11話 名前を呼ぶ声(蒼真)
――懐かしい場所。
オレ(泉水 蒼真)は、母校である小学校の廊下に立っていた。
チャイム直前の廊下は、子どもたちの声でざわざわしていて、床を走る足音が響く。笑い声、ふざけ合う声。あの頃と同じような雑多さが、やけに鮮明に耳に入ってくる。
今日からここで、四年生のクラスの教育実習が始まる。
四週間。最初は担任の先生の補助と見学からで、少しずつ前に立って話したり、授業の一部を任されたりする。
学校の設備は少し新しくなってるのに、廊下の匂いと騒がしさは昔のままだ。
自分が通っていた頃の記憶が、そのまま重なる。
でも――立場は、もう違う。
職員室で挨拶をして、担任の先生の後ろについて教室へ向かう。
廊下の掲示物が目に入る。「四年A組 係活動表」。色鉛筆で丁寧に書かれた名前が並んでいて、なんだか眩しい。
オレも昔、ここに自分の名前が書かれていたっけ……。
チャイムが鳴り、担任の先生と一緒に教室に入ると、教室の空気が少し固まった。
生徒たちが、不思議そうな目でこちらを見る。
「だれ?」
「知らない人だー」
小さな声が、あちこちから聞こえてくる。
……緊張する。
心臓が変に早くなる。でも、ここで引くわけにはいかない!
笑顔を意識して、教壇に立った。
「えっと……初めまして!
雫ヶ星総合大学からきました、泉水 蒼真といいます!
今日から四週間、学校の先生になるための勉強をしに来ました。
僕も、この小学校に通っていました。好きな給食は、カレーとコロッケパンです! みなさん、よろしくお願いします!」
言い終わって、息を吸う。
……よし。何度も練習した甲斐あって、ちゃんと言えた、はず。
教室の空気が、ほんの少しだけ和らいだ気がした。本当に少しだけ……。
気づけば、教室がオレの言葉を待つ空気になった。
「先生」って、こうやって始まるんだ――そんな気がした。
***
――掃除の時間。
ほうきを持ちながら、やたら大きな声でふざけている生徒が目に入った。
周りの様子を気にしながら、場を盛り上げようとしているのが分かる。
――あぁ、昔のオレだ。
小学四年生の頃の記憶が、ふと蘇る。
小さい頃から、オレは人と話すのが好きで、なぜか自然と目立つほうだった。
明るい。ノリがいい。誰とでも話せる。
周りからは、きっとそう見えていたんだと思う。
でも――誰もオレのことを「ちゃんと見てくれている」感じはしなかった。
笑ってるオレ、ふざけてるオレ――みんなが見てるのは、いつもその“外側”だけだった。
オレが本当は何を感じてるか、何を怖がってるかまでは、誰も気づかない。
だから余計に、声を大きくして冗談を言って、場を回した。そうしてれば、自分の居場所がなくならない気がしたから。
そんなある日、クラスに転校生の男の子がやって来た。
漣と初めて話した六月から少し経った頃だ。
その子は、教室の端で小さくなって座っていて、目が合うとすぐに俯いた。知らない場所で、知らない人たちに囲まれる怖さは想像に難くなかった。
どうにかクラスに馴染ませてあげたい。笑ってほしい。
そんな気持ちから、休み時間の遊びに誘ったり、みんなを巻き込んで積極的に話しかけたりした。
その子が少しでも教室で息ができるようにって、勝手に。
ある日の放課後。
担任の先生に、職員室へ呼ばれた。
――怒られるんだと思ってた。「うるさい」とか「やりすぎ」とか。
でも、先生は穏やかな声で言った。
「最近、教室の空気、気にしてるでしょ」
一瞬、言葉に詰まる。
……なんで分かったんだろう。
先生は続けた。
「無理に明るくしなくていい。でも、蒼真が気づいてることは大事なことだよ。ただ名前を呼んで、気にかけてあげるだけでも、救われる子はいる」
その言葉に、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
――誰かが初めて、“オレの内側”を見てくれた気がした。
先生は、オレの背中を軽く押して言った。
「蒼真、頼むよ!」
笑って「はいはーい」って答えたけど、内心は戸惑ってた。
オレでいいの? オレなんかが、誰かを救えるの? って。
それから、無理に場を盛り上げようとするのをやめた。
その癖は、完全に消えたわけじゃない。それでも、“必要以上の明るさ”を少しずつ手放した。
ただ、名前を呼んで挨拶をする。
昼休みに机を合わせて給食を食べる。
くだらない話をして、一緒に笑う。
つらそうな時は、気にかける。
それだけ。
それだけで、転校生は少しずつ、クラスの輪に入っていった。
大きな変化じゃない。でも、確かに表情が少し柔らかくなって、笑う回数が増えた。
――小学校の卒業式の日。
その子が、オレに言った。
「最初に名前を呼んでくれたの、蒼真だった」
「え? オレ?」
「うん。蒼真のおかげで、自分は居ていいんだって思えた。ありがとう」
その言葉を聞いて、オレのほうが「居ていいんだ」って言われた気がした。
……でも、その子とは中学で別々になって、それきりだ。
連絡先も知らない。偶然会うこともなかった。
今どこで何をしてるのかも分からない。
それでも、あの言葉だけは、ずっと残ってる。
名前を呼ばれること。
気にかけてもらうこと。
それが、どれだけ人の心を救うのか。
その感覚は、今でもオレの中に残り続けている。
『ちゃんと相手の内側を見て、気づける教師になりたい』
派手な理想じゃない。
でも、確かな目標。
***
――掃除終了のチャイムが鳴って、はっと我に返る。
「先生ー、掃除終わったよ!」
生徒たちが声をかけてくる。
慌てて掃除用具を片づけながら、少し笑った。
最初から、完璧な先生にはなれないかもしれない。
でも、名前を呼ぶことならできる。
変化に気づくことなら、できる。
誰かが「ここに居ていい」って思えるように。
***
――教育実習初日が無事に終わり、帰宅。
ベッドに倒れ込んでスマホを見ると、漣からメッセージが来ていた。
『実習どう?』
短い一言。
でも、漣なりにオレを気にかけてくれてるんだって分かる。それがすごく嬉しかった。
『楽しいよ』
そう返すと、すぐにスタンプが返ってきた。
なんとも言えない表情のクマ?が、じっとこっちを見ている。
……どういう心境だよ、これ!
思わず声を出して笑った。疲れてた心が、少しだけ元気になった。
名前を呼ばれること。
気にかけてもらえること。
オレも、ずっとそれに救われてきた。
明日からも、頑張ろう。




