3話「予習済みのトラブル」
午後に入って、現在十二時十五分。三人目の仲間、エルは未だに待ち合わせ場所へはやって来ない。
勇者一行の見物客で溢れていた酒場は、ある程度の者が帰ってしまったのだろう、賑やかとまではいかないが、幾らかの活気を取り戻していた。
そんな中、勇者ヴィーレは昼食を取りながら、引き続きイズと二人きりで待ちぼうけを食らっている。
「美味しいか? 薬草ジュース」
「うん。悪くはないわね」
「どのくらい?」
「しばらくの間、この店が経営に不自由しない程度の資金援助をしようと決心したくらい、かしら」
「めちゃくちゃ高評価じゃないか」
謎ドリンクを細目で眺めながら言葉を挟むヴィーレ。
一見、いやたとえ凝視してみたとしても、到底美味しそうには思えない代物である。
(しかも基準がよく分からん)
貴族であるイズとは金銭感覚が違いすぎて、庶民の勇者には彼女の発言について的を射た理解が得られなかったみたいだ。
ひとまず、気を取り直してから、ヴィーレは思いついた話を投げかける。
「金持ちって本当に大金を支払うことに対しての抵抗がないんだな」
「そう? 貧民と同じじゃないかしら」
「躊躇なく金を使えることが?」
「好きな商品とその生産者に向けて、積極的な資金援助をすることが、よ」
「そういう観点かよ」
「他に何があるというの」
イズは訝しげに首を傾げている。
そんな彼女の問いには気付かぬふりをして、ヴィーレは「でもさ」と言葉を続けた。
「たまにいるじゃないか。食費から趣味の必要経費に至るまで、最低限の額しか払いたがらないような倹約家が」
「倹約家……? あんた、彼らを倹約家と呼ぶの?」
「違うか?」
「違うわね。好きなものにすら貢げない消費者はただのケチ」
イズは速攻でこちらの発言を切り捨ててきた。
返す台詞のないヴィーレは鼻から息を吐いて、背もたれに上体を預け、押し黙る。
美少女と食事の席で向かい合っているのに、デートというよりは、面接といった方が正解を貰えそうな堅苦しい雰囲気だった。
「いいかしら。『ケチ』と呼ばれている人々の大半は、知恵の生んだ倹約家でなく、無知の生んだ金満家よ」
膝の上に置いていたナプキンで口元を拭いてから、賢者は再び唇を開く。
説教を受けている気分だ。
「対価を払うのは当然の礼儀であり、資金を提供するのは評価と期待の意思表示なの。そして、それだけが唯一、消費者にとって、好きなものを生かし続けるために許された手段であるのよ」
「あー……。つまり、『愛すべき商品、料理、芸術を発展成長させるだけの財力が自らの手元にあるのに、それを懐にしまったままにしている奴らが生産者の才能を殺している』と?」
「その通り。昨今の衆人は無料で得ることに慣れすぎているわ。物にしても、情報にしても」
「国王が代替わりしてから世の中が一気に便利になったからな。弊害だって生まれるさ」
「それにしても、持たぬ者の怠惰を助長するシステムは気に入らないわ」
「イズ。お前の話を聞いていると、この世の全てが金で決まるかのように思えてくるよ」
「あら、実際そうじゃない? なんだって買えるわ。お金があれば」
イズは両手を軽く広げてみせた後、勝ち気に笑ってこう続けた。
「財力こそ真の力なり。私の座右の銘なのよ」
「金で買えない物だってある」
「あんたが知らないだけでしょう。どこで買えばいいのかを」
「……流石は天下の大賢者様。年不相応な達観具合だ」
「ふんっ。日々惰眠を謳歌している庶民達と一緒にしないでほしいわ」
小馬鹿にしたような嘲笑で締めるイズ。
そんな彼女をジト目で眺めつつ、ヴィーレは失礼を承知でわずかに相手の心へと踏み込んでみた。
「ちゃんと寝ないと、体のサイズがいつまで経っても年齢に追いつかないぞ」
「う、うっさいわね!」
イズは弱点を突かれたようだ。
顔を真っ赤にしてそっぽを向いている。睡眠不足からくる発育の遅さについての心当たりは、多少あるらしかった。
(今のは、初対面にしては重い軽口だったかもしれない)
ヴィーレは膨れっ面のイズを観察しながら自省した。
『リセットされた関係を復元する』
何回繰り返しても慣れない作業だ。多分、彼のように不器用な者には、一生かかっても克服できない類いの。
ともあれ、勇者は依然として賢者と仲良くなるために奮闘中のようである。
「そういえば、お前はどうして魔王討伐任務に参加したんだ?」
ロール状のパンにかぶりついてから、イズへと質問を投げる勇者。彼はリスみたいに頬袋へ食べ物を詰め込んでいる。
ヴィーレの対面に座るイズは、手で千切ったパン切れを行儀よく飲み込んだ。
彼女は片手に残ったパンを皿の上に一旦戻し、口元を手で覆い隠す。その後、こちらに呆れたような視線を寄越して、鬱陶しそうに答えてきた。
「……ありふれた理由よ。家族と、素敵な書物と、それらに関わる全ての人々を守りたいから」
イズの返答にはわずかな間があった。
何かを咄嗟に隠したような息継ぎの仕方。どことなく不自然な目の動き。注意深く観察していなければ察知できないような、一瞬の動揺。
しかし、ヴィーレが彼女の不審を見逃すはずがなかった。
人参やジャガイモ、鶏肉が入った琥珀色のスープを豪快に飲み干してから、空の食器をテーブルに置く。
同時に、彼は何気ない風を装って、イズにこう尋ねてみた。
「それだけか?」
「えっ」
すると、イズは意表を突かれた声をあげた。口へ運びかけていたシルバースプーンを宙でピタッと止めている。
対して、ヴィーレは普通に食指を進めていた。
彼は相手の心を読み取ったのか、視線は料理に釘付けなまま、すぐに補足を入れてやる。
「聞いてみただけだよ。答えているお前から、命をかけるほどの気迫を感じなかったんでな。他にも特別な動機があるのかと」
何度も吐いた台詞だ。ヴィーレは滞りなくスラスラ説明してみせる。
イズが魔王討伐任務に同行するよう立候補した理由。
無論、勇者は時間遡行する前の記憶を引き継いでいるので、聞くまでもなく既に知っている。
この会話は単純に取っつきやすいから始めただけに過ぎない。広げやすい話でもあるから、ヴィーレにとっては純粋に答えてほしかった。
「それは……」
イズは言いにくそうというか、教えたくなさそうな素振りを見せている。
視線を横にずらしてから、彼女は尺を稼ぐためにシチューを慎重に口へ運んだ。誤魔化すか素直に伝えるかを決めかねているらしい。
必然、無言が二人の間に舞い降りる。
と、そこで、椅子の倒れる喧しい音が店内に響いた。
「お客様、お止めください!」
直後、女性の声が騒がしかった酒場を静まらせる。
けれど、たった一人だけ、彼女にすぐさま言葉を返した男がいた。耳につく高い声が続いてこちらに届くだろう。
「嫌な事があって疲れてんだよ、こっちはよォ。ちょっとくらいサービス良くしてくれてもいいだろ~?」
見ると、店の隅にいるヴィーレ達からは最も遠い位置で、若い女性店員が酔っぱらいの男性に絡まれていた。
男は作業着のような薄い紺色の服装を着崩している。色黒なスキンヘッドが特徴的なだけで、他は中肉中背の一般男性と変わりないようだった。
歳は二十代前半くらいだろうか。若い割にはくたびれた顔をしているが、軟派な態度が成熟しきっていない人間性を教えてくれる。
その隣にはマスケットに酷似した形状の銃が立て掛けられており、武器を気軽に持ち歩けているという事が、彼を特別な身分の者であると公然に証明していた。
「相手は今を生きる『ハンター』様なんだから。ね? こういう時に媚びとかないと、いざという時に守ってもらえないかもだよ。ね?」
男は仄かに紅葉した頬を卑しく吊り上げる。
ハンター。魔物から人々を救うために作られた『ギルド』に所属する戦闘員の総称だ。
戦争により、魔物の凶暴さが激化した現在、ギルドは人々からの依頼を多く受注しては、ハンター達を逐次現場に派遣している。
この時代を生きていく多くの人々、特に庶民にとって、ギルドとハンターは軍や兵よりも貴重な存在だという認識におかれている。日常生活により密接な関わりがあるからだ。
しかし、はっきり言って、ここで重要なのはそんな些末な情報ではない。
ヴィーレは美人な店員が絡まれているのを横目で眺めながら、わざとらしくイズに聞こえるよう呟いた。
「戦争中で引く手数多なはずのハンター様が、昼間から酒場で悪酔いか……」
肩に手を回された店員は「やめてください」を悲痛に繰り返しながら、どうにか逃れようとしている。
しかし、男の力が強いのか、彼女の下半身は虚しく忙しい動きを繰り返すのみだ。それが誤って、先ほどは近場にあった椅子を蹴り倒してしまったのだろう。
「こんな世相じゃあ、村人が勇者だ何だと祭り上げられ、少人数で無茶な任務に駆り出されるのも頷ける。そうだろ、イズ」
冷めた視線を男達から外して、正面に座る仲間へと問いかけるヴィーレ。然れども、イズは顔をしかめて知らんぷりするだけだ。
酔っぱらいハンターの所持する銃を確認してか、それとも彼の肩書きを聞いてか、他の客が彼の身勝手を制する事はない。
チラチラと成り行きを見守りながら食事を進める者。「嫌なタイミングに出くわしてしまった」と内心後悔する者。
誰もが件の男を胸糞悪く思いつつも、彼らの様子を窺うだけに留めている。
このままではハンターの男が際限なく調子に乗るだけだろう。誰かが勇気を出して制止しなくては。
そう考え至ったのか、とうとう男性店員の一人が同僚の助けに入った。酔っぱらいの肩を掴んで、女性から客を引き離そうと試みる。
「お客様ッ! ここはそういったサービスを提供する場所ではございません……! それに、他のお客様のご迷惑にもなりますから、今日のところはどうか……!」
「やかましいッ! ムサい野郎には興味ねえんだよ!」
だが、酔っぱらいは機嫌を損ねたように叫ぶと、力任せに彼の腕を振り払った。そして、そのまま男性店員を片手で突き飛ばす。
三十代と思われる小太りの店員はバランスを崩して隣のテーブルに背中から倒れてしまった。そこの席に着いていた男女が、料理を頭から浴びてグチャグチャになった男性を、心配そうに見下ろしている。
「雑魚がしゃしゃり出やがって……。テメェはさっさと酒でも持ってこい!」
一方で、彼を押しやった酔っぱらいはというと、既に女性店員へと瞳を戻していた。
「ったく、余計な邪魔が入ったせいでシケちまったじゃねえか。なあ、姉ちゃん?」
そう言うや、震えて俯く女性店員の肩をガッチリと掴んでくる。
男はだらしなく鼻の下を伸ばしながら、彼女の臀部をねちっこく撫で回していた。胸を揉んだり太腿を触ったりと好き放題だ。
一連の流れを受けて、他の店員も手が出せなくなってしまっている。いよいよ事態は歯止めが利かなくなりそうだった。
温くなり始めていたジョッキを持ち上げ、一息に仰ぐ酔っぱらい。喉の鳴る音が冷えきった空気を揺らす。
そうすると、気分を早くも回復させたのか、男はまたもデカイ声を店内へ響かせる。
「酒場で水商売なんかしてるんだ。男が嫌いなわけないよなァ~?」
誰にでもなく、賛同を求めるような口調であった。
「ほ、本当に……やめてください……」
抵抗する女性店員の声も段々と萎んでいく。もう今にも泣き出してしまいそうな様子だ。
ヴィーレは無表情のまま騒動の一部始終を傍観していた。
当然、時間遡行をしている彼はこうなる事も予知していたのだが、事前に知っているからといって、全てが未然に防げるわけではない。
例えば、酔っぱらいの入店を防ぐなんて事は不可能だし、彼が騒いでいるだけの時に「出ていけ」等と告げれば、ヴィーレが無理を言っている事になる。
この場合はハンターの男がある程度の被害を出すまで、ヴィーレにも止められなかった。
けれど、もう十分であろう。現在の男は誰がどう見ようが『追い出されても文句を言えない客』だ。
(流石にここまで実害が出ていたら、俺が間に入っても文句は言われないだろう。止めに行くなら今だ。怪我人の出ていない今がベスト……)
だがしかし、勇者は依然として立ち上がらなかった。
何故か。それは聞くまでもない。
勇者は幾度も時間遡行を繰り返している。この忌々しい冒険を何度も、何度も、何度も経験しているのだ。
だから、彼は知っていたのである。
自分が止めに入ろうとしていたところで、正面から掛けられる声によって、それが阻まれるという事は。
「ねえ、ヴィーレ」
案の定だった。前回の旅と同様に、イズのいる方向から声が飛んでくる。
が、彼女はこちらの返事を待っていなかったらしい。
賢者は『ヴィーレに』ではなく、『酔っぱらいの男へ』と届けるような声量で、皮肉げに独りごちた。
「彼はもしかして、清掃員や汲み取り人として働いている人達が全員ゴミ好きだとでも思っているのかしら?」
瞬間、空気が凍りつく。
同時に、ハンターの男が耳をピクリと動かした。
彼を含めた全員の視線がこちらに向けられる。集めた注目には微塵も動じず、イズは薬草ジュースを飲んでいた。
「あァ? 嬢ちゃん、何か言ったかよ?」
眉間に皺を寄せた酔っぱらいがドスを利かせて問いかけてくる。
ヴィーレとイズ以外の皆が恐れていた事態だった。場はまさに一触即発の様相を呈している。
「はぁ……。庶民は凄みも三流なのね」
が、それでもイズは落ち着いていた。相も変わらず毒を吐きながら、機嫌の悪そうな溜め息を漏らしている。
「いいわ。もっと分かりやすく、簡明率直に伝えてあげましょう」
そこで一旦台詞を止め、彼女は脚を組み直した。
テーブルに片肘を置いて頬杖をつく。食事中のお嬢様とは思えない下品な仕草だが、不思議とその姿は絵になっていた。
おもむろに開かれる桜色の唇。そこから白い歯が覗き、小ぶりな舌が見えた時、言葉は明瞭に紡がれるだろう。
「あんたのせいでランチが不味くなるって言っているのよ。糞尿以下のクズ野郎さん」
賢者イズは凍てつくような眼光をもって、宣戦布告した。




