17話「特殊装備」
土に霜が降り積もり、青い月がその明かりを弱める頃、いわゆる夜明け前である。
早起きな鶏の鳴き声に起こされて、ヴィーレとエルは目を覚ました。
普段の起床時間にはまだまだ早いが、二人とも寒さに負けず、ベッドから自身の体を追い出していく。
次の目的地である町へ到着するには、終日を費やす必要があるのだ。そろそろ出発しなければならない時間だろう。
「寒いよぅ、寒いよぅ……寒すぎて死んじゃうよぅ……」
シャツに手を通しているヴィーレの横で、ガタガタと顎を鳴らしながらエルが言う。寒冷な気候には弱いようだ。
「ヴィーレ……もう俺ダメだぁ……。何だか眠くなってきたよ……」
返事がないのに一人でボヤくと、エルは自らのベッドへ飛び込んだ。既に着替えは終えているがまだ眠気は覚めないらしい。
毛布にも潜らずに寝ようとしている彼を見て、ヴィーレは冷たく言葉を返した。
「寝るなよ、エル。朝っぱらから凍え死んでもイズくらいしか笑ってくれないぞ」
「イズは笑うのかよ。でもさぁ、本当に眠いぜ。気温のせいか? うーん。たしか、こんな時は頭や体を働かせて、眠らないようにすると良いんだよな~」
「よく聞くな、そういう小話。……ふむ、しりとりでもするか?」
「いいね」
「じゃあ俺からな。『凍死体』」
「やっぱやめるわ~」
ヴィーレの言を聞くや、エルは脱力してしまった。枕に顔を埋めてフガフガ鳴いている。
「何でもいいから、時間内には集合できるようにしろよ。俺まで叱られるのは勘弁だぞ」
無視して支度を進めるヴィーレ。彼も寒さにはウンザリしているのか、態度がいつもより素っ気なかった。
一方で、エルは未だにベッド上でゴロゴロしている。顔だけこちらへ向けると同時に、彼の腹の虫が低く低く唸り声をあげた。
「くはぁ~……。腹減ったな~。美人の姉ちゃんが脇で握った握り飯、食べてえよぉ……」
「うわっ。キモッ」
突然の変態台詞にヴィーレは思わず素で反応してしまった。
だが、エルは動じない。それどころか続けざまにもう一発追撃をかましてきた。
「攻めっ気の強い子が足の裏でこねた生地……。それを焼いたパンでもギリギリ可だ」
「今日も朝から飛ばしてんな」
「毎日俺が問題発言をしていると取られかねない言い方はやめろ」
「でも、いつもそういう事は考えているんだろ?」
「おうともよ。男なら誰だってそうだろう。何ならムチムチな姉ちゃんの太ももに家建てて住みてえわ」
「……お前といい、カズヤといい、どうしてそんなに変態なんだ?」
「本能だからだよ」
「どちらかというと『煩悩』だろ」
しれっと返して、ヴィーレは着替えを終えた。
昨日はどうなるかと思われた一行だったが、彼らの朝はどうやら平常運転で幕を開けたようだ。
外はまだお日様も姿を現していなかった。ヴィーレ達はイズらと合流し、宿を出てそれぞれが自分の馬を引いて歩いていく。
魔王城へ近付くにつれて、空気は冷たくなってきており、それと対抗するように、ヴィーレ達の服装も厚くなっていった。
誰もいない表通りを抜け、町の外へ出る勇者一行。そこで不意に「あっ」とネメスが声をあげた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん! あそこ、村を出てすぐの所、商人さんがいるよっ!」
「あれ、本当だ。黒外套の商人ちゃんじゃん。よく出くわすな~。運命の金の糸で結ばれてんのかね?」
エルが帽子のツバを持ち上げて彼女に応答する。
そう、久しぶりに例の屋台を見かけたのだ。栗色の髪をした少女が経営する、移動式のアイテムショップである。
黒いローブのせいで一瞬無人に見えた店内だったが、彼女が湯気の立つ飲み物を持っていた事から、その姿がかろうじて窺えた。
(洞窟から送ってもらった時以来だな。あの時はモルトで別れたが……この町も訪ねていたのか)
ヴィーレは商人の姿を視認すると、馬に乗らないまま仲間を連れて、件の店へと歩み寄っていった。
「いらっしゃい、お兄さん達。朝から大変だねぇ。今回も何か買っていく?」
勇者達のランプが商人を照らしたところで、いつもの営業スマイルがこちらへ向けられる。
彼女の持つカップからは甘ったるい香りが漂ってきた。そこには人間国にあるはずのない、上等な甘いココアが入っている。
「ええ。ここでは何を売っているの?」
イズはもう何の疑問も持たずに商品の確認へと入った。
対する商人は、カップに添えて温めていた手を移動させ、店の内側にある台へ置くと、その身をおもむろに屈め始める。
「えー、本日の商品は……っと。……うん、こんなところかな」
彼女は気だるげにそう言って、例のごとく様々な物品が入った箱を出してきた。重そうな箱なのに軽々と持ち上げている。
商品は武器や防具ばかりであった。ナイフや銃、胸当てや兜、靴等が雑多に入っている。
ヴィーレがその中を何の気無しに眺めていると、とあるアクセサリーに目がいった。
指輪だ。一見した限りでは、銀でできたシンプルな装飾物のように思える。しかし、他の品々からは明らかに浮いている存在であったから、どうにもそれが気になったのだ。
ヴィーレは指輪を手に取り、商人へ向けて質問を投げかけた。
「なあ、これはどういう品なんだ?」
「おおっ。お目が高い。それは『特殊装備』だよ。『月輪の指輪』っていうの」
ローブ少女の言葉にネメスが首を傾げた。服の裾を引っ張ってイズを呼ぶ。
「お姉ちゃん、『特殊装備』って何?」
「そういえば、まだ教えていなかったわね。せっかくだし、今日の夜にでも、勉強会で教えてあげるわ」
返答を貰ったネメスは「はーい」と間の抜けた声で返して、商品の物色に戻った。
特殊装備とは、簡単に説明すると、『装備するだけで特別な力が得られる装備』のことだ。
身に付けると能力が手に入る存在。これも魔力と同じで、未だに解明されていない世界の謎の一つである。
(だが特殊装備と呼ばれる物は、その稀少さゆえ、滅多に手に入らないどころか、見かけることすらなかなか無いという代物だ。そして、その多くは非常に高価なはず)
以前、死に戻るより前の勉強会で、イズから聞いた話を思い出すヴィーレ。
彼は指輪を潰さないよう、かつ落とさないように力加減を調節して、慎重に元の場所へと置き戻した。念のため、値段の確認もしておく。
「これ高いんだろ? 聞くだけ聞いとくが、いくらだ?」
「一億ペドル。大金貨千枚分だよ」
即答だった。和也の得ていた『一ペドルは一円』という情報が本当ならば、相当な額であるだろう。
そして、商人の言葉を受けた勇者組の反応を見るに、やはりそれは正しかったようだった。
中でも特に金への免疫力が低いヴィーレは酷い目眩を起こしている。彼は後退りながら体を震わせ、早口で捲し立てた。
「高っ。怖っ。金額の桁に初めて恐怖を抱いたぞ。貴族のイズでもそんなには持っていないだろ」
「ええ、そうね……。家の金庫にしか……」
「ちょっ。なに、あるの?」
ツッコミを入れるヴィーレの横では、イズが肯定も否定もせずに腕組みをしていた。わざわざ教える気は無いらしい。
(けれど、一億ペドルか……。そこまで高いと、どんな能力を得られる装備なのかが気になってくるな)
よほどレアな代物なのだろうか。疑問に思ったヴィーレは素直に尋ねてみる事にした。
「ちなみに、これってどういう能力が得られるんだ?」
「さあ? 『調べて』みればいいんじゃない?」
商人は肩を竦めてココアを啜った。一部だけやたら強調して告げられる。考えるまでもなく、つまりそういう事だろう。
ヴィーレは得心して、月輪の指輪へ意識を集中させた。軽く手をかざし、ピントが合ったような感覚を覚えたところで、静謐を乱さぬように呪文を唱える。
「《チェック》」
直後、いつもと変わらず、宙に文字が浮き出てきた。
【装備すると状態異常を無効化できる】
しかしその文字列を見て、彼は片眉をわずかに上げた。意外だと、拍子抜けだと言わんばかりに。
(ん? 微妙じゃないか? 正直、そこまで高い値が付くでもない気がする。ていうか『状態異常』って何だよ)
どうやらヴィーレにとっては魅力的な能力でもなかったらしい。既に月輪の指輪への興味を失ったようだ。
「役立つ場面が出てくるかもしれないから、嵩張る物でもない限り、できるだけ買っておきたいけれど、流石に一億ペドルは持ってきてないわ。他に欲しい物もないし、今日は遠慮しておくわね」
イズも早々に諦めたみたいだった。
確かに、あるに越したことはないのだろうが、いくらなんでも高すぎる。
(他の武具なんかについても言える話だが、装備に金をかけすぎるのも問題だよな。宿代や食事で困ることになるくらいなら、別に無理して購入する必要はないだろう。何事も体が第一だ)
ヴィーレはそう結論付けた。が、そこで何を思ったか、ネメスが商人にこんな提案を持ち出した。
「あの、まけてもらったりできませんか?」
「……何だって?」
「ちょっとだけ値引きしてもらいたいんです」
聞き返してくるローブの少女へ、ネメスはまたも食い下がった。自身のバッグから硬貨入れを取りだし、商品箱の横に中身を全部出してみせる。
「これでその、月輪の指輪を……買えないですか?」
彼女が差し出したのは大銀貨三枚。つまり、値段に直すと……。
「三千ペドル……だと……!?」
エルが驚愕の表情で呟く。愕然としているのはヴィーレやイズも同じだった。場には五人しかいないのに、ざわめきが聞こえてくるようだ。
(ネメス、よりによって彼女に交渉を持ちかけるとは……)
そんな中、ヴィーレは回想していた。かつて熱心に黒外套の少女について調べ上げた時のことを。
今まで何度も冒険する過程で、勇者一行は様々なルートを通ってきた。時間をずらし、通る町や村を変え、試行と錯誤を繰り返してきた。
なのに、それなのに、ローブの商人とは毎回毎回必ず出くわしているのだ。
当然ヴィーレは真っ先に彼女を怪しんだ。
しかし、その存在が自分達の妨害をする者ではないと分かってからは、積極的に彼女のことを暴こうとしないでいる。
(この商人を『チェック』した時、それはそれは恐ろしい目に遭わされた。当時まで牙を剥かなかった彼女が、初めてこちらに明確な敵意を向けたんだ。あんな地獄はできればもう味わいたくない……)
束になろうが、時間を何回繰り返そうが、あの少女には到底敵わない。それほど圧倒的な力の差を見せつけられた。勇者としては、戦わないで済むのならば、二度と彼女と敵対したくなかった。
(そして、ローブの商人と接している中で、もう一つだけ分かった事がある。彼女の性格について、俺が知っている数少ない情報だ)
ヴィーレはネメスへ目を向けた。彼女は下手に出ながらも、どうしても指輪が欲しいようで、三千ペドルで購入する気満々の面を湛えている。
(商人は……物凄く『金』に執着しているという事……ッ!)
勇者のこめかみ辺りを嫌な汗が流れた。その場にいる全員の首筋を緊張が走り抜ける。
今、貨幣価値をいまいち理解できていないネメスの、初の値引き交渉が始まろうとしていた。




