醜い悪魔が恋をした
Twitterにてツイートした『おぞまし系悪魔が恋したら……』な話をベースに書き上げました。
虫が苦手な方はご注意ください。
悪魔なんていない。
そう思っていた時期が私にもありました。
どことも知れない場所の不気味な城。
その一室で、私は城の主の髪にブラシをかけながら、しみじみとそう思った。
「どうした、ニナ」
恐る恐る聞いてくる悪魔さんは、とてもとても怖い顔をしている。
「ううん。何でもないです。──ほら。出来ました。この方がすっきりして気持ちいいでしょ」
あちこちにはねる剛毛を時間をかけて丁寧に梳ってゴムで一まとめに結う。ひと仕事終えて大満足の私と裏腹に、悪魔さんは不思議そうな顔をして、首をかるく傾げている。
はっきり言って可愛い。むちゃくちゃ怖いけど、でも可愛い。惚れた欲目とはこういう事を言うのかもしれない。
「気持ち、いい? む。それがどういう感覚か分からぬが、しかし首は動かしやすいな」
「そういうのも気持ちいいって言うんですよ」
「そうなのか」
考え込むように眉根を寄せた悪魔さんは、ますます怖い。
けど、知っている。
私の悪魔さんは怖くない。
人間からはすごく恐れられているけれど、私にはとても優しい。
「ねぇ、悪魔さん。どうして私だったの?」
と聞けば、彼は困ったように眉尻を下げた。実際のところ悪魔さんには眉毛がないので、眉の辺りの筋肉を下げたと言ったほうが正しいのかもしれないけど、ややこしいので眉尻と書いておく。
「分からん。ただ、お前を見た瞬間、欲しいと思った。ただそれだけだ。それでは駄目か?」
事もなげにさらっとそんなことを言うから、私の頬は一瞬で熱くなった。
「や、あの、だ、駄目だなんてことは……なくて、その……ええっと」
どもる私の頭を、鋭い爪のついた手がポンポンと叩く。
その爪に引き裂かれると震えたのは最近のこと。
「後悔しておるのか? 私のもとに来たことを。だが、お前を人の世に帰してやることはできん」
「帰らない! 悪魔さんが帰れと言っても帰らないんだからっ!」
彼の腰にぎゅっと抱きつく。彼の纏う黒衣はかび臭く、洗濯しなきゃなぁと頭の端にいる冷静な自分が思った。
黒衣の下に隠れた肌は黒と緑が入り混じり、そして死人のように湿った冷たさをしている。
「そのように抱き着くな」
「どうして?」
「その……なんだ。これでは動けぬ」
ぽりぽりと頬を掻く仕草に照れが見え隠れ。嬉しくなって、私は更にぎゅっと抱き着いた。衣の匂いはちょっといただけなかったけど、そんなの些細な事だ。
「動かないでください。もっと悪魔さんとぎゅーしてたいので」
所在なげに上げ下ろしされていた彼の手が、行き先をようやく見つけたように私の腰に回って、それからひょいと抱き上げられた。
うーん。もう少し抱き着いていたかったんだけど残念。
なんて惜しんでる間にフカフカのソファまで運ばれて、私はあっという間に彼の膝の上。
先日ごつごつした岩のベンチじゃお尻が痛いとこぼしたら、いつの間にか用意されていたフカフカソファ。どこから調達してきたのかは、ちょっと怖くて聞けない。
「立ったままでは、お前が疲れるだろう。これなら良い。さぁ思う存分抱き着け」
確かに座れば楽だけれど! でもこの体勢で抱き着くのはちょっと恥ずかしい。顔が間近じゃないですか!
恨めしい気持ちで見上げれば、悪魔さんはニヤニヤと笑いながら私を見下ろしていて、とても悪魔らしい凶悪さだ。
「悪魔さんが意地悪する」
「……まぁ性格の良い悪魔などおらぬからな」
もっともなことを言い返された。
悔しいやら、恥ずかしいやら。
でもせっかくベタベタ出来る機会なので、とりあえず彼にもたれかかることに決めた。私の頭はちょうど彼の顎のあたり。首筋に額を押し付けるようにしてくっつけば、彼は一度だけくすぐったそうに身じろぎをしたけれど、あとはじっと私の体を抱いてくれる。
心地よい沈黙の中、私は彼との出会いを思い出していた。
とんでもないくらい最低最悪の出会い。
よくもまぁこんな風な関係になれたものだと、今でも不思議で仕方がない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
なぜ私が彼に選ばれたのかは分からない。
悪魔が狙うのは大抵十代の少女だというけれど、それならなんで二十歳を過ぎた私が見初められたのか。
孤児として施設で育ち、一人立ちしてからは誰にも頼らず毎日を生きていた。
一人で生きていくだけの食い扶持は稼げていたし、将来に不安がないと言えば嘘だけど、人並みの生活は出来ていたと思う。
それがある日を境に少しずつ変わっていった。
誰もいないはずの部屋に残る、誰かの気配。
仕事から帰れば部屋には腐臭と獣臭さが入り混じったような悪臭が漂い、そのうち蠅やムカデが部屋を徘徊するようになり、体に蚯蚓腫れが増えた。
まるでホラー映画で見る悪魔憑きのようで。
信じれらないって気持ちと、信じたくないって気持ちと、超常現象を肯定する気持ちの三つ巴で混乱していた。
誰か──例えば霊能者だとかエクソシスト──に相談するなんて思いつきもしなかった。
とにかく自分の身に起こっている不可解な出来事とその原因を自分自身でつきとめること。それしか頭になかった。
そんなある夜。私はいつもの通り、悪夢なのか現実なのか分からない朦朧とした意識の下で苦しんでいた。苦しい。とにかく苦しい。吐く息は火のように熱くて、背筋が凍るように寒い。頭は割れるように痛むし、手足は動かせないぐらいだるい。肺が痛んでうめき声さえ出せない。
ひゅうひゅうと喉を鳴らしながらぼんやりとベッドサイドを見れば、黒くて大きな影がひとつ。
『ああ、これが元凶だ』
直感した。
『こいつのせいで、私はこんなに苦しいのか』
思ったら物凄く腹が立って、私は震える指を叱咤してその影の衣を掴んだ。掴んで思いっきりぐいっと引っ張った。
影は私がそんな暴挙に出るとは思わなかったんだろう。バランスを崩して私の上にのしかかった。
真っ黒なフードの奥から爛々と光る赤い瞳。陰になって何色か判別もつかない肌の色。
鼻を突く異臭。
そして一番恐ろしかったのは、彼の頬を這うムカデやら名前も知らない黒い甲虫。それがぼとぼとと私の周りに落ちてくる。
「ひ……!」
悲鳴を上げたつもりなのに、実際に上がったのはかすれた呻きだけ。
フードの襟元から、黒い蛇が這いだすのを見て、もうダメだと思った。こんなおぞましい光景には耐えられない。
で。
動かない体に気合で力を籠め。
渾身の力でぶん殴った。
たぶん、一生で一番のクリーンヒットだったと思う。
黒い影はよろめいて吹っ飛んだ。
虫は嫌いだ。
気持ち悪くて大の苦手だ。
けどね。
失神するようなヤワな性格じゃ、天涯孤独なんてやってられない。
どんなにキャーキャー喚いたって誰が助けてくれるわけでもない。
苦手なものは自力排除。
「ちょっと……あなた、これどういう事なのか説明してくれない?」
黒い影をぶっ飛ばしたとたん体が軽くなった私は、ベッドに起き上がって仁王立ちした。そして、頬を押さえて呆然としている黒い影に向かって尋ねた。
「私は悪魔だ」
ああ、やっぱり? なんとなくそんな気はしてましたとも。
「それで?」
「お前を攫いに来た」
「なんで?」
即座に聞き返したら、なぜか悪魔は口ごもった。
「それは……お前が……その、欲しいから」
「はい?」
なぜ言いよどむ!? なぜ恥じらう!? 悪魔のくせに!?
顎が外れるかと思った。
「あ、あのね。そう言われましても、私は平凡な一般人でしてね。その、悪魔に見初められるようなアレやコレは持ち合わせてないんですけど。どこかにもっと良い人がいるんじゃないですか?」
顔だって平凡だし、特に善良ってわけでもないし、才能があるわけでもない。
「いいやお前は私のものだ」
……話が通じていない。
どうしてくれよう。
「どこへ逃げようと無駄だ。お前の逃亡を手助けする者は全て殺そう。お前を救おうとする者は全てこの虫たちの餌食にしよう。お前が逃げれば逃げるだけ犠牲者は増える。さぁどうする?」
さっきの恥じらいはどこへ行ったというような、尊大な口調でとんでもないことを言う。
「いやぁ、その。どうすると言われましても。あの、つかぬ事をお伺いしますが」
「なんだ、言ってみるがいい」
「その、仮に、ですよ。仮に私があなたのものになったとして、私はどんな待遇なんでしょうか」
あなたのエサになるんですか、それともアレですか。R18なあれこれの末、悪魔の子なんて宿しちゃってお腹食い破られる恐ろしい事態に陥るのですか。
家畜扱いですか、奴隷扱いですか、痛いですか、飢えますか、寒いですか!?
「花嫁をそのように扱うわけがなかろう。お前は私のそばにいればそれでよい」
「は、はなよめ!?」
つまり、なにか。この悪魔さんは私に求婚しに来たわけか。そうかそうか。──って! きゅ、求婚!?
「ちょ、ちょっと待って! いきなりそんなこと言われましても」
「待たぬ。そもそもお前に拒否権はない。行くぞ」
悪魔の鋭い爪が腕に食い込んだ。痛みに顔を顰めると、僅かに力が緩んで『あれ?』と思った。
もしかして意外と気遣いなのかな? と。
「ちょっと待って。ほんと待って。逃げないから! 身辺整理する時間ぐらい欲しいです! あと、知らない人に嫁ぐってのもちょっと現代社会じゃアレだし、もう少しお互いの事を知ってから……」
「私はお前をずっと見てきた。ゆえにお前のことはよく知っている」
なんてストーカー発言! 怖いですね。ずっと見て来たってどこまで見られていたのでしょうか!
「わ、私は知らないもの!」
「──分かった。では今宵はこれで去ろう。また来る」
そう言って悪魔は姿を消した。
あとに残るのは独特の悪臭。
これが最初の出会いだった。
最低最悪と言わずに、何を最低最悪と呼ぶのか。そのくらい酷い出会いだった。
それからも、悪魔は律儀に私のもとを訪れて他愛もない話をして去っていく。
そんな日々が続いた。
その間、悪魔に憑かれた私はどんどん生気を失って行った。
目の下に濃いクマを作った私を見て、悪魔は眉を顰めつつ毎日のように言った。
「悪魔に憑かれた者は人間界にいるかぎり生気を失っていく。そしていずれは死に至る。これを解消するには私がお前を解放するか、お前が私とともに来るかの二つだ。悪いが、私はお前を解放する気はない。だから、私とともに来い」
けれど私はいつも首を横に振る。
毎日話してて、この悪魔が私を大事に思っていることは薄々分かってきた。
それでも、今までの人らしい生活を捨てる踏ん切りがつかなかった。諦めて彼のもとに行くしかないと分かっていても、親しい人なんていないこの世に何故か未練があった。
「ニナ。私はもう待たぬ。お前を我が城に連れていく」
ベッドから頭を上げるのも億劫になった頃、彼はそう宣言して私を抱いた。
彼の体のあちこちを這う虫たちが私の体にも落ちたけれど、這う感触は気持ち悪かったけれど、悲鳴を上げる力もぶん殴る力も残ってなかった。
ああ、たしかにこれは私の限界だったな、と理解する。
と同時に、踏ん切りがついた。
「連れてって」
声にならなくて、ようやく唇だけを動かした。
「ああ」
死人より紫色の唇が、にいっと吊り上がった。
彼の城に住み始めると、見る間に私の体調は良くなった。
どこから調達してくるのか、私の周りにはいつも沢山の食べ物と花が溢れる。
外見もおどろおどろしいけど内装もおどろおどろしい城の中で、私の周りだけが妙に華やかだ。
なんだかとても大事にされているようで、嬉しいようなこそばゆいような。
「何か不便はないか?」
いつも一定の距離を保って気づかわしげに聞いてくる。
悪魔なのに紳士的で、ここに連れて来られて以来、彼は私に指一本触れない。
「うーん。我が儘、言っても良いですか?」
「私に叶えられることなら」
「あの、実は私、虫が苦手で……。出来ればその、悪魔さんの体に這っている虫を……」
どこかにやってください、と言うのは何だか酷なような気がして、何と言ったらソフトに伝わるのか言葉を選びあぐねていると、彼はふむ、と考え込んだ。
「こやつらは我が眷属でな。……しかし、まぁこの城の中であれば何の問題も無かろう。分かった。この城の中にいる時限定になるが、お前といる時はこやつらを下がらせよう」
ぱちんと指を鳴らすと、彼の体から沢山の虫が這い出し、一列になってドアの隙間から出て行った。
あんなにいっぱい纏わりついてたの!? ぞわぞわと鳥肌が立った腕をさすった。いつまでも嫌っていられないし、少しずつ慣れなきゃ。──慣れられるかちょっと不安だけど。
「我まま言ってごめんなさい。ありがとう」
「なに、気にするな。お前が快適に過ごせる環境を作るのも大事なことだ」
ごつい爪で頬を掻く。その頬がすこし赤くなっててなんだか可愛い。
「虫さん達には申し訳ないですけど、これでやっと二人っきりですね?」
「な、な、な!? お、お前は何を言っておるのだ!?」
思い切って自分から抱き着いてみた。
ら。
びっくりした悪魔さんがバランスを崩して、傍にあったフルーツ籠を盛大にひっくり返しながら尻もちをついた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「悪魔さん、悪魔さん!」
腕組みをしながら、外を眺めていた悪魔さんが私を振り返った。
すでに彼から真の名前を教えてもらったけど、それは伴侶やごくごく親しい人にしか教えないものらしく、私は他の人に彼の名前がばれないように悪魔さんを悪魔さんと呼んでいる。
「どうした、ニナ。そんなに慌てて」
何かあったのかといぶかしがる彼は、心配性の気がある。
「お風呂入りましょう。お風呂」
「な、何で私が風呂になど入らねばならぬのだ!」
「だって、爪とかめちゃくちゃ汚れてるじゃないですか! さっぱりしましょう。ね? 私が洗ってあげます」
ここで引いてなるものか。
今日こそは悪魔さんをお風呂に入れるんだから!
悪魔にはお風呂に入る習慣がないらしい。たまに水浴び程度だとか。
あの悪臭の原因はその辺りにあるんじゃないかと思うんだよね。
悪魔さんの匂いにはもう慣れてしまったけれど、どうせなら良い匂いの悪魔さんにくっつきたいじゃない?
「ね? だめですか??」
「……分かった。お前がそこまで言うなら仕方ない」
「やったー! じゃあ早速行きましょ! もうお湯張ってあるから冷めないうちに」
私のために悪魔さんが用意してくれた広い広いお風呂。
湯船につかって貰って汚れを浮かして、人間界から調達して貰ったボディソープで体をごしごし。
初めはブツブツ文句を言っていた悪魔さんだけれど、途中から黙っているのは絶対お風呂が気持ち良いからだ。
「ほら綺麗になりました。この方が素敵ですよ?」
よく分からない汚れに塗れていた爪をブラシでこすり、髪を丁寧に洗って。
体の水滴を拭けば、見違えるようにスッキリした。
怖い顔も、恐ろしい肌色も、歪な爪もそのままだけど、やっぱりこの方がいい。ちょっと男っぷりが上がったよね。
私、良い仕事したなあ! と満足して笑っていたら、悪魔さんがくしゃりと顔を歪ませた。
「悪魔さん、どうしたの?」
「いや。私にも分からぬ。なぜかここが暖かいのだ」
そう言って彼は、鋭い爪で胸の辺りを指さした。
ああ。それはきっと……
「私、きっとそれの正体、知ってます」
「これはいったい何なのだ。ニナ」
「それはね、幸せ、ですよ。嬉しくて、踊り出したくなる感じ。嬉しいな。悪魔さんが幸せだと、私も嬉しい」
悪魔さんは不思議そうな顔をして、自分の胸を見下ろしている。
「そうか。これが。お前を抱きしめていても、お前と話していてもここが暖かくなる。そうか、これが幸せと言うものなのか」
悪魔さんがまたくしゃりと顔を歪ませた。
ああ、怖いけど可愛い。
次は笑顔の練習をしなきゃね。
元ネタなどは、2014/11/26付けの活動報告にまとめてあります。
ご興味がありましたらどうぞご覧ください。