2話「一人目の仲間」
魔王を倒す。
とはいえ、いくらなんでも、勇者が単独で魔物の領地へ潜入するわけではない。少数ではあるが、きちんと仕事仲間を連れていく。
勇者の彼とは違って、同行者には高い戦闘能力を持ち、生き残る力に優れていると判断された者が二名選ばれたらしい。
(……やはり納得できないな。そこまでして、なぜ俺だけはあんなテキトーな判断基準だったんだ?)
まだ機嫌が直っていないのか、心の中で愚痴をこぼす勇者の男。
彼は現在、その二人と待ち合わせをしている酒場へ向かっている途中なのだけれど、街中の様子は、男の心境と違って、いつもと変わらないようだった。
王都ユーダンク。
城下町というだけあって人通りが多く、石畳の道を行く馬車の足音や、活気のある商人の声で溢れかえっている。
それらの全てが、勇者が死に至る前に幾度となく眺めた光景と完全に一致していた。
(まあ、ここはポジティブに考えよう。そこまでの精鋭なら、ある程度は彼らに任せても大丈夫だということだ。序盤の戦闘に俺が必要以上に関与する手間が省けた)
勇者はいつの間にか平常心を取り戻している。
あまり不快な精神状態を引きずりたくないのだろうか。顔こそ死んでいるけれど、足取りはさほど重く感じられない。
どうやら彼は比較的楽観的な性格であるようだった。
(それよりも、まず何より優先すべきは、仲間達と信頼関係を築くことだろう。アイツらの成長を邪魔しないようにする事も忘れちゃいけない)
魔王討伐任務に参加するメンバーと合流した後の予定なんかを考えながら、気持ちの良い日光を浴びつつ、川沿いの道を歩いていく勇者。
傍を流れる川の水面を眺め、道を曲がれば、人々の目から逃れるように視線を下げる。堂々とした佇まいとは反して、妙に窮屈そうな歩き方をする男だ。
それもそのはず。群衆を避けて人通りの少ない方へと歩いていくのは、随分前から慣れ親しんだ彼の癖の一つであった。
(大丈夫……。幸か不幸か、初めに会うのは一番気難しい奴だからな。まずは彼女と友達にならなくては)
彼の中では徐々に気持ちの切り替えが進んでいるらしい。これから始まる冒険に関して、前向きに作戦を考え始めている。
さて、男はそうしているうちに、いつの間にか酒場の前まで着いてしまっていた。
先程までの喧騒や雑踏は周囲に無い。
日が昇って結構な時間が経っているから、カジノや娼館しかないこの通りが閑散としているのは、当然なのだろうが。
何にせよ、ともかく、勇者は待ち合わせ場所である店の正面に到着した。
しかしながら、現在の彼は酒場の中に入れないでいる。
理由は明快。火を見るより明らかだった。
呪詛を唱えるように独り言を呟いている挙動不審な少女。齢十六ほどに思われる彼女は、出入口の真ん前に佇んでいるため、すっごく邪魔だ。
少女の背丈は勇者の男と比べると遥かに小さいが、顔立ちは一国の姫を想わせるほど凛々しく整っている。
空色の長い髪がとても綺麗な女の子だ。身分が相当良いのか、彼女の着けている服装やアクセサリーも、それはそれは見事で立派なものだった。
(扉の前で独り言を呟いている……。『例のごとく』って感じだが、一体コイツはいつもここで何をしているんだろう)
どうも勇者の男にとってはこの光景も新鮮なものではないらしい。そして、彼に盗み聞きの趣味はないようだった。
少女の姿を確認した瞬間、彼女が魔王討伐任務に参加する仲間の一人だというのはすぐ分かったのだけれど、どうにも扉の前で行われている不審が気になってしまう。
しかし、ここは詮索したい気持ちをグッと抑えるべきだ。と、実直で誠実な彼は判断したらしい。
後ろからノシノシと近付くや、少女の肩を叩いて、普通に呼びかける選択肢をとる。
「おい、そこの不審者」
「……っ!?」
勇者が短く声かけをすると、その娘は男の方を向いてハッとした表情になり、咄嗟に彼から距離をとった。
「そ、その目……もしかして、あんたが勇者……? 思ったより若いのね……」
不審者から不審者を見るような視線を向けられる紅眼の男。
(やっぱり目の色で判断されるんだな。珍しい色だし、仕方ないけど。てか初対面で『あんた』って。前から思ってたけど失礼すぎやしないか)
何度目かの出会いに心の中でそう呆れつつも、勇者の表情は真顔のままだった。顔面の筋肉が死んでいるかのような能面っぷりである。
けれど、心の中まで動いていないわけではないようだ。
「キャンベル家のヴィーレだ。よろしく」
これから苦楽を共にする者同士なのだ。心持ち気合いを入れた声で挨拶してから、友好の証として握手でも交わそうと片手を差し出す。
「……ふんっ」
しかし、少女はそれを一瞥した後、「農民の汚れた手なんて触らないわ!」とそっぽを向いた。
(どうしよう。早くも挫けそうだ)
勇者、改めヴィーレは彼女の発する刺々しい態度に内心で肩を落とす。
当然だが、せっかく仲良くなった少女との関係性も時間遡行の度にリセットされている。
時間が巻き戻る前までは冗談を言い合うような仲だったのに、冷たい声で素っ気なく対応する少女を目にして、勇者は早々に心を折られそうになっていた。
そんなヴィーレの心情もつゆ知らず、少女は高飛車な態度を崩さないまま口を開く。
「私はローウェル家のイズ。人々から『大賢者』と呼ばれている者よ。まあ、知っているわよね? 呪文も三つ使えるわ。戦闘は任せてもらって構わないけど、頼むから邪魔だけはしないでよね。勇者といえど、足を引っ張ったら容赦なく見捨てるから」
早口で捲し立てるような自己紹介だ。
初めにヴィーレの瞳を確認してからはずっと目を逸らし続けている。腕を組んで、拒絶するようなポーズをとってはいるものの、まるで何かから逃れるような仕草であった。
(迷いも無しに見捨てる宣言。なんて冷酷な女だ……。コイツとまた友達にならなきゃいけないと思うと、気が遠くなるな)
「まったく、さっさと魔王なんか倒して帰りたいわ」
イズはまるで下等動物を見るような目でヴィーレを見ていたが、鼻を鳴らしてそう吐き捨てると、すぐに酒場の中へ入っていった。
残された一人の男はひたすら無表情を貫いている。そして店の扉が閉まる音を聞き終えるや、すぐに一歩を踏み出した。
(まあ、初めはいつも通り、適当に遊びつつ流すとするか)
店の中の様子を思い返し、少し苦笑しながら、ヴィーレはイズの後を追った。
外の晴れ渡った空から放たれた日光は、酒場の中には届かない。
代わりと言わんばかりに、淡い暖色系の明かりがこの空間を照らしていた。頭がクラクラするような酒の匂いと、酒場に似つかぬ妙な静けさが場を支配している。
そんな中、入り口から見て最も奥の席についたヴィーレとイズ。当然ながら、というか必然ながら、彼らは向かい合って同席している。
彼らの間にもまた、ひたすら重い沈黙が流れていた。
自己紹介から酒場に入り、最後のメンバーである一人を待つことにした二人。
だが、そこでイズにとって想定外の事態が起きる。
勇者一行を見にきた客でもいるのか、酒場が非常に混んでいたのだ。
周りの様子を調べてみると、確かに、『見送り』や『見張り』というより、『野次馬』の気を纏った人物が多いようだった。
必然的に空いていた一つの席に勇者と賢者が二人で座ることになる。さっきの出来事、出会いからの事故紹介の一件もあって、とても気まずい。
ヴィーレは勿論、イズもなかなかに居心地が悪そうだ。三秒に一回は身動ぎをしている。
(ていうか誰だよ、酒場を待ち合わせ場所に指定した奴。俺もイズもまだ大人というわけではない。酒の美味さなんて全く分からんぞ)
ヴィーレは現実逃避するように、何度も考えた事のある疑問を心中でボヤいていた。
一方で、四角いテーブルの対角に座るイズは、時々こちらへと視線を移すが、ヴィーレと目が合った後は、すぐにそれを逸らしてしまう。
彼女はこの動きを先程から延々と繰り返していた。
(いや、そんなに落ち着きなくされると、こっちも困るんだが……)
お互いが相手との距離を推し量っている。
会話の糸口を見つけようとヴィーレが苦悩するも、知り合ったばかりという事を前提に置くと、ろくな話題が思いつかない。
イズもそれは同じようで、しきりに脚を組み直している。その際に発生する衣擦れのわずかな音だけが、二人の間にあるコミュニケーションだった。
もしかしたら、ここが勇者にとって最初の難所かもしれない。
「ご注文はお決まりですか?」
冒険に出る前から二人して気を擦り減らしていると、不意に店員が注文を尋ねにきた。
瞬間、ヴィーレの瞳が光を取り戻す。
(グッジョブだ、店員。もうこの重い空気には耐えられない。とりあえず、これをきっかけに会話を始めよう)
取っつきやすい食べ物、飲み物の話から始めようという算段らしい。
ヴィーレは早速、近くの壁に飾られている布地のメニュー表を指して、イズへ問うた。
「何か、頼むか?」
「では、薬草ジュースで」
尋ねるヴィーレには目もくれずに即決するイズ。
(どうして数ある美味そうな品々から、わざわざそんなハズレっぽい飲み物を頼むのか。これが分からない。いや、体には良さそうだけども……)
対して、ヴィーレは幾分か渋い表情で壁に貼られているメニューを眺めていた。
(うーん……。しかし、もしかしたら思いの外、美味いのかもしれんな。今まで頼んだことはなかったが、一度チャレンジしてみるのも良いかもしれん)
旅に出る前から謎の冒険心を発揮してしまった勇者。
農民として、勇者として、なんとなく飲んでおかないといけない気がしたのだろう。
決意したように一つ頷くと、改めて店員へとその顔を向ける。
「じゃあ俺も同じものにしよう」
「かしこまりました~」
若い店員は柔和な笑みを顔に貼りつけたままお辞儀をする。
簡単な注文なので、メモすることもなく踵を返し、ゆったりとした足取りで厨房まで去っていった。
と、そこで、イズがイライラしたように口を開く。
「それにしても遅いわね、もう一人の奴! 何してんだか……!」
「しばらくしたら来るだろ。苛ついていてもアイツは来ないぞ」
「それは、そうだけど……」
息苦しい。この膠着状態を一刻も早く抜け出したい。
そんな訴えが聞こえてきそうなほど、分かりやすく、空色の瞳が横へ逸らされる。
ヴィーレの返答に言葉を詰まらせたイズは、口をモニョモニョさせながら脚を組み直した。
(本当に、できれば早く来てほしいものだ。こいつの機嫌をとるのは骨が折れるし。……ほらまた会話が途切れたぞ)
再び訪れた沈黙を破るべく、ヴィーレが話題を考えていると、意外なことに、今度はあちらから話を振ってきた。
「ところであんた、本当に『瞳が赤い』ってだけで勇者に選ばれたの? 実は何か特別な呪文が唱えられたり、膨大な量の魔力があったりしないわけ?」
「その事か……。まあ、勘ぐりたい気持ちは分かる。俺だって初めはそう思ったさ」
ヴィーレは瞑目して続けた。
「赤い眼をしているってだけで、こんなヒーロー役をやらされるなんて、明らかにおかしいしな」
「それなら……」と見る目を変えた少女に先んじて、手で彼女を制し、肩を竦めてから付け加える。
「だが、残念ながら違うみたいだ。俺はどうやらごく普通のありふれた一般男性だったらしいぞ。赤い眼は除いてな」
彼の言を耳に入れた瞬間、イズは打って変わって馬鹿にしたようで、どこか安心したような笑いを漏らした。
「てことはやっぱり役立たずなのね……。それじゃあ、あんたのことは『全く戦えないお荷物』って認識でいいのかしら?」
賢者様はわざとらしく一部を強調して確認してくる。
(さっきから文言に毒やら棘やら色々含んでくるな、コイツ。もう慣れてるから別にいいんだが)
ヴィーレはチクチク刺さる言葉の針をものともせずに返事を返した。
「少しなら戦えるぞ。呪文も一つだけだが使えるしな。まあ、邪魔になるだけかもしれんが」
勇者が扱えるという呪文も、はっきり言って彼には使いこなせていないものなのだ。
できることならヴィーレだって、炎を飛ばしたり、電撃を纏ったりしたいだろう。時間を止める呪文や分身する呪文に憧れた時期もあるはずだ。
だが、現実は甘くない。
義務を負わされた者に、それを遂行する能力が伴っていない失敗は、あらゆる状況においてしばしば見られる現象だ。
「へぇ~。そうなの」
勇者の言葉に優越感を満たしたのか、呪文を三つも使えるイズは「ふふん」と鼻を鳴らして返答した。
「とにかく、足を引っ張ることだけはしないでよね」
「了承はできないが、善処はするよ」
腕を組んで当たり障りの無い返事をするヴィーレ。
(めっちゃ釘刺してくるじゃん……。別に俺のこと置いて行ってもいいんだぞ?)
声に出さずに紡がれた彼の言葉は辟易としたものだった。
(イラスト:黛クロナ様)