11話「つまり、異世界転移ってやつですね!」
アルストフィア村での防衛戦。その勝敗は、深夜になってからようやく決した。襲撃してきた魔物を全て倒しきったのだ。
幾人かの負傷者と死亡者は出てしまったが、被害は最小限に抑えられた。
周辺の町から応援に駆けつけた戦力のおかげだろう。言わずもがな、そこには勇者と賢者も含まれる。
戦闘の後、ヴィーレは怪我人と戦死者の確認や、村で起きていた火事の鎮火を手伝った。
そこで散々こき使われたらしい。彼が村で宿をとり、自分の部屋へ入る頃には、もう夜が明けようとしていた。
今はヴィーレの部屋へ、別部屋をとったイズが来ているところだ。
なかなかに広く綺麗で高級な宿を借りることができたので、窮屈などの不便は一切無かった。
イズはヴィーレが使用する予定のベッドに腰掛けている。体を洗ってきたのか部屋着に着替えており、離れているヴィーレの所にも湿気混じりな良い香りが届いてくる。
ちなみに、宿をとった後から先ほどまで延々と村人たちの手伝いをさせられていた勇者は、まだ風呂に入れていない事は勿論、晩御飯も食べられていない。
ヴィーレが戦闘後も村人の手伝いをすると告げた時、イズは「私だって手伝うわ!」と言ってきたが、かなり魔力を消耗してたようだったので、ヴィーレが無理やり休ませた。
全てが一段落して勇者が帰宅した後。すっかり寝ているかと思いきや、話があるからとずっと待っていたらしい。
「色々聞きたいことはあるんだけど――――」
イズは偉そうに腕を組み、もう一つのベッドに寝かせている少年を指差して問うてくる。
「まず、なんでこの人を連れてきちゃったのよ」
「しょうがないだろう。拾った後から全く目を覚まさないんだ。避難所はどこもかしこも飽和状態だし、見たところコイツには怪我も無いから、起きたら自分で家に帰らせればいいさ」
部屋の椅子に腰掛けながら答えるヴィーレ。戦闘の後にも拘わらず、その表情に疲れはない。
彼の話しているとおり、少年は未だに気絶から覚醒していなかった。そうは言っても、グーグー寝息を立てているのを見るに、心配するような事態ではないのだろうが。
イズもこの件には特に異論がないのか、別の質問を投げ掛けてくる。
「じゃあ、もう一人の仲間……エルだっけ? 彼のことはどうするつもり?」
そう、エルだ。あの戦闘に参加しているかと思われていた、勇者達の仲間。
一応ヴィーレも戦いながら探してみたのだが、彼の姿は発見できなかった。
それどころか、イズが少し村人達に尋ねただけだが、誰一人としてあの時エルを見たという者はいなかったのだ。
「色々考えられることはあるが、手当たり次第に行動してる余裕がない以上、まずは情報を集めるしかないだろうな」
「そうね。まったく、魔王討伐がさらに遠く感じられるわ……」
イズは貴族らしくピシッと伸ばしていた背筋をダランと曲げてみせる。肩を落とした彼女の顔は昨日の朝よりもゲッソリしていた。
疲弊が限界まで来ているのだろう。放っておいたらそのまま溶けてしまいそうだ。
(完全に同意だな。そろそろ旅立たせて欲しいものだ)
そう考えたヴィーレはハッとして軽く頭を振った。「いや、微塵も魔王討伐になんて行きたくはないんだけど。できればずっと家で畑を耕してたい」と心の中で訂正する。
「あまり休んでる暇はないわね。もう朝だもの」
窓から白みだす空を覗き見て、イズが言う。空色の瞳は薄く細められていた。
(そんな事を欠伸しながら言われてもな……)
ヴィーレはイズの強がりに懐かしさを覚える。
彼女は貴族である事を振りかざしはするし、権力や財力は惜しまず行使する性格だが、身分を理由に自分だけが楽をしていると思われるのをひどく嫌う性質なのだ。
(旅の途中でぶっ倒れられたら困る。俺がブレーキ役になっておかないと。無茶を努力と勘違いしてる奴は、すぐに壊れてしまうからな)
ヴィーレは齢十六の大賢者を案じていた。
戦いに駆り出されているものの、彼女はまだ若い。規則正しい生活をしていたのが逆に祟ったのか、目の下には大きな隈も作っている。
これからもっと辛い場面があるはずだ。最初からあまり無理はさせない方がいいだろう。橋の時やら森の中やらで、疲労もかなり溜まっているはずである。
ヴィーレは言い聞かせるような声色でイズに話しかけた。
「体力が持たないだろ。聞き込みは俺がしてくるから、お前はゆっくり寝ておけよ」
「えっ。で、でも、私だけが休んでいるなんて不服だわ! いくらあんたが体力しか取り柄が無くて、こんな時にしか役に立たないような泥臭い元農民の無能勇者だとしても!」
「おい、こんな時まで貶してくんのやめろ。泣くぞ貴様」
「……ま、まあ、その気遣いは一応ありがたく思ってるわよ。だけどね! 私達には時間がないの。モタモタなんてしていられないわ!」
断言した後、真っ直ぐ強い意思の込められた視線が向けられる。
ヴィーレは一瞬言葉を詰まらせた。この顔をしたときのイズは普段の彼女に輪をかけてさらに頑固だからだ。
だから、正面から頼むのは早々に諦めることにする。
しかしさっきも考えていたとおり、倒れられては堪らない。ヴィーレはもう少しだけ別の方向から食い下がることにした。
「分かった。だが、せめて少しは眠っておいてくれ。この男が目を覚ました頃にでも、俺が起こしに行くから」
「……もう。あんた、結構しつこいのね」
イズはそっぽを向いてから「甘えさせてもらうわ」と小さく呟いた。庶民に礼を述べるのは難しいらしく、むず痒い顔をしている。
ともあれ、ヴィーレの出した条件で妥協くれたようだ。説得は成功である。
(まあ、起こしに行くわけないんだけどな)
裏で紡がれるヴィーレの思惑など知るよしもなく、ベッドから立ち上がり、部屋の出口前まで移るイズ。
そのまま出ていくかと思われた彼女だったが、扉を開け、廊下へと一歩足を踏み出したところで、ヴィーレの方をパッと振り返った。
「ねえ。そういえば、もう一つ気になっていた事があったんだけど」
彼女はそう言って、ベッドの側に無造作に置かれてあるヴィーレの荷物を横目で見る。
「あんた、これから先ずっとあれで戦うつもり?」
ヴィーレも彼女の視線の先を追ってみる。
イズの言う『あれ』とは、彼が持ってきた武器のことを言っているのだろうか。
(そういえばあの戦いの最中、俺が意気揚々と愛用の鍬を装備したら、近くにいたこいつに二度見された気がする。何もおかしな事は無いと思うんだが)
どうやら彼の中では普通の出来事だったらしい。欠伸をごまかすようにして肩を竦めながら応答する。
「そこらに剣でも売っていれば、こんな事に俺の相棒を使う必要も無いんだろうがな」
「はぁ……。勇者なんだから、支給品くらいあると思っていたわ……。このままだと色んな意味で一緒に戦いたくないから、装備品は早いうちにどうにかしてちょうだい」
「へいへい。いいからさっさと休んでこい」
もう話は終わりだという意味を込めて「シッシッ」と手振りする。
イズは何かに苦悩しているかのように眉間に手を当てながら、ヨロヨロと部屋を出ていったのだった。
その後、ヴィーレは手早く風呂に入って汗を流した。食事は自前の野菜を丸かじりすることにしたようだ。
疲れが少し取れたところで部屋に戻ると、気絶していた少年が目を覚ましていた。
寝かせていた状態から上半身を起こしているから、恐らく先ほど気が付いたばかりなのだろう。
「起きたのか。随分長い夢だったな。気分は悪くないか?」
「あっ。は、はい!」
緊張しているのか、やたらと大きい声で返される。
ヴィーレはそのやや低めな声を聞いて、改めて『彼は男だ』と確信した。
これで「実は女の子でした」とかだったら、自信満々に男部屋へ連れ込んだ勇者が白い目で見られるところだ。
「そうか。それで、どうしてあんな場所で気絶してたんだ?」
まず一番気になっていた事を尋ねる。
まさかあんな場所で野宿でもないだろう。魔物から意識を絶たれたにしても、かすり傷一つ無いのはおかしい。
そもそもヴィーレ達が助けに来るまでの間、無防備だった彼は魔物に襲われなかったのか。湧き出る疑問は尽きなかった。
「よく、分からないんです……。自室のベッドで眠って、目覚めたら『知らない天井だ』って感じで……。ここは……日本なんですか?」
再度開かれた少年の口からは、何やらヴィーレの聞きなれない単語が出てきた。
(ニホン? 二本? 何だ、それ。そんな名前の村や町はなかったはずだが)
ヘンテコな響きの地名に覚えがないか長考しているところで、ヴィーレは気付いた。気付いてしまった。目の前の少年が、こちらを不安そうに見つめられていることに。
瞬間、ヴィーレの脳内にあまり望ましくない予感がよぎる。
(むっ? もしこの少年の話が本当なら、彼からすれば俺は誘拐犯か何かに見えているのでは?)
そんな常識的過ぎる予感である。
(あまり変な勘違いをされても困る。もし衛兵に通報でもされたら、『男性である二代目勇者が中性的な顔立ちの少年を眠らせ誘拐!』なんて話が瞬く間に広まり、絶対に面白おかしく噂されてしまう)
しかめ面の裏で、勇者は激しく焦っていた。変わらない時間を繰り返していただけにアドリブに対しては免疫が薄いようだ。
コホンと一つ咳払いをしてから、ヴィーレは即座に貫禄のある風を装った。片手のひらを前へ出し、重大な前提を先に断っておく。
「すまない。ニホンという言葉は初めて聞いた。お前はそこからやって来たのか?」
「はい、そこが僕の故郷なんです。ここはどこなんですか?」
「アルストフィアという村だ」
「……うーん、知らない村ですね。国の名前は?」
「は? 何を言ってるんだ。この世界に国なんてのは、一つしかないだろう」
「えっ……? く、詳しく話を聞かせてください!」
ガバッとこちらにしがみついてくる少年。その表情には、激しい動揺と焦燥、そして薄暗い期待が見え隠れしていた。
ヴィーレは彼同様に困惑しつつも、ひとまずは求められている説明を与えてあげた。
――――それから話を進めていくうちに、いくつかの事が分かった。
少年はまだ発見されていない遠くの国、もしくはこの世界に無い別のどこかから来たということ。
それが彼の意思によるものではないということ。また、それを可能とする手段、方法についても心当たりが無いということ。
そして、彼のいた世界には『魔物』と呼ばれる化け物や、『呪文』と呼ばれる魔法も存在しなかったということ。
どうやら何か良くない不可解が日本人である少年の身に起こったのは確からしかった。
少なくとも、ヴィーレが観察した限りでは、彼が嘘を吐いているようには見えなかったからだ。デタラメにしては向こうの世界についての話が完成され過ぎていた。
(それにしても、少年の話が本当ならば、言語が同じというのはなかなかに運命的だな。どうやら普通に文字も読めるようだし)
ヴィーレは先ほどイズの座っていたベッドに腰掛けて、どうでもいい感想を抱いている。些細な問題を気にする男だ。
するとそこへ、対面で目を輝かせていた少年が、またも身を乗り出してきた。
「つまり、『異世界転移』ってやつですね!」
あまりの大声に「なんでコイツはこの状況でこんなに嬉しそうなんだ」と若干引きつつも、勇者は適当に話を逸らす。
「そ、そうかもな……。ていうか敬語はやめてくれ。大して歳も変わらないだろ」
「分かり……分かった。僕はカズヤ、これからよろしく」
名前を述べたカズヤは愛想よく笑って、こちらに手を差し伸べてくる。
「俺はヴィーレだ。よろしく。……っていや何この流れ」
思わず握手に応えてしまったヴィーレだったが、「これじゃあまるで、彼とこれから一緒に生活するみたいじゃないか」と思い、カズヤへ尋ねる。
「えっ。だって僕、住む家持ってないよ? お金も家族も、この世界に対する知識も何もないよ?」
カズヤは仲間になりたそうな目でこちらを見ている。ウルウルと涙目になった彼は子犬のようにも思えた。
「どうやら夢でもないみたいだし。きっとまた変な現象に巻き込まれちゃったんだろうけど、そんな理不尽で飢え死になんて僕は嫌だよ!」
よく分からない事情をつらつら捲し立ててくるが、その全てが勇者の良心にダメージを与えていく。
(この男、最初は大人しかったくせに、慣れたらグイグイ来やがるな……)
ヴィーレはいつの間にかすり寄ってきていたカズヤから逃れるように身を引いた。
彼は決して優柔不断ではなかったが、後ろめたさのような感情が邪魔をして、カズヤのお願いを断れないでいるのだ。
(確かにあまりに不憫だし、第一発見者である以上助けてやりたいという気持ちも無くはないが、これは俺の独断で勝手に決めていい事でもない)
彼の考えているとおり、勇者達が臨むのは危険な任務だ。ヴィーレはともかく、きっとイズはそう簡単に許してくれないだろう。
ヴィーレも同じところまで思考したところ、突然、彼の脳裏を閃きが走った。
「そうだ……!」
悪魔的発想に思わず柏手を打った勇者は、気さくにカズヤの肩を持つ。
「じゃあ、こうしよう。しばらくしたら、えらく怒った女がここにやって来る。俺の仲間でイズって奴だ。そいつを説得して、お前が仲間になる事を認めさせてみろ」
とても簡単な課題を課すような優しい態度でヴィーレはさらに試練を付け加える。
「あとついでに、あいつの機嫌も直しておいてくれ。その二つができたら一緒についてきてもいいぞ」
「うん、分かった! 必ずやり遂げてみせるよ!」
即答だった。無理難題を押しつけたにも拘わらず、カズヤは戸惑うどころかベッドの上に立ち、握りこぶしを作ってみせたのだ。
(もう今からあの怖い女を前にして、笑顔のひきつる様が目に浮かぶな)
身元不明の少年を見るヴィーレの赤い瞳には疑心と同情、それに僅かな期待が見え隠れしていた。勇者といえど聖人ではないらしい。
彼は自身の企みが成功することを切に願って、部屋の入り口へ近付いた。
「じゃあ俺は用があるからもう出かけるぞ。朝食は宿主のオジサンに頼んでおいたから、もうすぐ来るはずだ」
目を合わせずそう言うと、ヴィーレは武器以外の荷物を持って宿を出る。「頑張れよ、少年」と、カズヤには聞こえないように付け加えて。




