19話 気のせいだって……!(蒼真)
――湖畔に向かう電車内。
突然、漣の腕が肩の横へ伸びる。
逃げ場を塞がれて、壁に押し込まれる形になった。
近い……!
びっくりするくらい近い……!
顔を上げると、すぐ目の前に漣の顔があった。
真剣な目でこっちを見ている。距離が近いせいか、普段より目つきが鋭く見える。
「……ごめん。大丈夫?」
漣の低い声が、耳のすぐ近くで響く。
――心臓が一気に跳ね上がる。
反射で息を止めた。
喉が渇いて、唾を飲み込む音がやけに大きく感じる。
近すぎて、頭の中が追いつかない。
いや待て待て待て。何ドキドキしてんだオレ。
相手、漣だぞ。親友!
低くて、吐息交じりの声。
漣って、こんなイイ声だったのか……?!
ちょっと待て。誰だ今の。ほんとに漣?
「だ、大丈夫! 全然大丈夫!!」
声が裏返った。
慌ててそう言うと、漣は「ならよかった」と平然としていた。
動揺してんの、オレだけ……?
混乱してる間にも電車が揺れて、さらに距離が縮まる。
むりむりむり無理!
漣は後ろから押されているのか、苦しそうな表情してる……。
わ……そんな顔で見んなって……!
う、うわぁぁ。相変わらず顔いいなこいつ!!
視線を逸らそうとして、逆に漣の目とぶつかる。
心臓の音がうるさい。
ほんとなんでオレ今、ドキドキしてんの?
ドキドキしてんじゃねぇ……!
落ち着け。落ち着け。何意識してんだよオレ!
漣が不思議そうに首を傾げていた。
***
電車を降りたあと、ホームで息を整える。
……びっくりした。
いや、ほんとびっくりしただけ。
だって近すぎただろ。あれ。
顔、あんな距離で見たことあったっけ?
……漣の声、低かったな。
思い出すと、ゾクゾクする。
いやいやいやいや。何考えてんだオレ。
親友にドキドキするとか意味わかんねーし。
近かったからだ。距離の問題。ただの事故。事故事故。
……うん。気のせい。
一度、深呼吸する。
よし。通常モードに戻ろう!
***
湖畔は風が冷たかった。
水面に映った紅葉がゆっくり揺れていた。
写真で見た紅葉より、ずっと色が濃い。
「うわー! 紅葉めっちゃきれい! なあ、漣見て!」
「……どうした?」
なんか心配そうな顔してる……?
無理にテンション上げすぎたの、漣はきっと気づいてる。
理由は気付いていないだろうけど――。
気を取り直して、スマホを取り出す。
「漣、写真撮ろーぜ」
「え?」
「ほら、もうちょい寄って」
頭が触れる距離。
「……近い」
「いいからいいから」
ほら、普通。いつも通りできてる。
やっぱ漣にドキドキしたのは、気のせいだ。
ふたりが画面に収まったところで、シャッターを押す。
撮った写真を見る。無表情の漣。
「……笑ってないじゃん!」
「急に言われても無理だろ」
「じゃあもう1回! 漣、笑ってー」
オレが変顔して見つめると、漣が珍しく爆笑してくれた。
これ、変顔レベルMAXが10だとしたら2くらいなんだけど……。
漣が笑うと、尖った犬歯が見える。漣のかわいいところのひとつ。
つられてオレも笑顔になる。
その瞬間を逃さないよう、シャッターを押す。
撮れた写真を見て、エモすぎて驚いた。
背景は紅葉した山と、湖。向かい合って笑ってるふたり。我ながら自信作。
「よし、最高なの撮れた!」
「見せて」
画面を覗き込んできた漣の横顔が近い。
胸の奥が変な音を立てる。さっきの声が蘇って、勝手に耳が熱くなる。
……気のせい。気のせいだって!
***
次に向かったのは、雑誌で見て、行ってみたかったおしゃれなカフェ。
扉を開けた瞬間、コーヒーの香りがふわっと広がった。
木の床がきしむ音までおしゃれに聞こえる。
席に案内され、ふたりでメニューを見る。
メニュー表までおしゃれで、おいしそうなドリンクやスイーツの写真が並んでいる。
「漣、何にするー?」
「これ」
指差したのは豆乳抹茶ラテ。
やっぱ、それ選ぶと思った。漣、抹茶好きだもんな〜。
しばらくしてケーキとドリンクが運ばれてくる。
写真を撮ったあと、ケーキにフォークを差す。
ケーキって最初の一口が最高なんだよな! 三角の先のとこ。
「……うっま」
その時、カシャッとシャッター音が鳴る。
漣がスマホを見ながら言う。
「美味そうに食べてる」
撮られてた。
……なんか、嬉しい。漣も思い出を残そうと思ってくれてんのかな。
漣が、もう一度こちらにスマホを向けて言う。
「蒼真、もう1回撮るよ」
「わーい、やったー」
ケーキを見せるように、ポーズをとる。
撮れた写真を見ながら「カフェの内装がきれいで、絵になる」って漣がつぶやいていた。
カフェラテを飲みながら思う。
漣といると落ち着くんだよな。昔から。
理由は分からないけど。性格とか全然違うのに不思議だ。
――カフェを出ると外はもう暗くなり始めていた。
***
帰りの特急列車に乗るため、駅へ移動した。
駅前は温泉街。
暗くなっても人通りは多く、賑わっていた。
広いおみやげ屋を見つけて、思わず足が止まった。
「おみやげ買いたい!」
おみやげの種類が多くて迷う……。
「漣は買う?」そう聞くと、漣は少し考えるみたいに間を置いてから言った。
「……俺は、いい」
意外だった。
「え、そうなの? 同じ学部のさ、あのよく一緒にいる友達にあげないの?」
「……友達?」
聞き返されて、逆にこっちが戸惑った。
その子を思い浮かべると、高貴なネコが思い浮かんだ。
「ほら、あのツンツンしててネコっぽい子。いつもかわいい格好してる……」
「悠月だ……。蒼真には、あれが『友達』に見えるのか……?」
「ちがうの?!」
「ちがう。絡まれてるだけ」
「絡まれてたの?!」
衝撃の事実……。
漣は、おみやげが並ぶ棚を見つめながら言う。
「あいつは、おみやげとか喜ばないと思う。……たぶん、悠月は人にもらったものを食べない。小物とかをあげてもきっと捨てる」
あー。だから、この前の差し入れ断られたんだ。
理由はよく分かんないけど、漣がそう言うなら、きっとそうなんだろう。
漣って、昔から基本一匹狼なところあるしな。
人付き合い不器用だし、そういう距離感なんだろう。
大学でちゃんとやれてるのかな、頼れる人はいるのかな、って少し心配になった。俺が勝手に心配してるだけかもしれないけれど。
漣はひとりでも平気そうで、でも時々、世界から一歩引いてるみたいに見えて……気にせずにはいられない。
「そっかぁ。じゃあ家族に買って行けば? 絶対喜ぶって!」
「……うん」
漣の家族はきっと喜ぶ。
オレは何度も会っていて、温かい家族だって知っているから。
***
特急列車を降りて、最寄り駅までの電車に乗り換える。
外はもう真っ暗だ。
隣で、漣がバッグを抱えて静かに眠っていた。
……肩に、重み。
珍しい。漣が俺にもたれてくるなんて。
そっとスマホを取り出して、インカメラでこっそり写真を撮る。
撮るのはズルい気がした。
でも、今日が終わって、この時間を忘れたらもったいない気がして。
だから残したい、って思ってしまった。これも思い出、っと……。
笑みを浮かべつつ、漣をそっと支える。
起こそうかと思ったけど、やめた。
駅に着くまで、ほとんど動けなかった。
……ふと思ったけど、漣は他の誰かとこうやって旅行行ったりするのかな。オレ以外に仲良い友達の話聞いたことないし、行かないか。
***
電車を降りると、夜の空気がひんやりしていた。
昼間の観光客のざわめきが嘘みたいに、駅前は静かだ。
隣を見ると、漣がまだ少しぼーっとしていた。
さっきまで肩にもたれて眠っていたせいか、ぼんやりした目をしている。
「漣、おつかれさまー。……ほら」
本当は、見せるつもりなんてなかった。
でも、漣が眠そうにしてるのが可愛くて――つい。
さっき電車で撮った写真をチラッと見せる。
画面に映っているのは、電車の中で眠る漣。オレの肩にもたれて、完全に無防備な顔。
「よく寝てたなー。疲れた?」
漣の目が一気に覚めて、スマホに手を伸ばそうとする。
「……は!? な、なんだよそれ……! 消せよ!」
「やだ」
漣の視線が揺れる。少しだけ、困ったような顔。
それから小さく息を吐いた。
「……絶対誰にも見せるなよ!」
「はーい」
長い一日だった。
体は少し疲れているのに、胸の奥はじんわり温かい。
夜の駅の空気が、静かに流れる。
改札の向こう、帰り道が分かれている。
現実に戻る時間。
でも、さっきまでの温度がまだ体に残っている。
「また行こうな」
自然に言葉が出た。
漣は一瞬だけ驚いた顔をして、すぐに頷く。
「……ああ」
それだけ。でも、ちゃんと約束みたいに聞こえた。
別々の方向に歩き出す。
数歩進んで、振り返る。
漣も同じタイミングで振り返った。
少しだけ笑う。それだけで、十分だった。
***
――帰宅後。
家に帰って風呂を済ませ、ベッドに倒れ込む。
スマホの写真フォルダを開いた。
今日撮った写真が並ぶ。
湖。紅葉。カフェ。温泉街。
スクロールする指が止まる。
漣の写真。
自然の中、こちらを見て少しだけ笑っている。
今日は、なかなか見られない表情の漣の写真がいっぱい撮れたな。
スワイプして、次の写真へ。
ふたりで撮った写真。楽しそうに笑っている自分と、隣にいる漣。
やっぱりいい写真だな、って思った。
気づけばメッセージアプリを開いていた。
アイコンを変更。
今日、漣が撮ってくれた写真を選んだ。
「自然体で、いい写真」
誰に言うでもなく呟く。
スマホを枕元に置いて天井を見る。
今日一日を思い出して、自然と笑っていた。
……なんか、楽しかったな。
「……またふたりで行けたらいいな」
このときはまだ、この気持ちの名前を知らなかった。




