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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

シャボン玉

作者: 心憧むえ
掲載日:2026/03/27

 命を質量へと変換するならば、それはきっと重くなるものだと思っていました。年を重ねるにつれ、人との関わりが増え、責任を伴うようになってどんどん、重くなっていくものだと思っていました。

 しかし、それは思い違いでした。

 命は軽い。

 あまりにも軽いのです。嫌になるほどに。

 吹けばどこかへ飛んでいく、触れれば弾けて霧散する、まるでシャボン玉のように――。



 娘が生まれて二年が経ったころ、娘はガンの宣告を受けました。その後娘は抗がん剤や移植手術などの痛みに耐えてきました。治療を続けて二年目の十月上旬、娘は年を越せないだろうと言われました。

 余命宣告を受け、私と娘は病院からおうち診療所という小児がん専門の治療施設へと移りました。

 そこは病院と家の中間的な施設で、家族が住むことのできる部屋が二十室ほどあり、医師や看護師も常駐しています。廊下にはいつも子どもたちの絵が飾られていて、娘は初めてそれを見たとき、「わたしもかく」と言って私の手を引っ張りました。娘の描いた絵は、丸いものばかりでした。お日様も、お花も、私の顔も、ぜんぶ丸でした。

 私と娘はその一室を借りて、最後の時間を一緒に過ごすことになりました。


 おうち診療所にきて二週間が過ぎたある夜、柏手のような乾いた音が耳朶を打ちました。玄関の扉を開けて外を見渡してみましたが、特に変わった様子はなかったので、その日はそのまま眠りにつきました。

 翌朝、いつも通り施設内の幼稚園へ娘を連れて行くと、迎えてくれた看護師さんから、娘と同様に治療を受けていた女の子が、昨夜息を引き取ったと聞きました。

 娘にそのことは言わず、私たちは室内へと入りました。室内にはいくつものシャボン玉がふわり、ふわりと宙を舞っていました。娘を保育士さん――看護師の方が兼任している――に預け、子どもたちを見守る親御さんの群へと加わり、「シャボン玉、綺麗ですね」と声をかけました。すると不可解そうな表情を浮かべて「なんのことですか?」と言われました。


 幼稚園が終わって娘と部屋に戻っていると、シャボン玉が一つ、娘に吸い寄せられるように付いてきました。それは、部屋の中にまでついてきて娘に寄り添っていました。不思議に思いましたが、害もないだろうと、特になにもせず放置していました。

 初めてシャボン玉を見たときから数週間が経ったある日、また別の入居者の男の子が危篤状態に入ったことを知りました。子どもたちはまだそのことを知らされておらず、いつも通り遊んでいました。

 数瞬、柏手のような音が鳴り響きました。周りの親御さんは顔色一つ変えず、その音に気付いていないようでした。音が鳴って数分後、看護師さんがやってきて、私たちに、男の子が亡くなったことを教えてくれました。

 施設の子どもたちが亡くなる前には必ず、柏手のような音が聞こえてきました。三人目の友達が帰ってこなくなったとき、娘は夕飯のあとしばらく黙って窓の外を見ていました。それから「ねえ、ママ」と呼ぶので、なあに、と答えると、「またあした」とだけ言って、笑いました。娘はきっと、いつか自分にもその時がやってくることをわかっていたのだと思います。それでも、いつも笑顔で、元気な姿を見せてくれました。その姿を見ていると、もしかしたら治るのではないだろうかと、夢を見てしまいます。


 ですが娘にも、その時はやってきました。

 娘が急に頭痛を訴え始めてすぐ、意識がなくなりました。部屋に看護師さんとお医者さんが駆けつけて、娘の様子を見てくれましたが、皆一様に表情が芳しくありません。娘の名前を何度も叫びましたが、微動だにしません。これ以上娘を頑張らせるのは酷ですから、私は最後に娘を抱きかかえました。その時、シャボン玉が目に映りました。ふわふわと宙を舞う、いつも娘のそばにいてくれたそれは、ゆっくり天井に向かって飛んでいきました。


 よく頑張ったね、愛してるよ。


 娘が少しだけ、笑ったような気がしました。刹那、ぱん、と破裂音が鳴り響き、娘は息を引き取りました。

 娘が亡くなって一年、私は今こうしてあの時の記憶をたどっていますが、すべては思い出せません。私の中にいた娘の姿にだんだん靄がかかってきて、そんな自分に嫌気が差します。娘のことを忘れた日など一日たりともないのに。

 娘のいない世界は、あまりにも静かです。朝が来るたびに、迎えに行かなくていい幼稚園のことを思います。夜が来るたびに、読み聞かせなくていい絵本のことを思います。笑い声も、泣き声も、「またあした」も、もうどこにもありません。この一年、私はずっと、空っぽのまま生きてきました。

 娘の死から一年が経ちました。私にはもう、ここに留まる理由がわかりません。やるべきことは一つだけ残っています。あの音を、今度は自分で鳴らすことです。そうすれば、きっと娘のそばへ行ける気がするのです。

 命は軽い、あまりにも軽い。吹けばどこかへ飛んでいく、触れれば弾けて霧散する、まるでシャボン玉のように――。

 それでは最後に、お手を拝借。

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@sindo_mue

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