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少女の嘘と少年の傷  作者: まつ
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第四章

第四章



   ●



「ねえ、今年はどこに行く?」

「そうだなあ」

「せっかく夏なんだし、海とか? プールでもいいけど」

「そういや去年はそんな夏らしいことしてないな」

「そうよ! まったくしてないじゃない!」

「……なんかすいません」

 公園にて。真夏の暑い日差しに焼かれながら、隣同士のブランコに座りながら、月見里羽澄と忽那涼夏は今年の夏休みについて話し合っていた。

 高校最後の夏休みだ。本来なら遊んでいる暇はなく受験勉強が最優先されるはずだが、羽澄はすでに大学の指定校推薦が決まっているのでその心配はない。一方の涼夏は半年も入院していたために大学進学は無理そうだ。成績のほうは多少配慮してもらえるだろうが、進学するなら専門学校へのAO推薦になるだろう。二人とも受験勉強の必要はないのだ。

 夏休みの予定を決めるにあたって、短時間で終わるとは思わなかった。だから羽澄は暑いし喫茶店かどこか店に入ろう、と提案したのだが、退院したばかりの涼夏は外がいいと言い張った。ずっと病院内の生活だったので、飽き飽きしていたようだ。

「で、結局どこに行きたいんだよ?」

「うーん。そうねぇ……」

 そこで携帯の着信音が響く。

 涼夏は鞄から携帯を取り出すと、ちょっとごめんね、と羽澄に断りを入れてから耳に当て通話を始めた。

「もしもし。…………いま? いまね、羽澄と公園にいる。えっと……そう、その公園よ。えっ、これから? べつにいいけど…………じゃあ待ってるわ」

 電話を終えた涼夏は羽澄に向き直ると、

「いまから来るって、ここに」

 と言った。

「ちょっと待て。主語が抜けてるぞ」

 そうつっこむと、この人はなにを言ってるの? という顔で涼夏が見てくる。

 そんな表情をされると、羽澄がおかしいような気がしてくる。

「そんなの決まってるじゃない。まあ、待ってなさいよ」

 なんだか聞きようによっては冷たく聞こえるセリフだ。最近しおらしい涼夏ばかり見てそっちの方に慣れていたので、記憶を取り戻して以前の強気を完全に取り戻した涼夏は逆に新鮮だった。

 そして待つこと数分。

 現れたのは未散だった。

「なんだ未散ちゃんか」

 だれが来るのかと考えていた多少緊張していて、やってきたのが顔見知りの未散。その言葉には落胆ではなく安堵が含まれていたのだが、未散はそうは取らずショックを受けたようだ。

「なんでそんな残念がってるの!? あたしじゃ不満ですかっ」

 来て早々、拗ねる未散。

 その二人の様子を眺めていた涼夏はぽつりと一言。

「羽澄、浮気?」

 羽澄も未散も瞬間的に涼夏を振り向く。

「なんでそうなった」

「え、なんで?」

 二人の疑問が重なる。あまりに突然の発言すぎて、戸惑いが隠せない。

「だっていつの間にか未散のこと名前で呼んでるじゃない。あたしのことだって涼夏って呼ぶのにすごい時間かかったのに……」

 言われて気付く。

 羽澄はさっき確かに未散のことを名前で呼んだ。しかしそれは完全に無意識だった。

「だってなんて呼んだらいいんだよ。目の前にいるのにこいつとかお前とかはおかしいだろ」

「でもでも……」

 色々思うところはようだが、言葉にならないみたいだった。先が詰まって声になっていない。ずいぶんと弱々しく頼りない顔をしていた。

「……なんかごめん」

 そんな涼夏を見かねた未散が、本当にすまなさそうに謝る。

 それを見た涼夏が我に返る。

「――っ! あたしこそなんかごめん。変なこと言ってた。ごめん」

 そう言ってしゅんとしてすっかり元気を失くしてしまう。どうやら涼夏自身も無意識に取り乱していたようだ。

「「「…………」」」

 辺りが三人分の沈黙で満たされる。どうにも気まずい。

 その沈黙に耐えかねたのか、未散はくるりと踵を返して、あたし帰るね、と言った。

「え、ちょっと待ってよ」「待てよ」

 二人の制止も聞かずに、走って公園を出て行ってしまった。

 二人ともブランコに腰掛けていたので、咄嗟のことに追いかけることは出来なかった。

 今度は二人の間に沈黙が落ちる。

 このままではまずいと羽澄は口を開いた。

「あいつ、なんか話あってきたんじゃないのかよ」

 わざと笑いながら言ったつもりだったが、その笑顔はひきつって苦笑いになっていた。

「……そうね」

 涼夏の表情はなおも沈んでいる。自分が取った言動に少なからずショックを受けているようだった。

 こんな調子では夏休みの予定を決めるどころではない。

「今日はもう俺たちも帰るか」

「……そうね」

 先ほどと同じ返事だ。きっといま羽澄がなにを言ってもそう答えるだろう。

「じゃあまたな」

 そう言って立ち上がると、羽澄は公園の出口に向かって歩き出した。

 そこで疑問が湧く。

 何故、涼夏はあそこまでの過剰な反応を見せたのか。そして、そんな反応をしてしまった自分にショックを受けていたのか。

 いまの羽澄にはわからなかった。



   ○



 これでよかったんだろうか。

 全ては落ち着き、少女はいまも息をしている。あれは過去の出来事になった。

 いいや、これでよかった。なにものにも変えられないものは、確かに在る。

 そう自分に言い聞かせていた時――


 水面がゆらゆらと揺れている。流れはゆるく、光の反射も弱かった。水底はよく見えない。

 そこに二つの影がある。なにかは特定できない。


 また(、、)か(、)、と思う。

 これでもう何度目になるだろう。けれど今回、自分は安全そうだ、と少女は安堵する。これはもう直感だった。

 そのうちわかるだろう。

 そして、いままでのことをあの人に話さなければならない日も、いずれ来るだろう。



   ●



 同日の夜、涼夏からメールが届いた。


『昼間はごめんね。あたしも自分がよくわかんなかったよ……。

なんかあたし変だね(笑) もう気にしないでね!』


 涼夏もどうやら自分の気持ちがよくわかっていないようだった。

 こうなってしまうと、羽澄が考えたところで何も解決はしない。本人が言っているようにもう気にしなくていいのかもしれない。

 けれど何故か胸騒ぎが消えなかった。

「あー……どうしたらいいんだよ」

 文字通り頭を抱えてしまう。

 そんな時、もう一通メールが届く。


『今日はごめんね。なんかよくわかんなかったけど、あのあと涼夏は大丈夫だった?』


 未散からだった。彼女とは涼夏が入院している時に、連絡先を交換していた。

 未散もそうとう困惑しているようだ。彼女は羽澄にただ名前を呼ばれただけである。そして羽澄は未散の名前を呼んだだけだ。

 いま考え直してみても、涼夏の反応は異常な気がした。


『あのあとすぐに帰ったんだ。

 んで今、涼夏からもメールきたよ。気にすんなってさ』


 涼夏への返信は保留にし、未散にそう返す。すると、数分でメールが返ってきた。

 座っていた自室の椅子からベッドに場所を変え寝転ぶと、すぐそれに目を通す。


『そうなんだあ。

 あたしさ、あれからよく考えたんだけど』


 そこでかなりの数の改行があった。煩わしく思いながらも、画面を下にスクロールしていって、そこにあった文字に目を見開いた。


『あの反応って、ヤキモチ妬いてただけだよね?』


 ……そうなのだろうか。羽澄にはよくわからない。

 最後に?マークがついていたが、どう返していいかも判断がつかない。

 結局そのまま、涼夏にも未散にも返事は返さなかった。というより、返せなかった。



「昨日はどうして返事くれなかったのよ?」

 二時間もないHRが終わり、教室を出たところで、そう声をかけてきたのは未散だ。言葉だけ聞くと怒っているように思えるが、実際は単に不思議がっている感じで機嫌を損ねてしまったわけではないようだ。

 翌日は夏休み中の出校日だった。未散と涼夏は違うクラスなので、午前だけの出校日で顔を合わせることはないだろうと思って油断していた。

「なになに? 昨日なんかあったの?」

 隣に並んだ槙人が問いかけてくる。

「昨日、涼夏と未散と会ってたんだ。んで、夜二人からメールが来た」

 簡単に説明する。たしかにそれで合っているが、肝心なところの説明ができていない。

「俺も呼んでくれよー。てかメールくらい返してあげろよ」

「いや、返事は返した」

「たしかに返ってきたけど、最後のメールのリアクションは? あれは絶対そうでしょ」

「……何の話?」

 槙人が横から聞いてくるせいでなかなか話が進まない。べつに彼が悪いわけではないのだが、いまからいちいちすべてを話すのも面倒だ。

「俺にはわかんねえ」

 そう言って話を打ち切って帰ろうとしたのだが、

「まあいいわ。今日は別の用事で来たのよ」

 一歩踏み出したところで、引き留められた。

「ああ、昨日できなかった話か?」

「そうそう。結局なにしに行ったんだかわかんないくらいすぐ帰っちゃったからね、昨日は」

「んで、その要件は?」

「羽澄くんに、っていうよりは涼夏になんだけどね」

「なら涼夏にしろよ」

 羽澄はもっともな意見を言ったつもりだった。

「よくわかんないけど、涼夏ちゃんへの要件をなんで羽澄に伝えるんだよ?」

 すっかり蚊帳の外になっていた槙人が会話に戻ってくる。

 二人の当然の意見を聞き届けた未散は、

「あ、そっか。羽澄くんは涼夏の中学の時のこと知らないのか」

 なにやら意味深な発言をするのだった。

 ――中学生のとき、なにかあったのか?

 そう尋ねてしまえば気分は晴れるだろうが、本人に黙って過去のことを聞くのは後ろめたいものがある。

「もう五年前になるんだけど、涼夏さ人を助けたことがあって。その助けられた子からこの前手紙が来たのよ。だから、昨日はその手紙を渡すために公園に行ったの」

 羽澄が訪ねる前に未散は勝手に話し出してしまった。

 人を助けた。

 それはどの程度のものなのか。

「人を助けたって? ボランティア活動でもしてたのか?」

 そこは槙人も気になったようで、羽澄の代わりに尋ねてくれた。

 羽澄は一度、槙人と視線を交わしたあと、未散へ視線を向け答えを待った。

「違う違う。事故に遭いそうだった子がいて、それに気付いた涼夏が助けたのよ」

 そんなこと一言も聞いたことがなかった。

 ――いやまあ、なにもかも報告する義理はないんだが……。

 五年前のこととなると話すきっかけがなかっただけかもしれないし、わざわざ自分の英雄譚を自分から語ってくるやつなんて相当なナルシストだけだろう。

 羽澄がそんな風に自己完結しようとしていると、

「ってことで、これ涼夏に渡しといてくれない?」

 軽い調子で、未散が白い封筒を差し出してきた。

 ここまで来て断る理由もなかったが、未散はたしか涼夏と同じクラスだったはずだ。わざわざ違うクラスの羽澄を頼る必要はないのでは?

「昨日の今日でなんか話しかけづらくでさ。これ渡したときに、羽澄くんが事態を解決しといて」

 ――まあ、涼夏と話さなきゃいけないとは思ってたけど……。

 話しかけづらい、というのは本当かもしれないが、未散が気にする必要はないようながした。すると、わざわざ話す機会を作ろうとしてくれたのだろう。未散に気を遣わせてしまったようだ。

 手紙を受け取り、わかった、と頷いておく。

「じゃあ、よろしくね」

 そう残して、先に帰ってしまった。

「じゃあ行くか」

「そうだな。俺たちも帰るか」

 連れだって歩きだそうとしても、

「俺、帰るなんて言ってないけど」

 と槙人は一歩も動こうとしていなかった。

「どっか寄るのか? 付き合うぞ、暇だし」

「なに言ってんだよ。涼夏ちゃんのところに手紙届けに行くに決まってんだろ」

 隣を見ると、槙人は怪しげに微笑んでいる。

 ――槙人も心配してくれてる……のか?

 判然としないながらもそう言うことにしておいて、涼夏に会いに行くことにした。


 しかし、その日は涼夏はすでにもう帰ってしまっていて、会うことはできなかった。



 八月に入り、暑さは上昇の一途をたどっている。あちこちで鳴いている蝉の鳴き声が余計に暑さを加速かせている。けれども、夏は空がはっきりと映えていてとても綺麗に見え、近くに感じることができるのがいいところだ。

 未散から預かった手紙はまだ涼夏に渡せていなかった。

 連絡はメールでたまにしていたが、どうにもぎこちない。こんな状態を断ち切るためにもやはり一度直接会って話したほうがいい。

そう決意して会いたいという旨を伝えたのが昨日。そして今日さっそく会うことになっていた。場所は例によってあの公園。

 約束の時間の十分前に着くと、涼夏はまだいなかった。ただ待っていても暑いので、入口の自販機で飲み物を買うことにする。

 買ったコーラを飲みながら、ブランコに腰掛ける。ただ座っているだけなのに、汗が背中を額を伝っていった。

 そろそろ来るかな、と思ってなんとなく公園の入口に視線を流すと、なんとちょうど涼夏が入ってきた。

「どうしたの?」

 必然的に涼夏のことをじっと凝視することになっていた。やってきて早々見られていたのでは、彼女の疑問も当然だ。

「いや、なんでもない」

 釈然としないのか首を少し傾げながら、羽澄の隣のブランコに腰掛けた。

「なんか用があって呼んだの?」

 視線が交わる。

 その瞳からは何も気にかけている様子はうかがえない。何故、急に呼ばれたのかもわかっていないようだ。

「おう。えっと……未散から渡してほしいって頼まれてたものがあってな」

「未散から?」

 ポケットから取り出した手紙を受け取り、差し出し人を確認した涼夏の顔色が劇的に変化する。

「未散になにを聞いたの?」

 真剣な瞳だった。一片の嘘さえも許されない、吸い込まれそうに強い意志を持った。もしもほんの一欠片の嘘でも吐こうものなら、本当に取り込まれて刻まれてしまいそうだ。

 そして羽澄はそこに違和感を覚える。

 ――なにか……隠している?

 未散から聞いた話だけだと、涼夏は人助けをしただけだ。そしてその手紙は助けられた子が恩人の涼夏に宛てた事後報告や感謝が書かれているのだろう。そこになにか知られてはまずいことがあるのだろうか。

 羽澄は涼夏の剣幕に押されそうになりながら、慎重に言葉を紡ぐ。

「……事故に遭いそうだった子を助けたってくらいかな」

「本当にそれだけ?」

 本当のことを言ったにも関わらず、なおも疑ってかかってくる涼夏。

 羽澄はその瞳から逃れられない。

「そうだよ」

 深刻に頷く。

 その様子をじっくり窺って、涼夏はやっと視線による拘束を解いてくれた。

「そっかそっか。それならいいんだ」

 そのあとに浮かべた完璧なまでの笑顔が、逆に薄気味悪く、怪しい。

 しかし、涼夏は羽澄の様子を気にした風もなく、手紙を開封し読みだす。

「…………そっかぁ。元気でやってるのか。懐かしいな……」

 一通り黙読を済ませると、さっさと立ち上がる。

「用事はこれだけ? ならあたしは帰るわ」

「え? もう帰るのか? 急ぎの用事でもあるのか?」

 いつもの涼夏なら、要件が終わったあとも無駄話を続けていくはずだ。

「べつにそういうわけじゃないけど」

 ……ここまでくると相当怪しい。が、彼女の顔色は一切変わっておらず、後ろめたさのようなものは一遍たりとも見当たらない。

「そうか。まあ用もないのにここにいても暑いだけだしな。また連絡するよ」

 羽澄はどうにも嫌な予感が拭いきれなくて、そうそうに切り上げることに決めた。何故かわからないが、いまとても目の前の涼夏から逃げたかった。

「わかった。またね」

 涼夏はいつもちらりと覗かせる名残惜しさのようなものも見せず、さっさと公園から去って行った。

「――ふう」

 知らず知らずのうちに緊張していたらしい。ため息が漏れ、固くなっていた体がほぐれる。暑さのせいではない汗が、首筋に浮かんでいた。

 今まで涼夏からおぞましさを感じたことなど一度としてなかった。けれど今は、あの捉えるような瞳が忘れられない。

 この感じはなんだろう。

 涼夏は一体なにを隠しているんだろう。

 否、羽澄にどんな過去を知られたくないんだろう。



   ○



 まだ大丈夫。知られてはいない。

 彼から手紙を受け取ったときは焦った。けれど、彼は事のほんの一端しか知らなかった。

 夜、もうすぐ日付が変わろうかという頃。少女はずいぶんまえからベッドに横たわっていたが、眠れずにいた。そのせいで思考がやたらとうるさく脳を巡る。

 欲を言えば、このままでいたかった。なにも変えたくはない。

 最初この気持ちに気付いたときは、信じられなかった。

 嘘から始まったすべてを真実に変えたいだなんて、自分はどうかしてしまったんじゃないかと思った。

 けれど、思い出が出来てしまった。それを捨てたくない。過去にしてしまいたくない。彼を離したくはない。そんな自分の想いに気付いた。

 このまま隠していこう。大丈夫、うまくやればそう簡単にバレてしまうことはないだろう。

 そこまで思いを巡らせたところで、ズキンと頭に痛みが走る。

 

 冷たい。沈んでいく、埋もれていく。感覚がなくなって、自分の意志では動かせなくなっていく。

 重い。痛い。冷たい。

 それだけ。


 今回は遅い。いつもと違う感じがした。

 この違和感はなんだろう。

 そこで携帯が震える。電話が来たようだ。着信相手を見ると彼からだった。

 あれから一週間くらい連絡は取っていなかった。メールが何度も来ていたが、見るだけで返事はしていなかった。それを心配して、電話をしてきたのだろう。

 少し迷ってから携帯を耳に当てた。

「もしもし」



   ●



『もしもし』

 電話口から聞こえてきた控えめで静かな声に、羽澄は思わず叫び声を上げてしまいそうだった。やっと繋がった、と。

ここ一週間メールの返事がなく、なにかあったのかと心配して電話をかけたのだ。もう夜も遅いので明日にしようか迷ったが、善は急げ、だ。それに何を隠しているのかもずっと気になっていた。ちゃんと話をしなければいけない。

「涼夏っ。大丈夫か?」

『うん。ごめんね、連絡できなくて』

「いや、何もないならいいんだ」

 そこで沈黙が訪れる。

 どんな風に話を始めたらいいんだろう。なにをきっかけに切り出したらいいんだろう。

 静寂がただ耳に痛かった。



   ○



 話したいことはあるのに躊躇っている。そんな沈黙が続く。

 ――あたしはどうしたらいい……?

 いっそ全てを打ち明けてしまおうか。それでも受け入れてくれる可能性は……ほとんどゼロに等しいだろう。でも、もしかしたら、彼なら……。そんな葛藤が頭の中でひたすら続く。

 さっきまではずっと隠し通そうと思っていた。けれど、彼の声を聞いたら一瞬にして考えが覆り、迷ってしまった。

もしかしたら未散が羽澄になんの悪意もなく勝手に真実を伝えてしまうかもしれない。人伝によって彼に情報が伝わり嫌われてしまうよりも、自分から素直にすべてを打ち明けて嫌われてしまった方が潔いのではないか。

 いいや、それでも彼が自分の許から去ってしまうのが怖い。

 矛盾し相反する心を抱えて少女は悩む。



   ●



「話があるんだ」

『――っ』

 思い切ってそう話しかけたはいいものの、涼夏の驚いたような動揺しているような息をのむ気配を感じた途端に、急速に決意は鈍る。

「結局どうするか決めてなかったよな…………夏休みの予定。まあもう半分終わっちまったけど」

 寸前で話題をすり替えてしまった。

 電話の向こうの涼夏は、答えない。そしてたっぷり十秒以上の無言を貫き通した後、

『話が……あるの。聞いてくれる?』

 瞬間、なにかが体を駆けあがった。不安、恐怖、心配、焦燥、それからほんの少しの期待が混ざったよくわからない感覚。

 涼夏から言ってくると思わなかった。

 羽澄は自分が話題を振って、話してくれと真剣に頼み込んでも、渋られることを想定していた。

 急速に口の中が乾いていく。電話だけに、電話の向こうの涼夏の声だけに意識が集中していく。部屋の時計が刻む秒針の音だとか、クーラーが吐き出す涼風の音だとか、そんなものが急速に遠のいていく。

『あたしの中学のときの…………ちがうな。あたし自身の話。本当は実際に会って直接言った方がいいんだろうけど……そんな勇気、持てないから』

 涼夏の声は震えていた。そこには若干、涙の気配も感じられた気がした。

「聞かせてくれ」

 羽澄にはそれしか、言えなかった。



   ○



 言ってしまった。真実を話す、と。

 もう後戻りはできない。

 あとは、彼次第。

 少女は自身の声が震えているのがわかっていた。けれど同時に隠す必要はないと思っていた。真実を話すのに、自分を飾りたてる必要はない。

 彼の優しさに懸けよう。

 ――願わくは、彼がこれを聞いたあとも、あたしに笑いかけてくれますように……。



   ●



『なにから話せばちゃんと伝わるかな……』

 涼夏はもう、すっかり覚悟を決めてしまっているようだった。声の震えは多少収まったようだが、それが逆にこれから語られる真実の重さに比例しているようでならない。

 そして羽澄は彼女から聞かされる事実がどんなものであろうと、受け止めたいと思っていた。もう、昔の自分のように逃げたくはない。

『この前の手紙ね、笹島(ささじま)(しゅん)くんって子からのものなの。今は……中学生かな』

「……」

 下手な相槌は挟まない方がいいだろう。

 目を緩く閉じ、涼夏の声に耳を澄ませる。

『あの日、あたしは未散と出かけてたの。買い物も終わって、これからどこ行こうかなって話しながら道を歩いてた時だった。そこは人通りも車通りもあんまりない片側一車線の道路なんだけど、あたしたちの歩いてたちょうど反対側でビルの取り壊し……なのかな? とりあえず工事をしてて。そのときは何故か頭の高い場所に道路にはみ出すようにして、鉄筋が釣り下がってるのが見えたの。それを見たあたしは、これ(、、)か(、)、って思った』

 情景を思い浮かべてみる。

 もしもその鉄筋が降ってきたら……。

『あたしは未散を置いて、道の反対側の歩道に渡ろうとしたの。ちょうど鉄筋の下に。頭の上の鉄筋が、風でギシギシいってて、これはそろそろだなって思って急いでた。そのとき予想(、、)通り(、、)、なにも知らない男の子が鉄筋の下に歩いてきて、予感が確信に変わったあたしは、夢中でその子の手を引いてそのまま走った。あたしたちが離れてすぐ、鉄筋は落ちてきたわ。でもあたしのおかげで男の子もあたしも無傷だった』

 涼夏の話は淀みなく進んでいく。震えながらも、抑揚なく淡々と語られる当時の状況。

 そこだけ聞くと、たしかに涼夏は一人の少年の命を助けたことになる。

 けれど何かがおかしい。

 ――予想通り……?

 そして続けられた事実に羽澄は目を見開いた。

『あたしにはわかってた。その子が鉄筋の下敷きになって死んでしまうことが。だってあたしには見えてたから、何日も前から。だから助けたの。ねえ……あたしがどういう能力を持ってるか、わかった?』

 涼夏には少年が事故死する映像が見えていた。

 つまり、彼女は少年の死を、予測していた……?

『あたし、生まれつき未来のことが見える、予知能力があるの』

「そう……なのか」

 あまりに衝撃すぎて、それしか言えなかった。

 たしかに世界には、預言者だったり予知能力者だったりする人間が実在する、という話はテレビなどでみたことがある。

 しかし、それはテレビのために作られた大がかりなフィクションでしかない、と羽澄は思っていた。

 ――そんな人間が実在するだなんて。

『うん。それでそのとき初めて未来が変えられたの。あたし、予知はできるけどいままではその未来が覆ることはなかったんだ。だから本当はそのときも無駄だと思ってた。でも、人が死ぬ予知を受けたのは初めてだったらから、なんとしてでも回避させたいって思った。成功してよかった……』

 淡々と語っているが、最後は当時を思いだして本当にほっとしているのが伝わってきた。

 未来を変える。

 それがどれほどのものなのか、羽澄にはわからない。でも、涼夏が予言をねじまげて人を助けたのは事実。

 段々と理解が追いついてくる。知らず知らずのうちに高鳴っていた心臓も、冷静を取り返しはじめていた。

 頭が落ち着き、涼夏の話を信じようと動き出す。そしてその時、羽澄は思い至ってしまった。

 ――それは、あんなにも必死で隠そうとするほどのものか?

 と。

 決して予知能力者である、という事実が軽いものであるなどとは思っていない。しかし、どうにも腑に落ちない。

公園で手紙を渡したときの涼夏の顔が脳に蘇ってくる。あのときの涼夏は本当に事の真実を知られたくない、という気迫に包まれていた。

羽澄はその瞳に恐怖を覚えたのだが、よくよく思い出してみればあれは涼夏が一番恐怖を感じていたから、羽澄も慄いたのではないか。

いま話した内容から、涼夏の恐れは伝わってこなかった。

 ――まだ、なにかある……。

 羽澄はそう思わずにはいられなかった。

『それで……長い前置きは終わりにして、ここからが本題、なんだけど』

 やはり、そうか。

 羽澄が受け止め、向き合わなければいけないのはこれからだ。

『単刀直入に言うわ』

 それはいつかの彼女のセリフと同じで。けれどあのときのような、活き活きとしたあるいは堂々とした態度は一切ない。けれど、話し始めたときよりも声は震えていなかった。

『あたしは羽澄のことが、好きでもなんでもなかったの。ずっと嘘を吐いていた……。ごめんなさい』



   ○



 少女はベッドから身を起こし、腰掛けた。

 喋りながら、自分がどんどん落ち着いていっているのを、少女は自覚していた。もうすっかり覚悟ができてしまったのだ。

 彼に嫌われる、覚悟が。

 一度深呼吸をして、さらにゆっくりと言葉を継ぐ。

「羽澄に出会う三ヵ月前……だからちょうど、二年生になったばかりのころかな。未来予知を受けたのよ。半年前に事故に遭ったじゃない? あれの予知」

 通常であれば少女が予知を受けると、最初はぼんやりとしたイメージ映像が浮かんでくる。それが三ヵ月くらいの時間をかけ、それがだれに対してのどんな予知かをより正確なものへと変えていくのだ。予知映像が流れるタイミングは不定期。そしてはっきりした予測を受けて三ヵ月以内にその出来事が起こるといった感じだ。

 しかしあの交通事故に遭う予測を一番初めに受けたのは、一年生の冬。はっきりした予測を受けたのが春、とそれだけで半年かかった。そして実際に事故が起きるまでにさらに半年かかった。実に一年がかりのいままでにない長期の未来予知だった。

 少女はその説明も手短に済ませた。わかりやすく、彼が事態を飲み込めるように。

「あの事故も予知の一環だったってことか。でも……それでどうして俺に嘘を吐くことになったんだよ」

 言葉の奥深くに微かな怒りの種を見つけた。まだ戸惑いや困惑の方がずっと強いようだが……。

 少女が彼を傷つけるのは、まだこれからだ。

「はっきりとしたイメージを受けた時、それは『忽那涼夏が交通事故によって瀕死の怪我を負い記憶を失くす。それによって生きる希望をなくし衰弱死していく』という予測だったのよ。そしてあたしは自分が死ぬという予知を受けて、なんとしてでもそれを回避しないと、って必死で策を考え始めたの。怖かった……自分が死ぬ映像を第三者の目線から何度も見させられて……」

 彼と出会ったころはその映像が毎日のように頭を巡り、いつ自分が死んでしまうかわからないという恐怖で満たされていた。その中で必死に自分を保っていたのだ。

「そしてあたしが見つけた、生き延びるための結論がこうだった」

 少女は一拍置き、最後の覚悟を決めた。

「怪我をして記憶を失くした状態のあたしを支え、生きる希望を与えてくれる存在は“恋人”だけなんじゃないかって」

『……』

 電話の向こうから声は聞こえなかった。

 ただ息使いは聞こえているので、ちゃんと通話は繋がっている。

「あたしが羽澄を選んだのは本当にただの気まぐれだった。終業式の……あたしが羽澄に告白した日の朝、登校中に目が合ったじゃない? それで『ああ、この人でいいか』って思って……本当にそれだけよ」

 これが事の真相だった。

 許してもらえるとは全く思っていない。

 けれど、やさしい彼なら、もしかして……と一縷の望みを抱いている自分もいる。

「……騙していたことは本当にごめんなさい。それを許してもらおうとは思っていないわ。でも、でもね、今は――」

『そんなことだろうと思ったよ。俺のこと好きになった、だなんてあるわけがないと思ったんだ。俺が俺のこと嫌いで仕方ないのに、他人から好かれるわけなんてなかったんだ』

 遮るようにして吐き出された彼の言葉。

 そこには怒りというよりも、自嘲が多分に含まれていた。

『そうだよなあ……だれも俺のことなんか好きになるわけないよな。結局、口では何とでも言えるんだ』

 自身に対す嘲りから、段々と少女に対しての敵意に変わっていく。

『――お前も結局、俺を傷つけるんだな』

 ガチャン、と確かに彼の心の扉が閉じる音が聞こえた気がした。

「ちがっ……! 今は――」

『もう俺に関わらないでくれ。さようなら』

 慌てて取り繕ったところで、時はすでに遅い。

 その言葉を最後に、通話は切られてしまった。

 少女の胸に、どうしよもない絶望感だけが広がっていく……。



   ●



 足元がガラガラと音を立てて崩壊していくようだった。

 さっきまで聞いていた涼夏の声が、電話を切ったいまでも、脳内でリピート再生されている。

『あたしが羽澄を選んだのは本当にただの気まぐれだった。終業式の……あたしが羽澄に告白した日の朝、登校中に目が合ったじゃない? それで『ああ、この人でいいか』って思って……本当にそれだけよ』

 出来過ぎた話だとは思ったのだ。校内一の美少女と噂される涼夏に告白される、だなんて。

 ――よく考えればわかったことじゃないか。

 ずっと自分を騙し、嘘を吐いていた涼夏に対する怒りや恨みはもちろんある。ないわけがない。

 でも……一年間も騙されていることにも気付かずに、恋人という関係まで築いてしまった自身にも腹が立っていた。

 ――やっぱり心を開くべきじゃなかった。俺は人と深く関わるべきじゃないんだ。

 羽澄の心が、涼夏と出会う前のように閉じていく。

 人を信用せず、人を恐れ、自分を嫌う。そんな羽澄に逆戻りしていく……。

 夜の薄闇がやさしく羽澄を包み、人を拒絶するように長く伸ばされた前髪が冷たく右半分の顔を隠す。

 羽澄は下界との接触を断つため、携帯の電源を切った。


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