10話「真夜中の肝試し、開始」
ヴィーレはイズが自室に戻ってからの経緯を聞いた。彼女が途中で話すのを一旦止めたため、その続きを尋ねる。
「それで? それからどうなったんだ?」
ベッドに腰かけるヴィーレ。彼の隣にいるイズは自身の足元付近の床を睨むように見つめている。
結ばれた唇は乾いていて血色も悪くなっていたが、ヴィーレが近くにいることでなんとかパニックにならずに済んでいるようだ。
「……ノブが捻られたわ。何度も開かないか試すように、ガチャガチャガチャガチャガチャガチャと。こっちが狂いそうになるくらいしつこくね」
「でもお前がここにいるってことは扉の向こうを確認したんだろう?」
「ええ。どんなに待っても消えてくれないんだもの。意を決して開いてみたわ。……誰も……何もいなかった。私がドアに触れた瞬間に、さっきまでの出来事が嘘のようにピタリと止んだの」
にわかには信じがたい話だ。
こんな依頼を受けたものの、そもそもヴィーレは幽霊なんて信じていない。だからこそ引き受けたとも言えるが。
「……お前も疲れてるんだろう。ここで眠っていろ。俺がお前の分も見回っておいてやる」
ヴィーレはベッドから降りて立ち上がるとイズの肩を掴み、その場に体を倒させる。子どもを寝かしつけるような思いやり溢れた動きだ。
イズは呆気にとられたような顔をしていたが、彼が視線を外す前に、慌てて拾った言葉を投げつけてきた。
「う、嘘じゃないわ!」
「分かってる。お前はそんな顔で冗談を言わないだろうしな。だからカズヤ達に時間を早めてもらって、今からでも館の中を周回してくるんだ」
そう言ってまずネメスの部屋へ向かおうとするも、すぐに動きを止められた。振り返る。イズが腰を浮かせ、彼の服の裾を引っ張っていた。その顔は不安に満ち溢れている。
「どうした?」
「行かないで……」
「……そんなこと言われてもな」
「困らせてるのは分かっているわ。こんな時だけ頼って卑怯だってことも……。でも……お願い……」
イズの声は弱々しく、反対に裾を握る手にはぎゅっと力が込められていた。
(仕方ないか。ここは彼女の信頼を得るためにも、パトロールの時間まで部屋に残ろう。その時もまだ怖がっていたら、最悪こいつも一緒に見回りへ連れていくしかないな)
「わかった。ただ毛布にはくるまっておけ。顔色がひどく悪いぞ」
「ごめんなさい……」
イズは相当参っているようだ。普段見せない弱気な部分が露になっている。
(こんな事ならみんなを別室にするべきではなかったな)
彼女の隣に腰を下ろすヴィーレ。イズはのそのそと移動して寝転がり、仰向けで毛布を被った。片手の指先だけでヴィーレから気付かれない程度に小さく服を掴んでいる。
勇者は初めてイズに会った時とは違う心境で、それでもあの時と同じように、できるだけ沈黙が訪れないよう、どうでもいい話を始めた。
「そういえばどうしてお前、俺の部屋に来たんだ? ネメスの部屋の方が近いだろう」
「あの子、眠っていたのか何かしていたのか、ノックをしても出てこなかったの。それに鍵もかかっていたから」
「なるほど。それで次に近い俺の部屋に来た、と」
頷くヴィーレは続いての話題に移った。「なんで俺の部屋はノックしなかったんだよ」という文句は言わないでおいてやったようだ。
それからまた他愛ない話を数十分続けた。イズはほとんど相槌を打つだけであまり話は振ってこない。本当に余裕が無いらしい。
ヴィーレは彼女の方を見ずに背中を向けて話し続ける。たまに寝ていないか確認するように後ろを振り返るが、イズと目が合うと安心させるように頷いて前を向く。視線でのやり取りはそれだけだ。
「――――それでな、カズヤが異世界のラノベって本について話してくれて」
「ねえ」
突然、珍しくイズがヴィーレの話を切って話しかけてきた。
部屋に来た時よりかは幾分か落ち着いたのだろうか。顔色も声色も大分マシになっている。
「あんた、やっぱり勇者になるのは嫌だったの?」
いつになく真面目な雰囲気だ。背後に目をやると、背の低い彼女が上目遣いでこちらを覗きこんできている。遠慮がちに毛布は口元まで上げられていた。
(濁したい話だが、茶化して答えるのはダメなんだろうなぁ……)
首を元の向きに戻すヴィーレ。彼は目の前の何もない空間に遠い過去を見ながら答えた。
「そりゃあ初めはな。嫌だったから断ったんだしさ。俺は畑を耕しながら幼なじみとくだらない遊びをするだけの分相応な生活から抜け出すつもりはなかったよ」
彼が勇者に選ばれたのは『瞳が赤いから』、ただそれだけのしょうもない理由だ。勿論ヴィーレは断り、平穏な生活を続けようとした。
「でも、普通に生きたいってだけのささやかな願いすらも人々は無視した。そうよね?」
「ああ。あんな身勝手な王様にも支持者ってのは一定数いるもんだ。実際それで魔物のこと以外は上手く回ってたからな。その命令に背いた俺には国民からのとんでもない仕打ちが待ってたよ」
「聞いたことがあるわ。酷いものだと、あんたの家に放火するような奴までいたって……」
「まったく、理不尽なもんだ。そんなんじゃ断り続けたところで俺に未来はないだろう。で、仕方ないから行きますよってなったんだったな。今となっては懐かしい」
再度イズに視線を向けると彼女は何か言いたそうにしていた。
(同情してくれているのだろうか。辛くなかったといえば嘘になるが、哀れまれるようなことではないぞ。アルルがいないこと以外では特に困りもしなかったし)
家族同然の存在について思考したところで、改めて発見したこともあった。
(そういえば、町人に冷たく接されていても、幼なじみのアルルだけは優しく普段通りにしてくれていたな。まあその頃には軍にいたから手紙でしかやり取りできなかったんだけど)
と、かけがえのない友人について思いを馳せていると、イズの動く気配がした。寝返りをうったのだろう。
「……あんた、私たちに何か隠してる?」
沈黙を越えて、彼女は意を決したように口を開いた。が、それは今までの話題とは関係の無い事柄についてだった。
隠しているというのはヴィーレの考えている事についてで間違いないだろう。つまり彼が体験した『時間の巻き戻り』について、である。
(やはりというかなんというか、彼女には気づかれていたか。結構ボロを出してしまっていたし、賢いイズなら何かしらおかしいと感づいて当然だよな)
彼は居住まいを正して後ろのイズを見下ろした。
「まあな。……だが、もう少し待ってくれ。ちゃんと言うべき時がきたら告白する」
「……分かった。先に約束しておくわ。どんな事だろうと力になると。い、言っておくけど、この借りを早めに返したいだけだからね!」
胸の前で両手をパタパタと振ってどうでもいい補足をする。
(借りとはこうして話をしていることだろうか。律儀な奴だな。でも、こいつがいれば百人力だ。とても心強い)
彼女の分かりやすい照れ隠しには言及しない。代わりに彼は恥ずかしげもなくド直球に面映ゆくなりそうな台詞を吐いた。
「勇者になったのは嫌だったけど、お前らには会えて本当に良かったと思ってるよ」
「ありがと……。わ、私も……」
後半はゴニョゴニョしていて聞き取れなかったが、ヴィーレにその気持ちはしっかり伝わっていた。他の三人も同じだと良いのだが。
シリアスな話題を終え、適当な話をペラペラと話す。
しばらくの間、ヴィーレが美味しいトマトの育て方について熱弁していたら、イズの寝息が聞こえてきた。
(ようやく眠ってくれたようだ。だが、トマトの育て方はできれば最後まで聞いてほしかった。俺の専門分野だし……)
少しだけ寂しそうに目を細めるヴィーレ。農業の素晴らしさを本気で理解させようとしていたらしい。
イズを見ると、普段の彼女からは想像もできないほど安らかな顔で眠っている。しかし寝言が「鬼籍に入らせてあげるわ」だとか「薬草ジュース風呂~」だとか、不穏なものしか出てこない。
「おやすみ。すぐ戻るよ」
ヴィーレ側に寄ってきていた彼女を布団の真ん中に転がして戻し、体を冷やさないよう毛布をしっかり被せる。
(ちょうど良いな。そろそろ見回りの時間だ)
懐中時計の二つの針は真上で巡り合う寸前だ。
ヴィーレは鍵を持って部屋からそっと出ると、これまた慎重に鍵を閉めた。今イズに起きられるのが一番面倒だろうからだ。
(早いとこ幽霊とやらの正体を暴いてイズを安心させてあげなければ)
ヴィーレのランプは彼女が万が一目を覚ました時のため、部屋に置いてきた。イズの分は部屋に置いてきているらしい。
彼は仕方なく、見回りの時だけネメス達から借りることにしようと決めた。
(幽霊なんている訳がない。まあ、自覚がないだけで、俺達も既に幽霊なのかもしれないが)
死んだ者の魂がそう言われるのなら間違いとも言えない話である。
ヴィーレは転ばないように壁を手探りで伝い、カズヤとネメスの部屋へ向かった。
イズは騒がしい音で目を覚ます。どうやらヴィーレの話の途中で眠ってしまっていたらしい。
目を擦り、音の発生源を辿ると、部屋の扉であることが分かった。
扉がドンドンと強めに叩かれているのだ。またあの幽霊が来たのかしら。その考えが頭を横切ると同時に、隣にヴィーレがいないことにも気づく。小声で彼の名前を繰り返し呼ぶも、当然応える声はない。
「あ、あ……っ! ヴィーレ、ヴィーレ……!」
顎が震えて軽いパニックに陥りそうになる。けれど、そこで耳にもう一つの音が届いた。扉の音に合わせて誰かが叫んでいるのだ。
耳を澄ますと、ノックというにはあまりに激しい音の合間に、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「おい、ヴィーレ! 呑気に寝てねえでさっさと出てこいよ!」
すぐに分かった。あれはエルだ。怒鳴るように大声をあげている。
イズは自分が部屋を出ていいものか一瞬悩んだが、エルの様子が変だという事を怪しく感じて、内側から鍵を開けた。
開いた扉のわずかな隙間から見えたのは確かにエルだった。初めは「やっと起きてきたか」と言いたげな表情で迎えた彼も、イズの姿を確認した後は無駄に身ぶりをして驚いてみせる。
「えっ、イズ!? なんでお前がこの部屋に……。はっ! まさか!」
「それ以上邪な考えを巡らせたら、氷の鉄槌があんたを襲うことになるわよ」
「す、すんません……」
イズはいつもの脅しでエルを黙らせた。変に詮索されると困る。今考えると結構恥ずかしいことを言っていた気もするからだ。
「いやっ! ていうかそんなバカみてえなやり取りしてる場合じゃねえんだって!」
エルはいつになく慌てているようだ。その様からただならぬ事態なのが察せられる。
「パトロールに行ったヴィーレ達が帰ってこねえ。既に交代時間は過ぎているのにも関わらず、だ」
雷鳴が轟く。屋敷の外は激しい雨音に包まれていた。




