第3話――「黒い石の炉(前編)」
テノチティトランの北東、堤の外れにある乾いた空き地に、人と資材が集められていた。湖から引かれた細い運河が脇を流れ、その向こうには畑と低い林が続いている。都の喧噪は遠く、ここでは風に乗ってくるのは水の匂いと、運ばれてきた黒い石の粉っぽい臭いだけであった。
アルバロは、腕を後ろで組んだまま、その光景を見下ろしていた。足もとには平らに均された地面、その上に石と古い煉瓦が積み上げられ、四角い炉床の輪郭が形になりつつある。
「ここでよろしいのでしょうか、我が王」
隣で問いかけたのは、タラスコから連れてきた銅職人あがりの男であった。日焼けした頬に煤の跡がこびりつき、手には石工たちが刻んだ石の破片が握られている。
「よい」
アルバロは短く答えた。
「水が近い。火を冷ますにも、溶けた鉄を洗うにも使える。それに、煙が東へ流れるほうが都にとっては都合がよい」
彼は視線を上げ、風向きを確かめるように空を見た。湖の上を渡ってきた風は、黒い髪をわずかに揺らし、遠く市場の唐辛子の匂いをここまで運んできていた。
「森を燃やして砲を作るやり方は、長くは続けられない」
アルバロは淡々と続けた。
「木は畑と同じで、育つのに時間が要る。だが、マルティンが見つけた北の山の石は、しばらく掘っても尽きぬだろう」
その名を聞きつけたように、少し離れた場所から鎧の鳴る音が近づいてきた。
「兄上」
四弟マルティンが、弩兵たちを指揮していた列から歩み出る。山道の煤と砂を落としたばかりの鎧はまだくすんでいたが、目だけはよく乾いた北の空の色をしていた。
「北の石は、運河の船着き場まで積み終えました。あとは、炉が口を開けるのを待つばかりです」
「よろしい」
アルバロは頷き、炉床の縁に目をやった。
「おまえの仕事はここからが本番である。北の山で石を掘り、ここで鉄に変え、また北へ鉄を送り返す。おまえが連れてきた弩兵1万に、まともな鎖と槍と弩を絶えず与えねばならぬ」
マルティンは、苦笑に近い笑みを浮かべた。
「石を掘って槍を作るなら、山地の連中も文句は少ないでしょう。彼らの土地を焼き払うよりは、手に金属を渡したほうが、うまく縛れる」
「そうだ」
アルバロは弟の言葉を肯定した。
「恐怖だけで縛れば、いずれ森に火が広がる。だが、仕事と鉄と食い扶持で縛れば、火は炉の中だけで燃える」
彼は指先で、まだ線しか引かれていない炉床を軽く叩いた。ここに積み上がる土と石と煉瓦が、やがて湖盆地全体の火を管理する器になる、と頭の中で数えていた。
◇ ◇ ◇
日は高く昇り、空き地には乾いた熱が降りていた。
炉床の上では、石工と鍛冶の一団が、土を塗り固めた壁を四角く積み上げていく。ナワトル語で指示を飛ばす者と、カスティーリャ語で罵声を上げる者が入り混じり、時折手振りでやり取りが補われた。
「そこだ、そこをもう指一本ぶん狭くしろ」
スペイン人の鋳造職人が、煉瓦を積む若い戦士の肩越しに覗き込み、指で隙間を示す。
「風が入りすぎれば、黒い石がただの灰になる。息の出入りを数えろ」
通訳役の書記が、慌ただしくナワトル語に言い換える。戦士は舌打ちしながらも、言われた通りに土を押し広げ、通気口の幅を調整した。
炉の下部には、拳ひとつほどの通気口がいくつも設けられ、上部には細く高い煙突が伸びていく。土と煉瓦で固められた煙の塔は、まだ湿り気を帯びており、指で押せば跡がつくほどであったが、その形はすでに「黒い石を食う口」を思わせた。
「水の樽をそのあたりに並べておけ」
マルティンが弩兵たちに命じる。運河から汲み上げた水を満たした大樽が、炉の周囲に円を描くように置かれていく。
「火が暴れたら、すぐに泥と一緒にかけろ。黒い石の火は、森の火と違って土の中にも潜り込む」
弩兵のひとりが、不安げに黒い石の山を見やった。北の山から運ばれてきた石炭が、炉の脇で山のように積まれている。その表面は艶のない黒で、ところどころに灰色の筋が走っていた。
「本当に燃えるのか、あれは」
「燃える」
マルティンが即座に答えた。
「森の木より長く、乾季の風よりしつこく燃える。山の夜は、それで昼のように明るかった」
彼の目が、一瞬だけ遠くの山並みを見ていた。夜通し燃え続けた試験炉の煙、それを眺めながらチチメカの長老と交渉した夜が脳裏をよぎる。あの火を、今度は湖の王冠の歯に埋め込む番であった。
◇ ◇ ◇
日が傾き、湖の上の光が柔らかくなり始めたころ、炉壁はようやく形を整えた。
四角い炉の内部は空洞になっており、底には石と煉瓦が固く敷き詰められている。壁の内側には、土と灰が塗りこめられ、熱が地面へ逃げぬように工夫されていた。
「黒い石を運べ」
アルバロの声が響く。
弩兵たちと戦士たちが、かごや素手で石炭を掴み、炉の中へと投げ入れていく。ごつごつとした塊が積み重なり、やがて胸の高さほどまで黒い層が満ちた。
「上に薄く土をかぶせろ。火が逃げぬように」
職人たちが灰混じりの土を撒き、棒でならしていく。その上からさらに少量の木片が置かれた。森から切り出した細い枝で、黒い石に火を移すための犠牲に過ぎない。
アルバロは、通気口のひとつにしゃがみ込み、中を覗き込んだ。
「今は、空気を惜しむな」
「はじめは息を吸わせ、火を立たせる。そのあとで絞る」
彼は立ち上がり、手のひらをかざして合図を送った。
「火を入れろ」
たいまつの列が通気口へと進み、火が次々と差し込まれる。しばらくして、炉の内部からぼうっと鈍い音が響き、黒い石の隙間を赤い筋が走り始めた。
煙突の頂から、白く濃い煙が噴き出す。木を燃やしたときの香りとは違う、油と土が混ざったような臭いがあたりに広がった。戦士の何人かが顔をしかめ、鼻を押さえる。
「悪い匂いだが、よい兆しである」
タラスコの職人が、煙を見上げながら言った。
「石の中の余計なものが、みんな空へ逃げていっている。中身が締まりつつある」
アルバロは、煙突の影を見上げた。この煙がしばらく立ちのぼり、そのあと細くなったときが、通気口を閉じる合図になる。
火と煙の具合を確かめながら、彼は時間を数えていった。
◇ ◇ ◇
夜。
湖の上には、堤に灯された松明と、宮殿の高みから漏れる灯りが、点々とした線を描いていた。そのはるか外側で、黒い塔だけが静かに煙を吐き続けている。
通気口の前には、弩兵たちが交代で番をしていた。ときおり通気口を開けて中の音を聞き、赤い光の強さを確かめる。
「もう十分だ」
タラスコの職人が、炉壁に耳を押し当ててから言った。内部の唸りが、さっきよりも静かになっている。
「今閉じなければ、火まで一緒に逃げる」
「よし、ふさげ」
アルバロは通気口ひとつひとつに土を詰めさせた。湿った土が押し込まれ、外からの空気の道が断たれていく。煙突からの煙も、やがて細くなり、夜のうちに消えていった。
「あとは、冷えるのを待つだけだ」
アルバロは、湖のほうを一度振り返った。暗闇の中で、テスココ湖は姿を見せない。ただ、波の音と、遠くの太鼓の響きだけがここまで届いてくる。
「湖は水を抱えている。これは火を抱える箱だ」
彼は誰にともなくつぶやき、黒い塔の影の下で目を閉じた。
遠くの太鼓がひときわ強く鳴り、湖の闇の下で、水と火が静かに呼吸を合わせているように感じられた。




