22話 また帰してしまった(漣)
夜。静かな部屋。
照明は落として、カーテンの隙間から街灯の光。
静かなはずなのに、落ち着かない。
昨日の蒼真の泣き声が頭から離れない。
……あんなに泣く蒼真を見たのは初めてだった。
ずっと我慢して溜め込んでいたんだと思う。気付いてやれなかった。
今日、学食で声をかけてきた蒼真の声は元気そうだった。
ああやって戻れるのは、蒼真の強さだ。
でも、俺は知ってる。戻るしかないだけなんだ。
蒼真の家の事、過去に蒼真から何度か聞いたことがあった。
精神不安定でヒステリックな母親と、家庭に無関心で酒に酔うと蒼真を殴るような継父。兄は出て行って、どこにいるのかも分からないらしい。
……蒼真、今日はよく喋ってた。本当に大丈夫なんだろうか。
無理に喋って、笑っていた蒼真を見て思い出した。
あの時も同じ顔をしていた。笑っているのに、どこか傷ついて空っぽな顔。
***
あれは中学一年の冬だった。
蒼真とふたりで、放課後誰もいない教室で話していた時。
蒼真が腕を伸ばした時に、制服の袖の隙間から見えた。青黒い痣。
それ、どうしたの?って何気なく聞いた。
すると、蒼真はまるで擦り傷でも見せるみたいに袖を捲った。
「あぁ、これ? 昨日、殴られた時のやつー。みんなには転んだって言ってるんだけど……」
誰に? なんで蒼真が?
「母さん再婚したんだー」
再婚。この時、初めて聞いた。
「でさー、その再婚相手がー、お酒飲むとすぐ暴れるんだよねー」
なんでそんな笑って普通に話せるんだ。
「まぁ、そいつ毎日居るわけじゃないし、慣れたけど!」
そんなの……慣れるわけないだろ。
蒼真は、安全じゃない場所で生きてる。
「あ! このこと誰にも言わないでね! 漣にしか言ってない」
「……うん」
どうしたら助けられる? 助け方が分からない。
その日の夕食の時、両親に聞いた。
「蒼真をうちの子にできないの?」って。
当時の俺ができた精一杯の行動がそれだった。
誰にも言わないって蒼真と約束したから、理由も詳しいことも言えない。
何を聞かれても、泣きながら首を横に振る俺を見て、両親は何かを察したんだと思う。
いつでも来ていいって伝えなさい、とだけ言ってくれた。
この日、決めた。
蒼真を守れるのは、俺しかいない。
大人になったら絶対に、って。
***
……本当は昨日、蒼真を帰したくなかった。
泊まるかと聞いたが「父親がいる日は、何が起こるかわからないから帰る」と言って、終電前に帰っていった。
ドアの鍵を閉めたあと、しばらく手が震えていた。
指先に冷たい金属の感触が、残っていた。
また帰してしまった。
痣の理由を知った日から、もう何度も。
――俺が一人暮らしを始めた一番の理由は、蒼真が辛い時「いつでも来ていい」と言える場所が欲しかったからだった。
絵に集中したいから大学の近くで。それは表向きの理由だった。
両親に、大学に入ったら一人暮らしをしたいと頼み込んだ。
両親も兄も、俺が一人暮らしなんかできるのかと心配していたが、何度も言い続けるうちに、そんなにしたいなら……と折れてくれたのだった。
ベッドに座って、スマホを手にした。
蒼真へのメッセージを書いては消し、迷ったが一言だけ送る。
『今日は大丈夫そう?』
すぐに「うん!」と元気そうなスタンプが返ってきた。
それが本心なのかは分からないけれど……本当に元気なら、それでいい。
また蒼真が頼ってきたときは、支えられる自分で居たい。
守れる保証なんてない。
それでも――守りたいと思ってしまった。




