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10話「ヴィーレの呪文」

 『魔物』。あらゆる姿形を持つ異形の化け物だ。


 理性を感じさせない凶暴さと、主として人類を襲うという共通項がある怪異のことを、古くから人々はそう呼び、恐れていた。


 いつ、どういう起源、経緯で生まれたのかは不明。

 しかしそういった『特異な概念や存在』は、剣と魔法の世界において別段珍しくもなかった。


 当然、以上に述べた不可思議を研究の対象とする者はしばしば現れるが、依然として真実に辿り着けた者はいない。数百、数千と紡がれた歴史の中で。誰一人として、である。


 ある意味、この事実こそが最も奇妙で不可解な謎であった。一部では魔物を神聖化する宗教も誕生する始末だ。


 閑話休題。


 舞台はユーダンクとアルストフィアの間に位置する森の中へと移る。勇者パーティーの二人と、道端で拾った中性的な顔立ちの美少年。そして、彼らと対峙する一匹の化け物が舞台の役者だ。


 闇夜を毛皮に纏ったような魔物を前に、ヴィーレは警戒を解かぬまま言葉をこぼす。


「ハプニングが続くな」


「アルストフィアの村が近いんでしょう。村を襲っている魔物がこっちに流れてきていてもおかしくないわ」


「もともと(ここ)に住み着いていたやつかもしれないけどな」


「ええ。けど、いずれにせよ、やる事は同じよ」


 言いながら、イズはヴィーレ達を庇うようにして、魔物の前に躍り出る。どうやら昼間に交わした誓いは遂行されるようだ。


 誰かを守れる人間になりたい。保護されずとも、己の実力のみで生き抜ける証明をしたい。彼女はそう言っていた。


 生真面目なイズなら有言実行するだろう。


(一人で戦うつもりのようだが、俺のことは最初から戦力に入れてくれていないのか)


 まあ、俺がでしゃばってもメリットは無いしな。ここは彼女に任せよう。そう考えて、ヴィーレはイズからできるだけ距離をとった。


 魔物は虚空を眺めて、涎を垂らしながら呆然としている。ズタズタの舌を出したまま短いスパンで呼吸を繰り返していた。何かを考えているようだ。


 が、それは突然口を開いたかと思うと、イズの頭蓋を狙って一目散に飛びかかってきた。


「……ふん。デカいだけで所詮は獣ね」


 しかしイズは余裕の調子を崩さない。


「《フローズンスノウ》!」


 片手を相手へかざし、呪文を唱えると、彼女の手前に分厚く巨大な氷壁が現れた。


 猪突猛進の勢いをつけていた魔物は避ける術無く、氷の塊に頭からぶち当たる。

 その衝撃を受けても微動だにしない氷壁。陥没し、無数のヒビを作ったものの、主には傷一つ付けていない。


 見ているこっちがヒヤヒヤするような光景だが、当人であるイズは涼しい顔をしている。観察するヴィーレも「肝が据わってるなぁ」と感心顔だ。


「掃除せずに済むのだけが利点の生き物ね。魔物の死体は塵となって消えるから」


 イズはそう独りごちた。余裕を感じさせるほどの遅々とした歩みで、倒れた姿勢から起き上がろうとしている獣に近付いていく。


「《フローズンスノウ》」


 そして、無慈悲な音色でもう一度同じ呪文を唱えた。


 途端に獣の上で複数の氷の剣が生成される。先端は本物の刃に劣らない鋭利さで、刺されたら痛いだけじゃ済まなそうだ。


 一つ瞬きを終える頃には化け物は串刺しにされていた。子犬のようなか細い断末魔が聞こえた気がする。あっという間の決着だった。

 ヴィーレはそんな光景を見て、「魔物よりコイツの方がよっぽど怖いな」と場違いに間抜けな感想を抱く。


 砂煙が風に吹き飛ばされるようにして狼の死体が跡形もなく消失した後、イズは呆れた様子で彼の方を振り返った。


「それにしても、あんた、ちょっとは加勢しようと思わないの? まあ必要なかったんだけど」


「あー、すまない。初めて遭遇した魔物に怖じ気づいてしまったようでな」


 心にもない釈明をするヴィーレ。


 情けない態度に何かしらの文句をつけられるかと思ったが、イズは少しの間睨んできただけで、溜め息を吐くとすぐにこちらから目を離す。


「時間がないわ。早く行きましょう」


 イズから顎で進行方向を指される。先に行けということだろう。


 ヴィーレは首肯してから、気絶したままの少年と一緒に馬へ乗ると、アルストフィア村へ向かって駆け出した。







 村に着くと、そこにはヴィーレ達が思っていた通りの、混乱を絵にしたような光景が広がっていた。


 立ち並ぶ家や店には火が燃え移っており、あちこちに負傷者が転がっている。

 村の入り口からでも、先ほど森で出会ったのと同種の魔物がちらほらいるのが分かった。中には別の形体を持つものも見受けられる。


 それら一体一体と相対しているのは複数人の人間だ。兵士や、普段は見回りをしているであろう衛兵。それに、ところどころでは、武器を持っただけの村人が戦っているのも確認できた。


「酷いな。相手とこちらでは個体別の戦力に差がありすぎる」


「人口の多い村だからギリギリ持ちこたえているようなものね。子どもや老人だけ避難させて、有志の者だけで戦っているのなら、それでも勲章ものだけど」


「命あっての物種だ。イズ、俺達は戦っている一般人から優先して助けよう」


「ええ、そうね。できれば手分けして倒したいんだけど……あんたは大丈夫なの?」


「力になれるかは分からんが、死ぬ気で頑張ってみるよ。だが、その前に、まず俺はコイツを安全な場所に置いてくる」


 言ってから、まだ意識を取り戻さない少年を指差す。「どこかに移動させないと、俺もここから離れて戦えないからな」と付け加えて。


「分かったわ。……流石に死なれたら夢見が悪いから、自分の身が危険そうだったら、逃げるなり隠れるなりしなさいよ!」


 後半はやや早口で叫んで、イズは先に救援へ向かった。怪我人の治療の片手間に近くの魔物を撃退するつもりなようだ。


(根は優しい奴なんだろうな)


 だけど、俺は仮にも勇者なんだから、こんなところで逃げるわけにはいかない。微力ながら、協力はさせてもらおう。そう考えて、ヴィーレは一度仲間の背から目を離した。


(……あっ。念のため、今のうちに確認しておくか)


 しかし、思い立ったように再びイズへと焦点を当てる。


 酒場でも話していたが、ヴィーレにも扱える呪文がある。

 それは戦闘に関してほとんど役に立たないものだ。けれど、とりわけ時間遡行を繰り返しているヴィーレにとっては、まだ使いようがある能力なのである。


 ヴィーレは目をわずかに細めてから、彼がたった一つだけ使える『分析の呪文』を詠唱した。


「《チェック》」


 すると、勇者の足元からスルスルと文字が浮かび上がってくる。白い文字列は文章を組み立てていき、ヴィーレの正面にて完成した。


【レベル63・あらゆる本を読破しており、卓越した知識を有している】


 空に浮かんだそれを閉口したまま読み終える。その後、ヴィーレは納得したように一つ頷いた。


(63か。さっき倒した魔物を計算に入れるとそんなもんだろうな)


 次に、視界に入った狼型の魔物にも呪文を唱える。森で戦った敵と類似した個体だ。


 詠唱の直後、先と同じようにして、ヴィーレの眼前に文字が整列し始める。レベルという数値と補足的な短い文章だ。


【レベル52・いつもお腹を空かせている】


 他の魔物も二、三体調べてみたが、似通ったメッセージが流れるばかりだった。


 レベルは大まかな戦闘力を示す数値だとヴィーレは思っている。現に、これまでの経験から、それらが高い魔物と戦うといつもより苦戦を強いられた。


 具体的に何の『水準(レベル)』なのかはまだ説明する必要がないだろう。


 ここで重要なのは、個体の数値を確認することによって勝率やリスクが大まかに予測できるという事だ。


(このくらいのレベル差なら大丈夫だろう)


 イズ達の数値を確認してとりあえずの安心を得ると、ヴィーレは辺りをゆっくりと見渡した。


 村のそこかしこから悲鳴や怒号が聞こえる。死臭と鮮血、業火に覆われた、この世の地獄が詰まったような光景だった。これ以上は相手の好き勝手にさせられない。


(さっさとコイツを手近な場所に運んでいって、俺もイズ達に加勢しないとな)


 改めて目下の仕事を確認し、少年を抱え上げると、ヴィーレは消えるようにしてその場を去った。

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