浮気男と正論男
重めの反動でラブコメです。
「マチルダ、慈悲深い君ならわかってくれるだろう」
揃って参加したとある夜会。
うっとりと自身の言葉に酔いしれる目の前の婚約者を見て、マチルダは百年の恋も覚めることを知った。
「彼女は可哀想な人なんだ。私たちが助けてあげないと」
現時点ではまだ婚約者である男は、マチルダがいながら他の女に手を出したばかりかその女との関係を続けたいのだという。
マチルダと結婚した後も。
「庶子であるのは同情しますが、ご自身も同じ身の上を選択されるならお気の毒とは思えませんが?」
マチルダがいたって冷静に反論すれば、目の前の男ハロルドは顔色を変えた。
「君は!何て酷い事をっ」
そうだろうか。
マチルダは、一欠片の非も自身に有るとは思えなかった。
「ほかにお話が無いようでしたら失礼いたしますわ」
マチルダはこれ以上一秒だってこの場にいたくなくて、さっと礼をすると踵を返した。
「ま、待てっ!」
背後で焦ったハロルドの声が聞こえてはいたが、マチルダは振り返らなかった。
どうせ夜会の喧騒ですぐにかき消される。
その程度の雑音だ。
「きゃっ!」
会場から出ようと焦り過ぎていたのか、マチルダは階段を踏み外した。最後の二段だけ。
今まで十八年生きてきて、こんな失態は初めてだった。侯爵令嬢としての矜持がずたずたである。
「うっ……」
張り詰めていた糸が切れてしまったのか、マチルダはその場に座り込んだ。地味に捻った足も痛い。
踏んだり蹴ったりではないかと、抑えていた感情が膨れ上がって、両目からとめどなく涙が溢れ落ちていく。
「大丈夫ですか?」
その時マチルダの頭上から不意に声が降って来た。
見上げると、眼鏡をかけた銀髪の男がマチルダを見下ろしている。
「うっ……うぅ」
「え」
「大丈夫じゃないです〜っ!!」
マチルダは初対面の男性相手に大泣きした。
限界だったのである。お相手には大変申し訳なかったが。
「なるほど……つまり浮気された挙句に愛人公認を求められたと。婚約者と参加している夜会で」
「ゔっ」
容赦のない事実確認にマチルダは思わず胸を押さえた。
改めて突きつけられると辛すぎる。
「でもまあ、貴女にも問題はありそうですね」
「はぁっ!?」
突然の暴言にマチルダは気色ばむ。
「どこに!わたくしの何が問題だとおっしゃるの!?」
偶々座り込んでいる自分を心配して声をかけて来ただけの男に、マチルダは大泣きして中庭のベンチで一通り話を聞いてもらっていた。
淑女としては大問題な行動であったが、今日だけは特別に許すことにした。そうでなければ、とても邸まで帰れそうになかったからだ。
そうして今、マチルダの隣に座りつまらなさそうに話を聞いていた男、エーリクの発言である。
「いや、だって貴女リビングストン侯爵家のご令嬢なんですよね」
「そうですわ!」
「ご嫡男に兄君がいらっしゃる」
「はい」
「それなのに家に益のある政略結婚ではなく、幼馴染の伯爵家の三男と婚約した」
「!」
「しかもお家から子爵位を譲られ分家となる予定だった……つまり婿入りですよね?」
「……はい」
「婿入り先に愛人連れとは舐められ過ぎでは?」
「!!」
「普通有り得ませんよ」
息ができない。苦しい。いっそ一思いにとどめを刺して欲しい。
マチルダはあまりの衝撃に、エーリクを見つめたまま無意識にぽかんと口を開けっぱなしにしていた。
それくらいの威力だったのだ。傷心の生傷には。
「あっ、あ、あなた……へぇ?」
反論しようにも上手く言葉が出てこない。エーリクはそんなマチルダを不思議そうに見返した。
「目が覚めて良かったですね」
「!!」
ぐうの音も出ない正論である。
その通りだ。
結婚前にハロルドの本性がわかって良かったのだ。
たとえマチルダの心が傷だらけになろうとも。
だが、しかし。
「もうちょっと言い方ってものがありますわよね!?」
正しさは時に凶器である。特に今のマチルダにとっては。
それは偶々成り行きで話を聞いてくれている相手であろうとも、考慮して欲しい。
そう求めてしまうところが、いかにマチルダが甘やかされて育って来たかの証左なのだが、今はそんなことには構っていられなかった。
「ううぅぅ〜」
「あ、また……どうぞ」
エーリクに手渡されたハンカチを握りしめると同時に、マチルダはまた泣き出した。
身体中の水分が無くなるのではないかというくらいに泣いて、両目を腫れ上がらせると、マチルダは立ち上がった。
そうしてふっ切れたとばかりに口を開く。
「ありがとうございます!何だかすっきりいたしました!」
「それは良かった」
「もうお会いすることも無いでしょうから今日のことは忘れてください!」
「いや、無理でしょう」
「えっ!?」
まさか断られるとは思っていなかったマチルダは、動揺した。
流石にこの醜態を覚えていられるのは恥ずかしすぎる。どうにか記憶を消してもらえないだろうかと一瞬物騒な考えも浮かんだところで、呆れた様にエーリクが小さく息を吐いた。
「心配しなくても他言はしませんよ」
「えっと……」
それならいいかと、マチルダは曖昧に頷いた。
そうしてエーリクにエスコートされるままに馬車止めまで行くと、侯爵家の馬車に乗り込んで帰路へと着いた。
道中同乗する侍女がハロルドに怒り狂ってくれたおかげで、だいぶ溜飲が下がった。
ふと、そういえばエーリクの家名を聞いていなかった事に気づいたのだが、まあまた夜会で会った時にでも聞けばいいかと、その時はあまり深く考えなかった。
◇
「で、これはどういう事でしょうか?」
夜会から帰ってすぐ、ハロルドの件を両親にぶちまけたマチルダは、無事に相手有責による婚約破棄を済ませていた。
経歴に瑕疵がつくなど瑣末な事は気にしない。傷つけられた分慰謝料上乗せで破棄してやったら、多少はすっきりした。傷ついたことに変わりはないが。
男爵家の庶子だというハロルドの恋人は、慌てた父親によって平民の商人の後妻に嫁がされたそうだ。
一生会うことも無い相手だから、詳しくは知らないが。
婚約者がいなくなったマチルダにはそれなりに釣り書きが届いた。
大半は、侯爵家と繋がりが持てるなら多少の瑕疵など気にしないといった格下の家だった。
マチルダは密かに反省していた。男を見る目がなかったこともだが、あの夜エーリクに言われた、家の利益にならない婚約を自分の我儘で結んでいたことを。
甘やかされている自覚はあったが、実際に突きつけられると非常に辛かった。
今度こそ家の益になる相手と婚約を結ばなくてはと、マチルダは釣り書きの選定を両親に一任した。
そして両親により選ばれた相手との見合いの日、マチルダの前に現れたのは見知った顔だったのだ。
「訳を話してくださいません?」
後はお若い二人でをされてしまったマチルダは、今侯爵家のサロンで見合い相手と二人向き合っていた。
「見合いに来ただけですが」
「あ、あなたね!」
そうあの夜と変わらぬ態度で嘯くのは、エーリクことエーリク・ログライン公爵令息だった。
「両家にとってこの上無い良縁ですし」
「そ!それは……」
そうなのだ。エーリクは嫡男なのである。
王国一の富豪と名高いリビングストン侯爵家と、王族との縁が深い名門中の名門のログライン公爵家。
これ以上ない縁組であった。
だがマチルダには気掛かりがあった。
「貴方は……わたくしのあんな醜態を見ても結婚出来るんですか?」
さすがに返事を聞くのが恐ろしくて、マチルダは俯いてしまう。
政略結婚に恋愛感情など不要なのはわかっているが、マチルダは恋がしたかった。あんな愚かな男と婚約してしまうくらいには、夢見がちな面を持っているのだ。
「はい」
「ちょっとは考えてくれません!?」
エーリクの機械的な即答にマチルダは抗議する。
するとエーリクは少し考え込んでから、ゆっくりと話し始めた。
「感情の豊かな方なんだなと思いました」
「え」
「私はこんなんですから、貴女を見てると面白いです。あと、貴女が暴走しても止められます」
「え、えぇ……まぁ」
「良いご縁だと思ってます」
「そ、そうですか……?」
予想外のエーリクの言葉にマチルダは赤面してしまう。
もしやエーリクはマチルダに対して一目惚れに近いのではないだろうか?
多分今ここで誰かに聞いたら間違いなく否定されるはずなのだが、生憎二人だけだ。
マチルダは自身の考えを正しいと信じることにした。
そうして人生二度目の恋を新たな婚約者とすることを、この瞬間決めたのだった。
◇
「マチルダ!」
エーリクと婚約者として初めて一緒に参加した夜会。マチルダは随分とやつれた男に声をかけられた。
「まぁ」
誰だろうと探る様に目を細めると、かつての婚約者であった。記憶が確かならば。
「ご無沙汰いたしておりますクレイトン伯爵令息様。ご領地に行かれたのでは?」
確かハロルドの個人資産では侯爵家への慰謝料を払い切れず、領地で働いて立て替えてもらった分を伯爵家に返済するのだと聞いたような気がする。
興味がなくて忘れてしまったが。
首を傾げるマチルダに、ハロルドが縋りついた。
「マチルダやり直そう!私には君しかいないんだ!」
鬼気迫る発言にマチルダは目を丸くする。
どう考えても正気の沙汰ではない。
どうしたものかと戸惑っていると、エーリクがマチルダを庇う様に前に出た。
「私の婚約者に失礼だろう」
「だ、誰だお前はっ!」
エーリクの鋭い視線にたじろぎながらも後がないからか、ハロルドは引かなかった。
「マチルダ!本当は私を愛しているだろう?あんなに尽くしてくれたじゃないか!」
そう。婚約者だった頃のマチルダは献身的とも言える程にハロルドに尽くした。
それは幼い頃から知っている初恋の相手であり、お互いに想い合っていたからだ。
決して他に女を作って結婚後も愛人として認めろなどと言う男を、では無い。
けれどそうしたマチルダの献身が、ハロルドを増長させた一因でもあるのだろう。
マチルダは大きなため息を吐くと、ハロルドに引導を渡すことにした。
「それは貴方が浮気をするまでの話です」
「!!」
「あの瞬間から貴方のことは、一欠片も愛していません」
「なっ!?そんなっ!!」
ハロルドは衝撃の余り真っ青な顔で、その場に膝をついた。
しかし何をそんなに驚いているのだろうか。当たり前のことなのに。
マチルダは浮気をする男の考えることなど、永遠に自分にはわからないのだろうと、それ以上考えるのをやめた。
「婿入り先の婚約者を粗末に扱って、愛人を作る男なんて愛想を尽かされて当然だろう」
エーリクがハロルドに正論をもって説明すると、ハロルドは遂には泣き出してしまった。
その姿にエーリクは顔を顰める。
「早く立ち去った方が良い。これ以上騒げばログライン公爵家から正式に抗議する」
「!!」
エーリクの最後通告に、ハロルドは何度も躓きながらも必死にその場を走り去って行った。
「一体、何だったのかしら……」
完全にハロルドの姿が見えなくなるとほっとしたのか、マチルダはぽつりと呟いた。
「別れてから君の魅力に気づいただけの話でしょう」
ハロルドに対していた時とは違う、いつもの柔らかいエーリクの口調に、マチルダはふと思いついた事を口にする。
「貴方は?最初からわたくしの魅力に気づいてた?」
座り込んで、泣いて怒って、我儘な姿を見て。
望む答えを期待する、マチルダの悪戯っ子の様な瞳の輝きに、エーリクは思わず声を上げて笑った。
「勿論」
婚約者の期待に応えるのは当然だと、言わんばかりに。
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