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ほくそ笑む大悪党 アルバロ・デ・モリーナ  作者: ひまえび
第6章――「波の鎖、南の潮」

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第2話(後編)――「水の線引き、砂糖の柱」

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


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 (1521年4月10日 朝。サントドミンゴ総督邸)

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 登場人物〈男性〉


 ディエゴ〈28〉(遠征司令官、大尉) アルバロ〈27〉が遠征の際に名乗る仮名である。アルバロは新大陸の皇帝を自認し、新大陸からスペイン人勢力を一掃する意志を持つが、皇帝が前線へ出る体裁は避けるため、現場では「ディエゴ」を名乗って軍を率いる。妻や妾、侍女、兵は真相を知らされておらず、ディエゴを単なる高級将校と受け取っているため、呼称も態度もその前提で統一されている。


 登場人物〈女性〉


 サク・ニクテ〈22〉(正妻) コスメル島出身の先住民。コスメル島部隊5,000名の隊長。上陸地の井戸と倉を先に押さえ、配給と整列で隊の崩れを防ぐ。妊娠5か月で、腹の子の動きを隠さず前に立つ。


 テレサ〈31〉(妾) スペイン人。炊事と配給のまとめ役で、列を崩さず兵に食わせる。先夫は水夫で、航海中の事故で亡くなった。ディエゴに対しては遠慮なく意見を言う。


 イサベル〈19〉(妾) スペイン人。読み書きと算盤に通じ、兵の口数と樽の数を帳面で合わせる。先夫はキューバの役所付きの下級書記で、政争に巻き込まれて処刑された。補給と分配の乱れを嫌う。


 グアリオナ〈21〉(妾) キューバ島東部の沿岸集落出身の先住民。浅瀬の色と流れを読むのが早く、上陸の足場を選ぶ。先夫はカヌー職人で、徴発ののち消息を絶った。口は軽いが、仕事は確かだ。


 ヤグアリ〈18〉(妾) ユカタン沿岸出身の先住民。薬草と湯で手当てを担当し、虫除けや傷の手当てに強い。先夫は斥候として徴発され、戦の途中で戻らなかった。警戒心が強く、無駄口を叩かない。


 マテア〈23〉(妾) キューバ島サンチャゴ出身の自由身分ムラタ。大鍋を扱い、豆と塩漬け肉で腹を作る。先夫は港の荷役で働いていたが、暴動鎮圧の巻き添えで亡くなった。現場の疲れを見て手を動かす。


 ドニャ・ベアトリス〈30〉(スペイン人) セビリア出身。夫はサンチャゴ大聖堂に属する聖職者で、説教と告解の取りまとめに関わっていた。夫は旧来の権力筋と近く、城塞の内側の噂や名簿の流れにも通じていたが、争いの後に失脚し、姿を消した。ベアトリスは生き残りのためにディエゴへ好意を示し、名と事情を取引にする形で近づく。遠征には侍女として付いてきたが、口と香りで間合いを詰める癖があり、ディエゴは情報源として手元に置くだけで、妾にはしていない。


 イネス・アルバレス〈26〉(スペイン人) エストレマドゥーラ出身。夫はキューバ東部の砂糖農場の経営者で、圧搾機と倉、労働者の手配まで握っていた。夫は騒乱の夜に殺され、農場は人手と道具だけが残った。イネスは農場の内側を知り、誰が怠け、誰が盗み、誰が働いたかを具体で言える。ディエゴに好意を匂わせ、遠征では侍女として衣類や寝具の手配にも回るが、利で動く言い回しが抜けず、旧勢力との結びつきも疑われている。ディエゴは現場の証言を引き出すためにそばへ置き、妾にはしていない。

―――――――――――――――――


 ディエゴは総督邸の奥の部屋で、帳面を1枚ずつめくっていた。窓から入る川風は湿り気を含み、紙の端をわずかに波打たせる。港のほうからは木箱がぶつかる音が断続し、煮炊きの煙の匂いが薄く混じっていた。島の暮らしを支えるには、まず水を途切れさせてはならないと、彼は考えていた。


 机の脇にはサク・ニクテが立っていた。腹は丸く、衣の紐は少しきつい。それでも目は澄んでおり、部屋の端までよく見ている。イサベルは算盤を脇へ置き、指先の墨を拭ってから、帳面の欄を整えた。テレサは配給の束を抱え、塩と乾パンの数を確認しながら、紙片の端を揃えている。マテアは湯を張った椀を運び、柑橘をひと房落とした。酸い香りが湯気に混じり、部屋の空気が少し軽くなる。グアリオナは窓辺へ寄り、雲の厚みと風向きを確かめた。ヤグアリは布袋の口をほどき、乾かした香草を指でほぐして、虫除けの匂いを細く立てた。


 ディエゴは地図の上へ指を置いた。川が5本、海へ落ちる筋が描かれている。白い町を港の声だけで支えることはできない。船を動かす木材と索具、鍛冶の炭、塩、そして外へ出して戻る品が要る。彼は最初の柱を砂糖に据えるつもりだった。インへニオ型のサトウキビ農園を5つ建てる。圧搾小屋と煮詰め小屋を備え、水を引き、燃料を確保し、働く手に賃を払いながら回す。


 ディエゴは顔を上げ、皆に聞こえる声で言った。

「場所は水の具合で決める。町の井戸は奪うな。川の流れを少し分けて畑へ回す。ただし、その前に権利の線引きを済ませておく。水はあとから必ず争いを呼ぶからだ」


 サク・ニクテは短く頷き、言葉を継いだ。

「私も同じ考えです。水が曖昧なままだと、畑より先に喧嘩が育ちます。だから、最初に決めておいたほうが良いです」


 部屋の隅には、侍女として従ってきたドニャ・ベアトリスとイネス・アルバレスも控えていた。2人ともスペイン人で、身なりは整っている。ベアトリスは香を薄くまとい、言葉で場を動かす癖がある。イネスは農園の話になると、倉と圧搾機の話が早い。ディエゴは2人の意見も聞くが、任せすぎない。手元に置く理由は、便利だからであって、信用したからではなかった。


 翌朝、彼らは馬で町外れへ出た。土は乾き、踏むたび粉が靴にまとわりつく。川へ近づくと匂いが変わった。藻と泥の匂いが混じり、水面からぬるい湿り気が立つ。グアリオナが先に降り、草の先を折って水面へ投げた。葉は流れに乗ってまっすぐ進んだが、少し先で渦に吸われて消えた。


 グアリオナは振り返り、落ち着いて言った。

「水は引けます。ただ、雨のあとに川が増すと、ここは流れが急になります。堤を低くすると、畑が持っていかれます」


 ディエゴは川岸の土を掴み、握って崩した。粘りがある。堤を作れる土だった。テレサは風下を確かめ、鼻で匂いを拾ってから言った。

「煮詰め小屋を置いても、煙が町へ戻りにくい風向きです。匂いで揉め事が起きにくいので、働く人の気持ちも荒れにくいと思います」


 砂糖を煮る匂いは甘いが、強い。町の近くで立てれば、必ず文句が出る。サク・ニクテは黙って歩き、足元の低い湿地を見つけると、杖で地面を突いた。

「ここは水が溜まります。掘って流れを作らないと、熱と虫が増えます。畑が病む前に、人が倒れます」


 ヤグアリはうなずき、香草の束を軽く振った。匂いが風に乗り、蚊が集まりやすい場所がわずかにずれていく。


 場所は5つに決まった。町の上流、別の川筋、海へ近い平地、湿り気のある低地、森に近いところ。どこも水は引けるが、溜めない工夫が要る土地だった。ディエゴは杭を打たせ、赤土に印を付けた。木槌の音が乾いた空に跳ね返り、鳥が枝を揺らして飛び立った。


 雇い入れは広場で始まった。朝の光が白く、石畳が熱を返す前の時間だった。列に並んだのは、先住民の若い男と女、解放された黒人たち、仕事を失ったスペイン人の貧しい者たちだった。衣の端が擦れる音、赤子の泣き声、籠の中で果実が当たる鈍い音が混じる。マテアは水甕を並べ、豆を煮た匂いを広げた。空腹が落ち着くと、人の目つきは柔らかくなる。


 イサベルは卓に座り、名を取った。名を言えぬ者には印をつけさせ、炭を指先につけて紙へ押させる。炭の匂いと汗の匂いが近い。テレサは配給の袋を開き、塩と布の切れ端を見せて言った。

「賃は銀だけではありません。塩と布も渡します。働いた日ごとに数を揃えますから、後で揉めないように、今日の分は今日のうちに受け取ってください」


 ディエゴは列の前へ出て、声を張りすぎないように話した。

「畑も水路も、ここに並んだ者の手で立つ。奪って作る気はない。賃は毎夕、この広場で払う。逃げた者の家族まで責めることはしない。ただし盗みだけは認めない。帳面と現物は必ず照らす。あとで言い逃れはできない」


 言葉が終わると、広場の空気が少し静かになった。脅しではなく、約束として受け取られた静けさだった。サク・ニクテは列の端を見回し、割り込もうとする男がいれば、すぐに合図した。コスメル島部隊の兵が2人、黙って前へ出て道を塞ぐ。押し返さない。ただ立って、順番を戻す。揉め声が上がる前に収まった。


 水路掘りが始まると、土の匂いが一日中続いた。鍬が湿った土へ入る音は重く、乾いた土へ入る音は軽い。掘り返した土を籠に入れ、女たちが列になって運ぶ。籠が肩に当たるたび縄が軋み、汗の塩が唇に残った。川から引いた水が初めて溝へ落ちたとき、涼しい音がした。水が砂を撫で、細い流れが少しずつ太くなる。畑の角で流れが分かれ、土が暗く変わっていく。


 傾きが足りない場所では、水が溜まり、そこだけ土が黒く沈んだ。サク・ニクテはすぐに見つけ、作業の手を止めずに言った。

「ここはもう少し下げてください。水が止まると、腐って臭いが立ちます。臭いが立てば、虫が寄って、病が出ます」


 テレサは合間に配給を回し、乾パンを砕いて煮汁に落とした。木匙が椀に当たる音が続き、湯気が鼻の奥を温める。マテアは火の番をしながら、働く女の手を見て回った。指先が割れている者には油を薄く塗り、布を巻く。ヤグアリは水溜まりの端へ香草を吊るし、虫が集まる場所をずらす。グアリオナは川の色の変化を見て、堰の板を上げ下げした。夕方に潮が押すと流れが鈍る。そこで引きすぎれば畑がぬかるむ。彼女は足首まで入って確かめ、首を振って合図を出した。


 圧搾小屋の建設が始まるころ、切り立ての木の匂いが増えた。梁は青く、触れると樹液が薄くつく。鍛冶場では鉄を打つ音が一定に続き、火の匂いが風に混じる。煮詰め小屋の床には石が敷かれ、鍋を置く台が組まれた。まだ砂糖は煮ていないのに、木と灰と熱の匂いだけで、そこが仕事の場所だと分かった。


 ディエゴは帳面に5つの農園を書き込み、5人の妾を農園主に据えた。理由は単純で、それぞれが現場を回せる手を持っているからだった。イサベルには会計と在庫を任せ、テレサには配給と労務を任せる。マテアには炊事と手当てを任せ、グアリオナには水と堰を任せる。ヤグアリには森に近い畑を任せ、衛生と虫除けを受け持たせる。役目を分ければ、責任も見える。


 最後にサク・ニクテが5人の前へ出た。腹に手を当てたまま、穏やかだが崩れない声で言った。

「建設費も維持費も人件費も、ディエゴが負担します。だからこそ、帳面を崩してはいけません。賃が遅れると、人の心が荒れます。心が荒れると盗みが出ます。盗みが出ると、誰かが鎖を持ち出します。私たちは、その戻り道を作りません。ですから、賃は必ず、約束どおりに払い続けてください」


 5人は黙ってうなずいた。うなずき方は違っても、受け取った中身は同じだった。


 2人の侍女は少し離れて立っていた。ベアトリスは教会との折り合いを言い、イネスは薪の量と鍋の数を口にした。ディエゴは礼を言って聞き流し、必要なところだけ拾った。夕方には兵に命じ、2人の荷を点検させた。丁重に扱うが、自由にはさせない。サク・ニクテはその手順を黙って見届け、視線だけで合図を送った。


 夕刻、畑へ水が回り、植え付けの列が動いた。切ったサトウキビの苗を土へ寝かせ、土をかぶせ、足で軽く踏む。踏むたび湿り気が上がり、土の匂いが濃くなる。遠くで海が鳴り、港の綱がきしんだ。ディエゴは畑の端で立ち止まり、並ぶ背中を見た。ここで生まれる甘さが、道具と賃金と船の修繕に変わる。その回り方を止めないことが、島を支える最初の仕事になる。


 サク・ニクテが隣へ来て、小さく言った。

「人の腕を軽んじないという決め事は、ここでも変わりませんね」


 ディエゴは短く答えた。

「変えない。変えた瞬間に、島が痩せる」


 風が畑を撫で、まだ細い苗の葉が擦れ合った。甘い匂いはまだ先だったが、水の音と土の匂いが、島の次の季節を先に告げていた。

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