6話「ネメス」
力任せに糸を引きちぎったヴィーレはネメスに差をつけられてから部屋を出る。言うまでもなく、長い廊下にも彼女の姿は見当たらなかった。
「クソッ……! どこに行ったんだ……!」
自分の不甲斐なさに心底うんざりするが、歯を食いしばって怒りを抑える。
「おいっ! ネメス!」
屋敷の廊下を走り、叫ぶ。
(部屋の扉は開いていたからどこかへ走って逃げたに違いない。あいつが本当に逃げるつもりなら、向かうのは屋敷の外だろう)
全力で玄関まで駆ける。イズ達の前では控えていたが、彼はその高い魔力量によって、生命力と身体能力だけが異常に発達していた。電光石火の如き速度で開いている扉を抜けていく。
彼にとって、ここでネメスを見捨てるわけにはいかなかった。先ほど口から漏らした上っ面だけの話ではなく、心の底からの本音として、ヴィーレはネメスを失うことを拒んでいたのだ。
(イズやエルと不仲になるからだとか、パーティーを繋げる奴がいなくなるからだとか、そんなのは二の次。もっと、もっと大切な理由があったんだ。俺はそれを伝えるのを恐れていた)
「あっ……あれ、は……!」
ネメスの名を呼ぶため、大声を出しながら走ったから上手く声が出ない。事実その声は彼以外の誰にも届いていなかった。
玄関の扉は開けっぱなしだった。その先に、閉じた門をこじ開けようとしているネメスが見える。錠の鍵がかかっているため、逃げ場を無くしてしまったようだ。不自然に辺りを見回している。
「待て! ネメスッ!」
普段は決して出さないような声量で叫ぶ。屋敷を傷つける心配もせず、本気で床を後ろに蹴りだした。
彼女が扉を開ける前にその背後に迫る。急ブレーキを踏むとネメスの髪を突風が揺らした。
ヴィーレは自身が冷静を欠いている事を悟り、努めて優しく彼女の肩に手を置いた。
「ネメス、話を聞いてくれ」
「……なんですか」
振り向く彼女と目が合う。同じ敬語なのに、よそよそしさが増している。きっとヴィーレへの信頼なんて既に失われてしまったのだろう。
だけど、それでも彼女が返事してくれるのは、どこかで期待してくれているからなのかもしれない。
(ここに来るまで、扉はいくつもあったのに、それらは全て開かれていた。単純に急いでいただけとも考えられるが、閉じた方が俺を惑わすためには得策だろう)
ヴィーレはここに至るまでに不審を感じていた。そして同時に分析していた。
(酷く自分勝手な妄想だが、彼女は追ってきて欲しかったのではないだろうか。この門の鍵だって、今のネメスならモデリングですぐに解錠できるはずだ)
彼女はまだ自分の居場所に未練があるみたいだった。寂しがり屋の彼女らしい性根である。
(だとすれば、これが俺に与えられた最後のチャンスだろう)
ヴィーレは一つ唾を飲み込んで口を開く。
「……お前を連れ戻しに来たんだ」
短くそう答えると、彼女の眉が少し動いた。しかしすぐにまた冷たい表情に戻る。
「もうわたしには冒険なんて必要無いです。魔物も倒せるくらい強くなったし、いじめられたりなんかしません」
「違う。そんなことは知っているんだ。でも俺は、まだお前と一緒にいたい」
間違えないよう、『俺は』を強調して伝える。
さっきまではこの言葉を言う自信が無かったが、彼はもう覚悟を決めていた。
(俺はどこかでまだ予防線を引こうとしていたんだ。もうそんなみっともない真似はやめよう)
胸辺りにぶら下がっているロケットを握りしめて、強く目を瞑る。その後すぐに瞼を上げ、まずは謝罪の意を述べた。
「さっきはすまなかった。俺だってお前のことは大切に思ってるし、できるならずっと面倒を見てやりたいよ」
「う、嘘」
「嘘じゃない。お前はもう俺達の仲間だ。見捨てたりなんてするもんか」
立て膝をついて彼女の両手を握る。ネメスは必死に目を逸らそうとしていた。疑心と恐怖が拒絶を生んでいるようだった。
(これでも駄目か……。それなら、とことん本音をぶちまけてやろう。プライドなんて擲って、惨めな自分をさらけ出してやる)
普段は決して変わることのない彼の表情が、大きな勇気を宿したものへと変わった。
「俺はな、怖かったんだ」
「……怖い?」
意味深な発言が気になったのか、ネメスはようやくヴィーレに視線を向けてくれた。勇者は一つ頷き、その視線を外されないよう、慎重に優しい声色を保つ。
「ああ。俺達は危険な任務をしているんだ。いつ、誰が命を落とすかも分からない」
「……うん」
「知っての通り、俺は五人の中で一番弱い。戦闘系の呪文が使えないんだからな。でも、それでもお前らに何かがあれば、俺は身を挺してでも守るつもりだ。だから、最初に死ぬとしたらきっと俺だろう」
「そ、そんな……」
彼女の声と表情に色が戻った。ヴィーレが先程どうしてあんな言い回しをしたのか理解したらしい。
(そう。みんながいつまで一緒にいられるかだなんてのは俺にも分からない。はっきり言って、俺が生存している状態で魔王を倒しに行くという事ですら、命が二十個あっても足りないくらいなんだ)
そうやって言葉を続けようとした時、ある事に気付いて彼は言葉を詰まらせてしまう。
「……なに泣きそうになってんだよ」
「だって、だって……!」
ネメスはスカートをぎゅっと握って震えた声を出していた。言いたいことが多過ぎて、うまく言葉にできないらしい。潤んだ目でそれを訴えてくる。
「大丈夫だって。それもさっきまでの事さ。俺は必ずお前らと生き残ってみせるよ。だから、もう一回だけ謝らせてくれ」
今にも泣き出してしまいそうなネメスを見ていられなくて、彼女を抱きしめる。せめてこれだけは言わなければと、絞り出すように吐き出した。
「気付いてやれなくて……すまなかった……」
そこで初めてヴィーレは自分の声も震えていることに気がつく。「我ながら情けないな」と自分の弱さを呪っていると、ネメスの自嘲気味な声が耳に届いた。
「いいんです。こんなの気づかなくて当然ですよ……」
「そうだとしても、もう知ってしまったんだ」
ネメスから離れ、しっかりと目を合わせる。
「約束する。今度こそ、お前達と幸せな未来に辿り着くと。絶対に、絶対にお前を一人にはしない!」
頭で考えたわけではない、心からの声を彼女に伝える。
初めからヴィーレ達の願いは同じだったのだ。なら、それを妥協せず追求すべきだった。
「そんな……。こんなに迷惑かけちゃったのに……わたしなんかに優しくしなくたって……」
彼女は数分前までとは別の意味で逃げたがっていた。しかし目の前のヴィーレがそれを許さない。
「気にしてないさ。それに、お前が辛かったら俺達だって辛いんだ。だからもう無理しなくていいんだよ」
短く区切り、彼女の心に嘘偽りの無い想いを届ける。
暫しの沈黙が場を支配した後、彼女の見開いた瞳からボロボロと雫がこぼれ落ちた。
「う、うぅぅ………」
ネメスは声にならない嗚咽を漏らして、勇者の胸に顔を埋めた。ヴィーレはその背を撫でながら、彼女が泣き止むまで、ただただじっと待っていた。
あれから無事ヴィーレとネメスは仲直りし、再び大広間に戻った。今は散らかっていた毛糸を二人で片付けて隣合った椅子に座っている状態だ。
二人の間には途切れ途切れの会話しかなく、お互いに気まずいような恥ずかしいような気分を味わっている。ヴィーレがどうしたものかと指で頬を掻いていると、部屋の扉が派手な音を立てて開いた。
「ひゃっふーい! おいおいおいおい、飯ができたぞ! 飯がよ~!」
エルの元気な声と共に、数々の料理が台車に乗って運ばれてくる。途端に良い匂いが部屋に広がり、ヴィーレの腹の虫が歓喜の声を上げた。
(ネメスが泣き止むのが早くてよかったな。もう少し遅かったら、彼女を泣かせたという事実だけが先行し、イズから灰にされていたかもしれない)
ネメスの目尻には薄く涙の後が残っていた。しかし、よく注意して見なければ気付かないような変化だ。いくら過保護な仲間達でも、きっとそこまで気は回らない。
「良い匂いだな。それに見た目も美味そうだ」
「へへへ、そうでしょ? 思ったより上手に作れたよ。エルが本当に料理上手でさ。調味料の計量には手間取ったけどね」
カズヤが料理をテーブルに並べながら話してかけてくる。彼も料理は多少できるようだが、どうやらエルには遠く及ばないらしい。
「それにしても多いわね……。手伝ってる最中も思ったけど、これ五人で食べきれるの?」
「まあその時は明日の朝食に回せばいいだろ。それより早く食べようぜ! 作るのに時間かけすぎて腹減ってんだ!」
「唐揚げ、味噌汁、お好み焼き、きんぴらごぼう、卵焼き、お寿司、ほうれん草のごま和え、肉じゃが、チキン南蛮、和風ハンバーグだよ! 全部美味しいからお腹いっぱい食べてね!」
カズヤが自信満々に並べ終えた料理を一つ一つ紹介してくれる。全く見覚えのないものや、ヴィーレ達もどこかで食べたことがあるようなものまで様々だ。
(にしても豪華だなぁ。宮廷料理かよ。どれだけ金をかけたんだろう)
貧民生活で身についてしまったケチ臭い思考に自ら呆れる。場を盛り下げる発言は飲み込んで、代わりに望ましい感想を述べることにした。
「結構時間かかってると思ったらこんなに作ったのか。じゃあありがたく、冷めないうちに頂くとしよう」
全員が席に座るのを確認するヴィーレ。
ネメスが神様にお祈りするのを待ってから、早速食事にありつこうとすると、カズヤに手で制された。
「ちょっと待って!」
「……何だ? 早く食べたいんだが」
「日本では食べる前に、食材となった命への感謝を込めて、手を合わせて『いただきます』って言うんだ。せっかくだし、みんなでやらない?」
「なるほど。ニホンの料理を食べるんだ。ここはニホンの作法に倣おう」
ヴィーレが手を合わせると他の四人も続いて合掌する。
「それでは、いただきます」
「「「「いただきます!」」」」
モルト町の隅に佇む寂しい屋敷の中に久方ぶりの温かみが宿っていた。




