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奴は臭かった

作者: せぶこ向坂

 今なら解る気がする。いや、ただそこに拘らなくなっただけなのかもしれない。何故拘らなくなったのか? それは多分きっと、あの小さな同居人がそうしてたからだろう。





 ただの会社員だった。あまり良い会社とは言えなかった。しかし特筆して悪いものも思い浮かばない、ありきたりな愚痴に収まる程度のものばかり。起きて飯を食い、車に乗る。メールを確認し、一日のスケジュールを立てる。業務をこなせばそれなりの評価を受け、口を開けばそれなりの笑いが起こる。飲み会ではそれなりに呑み、それなりに笑う。ただそれだけ。


 たまの休みは適当に過ごす。一人ならゲームをしたり買い物をしてみたり、溜まった洗濯物を片付けてみたり。良い仲があればちょっと遠出をしてみたり、入り浸ってみたり。それが普通だと思ってたし、普通だった。


 だけど、泣いていたんだ。好きだったが不満はあった。


 仕事は板挟み。上から愚痴愚痴、下から愚痴愚痴、知ったことか。だがそれが私の仕事であり、それで金を貰いそうして飯を食う。生きる。募る苛々と生きる事との板挟み。


 私生活は繰り返し。一人は愉しい、だが寂しくなる。単純に他人が眩しかったり、たまたま共有してしまったり。そうして誰かに縋る。しかし縋ると今度は縋られる、そしていつか煩わしくなってくる。だから逃げる、逃げられる。めんどうくさいが、生きる上では避けられないと思っていた。或いは下手くそなんだとあれこれしてみたが、全て上手くはいかなかった。だからそれを繰り返した。


 それに嫌気が差したのか、ただ我慢できなくなっただけか。涙が流れた。虚しくなった。解らなくなってしまった。何が解らないのか、それすら解らない。ぐちゃぐちゃだった。気づけばそこで適当な話をし、適当な何かを言い渡され、適当なものを処方される。


 苦しくはあった。兎に角考えてばかり、何をするにも思考が止まらない。いやそれは嘘だ、好きな事なら集中できた、夢中になれた。どうしてなかなか都合は良い。しかしそれが続かない、そこが問題だった。好きなものが、好きだったものへと変わってゆく。どんどんと減ってゆく。つまりは考える時間ばかりが増えてゆく。それが苦しかった。そうして辞表のようなものを書き、そうして別れを告げた。


 優しいものもあれば、冷たいものもあった。でもどうでもよかった。構って欲しそうにしていたから構ってやったのに、その態度はなんだと。甘えるなと。そんな事言われたって知ったことか。知ったことかよ。邪魔だった。好きだったはずのものが全て邪魔になった。そのうちに己すら煩わしくなってきた。何故食うのか? 何故眠るのか? 何故生きているのか?


 だから死のうと考えた。しかし今生きている。それは単純に良い方法が無かったからだ。いや、怖かったからだ。何故怖いのか? 解らない。考えてばかりいるのに答えは出ない、答えが出ないから考え続ける、それがやめられない。ただ生きる事は出来た。金が有り余るなんて訳でもないが、生きれた。だから困った。いっそ丸裸でジャングルに置き去りにされた方が気楽かもしれない。そんな風に思っていた。





 そこに奴が現れた。時間だけはあるだろう、だから世話をしろと押し付けられた。酷い話だと思った。世話をしきれないなら飼うなと。事情はあるのだろうが、そんなもの飼われる者にとっては関係ない。などと思ったがどうでもよかった。何もかもに興味が無かった。だから拒否しなかった。


 奴は臭かった。生き物だから当然ではある。ほっとけば私だって臭くなる、当然の事だ。しかし大して可愛くも無い。更には人間でいうとこのじじいのようなもの、さてどうしたものか。


 大変だった。元のケージは小さなもの、預かった道具は最低限。そんなものを買い足し、臭いからしょうがなく綺麗にしてやった。臭いのはいけない。だがそれより何より食い物がよくない。なんてものを食いやがるんだと驚かされた。しかし奴はそれを美味そうに食いやがる。いや、表情なんてものがある訳じゃあない、真顔で淡々と食うばかり。でもなんだか美味そうに見えた。まずかった。


 金は掛かるし手も掛かる。めんどうくさいと思う事もあった。正直後悔した。だが捨てられなかった。理由は解らない。責任感か憐れみか、或いは別の何かか、それが解らなかった。可愛くも無いし嫌なものを食うが、なんとなく見ていた。





 浮き沈みがある。誰にだってあるが、それが少しばかり大きかった。と、思い込んでいた。たまたま浮いた時に声が掛かり、知らない顔が並んでいる。嬉しく無くもないが、やはり煩わしさには敵わない。だが愉しんだ。実際愉しかった。しかしそうしてまた繋がりが出来てしまうとどうなるか? 解り切った事だ。だから困りもしない。いや本当は困った。またやってしまうのだろうなと嫌になるし、実際そうなった。


 また繰り返してしまったと、行くべきではなかったと後悔した。だが喜びもある。情も沸いてしまう。だから困った。本当に困った。逃げたかったが、駄目な気がした。変わらなければならないと、変わらない己にどこか焦りを感じていた。そんな時、奴が助けてくれた。


 嘘だ。そんなわけがない。奴はただあれを食って寝る、それだけだった。ちょっとだけ羨ましかった。





 釣りは良い。ただ投げて、ぼけっと景色を愉しむ。或いはどこにいるか、どうしたら釣れるか、それを考える事が愉しかった。夢中になれた。そこで気づいた。ウキというものがある。釣り糸にくっついてぷかぷかと浮かぶあれの事だが、或いはルアーもそうかもしれない。兎に角、ぷかぷかと浮かぶそれらを見て気づいた。


 ウキは私と同じだ。重ければ沈み、軽ければ浮く。今の私は沈んでいる。何故か? 重いからだ。社会を離れ、人間関係を捨て、そうして軽くなって浮いたはずの身体が今、また重くなっている。だから沈んでいるのだと。


 ではどうしたら浮き上がってくるのか? 簡単な事だ。魚に逃げられるか、或いは釣り上げるかのどちらかだろう。ほっとけばいずれ逃げられ浮いてくる。巻き上げれば浮き上がると同時に魚を獲得できる。つまりいずれにしろ浮いてくるのだ。なんだそんな事かと思った。だから動いた。しかしめんどうくさいから糸を切って捨てた。


 清々しかった。なんだこんな簡単な事だったのかと、こんなものに悩まされていたのかと。だが故意に逃がせば魚は傷ついたまま、広い海を泳いでいってしまう。或いは死んでしまうかもしれない。広い海にはいろんな魚がいる。その傷はどうしたと囲まれる事もあるだろう。そうなった。そうして私は、魚たちから目の敵にされてしまった。


 また困ってしまった。折角ウキが助けてくれたと思ったのに、安易だったと後悔もした。己が苦しむだけならまだしも、他人を傷つけてしまってどうするんだと、やはり私は生きるべきではないと思った。いや、本当は私が傷つかない為に他人を傷つけただけなのだが、それはどうにも受け入れたくなかった。素直だった。





 また閉じこもった。もういいやと、特に何もしなくなった。もう全てがめんどうくさかった。だがそれでも腹は減るし眠くもなる。だから食う、そして寝る。それは奴も同じだった。あんなくそまずいものではあるが、奴はそれを美味そうに食い、そして好き勝手に寝る。同じだった。


 だが違う。どこが違う? 奴は何も考えちゃあいない。いや、考えているのかもしれないが、それを表に出せないだけなのかもしれない。だがそう考えると奴が不幸だから、それはやめた。何も考えず好きに食って好きに寝る、それが奴なんだと、そう捉える事にした。


 奴と私は同じ、ただそれだけ、それだけで良かった。簡単な事だ。





 奴は死んだ。預かった時点でじじいのようなものだったが、意外と早かった。情はあったし、悲しかった。だから少しだけ泣いた。だから埋めた。





 小さな墓だったが、まあ良いだろう。








 おわり。









 おわりと書いたが、生きてる限りはまぁ、終わりじゃあないんだろう。

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても丁寧に心理描写が書かれているの主人公視点で話を見るということがしやすかったです。 心の浮き沈みをウキに例えたのにはなるほどと思わず声に出てくるくらいにピッタリな比喩だと思いました。 …
[一言]  はたして、この作品に安易な言葉を投げてもよいのでしょうか?  私には主人公の心情は分かりません。察したつもりになる事や、作品から読み取れる情報で想像するまでが限界です。そんな軽い言葉である…
2018/05/26 02:12 退会済み
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