23話「カズヤ②」
フタバカズヤは転移者である。
地球という他世界の、日本という国からやって来た。そこに虚偽や詐称はなかった。
真実を隠すためには嘘を必要とするが、嘘を蔽うためには、これまた別の嘘をこしらえてこなければならない。
あまりに広大な虚言を吐いたんじゃあ、いずれ真実は何者かに暴かれてしまう。
欺く部分を最小限にしておくことが肝要なのだ。
嘘を真実で希釈して、『潔白』の濃度を可能な限り最高に近い位置で維持しておく。コップ一杯の水へ微量の劇薬を混ぜこむような繊細さを忘れずに。
賢い不正直者なら誰だって知っている基礎中の基礎である。
(僕がヴィーレ達に隠すのは、『この世界に来てから彼らと出会うまでのたった十数時間』だけだ……! それ以上の無駄な経歴詐称はしない!)
カズヤは人畜無害な仮面とは異なる第二の顔を覗かせていた。
(彼らに教えた僕の能力は二つ。爆発の呪文『エクスプロージョン』と、鈍重の呪文『スロウ』。どちらも戦闘向きの能力だ)
木陰にいるおかげか、ヴィーレがネメスにプレゼントを渡しているからか、こちらに勇者達の視線は寄越されない。
行動を起こすには絶好の機会である。
(でも、最後の一つは誰にも伝えていない。現在、僕が扱える三つ目の呪文を、彼らはまだ知らない)
屋台の前で話している勇者パーティーのメンバーに意識を集中させていくカズヤ。
(三人と離れているこの時が、僕に訪れた最初のチャンスなんだ。彼らの戦闘力を観測した第一の結果は、今ここで、誰からも悟られることなく、隠密に記録される……!)
彼は左手を自身の胸の辺りまで持ち上げると、狙撃の照準を合わせるように静かな心で、対象となる人物を指差した。
まずはネメス・ストリンガー。
アルストフィア村でヴィーレが保護した家無しの孤児である。容姿や振る舞いからして、あからさまに貧弱そうな娘だ。
勇者からもそう評されていたが、呪文を扱える以上、脅威になりうる存在であることに違いはない。
念には念を入れておくべきだろう。
「解析する……! この呪文の詠唱と呼び名はッ!」
カズヤは初めてそれを唱えた時、数日前に練習した時の記憶を探りながら、慎重に言葉を紡いでいった。
そして、ネメスをしかと見据えると――――
「《チェック》!」
魂を込めて『分析の呪文』を詠唱する。
対象の魔力レベルを調べることのできる能力。奇しくもそれは、ヴィーレの扱える呪文と同じものであった。
(よし! 手応えありだ……!)
カズヤは能力の発動を感じとり、胸の前に突き出していた左手を下げようとする。
すると、ネメスを指差していたその腕を這うように、チェックの文字がニュルニュルと浮かび上がってきた。
麻薬中毒者が襲われる幻覚を体験させられている気分だ。
【レベル1・パンをあげるとよく懐く】
出現の仕方は気持ちの悪い文字列だったが、肝心の内容に至っては、こちらの心配を杞憂に変えてくれるものであった。
メッセージの字体はポップ体になっている。
カズヤのシリアスな心境とは裏腹に、呪文の方は雰囲気を明るくしようと努めているようだ。
そしてそれは、彼がまだこの能力を上手く制御できていない事を暗に意味していた。
(予想通り……いや、それ以下だな。ともあれ、あんな小さい子に裏があったりしなくて良かったよ……)
ネメスのメッセージを読んで安堵の息を漏らすカズヤ。
彼女達は依然としてこちらの行動には気付いていないみたいだ。
ヴィーレでさえ、先ほどの会話でカズヤへの警戒が薄れているらしい。ほとんど視線を寄越してこない。
(それにしても、この世界でレベルが上がる仕組みってどんな風なんだろう? ゲームでは、『敵を倒すとパラメーターが上昇して、さらに強い敵へ戦いを挑めるようになる』ってシステムだけど……。やっぱり魔物を倒すことが鍵なのかな?)
再び考察の渦に呑まれそうになって、カズヤは「いやいや」と頭を振った。
考察にすぐ没入するのは悪い意味でオタクくさいところである。それが脱線を引き起こすとあってはさらに救えない。
彼は気をとり直して、次のターゲットに焦点を絞る。
(次はイズさんの番だ)
ふと思い立ったように歩き始めるカズヤ。
怪しまれぬよう、暇をもて余した風を装って、木に繋がれた二匹の馬を撫でる。
その間、瞳はイズの姿を捉えて片時も離さない。
(古来から代々受け継がれる純血の大貴族、ローウェル家の娘……。家族、親戚は例外なくエリート揃いで、全員が国宝級の人物らしい。ギルドのボスである父親は、侵攻軍の最前線で戦い、直々に指揮を執っている豪傑だとか)
事前に仕入れていた情報と、イズ本人から聞き出した話を合わせて整理していく。
(彼女は僕にとって最も注意しなければならない人物だろうね。知性だけでなく、鋭い勘や的確な判断力を備えている女性だ。弱点といえば、ネメスの存在と、義理人情に厚いところくらいかな)
カズヤには自慢にならない特技がいくつかあった。
その内の一つが人間観察である。
元の世界にいた頃、学校で演劇部に入っていたからか、彼は他人の吐く嘘を判別したり、感情の機微を読み取ったりする能力に長けていた。
メンバーの性格、性癖、性質を正確に知ること。
仲間を演じるにしたって、諜報員として立ち回るにしたって、それは欠かせないアクションだ。
存外、彼はこの任務に適している人材だった。
(三人の中で一番『人間らしい』のはイズさんだ。ヴィーレは心理が不明瞭すぎるし、ネメスは年齢も相まってイズさん以上に無秩序な感情を抑え込んでいるようだからね。脅威というほどではないけれど、これらの危うさは早めに消し去ってしまいたいところだ)
思考と計画を垂れ流しながら、カズヤはイズの姿を分析する。
途端、カズヤの触れていた馬の表面に、文字列がスーッと滑り込んできた。赤茶色の毛皮にメッセージが停止する。
【レベル67・彼女クラスの富豪になると、寿司が止まって見えるだろう】
それに目を通したカズヤは、長い睫毛をパチリと合わせて、すぐに瞼をもう一度開いた。
怪訝そうに文字列を読み返す。
(分析の呪文を唱えたときに出てくる、この変なメッセージも謎の一つなんだよね……。西洋風な異世界に『寿司』なんて和の典型があるわけないじゃないか)
見間違いでないことを確かめると、小馬鹿にするような笑いが漏れ出てしまう。
(……あぁ、今は余計なことを考えている場合じゃないぞ、自分よ。魔王達の命が懸かっているんだ。任務は必ず完遂しなければ)
今度は脱線せず、早々に正しいレールへ戻ってきたカズヤ。
(最後は村人のヴィーレ・キャンベル……。扱える呪文はたった一個。しかも、戦闘向きのものではないらしい。イズさんから教えてもらった情報だ。信頼できる。呪文に関することで仲間に嘘は吐かないだろう。僕じゃあないんだから)
その『戦闘向きでない呪文』で、ヴィーレはこちらの素性に疑念を抱くこととなったのだけれど。
本人はそうとも知らずに悠々としている。
まさか自分がこれから使用する能力と同じ呪文だとは思ってもみないのか、カズヤはヴィーレの呪文について深くは考えなかった。
(呪文が一つしかないのなら、ネメスより一段と成長の記録が平坦になりそうだな。結果は知れているけれど、ヴィーレ、君の魔力量を読ませてもらうよ!)
馬に背を預けて対象を眺めるカズヤ。
相手はこちらに背を向けている。プレゼントを渡した直後で、気が緩んでいることだろう。
誰もが歓喜するネメスに目を奪われている状態だ。
理想のロケーションであり、至高のシチュエーションである。
「これで、残りは『エル・パトラー』とかいう最年長の青年だけだ……!」
カズヤは先ほどまで同様にヴィーレの身体へ意識の全てを注いでいく。
段々とコツを掴み始めてきたらしい。ターゲットをロックオンした感覚は、すぐに彼の頭の中へ信号を送ってくる。
「《チェック》!」
確信をもって詠唱する。
呪文は発動した。勇者パーティーに悟られもせず、カズヤは極秘に内密に、彼ら全員の魔力レベルを読むことができたのだ。
しかし、当の本人である彼は、戦慄を面に浮かべていた。
「何だ、これは……」
例のごとく、彼の目の前には文字が浮遊している。まるで空間に固定されたかのように。
紛れなく呪文の効果は発現している。ゴシック体のメッセージからは生気を感じないけれど、確かにそこに存在した。
けれど、記されている文字列は、先ほどとは異なって目を疑うようなものであった。
【レベル9543・ただの村人のようだ】
思わず身震いする。全身の鳥肌が立つときの嫌な寒気が、カズヤの全身を駆け巡っていった。
「何なんだ、この魔力量は……ッ!」
異常なレベルだ。
一般人は勿論、魔物を単独で軽々倒したというイズですら、遠く及ばないような数値。並みの呪文使いよりおぞましい、膨大な力を秘めているという証左。
それが、ヴィーレの無感情な顔をより不気味に仕立てあげていた。
「彼は、赤い眼をしているというだけで勇者に選ばれた……ただの農民じゃあないのか……?」
突然叩きつけられた予想外の事実に足が笑い、呼吸が荒くなるカズヤ。
自分がこれまで抱いていた甘い幻想を呪った。彼が踏み入った場所は、何かとてつもない不可解と、触れてはならない禁忌が巣食う魔窟であったのだ。
細切れに出てくる息を整え、再び呪文を唱えてみようと試みる。
が、そこで彼はある事柄に気が付いた。
ヴィーレ達がこちらへ戻ってこようとしている。買い物を済ませ、サプライズを終え、カズヤのもとに帰ってこようとしているのだ。
(マズイぞ! この事については後で考えるにしても、ヴィーレ達が帰ってくる前に早く体の震えを抑えないと……! このままじゃあ怪しまれてしまう……!)
仲間として振る舞わねばならない人物に対して恐怖心を埋め込まれたのは致命的だった。
様子がおかしいと勘づかれたところで、間もなくカズヤが魔王軍のスパイだと看破してくる者はいないだろう。
けれど、そのきっかけには十分なり得る。
綻びのある靴紐は必ず解けるものだ。ここで起こした失態が原因となり、後々転んでしまうことだって、可能性としては考えられる。
考えられるのなら、徹底して分岐点を排除すべきだ。高を括ってヴィーレ達を侮ってはいけない。
カズヤの本能がそう告げていた。
(クソッ、僕はいつもこうだ! 気が付いたら災難に巻き込まれている! 難有る『有り難き人生』よりも、難無き『無難な人生』を……! 平々凡々に波のない生活を……! 粛々と、ただそれだけを祈ってきたというのに……!)
地団駄を踏みそうになるのを、拳を目一杯に握り締めることで何とか堪えるカズヤ。
運命占星学では、平穏無事な一生、可もなく不可もない人生が最幸運となっているらしい。そう考えると、彼の歩んでいる道は一般的な平穏とはかけ離れた最低最悪の不運であった。
(チクショウ! 僕は戦闘能力なんて皆無なんだ……! 捕まったら為す術もないんだ……! こんな事なら、せめて緊急避難の手段を確保しておくべきだった!)
顔を下に向け、グッと腕をつねる。
視界の端にヴィーレやイズ、ネメスが迫ってきているのが映るたび、カズヤの顔は青ざめた。
深呼吸をする。素数を数える。可愛い動物の姿を想像する。どれを試してみても、成果はいまいち挙がってくれない。
必死になればなるほど、心身の緊張は高まっていくばかりだ。
そうしているうちに運命は平等に訪れる。
カズヤが今一番聞きたくない声、低く頼もしいはずだった男の声音が、大儀そうな足音を伴って、すぐ前方から投げかけられた。
「おい、どうかしたか? カズヤ」




