5月11日 homeroom
教室に二人が着いた頃には、担任の住野佑月がすでに教室に来ていた。
時刻は8時23分。
「春崎君、高坂君、今日も遅刻ぎりぎりですよ。明日は絶対に遅れないでくださいよ。なんて言ったって、明日から京都研修なのですからね。」
そう住野に二人が教室に入ろうとした瞬間、釘を刺さされる。その言葉に瑞希があたふたしていると、お調子者である浩紀がいち早く
「せんせー、瑞希君のせいで遅れちゃいました。俺は早く戻ろうって言ったんですけど・・・。」
と、いかにも事実らしく聞える大嘘を述べる。瑞希はそれを聞いて内心、おいっと突っ込みたいところであったが、住野の重い視線を感じ取り
「すいません、朝練をしてたんで遅れました。明日は朝練がもちろんないので安心してください。」
と今朝遅れた理由を端的に述べる。
住野はそれを聞くと「ふむふむ」、とうなずいてから
「なら安心です。京都研修はみんなで行きましょうね。」
と抱えていた不安が一つなくなったかのようで、晴れやかな顔になり声を弾ませる。住野の不安はどうやらすべて明日からの二日間に向けられていたらしい。担任としては誇らしい限りである。
住野の呼び止めから解放され、二人が席に向かい、座った頃にちょうど
キーンコーンカーンコーン
25分を告げる鐘が鳴る。
この鐘の音は「ウェストミンスターの鐘」と言う音楽から来ている。誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。その音に生徒達は今から学校が始まってしまうのだというある種の憂鬱を感じつつも、さて本日も頑張りますかという諦念の気持ちを呼び起こされる。
鐘の音が鳴り終わると住野がパンッと手をたたき
「はい、朝のホームルームを始めましょう。」
と担任に典型的な台詞を言って、なにも変わらない学校の生活が始まりを告げる。
「では今朝は明日からの京都研修についての確認をします。まず、日程について・・・」
武蔵野文芸高校の三年生は5月12、13日の一泊二日で京都研修に行くこととなっている。これはこれから始まる受験勉強に対する一時の息抜きを兼ねたものでもあり、普段はきりきりとした心境の三年生達も直面する現実を忘れ楽しめる。三年生にとっては残された学校生活における数少ない行事の一つなのだ。
そのため、先生達も生徒達には是非参加して欲しいと思っている。住野もその思いは変わらない。
「以上で確認はすべておしまいです。後不安なのは・・・二日連続で休んでる今井君ですね。明日までには風邪が治るといいのですけど。」
そう言ってから、住野は心配しているのが一目で見て分かるようなハァっと言う音とともに、ため息をこぼす。深い、深いため息を。
みんながその姿を見てどうしようか、とひそひそと話し始めると浩紀が
「明日は今井を力尽くでも連れてきてやりますよ。引きずってでも!」
と軽く言ってのける。普段なら、また調子のいいことを言っているとあきれられる浩紀が、今だけはかっこよく見えた。それを聞いた住野は再びパッと表情を明るくする。
「ありがとうございます、高坂君。」
そんな話をしている内にホームルームの10分間はあっという間に過ぎていった。
キーンコーンカーンコーン
鐘が鳴ると、住野の「では終わりましょうか。今日一日を乗り切りましょう。」の言葉を合図に、学級委員長の神江碧が「起立、礼」と号令をかけ、「ありがとうございました」とみんなが言うお決まりの一連の動作に入る。これを済ませた生徒達は一時間目が始まるまでの休み時間に移るのであった。