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最近、本当に、気が滅入る。かなみに対してじゃない。自分の認識の甘さに、だ。私は、何も分かっていなかった。いじめられたことに関しては同情出来て、だけど、殺したのはやりすぎだって。今日まで、ずっとそう思っていた。ずっと。ずっと。
元々、そういったものが許せなくて、だから警察になったっていうのもある。犯罪は悪いこと。どんな理由があったとしても。人を殺すなんて以ての外で、矛盾してるかもしれないけど、特に意味もなくする殺人は、子供だろうが関係なしに、この世から消えてしまえばいいと思っている。
悪いことは悪いこと。それは当たり前で、誰が見ても簡単に分かる。それこそ、幼い子だって、少なくともこの日本においては、やっていいこととやってはいけないことの区別は簡単に付くはずだ。ただ、かなみの場合はどうだ。確かに、やってはいけないことなのかもしれない。本当に? 本当に、やってはいけなかったのか。
こんなにも悪という基準が曖昧だなんて知らなかった。いや、もしかしたら、知る気がなかったのかもしれない。犯罪が悪。そう決めつけてしまえれば、とても簡単で。それが、どれほど楽だったのか、今まで知らなかった。
私は、彼女に何をしてやればいいのだろう。一体何を。何が出来るのだろう。
「人を殺すことって、悪いことなんでしょうか」
そんなことを毎日のように考えていたら、つい部長の前でそんなことを口走ってしまった。
「……あ、いえ。何でもないです。忘れてください」
部長の前でこんなことを言ったら、どうせ馬鹿にされるって分かってたのに、どうして、もう。しかし、ちらりと部長の方を見やると、どことなく驚いたような表情で。
「へぇ、まさかそんなことを訊いてくるとは思わなかったよ。もしかしなくても、あの子の影響かな」
小さく頷くと、なんだか、どことなく嬉しそうな。この人、もしかしたらかなみ以上に分からない人かもしれない。
「そうねぇ。最近さ、行きつけの店があるんだけど、一杯どう?」
「え、いや、そんな気分ではないので」
「駄目だよ、息抜き息抜き。まあ、僕と行くのが息抜きになるのか知らないけどさ」
本当に気分が乗らなかったので断ろうとしたが、半ば強引に連れて行かれる。
「あの、一時間くらいで帰りますからね?」
「何? 独り身なのに、時間なんて気にしなくて大丈夫でしょ」
「……セクハラで訴えますよ」
「おお、怖い怖い。んじゃぁ、僕適当にお勧めの日本酒、熱燗で。君は?」
「私は、お茶でいいです」
「もしかして、遠慮してる? 大丈夫だよ。僕が誘ったんだし、全部僕持ちだよ」
「そんなんじゃないです。ただ、お酒を飲むような気分じゃないだけで」
それから、適当に酒の肴になりそうなものを注文する。私、お茶なんですけど。とはいえ、食欲もあまりなかったので、チマチマつまめそうなものは、それはそれでありがたかった。
「で、さっきのことなんだけどさ」
ドキリ、とした。当たり前といえば当たり前なんだけど、これが本題なんだろう。そもそも、部長と二人で飲みにくるのなんて、これが初めてだ。
「まあ質問に質問で返すのも悪いんだけどさ、君はどう思ってる?」
「私は……前までは、悪いことだと思っていました。今までも、何度かこういった事件を目にしたりはしてましたが、殺すのはやりすぎだと、そう思っていました」
「じゃあ、今は?」
「今は……よく、分からないです」
思ったよりも、言葉がスムーズに出てきて驚く自分がいた。もしかしたら、誰かに聴いて欲しかったのかもしれない。部長はというと、空になったお猪口にお酒を注ぎだしている。
「たとえば、ここで僕が、殺すのは悪いことだ、っていうのは簡単だよ。でも、そんな答えが欲しいわけじゃないよね。もっと、心情的な問題。三島君はさ、彼女の事件について、実際に話を聞いて、どう感じた? どう思った? 分からない、は駄目だよ。ちゃんと考えて。何でもいいよ。僕は、絶対にそれを否定も肯定もしない。君が、君自身が、ゆっくりでもいい。まずは、君だけの答えを出して」
私自身の答え。それが分かっていたら、苦労はしないというのに。こんなに悩んでなどいないというのに。
「ほら、早くしなよ。もうお酒空いちゃったじゃない。すいませ~ん、これもう一本」
「い、今ゆっくりでいいって言ってたじゃないですか」
「言葉の綾だよ。ほら、一時間しかいないんだろ? だったら早くしなよ。何でもいいよ、感じている違和感でも、何でも。めちゃくちゃでもいいから、理路整然と喋ろうだなんて思わないこと。どうせ纏まってないだろうし、内容がめちゃくちゃになるって分かってて聞いてあげるんだから。意外といい人でしょ? 覚えておいてね」
どうしてこう、この人は落とさないと済まないのだろうか。まあでも、おかげで少し話しやすくはなった、かも。
「殺人が、悪いことだというのは分かっているんです。だけど、それが分からないんです。彼女がしたことと、彼女がされたこと。そこに、どれだけの差があったのか。かなみは、勿論生きてはいます。だけど、もしかしたら、殺されるより辛い体験をしていたのかもしれない。かなみは、多くの子が取る手段を取らなかった。じゃあ、その多くの子が取る手段ってなんなんでしょう。それは、多分自殺です。勿論、死なないで生きていく子の方が多いだろうとは思います。ただ、度を越したいじめは、犯罪とどこが違うんでしょうか。かなみは、心が壊れたと私に言いました。私には、それがどれほどのことなのか、なんて分かりません。だけど、だとしたら。そうだとしたら、何が違うんでしょう。かなみは、確かに殺人を犯しました。それも、取り返しのつかない。じゃあ、かなみがされたことは? 私には、どっちがより悪くて、なら、殺したことが悪かった、だなんて。簡単に、言えないです。本当に、全然まとまっていないですね。ごめんなさい」
そこまで言って、息を大きく吐く。とつとつと、だけど、思っていることを一言ずつ。噛みしめるように。
目の前の部長は、私の話を聞き終えた後も無言のままでいる。流石に、このまま沈黙が続くのはつらい。
「あの……何か、ないんですか?」
「そうだねぇ」
そういってまたお酒を一杯やると、私の方を見て
「特にないかな」
「……え、っと、それって」
「だから、特にないかな」
再び沈黙。というか、今、目の前の人はなんて言ったんだろう。頭がついてこない。まず、私が部長の質問に答えて、それでその答えに対して部長は……
「特に、ない?」
そうね、と軽く頷いて返された。
「な、何ですか、それ。人がこんなに悩んでいて、それで答えを聞いて、それに対して特にないって。じゃあなんで今この場に連れてきたんですか。何のために私を連れてきたんですか。もういいです。お金、ここに置いていきますから」
そういって立ち上がろうとすると、まあまあ、と制される。
「ちょっと落ち着きなさいよ。ほら。まだお茶も残ってるし」
「結構です。まだ色々と纏まっていないことが多いので。それでは」
「まあまあ。別に、適当に答えを返したわけじゃないんだよ」
「じゃあどういうわけですか」
「とりあえず座りなよ。ほら、周りのお客さんからも見られてるし」
そういわれて辺りを見回すと、予想以上に大きな声が出ていたのか私たちを見る視線が痛い。
渋々その場に座ると、無理やりお酒を余っていたお猪口に注がれる。
「お酒はいらないって言ったと思うんですが」
「折角居酒屋にきたってのに、一杯も飲まないで帰るのは寂しいでしょ?」
諦めて手元までお猪口を持っていく。正直なところ、思い切りため息をつきたい気分ではあったが、それはぐっと堪える。
「それで、どうしてわざわざ引き留めたんですか」
「そんな棘のある言い方しないの。男、出来ないよ」
「だから、それ、セクハラです」
「まあとにかく、特にない、っていうのは本当だよ」
「ですから、それならどうして」
「最初に言ったと思うんだけど、僕がそれに対して悪いことだ、っていうのは簡単なんだよ。君がいくら悩んだところで、それ以上の結論なんてあるわけないんだから。要するに、だ」
「要するに?」
「答えはない、ってことだね。少なくとも、君が納得するような答えを、僕は最初から持ちあわせてなんかいない、ってこと」
「……それ、誤魔化してません?」
「誤魔化してなんかないよ。大体、全てのものに答えがあるなんて思ってる方がおこがましいんだ。むしろ、答えがあるものの方が少ない。せいぜいが、助言程度だよ。僕にできるのは」
「だったら、特にない、なんて言わなくて良かったじゃないですか」
「それがねぇ」
そういうと部長はけだるそうに頬杖をついて、残った片方の手を所在なさげに閉じたり開いたりしている。
「思ってたよりも、君、ちゃんと考えてたみたいだからさ」
「なんだか、どことなく馬鹿にされているような気がするんですが」
「当てが外れちゃったんだよね。僕から言えることは何もない。大いに悩め、若人よ、って感じかな」
「それ、解決になってないですよね」
「だから、それでいいんだよ。答えがないから考えない。それは違う。答えがないからこそ、より考える。君は今、ようやくスタートラインに立ったんだ。僕的にはスタートラインにもまだ立っていないんじゃないかな、って思ってたんだけどね」
そこまで言うと、パン、と自分の太ももを叩く。
「ともあれ、だ。今悩んでいることは、きっと一生の財産になる。君がこのままこの仕事を続けていくのであれば、ね。善悪の基準なんてものは、時代によって変わるし、国によって変わるし、それこそ、じゃあ戦争で人を殺さない兵士は、その国にとって善だと思う? 悪だと思う? そうそう、正当防衛、なんてものもあるよね。正当でさえあれば、殺人さえもが認められうるんだ。じゃあ、その正当っていうのは、一体誰が決めてるんだろうね。これは少し脱線かな。とにかく、さっきも言ったけど、大いに悩むといいんだよ。幸いにも、人間にはそれを考えられる頭があるんだから」
「……それなら、部長は」
そこまで言って、言葉を止める。なに? という風な表情を向けてきたけど、何でもありません、とだけ返して、一息に先ほど注いでもらったお酒をあおった。




