26話 桜の下で (漣)
やわらかい春風が吹く季節。
俺も蒼真も四年生になった。
同じ大学で過ごす時間も、あと一年しかない。
相変わらず、課題や制作に追われる毎日だ。
卒業制作という大きな区切りが、すぐそこまで来ている。
蒼真は、教員採用試験があるらしい。
来年の今頃、俺たちはどこで何をしているんだろう。
……想像できない。
そんなことをぼんやり考えていた、一限の後の休憩時間。
スマホが震えた。
蒼真だった。電話をとると、いつもの元気な声が聞こえてくる。
『あ、漣ー? 今日の昼さー、外で弁当食べない?』
珍しい誘いだった。蒼真がわざわざ外を指定するなんて。
「……いいよ」
すると、蒼真の声が弾む。
『やった! いつもの弁当でいい? オレ買っとく!』
「ありがとう……」
俺がいつも同じものを選んでいるから覚えているだけだろう。
それでも……覚えてくれていることが嬉しかった。
***
片付けに手間取り、少し遅れてしまった。
待ち合わせ場所、教育棟の入り口で蒼真はすぐに見つかった。
袋を両手に下げた蒼真のところへ駆け寄る。
「悪い……遅れた」
「おつかれ! こっち来て!」
蒼真は、どこへ行くのかも言わないまま楽しそうに歩き出す。
少し歩いた先で、蒼真が急に立ち止まった。
「見てここ! すげー綺麗じゃね?」
蒼真が指差す先を見て、息を呑む。
満開の桜並木。
風に揺れる枝。
光を透かす花びら。
驚くほど綺麗で、思わず声が漏れた。
「……きれい……」
「だよな! もっと早く気づいてたら毎年お花見できたのになー。まさか、四年になって見つけるとかさ……」
蒼真は悔しそうに笑う。
――四年になって。
その言葉で胸が小さく痛む。蒼真とこの大学で過ごす最後の一年なんだ、と改めて感じさせられた。
ベンチに座ったあと、しばらく桜に見惚れていた。
こういう時間……ずっと続けばいいのに。
そんな俺を見て蒼真が言う。
「ここ、そんなに気に入ったー?」
「うん」
「よかった~……あ! 写真撮っとこう」
蒼真はスマホのインカメラで、ふたりの写真を撮ろうとする。
弁当も桜も、全部画面に収めようとしている。
肩に触れる距離。旅行の時を思い出す。
あの時も今も、蒼真にとってはただの思い出作り。
特別な意味なんて、きっとない。
意識しない。そう思うほど、肩に触れる距離は落ち着かない。
写真を撮り終わると、蒼真がこちらに弁当を渡しながら言う。
「じゃ、食おう食おう! はい、これ! 漣の弁当。今日はオレの奢り!」
「え……ありがとう……」
少し食べたところで、蒼真が覗きこんできた。
「わー! それうまそー……あーん」
冗談ぽく口を開けて待っている。
……またそれか。
小中学生の時によくやってたやり取り。
良くも悪くも変わっていないところに安心する。
でも、ここは大学。外だ。
こんなところ、誰かに見られたらどうするんだ……。
俺が箸を持ったまま動けないでいると、まっすぐな目で蒼真が言った。
「だめ?」
しょうがないな。俺がいつも断らないと思って、わざと言うんだよな……!
周りを見渡す。誰もいないのを確認した。
「わかったよ……」
箸で一口分を取り、蒼真の口に運ぶ。
満足そうにもぐもぐ口を動かす蒼真。
ほんと美味そうに食べる……。
「……これ、うまっ! 次それ買う!」
蒼真は食べ終わると、持ってきた袋をゴソゴソ漁りながら言う。
「そうだ! 漣、桜餅って食べられるんだっけ?」
「あ、うん……」
「じゃ、これあげる。あーんして」
蒼真はそう言って、袋を開けて一口分出して俺に食べさせようとする。
「え?!」
急展開に追いつけず慌てていると……。
「あ、もしかしてくるくる巻いてるタイプの桜餅が良かった?」
いや、そういう問題じゃないんだ。
「……いや、こっちのほうが好きだけど……」
「オレも一緒~。ほら」
断る隙もない。桜餅が口元に迫ってくる……。
どんだけ食べさせたいんだよ。強引すぎて、思わず笑ってしまった。
小さく一口食べる。
甘い。桜の葉の香りが、より春を感じさせる。
桜に囲まれて食べるなんて、贅沢な時間なのかもしれない。
蒼真は「おいしい?」って、にこにこしてるだけ。
次の一口を俺の口に運ぼうと待ち構えている。
――蒼真は知らない。俺がどれだけ動揺しているかなんて。
今だって、これ以上ないくらい好きなのに。
それでもまだ、好きになっていく。
あと一年。この距離を壊さないように、気持ちを隠し通せばいいだけだ――。
風が吹いた。
一瞬目を閉じて、ゆっくり目を開けると蒼真がこっちを見ていた。
「漣、桜の花びらついてる」
髪から花びらを取る指が、やけに優しい。
微笑みが穏やかで、胸が締め付けられる。
また風が吹く。
舞い散る花びら、柔らかい日差し……。
この光景が、俺の心に深く残った。
***
――後日、芸術棟のアトリエ。
あの日の景色を作品に取り入れたい。
蒼真と一緒に見たあの桜……あの色、光……絶対、作品にしたい。
記憶が薄れる前に、何日も夢中で描いた。
桜の枝や花びらの柔らかい色や光の加減。
蒼真と過ごした時間の温かさも色に込める。
あの日の空気。全部、ここに閉じ込めたい。
ひと段落して筆を置いた時、九条教授が隣にいた。
教授はキャンバスをしばらく見つめてから、静かに言った。
「いいわね。最近、ますます魅力的な色になってきた。前より感情が乗ってる」
「……ありがとうございます」
教授が去ったあと、ふと窓の外を見た。
桜の花びらが風に乗って舞っていた。
やわらかい光。淡い色。
あの日の景色と、よく似ている。
キャンバスに視線を戻す。
そこには、あの日の空気が確かに残っている。
筆を持ち直す。
記憶から消える前に、描いておきたい。
まだ、間に合う。




