第17話――「センポアラ遠征軍の出立」
(1520年8月10日早朝。テノチティトラン王宮)
アルバロやアルバロの両親たちがスペインから持ち込んだ家畜の飼育も順調に進んでいた。
スペインから持ち込んだ家畜の主な物は肉牛、乳牛、馬、羊、山羊、豚、ロバ、ラバ「ロバと馬のかけ合わせ、一代雑種」、鶏、家鴨、鵞鳥、犬である。
新大陸ではリャマ、アルパカ、七面鳥、テンジクネズミ、犬程度しかいなかったので、持ち込んだ家畜は大いに重宝した。
食生活の面では、牛肉、豚肉を使った料理と牛乳、バター、チーズが使用できるのが大きかった。
何と言っても役に立ったのは鋼鉄製の犂を引く牛と、運搬用の馬、ロバ、ラバであった。湿った湖盆地の土を鋼の刃で割り、牛が黙々と土をめくり返すたびに、黒く肥えた大地の匂いが朝靄の中に立ちのぼった。開かれた畑から穀物が生まれ、その穀物が兵の腹を満たす。牛と鋼の犂は、湖の帝都を養う見えない軍船でもあった。
ポテチカ「遠距離交易商人」の隊商たちはテノチティトランを出発し、彼らが根拠地や貯蔵庫にしているオアハカ州北部の山を中継地として二手に分かれた。
中継地からメキシコ湾岸平野は目と鼻の先であった。一方はタバスコからシカランコへ、もう一方はショコノチュコやグアテマラの太平洋沿岸地方へと向かった。さらに、トチテペクから北東へ山地を越えていけば、トトナカの土地とセンポアラ、ベラクルスの港へ抜ける道も開けつつあった。いまは少数の案内人しか知らない山道だが、アルバロはその道筋を、いずれ軍隊のために太く踏み固めるつもりでいた。
隊商たちは何百人という運搬人夫を伴っていたが、彼ら一人当たりが運搬出来るカカオ豆は2万4千粒「3シキピリ」であった。アステカ族は10進法ではなく20進法を用いた。ツォントリは400個を表し、シキピリはその20倍の8千個を表している。
運搬人夫を馬、ロバ、ラバに替えるだけで数倍の量を運ぶことが出来るというのは想像に難くない。水面を滑るカヌーの列、山道を砂煙とともに登っていく荷駄の列、そのどちらにも今やヨーロッパの家畜たちがつながれていた。
その他にも持ち込んだ物は多い。以下列記しておこう。
穀物としては「小麦、大麦、ライ麦、稲、もろこし、キビ、ソバ」であり、逆に新大陸から得られたものは「トウモロコシ、センニンコク、キニア」である。
イモ類としては「タロイモ、ヤムイモ」であり、逆に新大陸から得られたものは「ジャガイモ、サツマイモ、キャッサバ」である。
果物類としては「リンゴ、イチジク、ブドウ、オリーブ、ナシ、柑橘類」であり、逆に新大陸から得られたものは「パイナップル、パパイヤ、アボガド」である。
豆類としては「ひよこ豆、エンドウ、ソラマメ、大豆、小豆」であり、逆に新大陸から得られたものは「隠元豆、落花生、ライマメ」である。
野菜類としては「きゅうり、スイカ、なす、人参、玉ねぎ、キャベツ」であり、逆に新大陸から得られたものは「かぼちゃ、トマト」である。
香料・香辛料としては「胡椒、丁子、肉荳蒄、肉荳蒄花、コエンドロ、生姜」であり、逆に新大陸から得られたものは「トウガラシ」である。
嗜好料としては「茶、コーヒー」であり、逆に新大陸から得られたものは「タバコ、カカオ」である。
その他の作物としては「砂糖きび、砂糖大根、ワタ、バナナ、ヒョウタン」であり、逆に新大陸から得られたものは「ゴム、ワタ、ヒョウタン」である。
なお、ワタとヒョウタンは旧世界と新大陸の双方に在来種が存在していたため、ここでは両方の項に名を挙げている。
これらの作物と家畜、そして湖畔の「黒い石」を燃やす炉から生まれた鉄と火薬が、アルバロの軍隊を支えていた。倉庫の中には穀物袋の山と塩漬けの肉の樽が積まれ、その奥では砲身と銃身が油の匂いをまとって並んでいる。外では馬のいななきと牛の鼻息が混じり合い、城壁の上からは弩兵たちが湖面を見下ろしていた。
アルバロは、テスココ湖盆地の動員力とスペイン式の火器を合わせて、メキシコ湾岸のトトナカの都センポアラを視野に入れた遠征軍を編成していた。テノチティトランと湖岸の諸都市を守るために守備隊を残したうえで、それでもなお彼が外に連れ出せる最大限の兵力であった。
遠征軍の総勢は約3万5千人で、そのうちスペイン兵がおよそ1,200人、黒人兵が300人を占めた。残りは湖盆地の民から徴募した兵である。イシュタパラパをはじめとする湖岸諸都市から選り抜いた弩兵が1万人、槍と盾、黒曜石の剣を携えた歩兵が1万8千人、山岳地帯を駆け回る斥候や弓兵、工兵などの補助戦力が5,500人ほどついていた。
大砲は12門あった。城壁やピラミッドの石積みを叩き割る重い攻城砲が4門、車輪付きで野戦にも転用できる中口径の砲が8門である。湖畔の炉で黒い石と鉄を焼き続けた成果が、黒々とした砲身の列となってテノチティトランの中庭に並んでいた。
それとは別に、小型の砲が36門あった。山越えに耐えられる軽い山砲や、騎兵に随伴して動かせる細身の砲が24門、仮設の砦や塁壁の上に据え付ける小砲が12門である。青銅時代の古い砲と、新しく鋳造した鉄の砲とが混じり合い、砲耳にはまだ鋳型の跡が生々しく残っていた。
歩兵の火力を担うのは火縄銃と弩であった。火縄銃は3千挺に達し、そのうち600挺がスペイン人銃兵、300挺が黒人銃兵、残りの2千100挺が湖盆地のインディオ銃兵の手に渡っていた。黒い石の熱で焼いた鉄の銃身から、薄い油と煤の匂いが立ちのぼる。
弩は1万挺。スペイン人弩兵が500挺を扱い、イシュタパラパの弩兵に8千挺、その他の湖岸都市の兵に千500挺が配られていた。張りつめられた弦が朝の湿り気を吸ってきしみ、木と角と腱で組み上げた弩の胴が兵士たちの胸板にしっくりと収まる。
馬の数は260頭に達した。うち120頭が騎兵の鞍を載せ、80頭が砲を牽くために首をつないだ。残る60頭は荷駄と予備のための替え馬である。汗を光らせる馬の群れに、ロバとラバが混じる。たくましい四肢と固い蹄が、これから越えることになる山道と湿地の距離を短くしてくれるはずだった。
遠征軍の戦い方は単純であり、だからこそ恐るべきものだった。まず大砲と小砲、火縄銃と弩で遠距離から火と鉛と矢の壁をつくる。敵の列が崩れかけたところで、槍と盾の歩兵が前に出て押し込み、最後は黒曜石剣と重装歩兵が肉薄してとどめを刺す。湖の帝都を守るために築き上げた火力の鎖を、そのまま外へ持ち出す形である。
六弟ルイスにテノチティトランの軍司令官を任せて、アルバロはメキシコ湾岸のトトナカの都センポアラへ向かうことにした。
湖と堤と城壁を守る弩兵カヌーと守備兵はルイスの指揮下に残り、アルバロ自身は精鋭を引き連れて、まず湖の南縁へ出てから東の山地を越え、センポアラへ抜ける行軍路をとるつもりだった。湖の王と外征軍とをあえて分けることで、彼は両方を同時に手の内に収めようとしていた。
テノチティトランは4キロメートル四方のほぼ正方形をなしており、石造りやアドベ……注①「日干しレンガ」造りの民家でぎっしりと埋め尽くされている。
大きな建物ピラミッドや宮殿などは火山岩をモルタルで固め合わせて、その上に石灰を塗って磨き上げてある。アルバロの兵士たちは白い壁面を見て銀だと勘違いし、後で落胆したこともある。
3本の堤道がテノチティトランと本土を繋いでいる。
南の堤道はイシュタパラパに向かう道である。
西の堤道は途中でタクバへ向かう道とチャプルテペク「泉のある大庭園」へ向かう道に分かれており、首都テノチティトランへ水を供給する水道のうちで、いちばん重要な水道がここを経由している。
北の堤道はテペヤカクに通じる道である。
今日アルバロ軍が進んでいるのは南のイシュタパラパに向かう堤道であった。この堤道を渡り、テスココ湖の南岸を東へと回り込んでアメカメカの谷に出て、ポポカテペトル火山の裾をかすめる峠道を越えていけば、トラスカラとチョルーラの平原を経由して、やがて東の山々の向こう側に広がるトトナカの土地とセンポアラへと抜けることができる。
アルバロ軍がイシュタパラパへの堤道を渡り終えようとし、周りを眺めると、テスココ湖上はテノチティトランや本土の人たちの乗る無数のカヌーと、テノチティトランの留守を守るルイス軍の弩兵カヌーで覆い尽くされていた。
その上を見渡すと、広いテスココ湖の沿岸の多くの都市がぼんやりと霞に包まれて望見される。眼前にはイシュタパラパの立派な都市が拡がり、イシュタパラパの領主が綺麗に着飾った数十名のうら若い女性たちを引き連れて出迎えにやって来たのが見えた。
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注①……アドベ……ウィキペディア
アドベ「スペイン語: Adobe」またはアドービとは、砂、砂質粘土とわらまたは他の有機素材で構成された天然建材である。これらの有機素材を木製の型枠を使って日なたで干すことでレンガの形にして使われ、ヨーロッパのコブや日干しレンガによく似ている。アドベの構築物は非常に耐久性に富み、地球上に現存している最古の建築物によく使われている。アドベ建築物は熱を吸収してから非常にゆっくりと放出するため、建築物の内部は涼しいままに保たれ、暑くて乾いた気候に適している。
アドベレンガは、水を混ぜた粘土「通常、砂を含む」と、わらか動物の糞などの有機素材で作られている。わらはレンガを固め、均等に乾燥させやすくする働きがある。糞も同じ利点があり、他に昆虫を退けるために加えられる。
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