18話 今日だけは素直に
――早朝。二人のスマホから、アラームが鳴り響く。
目を開けると、窓の外はまだ夜の色が残っていた。
街灯だけがぼんやり光っている。
ソファから身体を起こして、ベッドを見る。
……蒼真は、まだぐっすり寝ていた。
俺に起こしてもらえる前提でいるのが、予想通りすぎる。
「蒼真、起きろ」
「んー」
「蒼真!」
呼びかけても起きない。
触れていいものか少し躊躇ってから、布団越しに蒼真の肩を揺らしてみる。
「起きろよ。時間!」
「んん……わかったー」
蒼真が目を擦りながら、ゆっくり目を開けた。
……もし泊まっていなかったらどうなっていたんだろう。
俺がいなかったら、ちゃんと起きられただろうか。
***
眠そうな蒼真を引きずるように家を出て、最寄り駅まで歩く。
電車で隣駅に移動し、そこから特急列車に乗り込んだ。
事前に予約していた二人掛けの座席。
窓側が俺で、右隣が蒼真。
窓の外の街並みが、ゆっくり郊外へ変わっていく。
一時間ほど揺られるうちに、車窓の景色はビルから山へ変わっていった。
蒼真は、よくそんなに話題が出てくるなと思うくらい喋り続ける。
唐突にスマホを取り出し、画面を向けてきた。
「漣、カメラ見てー」
窓の景色を背に、インカメラでふたりの写真を撮ろうとしてる。
画面に収まろうと、蒼真が距離を詰める。肩が触れる。
……心臓がうるさい。
蒼真にとって、この距離は友達の距離なんだろうか。
近すぎて、いつも疑問に思う。
でも、蒼真が楽しんでいることが伝わってきて、自然と笑ってしまう。
しばらくすると、蒼真の声がだんだん途切れがちになる。
うとうとし始め、やがて俺の肩にもたれてくる。
近い近い……! 体温が肩から伝わってくる。
鼓動が聞こえてしまいそうだ。
蒼真の寝顔を横目で見る。
無防備で……かわいい。
何度も泊まりに来ているのに、こんなに近くで寝顔を見るのは初めてだった。
昨日言っていたとおり、楽しみで眠れなかったのか……?
そう思うと、抱きしめたくなる。
……でも、できるわけがない。
ここまで関係を壊さないよう、気持ちを隠してきたんだ。
これからもずっと。
肩は重い。それでも起こせかった。
***
特急列車内。
アナウンスが流れる。
寝ている蒼真に声を掛ける。
「蒼真、次降りるぞ」
「……ん、わかったぁ」
もたれていたことにも気づかないまま、ゆっくり目を開けて伸びをして体勢を戻す。
電車を降りて、駅を出る。
「ついたー!」と蒼真がはしゃぐ。
気持ちのいい晴天。駅前から見える山は半ば紅葉していた。
空気は澄んでいた。普段の街の匂いじゃない。
ひんやりした空気が胸の奥まで入り込む。
都会より静かで、風の音がはっきり聞こえた。
まずは野外展示がある美術館へ向かう。
行き方メモをチェックする。
バスで約十五分。
野外展示の美術館に到着した。
広い芝生にオブジェが点在している。
足元の芝が少し湿っていて、靴の裏に冷たさが伝わる。
「うわ、これデカっ! なんかラスボス感あるな」
……出たよ。RPGゲームが好きな、蒼真らしい視点。
「光の当たり方計算してるのかも。影が綺麗に落ちるように」
「え、そこ見るの?!」
「見る」
「同じもの見てんのに、見えてる世界全然違うなー」
「……蒼真は蒼真で、俺が見ないところ見てる」
「どこ?」
「ラスボスがどうとか。俺はそういう見方したことなかったから」
二人で笑う。
こういう時間を共有できるのが、嬉しい。
歩きながら蒼真が言う。
「なんか、漣とこういう自然いっぱいなところに来るの新鮮だな! ずっと一緒にいるのに、意外と初めてなことって多いなって思った!」
ずっと一緒にいるのに、初めてが多い。
その言葉が頭の中で繰り返される。
思い出が増えていく。蒼真の中に、俺との記憶が。
そう思うと胸がいっぱいになる。
「……たしかに。初めてだ」
***
次に向かったのは、少し歩いたところにある小さな屋内ギャラリー。
ギャラリーの中は静かだった。
足音がわずかに響く。
蒼真が目の前の絵を指差して、俺の耳横で小さな声で囁く。
「これさ、漣好きそう」
「うん……構図がきれい」
「これは、そういう見方するんだ」
ギャラリーから出た後、蒼真が言う。
「漣って、やっぱ見てる世界が違うよな~。かっこいい! 羨ましい!」
内心、少し嬉しかった。
歩きながら蒼真が言う。
「高校一年の時だっけ? 一緒に美術館行ったこと思い出した」
「うん……あの時、初めて美術館に行った」
一緒に行ったことを覚えてくれていた。それだけで、少し泣きそうになった。
***
十三時。
予約していた古民家風の和食屋。
窓から紅葉が見える、静かで落ち着いた雰囲気。
木の匂い、障子越しの光。紅葉が窓から見える半個室だった。
蒼真が個室内を見まわして言う。
「うわー、こういうとこ修学旅行感あるよな!」
こんな静かな修学旅行があるか。適当め。
「……いや、修学旅行でこんな静かな店入らないだろ」
「あ、確かに。班行動でラーメン屋行ったわ」
そう言って、蒼真が笑った。
朝と夜は賑やかなビュッフェだったしな……。
料理が運ばれて来る。
天ぷらや小鉢、炊き込みご飯。ボリュームがあって豪華だった。
湯気が立ち上って、ほんのり出汁の香りが漂う。
蒼真がスマホで料理の写真を撮っている。
「うわ、めっちゃうまそう!」
俺は料理をじっと見てから、ゆっくり箸を持つ。
蒼真が言う。
「こうやってさ、落ち着いたお店で飯食うの人生初めてかも」
「……そう、なんだ」
「なんか、オレ一人だったら絶対こういう店入らないし」
「……」
蒼真が俺の目を見て、笑顔でさらっと言った。
「漣と来られてよかった!」
箸が止まる。
……それ、ずるいだろ。
もしかして、蒼真って誰にでもこういうこと言ってしまうタイプなのか……?
だとしたら、今まで蒼真と付き合っていた人たちが羨ましすぎて、嫉妬で狂いそうだ。こんな優しい笑顔と声で、甘い台詞を言われたらもう……抜け出せない。
平然とした顔で「うん」と言って、静かに頷くしかできなかった。
***
店を出たあと、店先の紅葉を見ながら歩く。
隣にいるのが当たり前みたいに。
それが、少しだけ……怖いくらい幸せだった。
これ以上好きになりたくないのに……!
ああ、でもこんな時間がずっと続けばいいのに――。
まだ、帰るまで時間はたくさんある。
今日だけは素直に楽しみたい。蒼真にも、楽しんでもらいたい。
***
次の目的地、湖畔へ向かう電車。
駅のホームに着くと、想像以上の混雑。
電車に乗り込む人波で、身体が前に押し出される。
とっさに壁に両手をついた。
――蒼真を潰さないように。
蒼真の背中の向こうは壁。
俺の背中には知らない人のコートが触れる。逃げ場が、ない。
向かい合っている蒼真を囲う形になってしまって、距離が一気に縮まる。
ち、近い! 息ができない。近い……!
焦りを悟られないように。油断して気持ち悪い顔にならないように……しかめっ面になってしまう。
吐息が触れそうな距離で視線が合って、思わず声を落とした。
「……ごめん。大丈夫?」
蒼真の身体がびくっと揺れた。
目を見開いて固まっている。
やっぱり怖がらせてる……?
できる限り離れようとした瞬間――。
「だ、大丈夫! 全然大丈夫!!」
声が裏返ってる。
勢いよく返事をされたせいで、逆に戸惑う。
そんなに焦るほど嫌だったのか……?
蒼真はなぜか視線を泳がせて、落ち着かない様子で立っている。
その後も電車が揺れるたび、囲い込む形になる。
蒼真の顔がすぐそこにあって、視線のやり場がない。
近すぎる。
こんなの平常心でいられるわけがない。
こんな状態で、あと二駅も耐えられるのか……?
心臓の音がうるさい。
このまま、壊れてしまいそうだった。
――もう、とっくに手遅れかもしれない。




