25話 残された温もり(漣)
――目が覚めた。
カーテンの隙間から入る日の光。
昨日までの身体の重さが、少しだけ消えている。
最初に感じたのは、心地よい静けさだった。
完全な静寂じゃない。
かすかな物音。
何かが煮える、やわらかい音。
金属が触れる、小さな響き。
……蒼真、昨日からずっと居てくれたのか?
ぼんやりした頭で天井を見上げる。
自分の部屋。見慣れた白い天井。
でも――空気が違う。
出汁のいい匂いがする。
ほんのり甘くて、温かくて、やさしい匂い。
香ばしいようなふわっと甘い香り。
……ああ。蒼真が何か作ってくれてるんだ。
ゆっくり体を起こす。まだ、だるくて重い。
試験期間が終わって、気が抜けてしまったのか体調を崩してしまった。
また蒼真に心配と迷惑をかけてしまった。
扉の向こうから、湯気の気配が流れてくる。
足を床につける。
冷たいはずのフローリングが、今日は少しぬるく感じた。
ドアを開けるとキッチンに、蒼真がいた。
鍋をのぞき込んで、真剣な顔。
髪は少し寝ぐせがついている。
袖をまくった腕が、慣れた様子で忙しなく動いていた。
蒼真がこちらに気付いて振り返る。
「あ! 漣、おはよ!」
笑顔で迎えてくれる。
昨日泊まったことも、看病したことも、全部。当然みたいに。
「……おはよ」
声が少し掠れる。
「もうちょいでできるから待ってて! 座ってて!」
蒼真はコンロの火を止めて、俺を部屋に戻そうとする。
言われるままソファに座る。
しばらくして、蒼真が来た。
湯気が立ち上る。出汁の香りが、ゆっくり体の奥に入り込んでくる。
「はい、きつねうどんだよー」
そう言って、湯気の立つ器が置かれた。
「漣が食べられそうなのレシピ調べた! いっしょに食べよーぜ」
得意げな顔の蒼真。
箸を持って、うどんをすくう。
口に入れる。
……あたたかい。
味が、じんわり広がる。
塩気も甘みもちょうどいい。ただただ、やさしい。
体の奥まで静かに染みていく。
気づいたら、蒼真が頬杖をついてこっちを見ていた。
じっと。満足そうに。
「……そんなに見るなよ」
「ちゃんと食べてるか確認してるだけー」
にやっと笑う蒼真。
視線が落ち着かない。見られながら食べるのは恥ずかしいな……。
「……おいしい」
そう言うと。
「よかったぁ」
本気で安心した顔をした。
なんでそんな顔できるんだよ……。
俺は蒼真に迷惑かけっぱなしなのに。
食べ終わって箸を置く。
「ごちそうさま」
「お! 完食! 食器洗ってくるよ」
蒼真はそう言って、すぐ立ち上がって器を持ってキッチンに向かう。
水の音。食器の触れる音。
少しして蒼真が部屋に戻ってくる。
「じゃ、洗い物終わったし……オレ、大学行くわ!」
玄関へ向かう背中。
蒼真が振り返って、俺の目をじっと見る。
「……夜まで寝てろよ? 絶対無理すんなよ?」
「うん」
靴を履きながら蒼真がまた振り返る。
「ちゃんと寝てるか、また見に来るからな!」
少しだけ真剣な顔。
――その顔が、やけに胸に残る。
「蒼真……風邪、うつしたらごめん」
「大丈夫だって!」
即答だった。
「バカは風邪ひかないって言うじゃん?」
そう言って笑う蒼真。
「それにオレ、免疫つよつよ男子だから!」
そう言いながら、手をひらひら振る。
ドアが閉まる。
音が消える。
……静かだ。
さっきまで確かにあった生活の気配が、すっと引いていく。
指先に残る熱。
……なんで。なんで俺のために、ここまでできるんだよ。
分からない。
分からないけど。
――いなくなると、やけに寂しい。
ベッドに戻って、布団に顔を埋める。
目を閉じる。
静かだけど、さっきまでの温かさがまだ残ってる気がする。
胸の奥が、ゆっくり締め付けられる。
弱ってるから、かな。
こんなに離れがたくなったのは、初めてだ。
もう、蒼真に会いたくなってる。




