まるで仲間にハブられて一人深夜パトロールをすることになった男の心の中みたいだぁ」
やはり気にしていたようだ。イジけた風な呟きをわざとらしく漏らしている。
「ヴィーレ、カズヤ? おーい、ネメスちゃーん?」
呼びながら中に入って後ろ手で扉を閉めた。
「一階は雑に調べちまったが、もう少し細かく探索した方が良いかもしれねえな。何か手がかりを見落としてるといけねえし」
エルが入ったのは子供部屋みたいだ。ベッドやカーテンも明るい色のものが多く、本棚も絵本や児童書で埋め尽くされている。窓際には勉強机が置いてあった。
「おっと。これは……日記か?」
変わったものはないか探索していると、机の上に置かれている日記帳を見つけた。
なんとなく気になり、パラパラとページを捲ってみる。
「ヴィーレから聞いたが、ここの家族ってたしか留守番していた子供が謎の大けがをしたのがきっかけで引っ越したんだっけ。なんで怪我しただけで引っ越すんだろうな。空き巣にでも入られたのか?」
その答えが見つかるかもしれないと、日記をさらに読み進めてみる。
引っ越してきた初日からつけられていたもののようで、ありふれた思い出話が拙い字で語られている。だが、途中からどうも様子がおかしくなってきた。
夜中に何か物音がする、人形が勝手に動いている等、変な現象を訴えるような内容に変化していったのだ。そして、最後のページには大きくこう書かれていた。
「『地下に何かがいる』……? てことは、ヴィーレ達もその何かに……?」
頭の中をピリッと電撃が走る。あぁ、これは本格的にマズイやつかもしれないな、とエルは呑気に考えていた。
だがいまいち切り替えられていない思考とは正反対で、体は既に行動を始めている。
日記帳を閉じ、机に置いていたランプと短剣を拾うと、彼は銃弾のように部屋を出た。脇目も振らず階段を駆け下りる。
「早くイズを呼びに行って地下へ向かわねえと……! 流石にもう自室に戻っているだろう」
「う、うわぁぁぁ!!」
階段の踊り場まで下りた時、一階の方からカズヤの叫び声が聞こえた。嫌な予感が背筋を這い上がる。
「くそ、イズを呼んでる暇はねえか! 手遅れにならないといいが……」
言って踊り場から一階まで一気に飛び降りる。床板が割れんばかりの音を立てて着地するや、瞬時に声のした方へ顔を向けた。
少し離れた場所で尻餅をつくカズヤに、地下室扉の前にいた人形が二体迫っている。エルの瞳に狂喜の色が宿った。
「魔物だったか。本当、害虫みてえにウヨウヨ出てきやがる奴らだぜ……!」
「ひぃぃぃ!!」
カズヤは腰を抜かした状態で後退りしている。その姿だけであれば、どこからどう見てもか弱い女の子そのものだ。
「くたばりやがれッ!」
走りながら短剣を魔物に向けて投げるエル。それが人形の頭を貫くと、化け物は倒れる前に消滅した。
もう一体がエルを視認するより先に彼はその背中を蹴り飛ばす。転がった魔物の頭を踵だけで踏み潰すと、それもすぐに消え失せた。
「なんだよ。大したことねえじゃねえか」
「え、エルぅ……。格好良すぎて僕、思わず濡れちゃったよ」
エルが床に落ちた短剣を拾い上げる時、カズヤが安心したようにそうこぼした。
「なにお漏らし宣言してんだコイツ」
冗談を言ってる余裕があるなら大丈夫だろう。彼はカズヤに無事か確認する手間を省き、単刀直入に質問を投げた。
「ヴィーレ達はどうしたんだよ」
「そうだった、分断されたんだよ! 二人とも地下に閉じ込められちゃって! 多分魔物も他にいる!」
「なにっ、やべえじゃねえか! ただでさえ室内はネメスちゃんの武器で戦うことに向いてねえってのに……! カズヤ、起きろ。急いで助けに行くぞ!」
「う、うん!」
カズヤを引っ張り起こして二人で階段へ向かう。
ヴィーレ達がまだ上がってこないってことは、魔物と戦闘になっている可能性が高い。エル達は救援に駆けつける必要があった。
しかしながら、地下へ向かう階段に差し掛かったところで、今度は上から小さい悲鳴が聞こえた。
「次から次へと何なんだ!」
「今の、イズさんの声だよ!」
「だな……。カズヤ、お前は上に行ってくれ。俺はヴィーレ達のとこに向かう」
そう言って念のためにと持ってきていた短剣を渡す。
(日頃呪文を食らってるから分かる。イズはそう簡単にやられるような雑魚じゃないはずだ。どうせ迷子になってたら虫でも出てビビったんだろう)
それならば、とカズヤに彼女を任せることしたのだ。相棒とも呼べる短剣を託して。
カズヤは手にした剣の刃を見つめて表情を引き締めると、顔を上げてエルと目を合わせた。
「分かった! 気をつけてね!」
「お前こそな」
二人は短く会話を済ますと、それぞれ決められた場所へと急行した。




