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21話「迷いの森にて」

 広々とした森の端の、崖縁にあたる場所。樹皮と海潮の香りが混じり合う地点である。

 波がそそり立つ絶壁に体当たりして、白泡へと変わり、退いていく。辺りに人の気配は全く無かった。


 事は脈絡も無く起こった。突然そこの空中に、赤眼の勇者が放り投げられたような姿勢で現れたのだ。


「……は?」


 ヴィーレは一瞬理解が追いつかなかった。

 無理もない。和也が呪文を唱えた直後、視界が暗転したかと思いきや、どういう訳かこの現状である。


 だがしかし、時間は勇者を待ってはくれない。ヴィーレが受け身を取るより先に、彼の体は重力によって地面まで引き寄せられていった。


「ぐっ……!」


 必然、背中から硬い岩肌へ叩き落とされる。肺の空気が押し出され、視界が白くなり、呼吸が止まった。相当な高さから落とされたらしい。


 呻きを漏らして片目を開けると、ヴィーレは彼自身の顔に何やら影が降りているのに気付いた。そして次の瞬間――――


「ガハァ……ッ!」


 息を整える間も無く、ヴィーレの腹の上に人が着地した。さらに長時間の無呼吸状態を強いられる。


 衝撃で浮いた手足が地面に落ちた。大の字でぐったりと倒れた勇者は、降ってきた人物を体の上に乗せたまま、自分の不幸な運命を嘆く。


(鎧を着ているとはいえ、不意打ちでこれは死ねるぞ……)


 ピクピクと痙攣(けいれん)しながら薄ぼんやりとそう思っていると、彼に乗っていた少女はすぐに退いてくれた。


「すみません」


 無感情な声で謝ってくる。和也と共にいた金髪の少女、レイチェルだ。

 あえかな光しかない闇夜の中で、彼女の美しい髪だけが幻想的に輝き、無音の風に(なび)いていた。


「……別にいい」


 ヴィーレは素っ気なく答えてから、顔だけを気怠げに起こして、周りへと視線を向ける。


「ここは……森の中か。互いに連れとははぐれてしまったみたいだな」


 彼の言うとおり、二人の周りには誰もいない。

 加えて、ヴィーレ達が今いる場所は、さっきまでいた広場のような場所とは違っていた。


 それもこれもローブの商人による仕業だろう。ヴィーレは数分前の事を思い返す。


(カズヤめ、分析の呪文(チェック)なんて使えたのか……。事前に知っていたら、『あの商人に呪文を唱えてもろくな事にならない』って教えてあげていたのに……)


 背中や尻に付いた土を払いながら起き上がる。その間もレイチェルはジッとこちらの様子を窺っている。


 ヴィーレはそんな彼女を見て「愛想の無い顔をしているな」と思った。自分の事は棚に上げて。


 しかし、見る限りでは彼女から敵意を感じられない。それなら最低限の礼儀として、挨拶ぐらいはしておこうと、自己紹介を仕掛けてみる。


「勇者のヴィーレだ。お前、名前は?」


「レイチェル」


 返事は短かったが、ヴィーレには聞き取れた。


 レイチェル。五文字の響きに奇妙な引っ掛かりを覚える。ヴィーレも最近、その名をどこかで聞いたような気がするのだ。


(……ありふれた名前だし、特におかしくもない話か)


 記憶の引き出しを漁ろうとして、ヴィーレは止めた。今はそんな事よりも確認しなければならない問題が山ほどあるからだ。


「レイヴンとかいう元勇者と赤髪の女は、カズヤの仲間か?」


「はい」


 投げた言葉は速攻で返され、再び沈黙が訪れる。彼女から話を振るつもりはないらしい。


(それならそれで構わない。俺が知りたい事をここで徹底的に聞き出してやる)


 ヴィーレは早くもレイチェルとの付き合い方を学んだらしい。和也がやっていたように、短く矢継ぎ早に質問攻めを行う。


「一緒に生活している?」


「はい」


「お前とカズヤはどういう関係なんだ?」


「メイドとお客様、でしょうか」


「俺達から逃げる理由は?」


「魔王様の命です」


「……何だと?」


 思わず耳を疑うが、確かに彼女は『魔王』の言った。


 ヴィーレは咄嗟にレイチェルから距離をとる。ようやく彼は自分が対峙している相手の正体を突き止めたようだ。


(こいつら……それにカズヤも、魔王の手下だったというのか?)


 反射的に背中の剣へ手を伸ばすヴィーレ。鞘から刀身を抜きかけた状態で、腕の動きをピタリと止めた。


 金髪の少女はこちらの様子を無感情にただただ見つめている。ヴィーレが臨戦態勢へ入っているにも(かか)わらず、反撃どころか逃げようともしない。


「……はぁ」


 その様に呆れ果てて、ヴィーレは溜め息混じりに構えを解いた。

 盗賊戦のような緊迫した状況でもないから、彼は多少の冷静さを保てているようだ。


 落ち着いてしまっている勇者にはどのみち人を殺すことなどできないだろう。しかも相手がまるで敵意を見せない少女なら尚更だ。


(……まあ、そんな甘い事を言い出したら、もう魔王を倒すことなどできなくなるだろうけど)


 自嘲気味に心の内でこぼすヴィーレ。

 ひとまず嫌な事は一旦忘れて、目の前の問題を処理することにした。


「どうする。ここで別れて各々に自分の仲間を探すか?」


「いいえ。私が道を案内いたします」


 思わぬ相手の申し出により、ヴィーレの眉間に皺が寄る。

 首筋を舐める冷たい風が勇者の中に(くすぶ)っている不信感を煽っていた。


「随分と協力的だな。攻撃しないどころか、案内まで提案してくるとは。お前らにとっては、ここでのたれ死んでもらった方が助かるような存在じゃないのか、俺達は」


「……これも魔王様の命ですので」


 勇者の問いへ機械的に答えると、レイチェルは先導して歩きだした。

 その背中はヴィーレに対して無警戒であるように見える。そう見せているだけなのかもしれないけれど。


(魔王の命令だと? どういう事だ。奴はやはりただの馬鹿なのだろうか)


 回想に囚われるヴィーレ。彼はしばらく呆気にとられていたが、すぐに決断を固めると、早足に歩みを進め始めた。


 もう日はとっぷり暮れている。ランプなんて持ってきていない勇者は、レイチェルの背を見失わないように注意して、彼女の後ろをついていった。







 鬱蒼とした森をひたすら歩く二人。彼らが歩みを進める度に、落ち葉の潰れる音が小気味よく鳴り響く。


 明かりが月のそれしかないため、慣れていないヴィーレには足場がひどく不安であった。

 その事を気遣ってくれているのだろう。レイチェルは時々振り返り、ヴィーレがついてきているか確認してくれる。


「そんなに気にしなくても迷子になんてならないって」


「…………」


「……無視かよ」


 会話が無いのは気まずいと、適当に声をかけてはみるが、レイチェルの反応は芳しくない。大抵は気付かぬふりで返される。


 ヴィーレは「イズと初対面の時よりも空気が重くなる事ってあるのか」と心底ウンザリし、別の事柄に思考を移した。


(他のみんなはどうしているんだろう。いくら休憩したとはいえ、まだイズやネメスには疲れが残っているはずだ。ここらの魔物は俺でも油断できない。一人の時に出くわしていないといいが)


 心配は始めるとキリがない。エルが彼女達の近くにいれば安心できるのだが、数日前まで戦闘慣れしていなかった和也や、未知数のウィッチとレイヴンは勇者にとって信用できない。


 とはいえ、闇雲に走り回っても仕方がないだろう。少なくとも仲間からの合図があるまでは、ヴィーレはレイチェルと行動を共にすることにした。


「レイチェルと言ったか。お前、カズヤとあの町で何してたんだ?」


 不安を紛らすため、またも沈黙を破る。ヴィーレにはあらかた答えの見当がついていたが、他愛のない暇潰しだ。


 無視されるかとも思っていたけれど、レイチェルは和也の名が出たところで、意外にも反応を示した。少しだけ声を張って応答してくる。


「兄妹の練習です」


「……何だって?」


「兄妹の練習です。和也に手伝ってもらっていました」


 場が瞬間的にシラケる。ヴィーレは予想外の向こう側を覗いた気分だった。

 平然と伝えられた事実をどう捉えるかで、彼の脳内が忙しなく働きだす。


(は? 意味が分からないぞ、どういう事だ。彼女は嘘を吐いている? いや、だとするとセンスが無さすぎるだろ。それならまさか本当に事実なのか? トリス町にいたのは人間側への偵察などではない、と?)


 泉のように湧き出る問いは止まるところを知らない。


(そもそも何だ、『兄妹の練習』って。カズヤにはそういう趣味があったのか。時々変態的な言動はとっていたが、シスコンを拗らせているとは思わなんだ……)


 両目の間をギュッと摘まんで黙想し、最終的に飛び交う疑問符を全消去する。


(この件は……保留だ。続けたところで、カズヤのイメージが悪くなる一方だし。別の話題に移ろう)


 首を横に振って、息を深く吐いた後、ヴィーレは次なる質問を投げた。


「お前らは普段、魔王城にいるのか?」


「はい」


「魔王がどんな容姿をしているのか言ってみろよ」


「白い髪に大きな両翼を持つ美少女です。就寝時以外はキトンをお召しになっております」


「……なるほど」


 どうやら彼女は本当に魔王の仲間らしいと、そこで初めてヴィーレは確信できた。でなければ、彼が前回死ぬ前に目撃した魔王の姿を、レイチェルが知っているはずがない。


(ていうか本当にあれが魔王で合ってたのか。勘違いであってほしかった……)


 勇者は考慮していた可能性を一つ潰されて、内心肩を落とす。


 先ほどまでいた崖からは結構離れたらしく、波の音が聞こえなくなってきた。代わりに虫の音がやけにうるさくなっている。もしかしたら魔物の鳴き声かもしれないが。


「魔王はどんな奴だ? 外見についての問いじゃない。性格や普段はどんな風か、という事だ」


 口をついて出た質問に、ヴィーレは自分の好奇心を呪った。「どうしてこんな事を尋ねているんだろう。知ったところで、戦いにくくなるだけなのに」と。


「魔王様は無邪気で溌剌(はつらつ)とした方です。しかし、非常に恐ろしい呪文をいくつも持っていらっしゃいます」


 しかし、ヴィーレの後悔とは裏腹に、レイチェルの返答からは興味深い言葉が聞き取れた。


(恐ろしい呪文……? もしかしたら、どうして前回俺が『気付かぬうちに死んでいたか』という事に関係するかもしれないな……)


 何故自分が一つ前の冒険で命を落としたのか。ヴィーレはその理由を明確には知らない。だから、レイチェルの話す『いくつかの恐ろしい呪文』とやらには興味があった。


 湧き出す疑問の渦に再度飲まれる。濁流に揉まれながらも、過去に葬られた真実を炙り出すため、ヴィーレは最も的確な問い掛けを選び出した。


「……それなら、魔王は」


「ヴィーレ! 無事だったのか!」


 だが、それは何者かに防がれる。質問を続けようとした矢先、後方にある道からエルが飛び出してきたのだ。


 尋ねられなかった事は惜しかったけれど、ヴィーレの中では既に仲間が無事であった喜びに上書きされたらしい。すぐに片手を挙げて応答する。


「おう、エル。お前も無事だったのか」


 ヴィーレの返答を聞いた瞬間、興味無さげにそっぽを向いていたレイチェルが急に振り返った。


 その目は大きく見開かれている。サファイアのような瞳はヴィーレと話すエルの姿をしっかりと捉えていた。今の彼女は珍しく感情が駄々漏れだ。


 レイチェルが何を想っているのかは分からない。しかし、彼女が口から漏らした言葉だけは、確かに聞き取ることができた。


「……兄さん」


 それから間もなく、レイチェル・パトラーの紡いだ細く短い音色は、やけに騒がしい虫の唄で塗り替えられた。

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