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ほくそ笑む大悪党 アルバロ・デ・モリーナ  作者: ひまえび
第4章――「アルバロ、石の王冠をかぶる」

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第5話――「オストゥマ砦、石の首輪を締める」

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


 翌朝、バルサスの谷には、まだ火薬と血の匂いが残っていた。夜の冷え込みから解き放たれた空気が温み始めるにつれ、湿った煙と乾きかけた血の臭いが、地面からゆっくりと立ち上ってくる。


 オストゥマの石壁から見下ろす斜面には、砲弾とボルトに打ち倒されたタラスコ兵の死体が幾層にも折り重なり、その合間を、まだ息の残る負傷兵が泥と血にまみれて這い回っていた。折れた槍と曲がった斧が朝日を鈍く返し、谷のあちこちから低いうめき声が風にちぎれて届く。


 石壁の上で、アルバロ・デ・モリーナは肘を欄干に預け、静かに戦場を眺めていた。革手袋の中で指を握り開くと、昨夜まで握っていた指揮杖と綱の感触がまだ掌に残っている。


「惜しむことはないな」


 背後の足音に気づき、振り返らずに言うと、並び立った三弟ペドロ・デ・モリーナが短くうなずいた。


「砲弾が届くところまで、いくらでも増やせた死骸ですからね」


 アルバロは、斜面の中ほどを顎で示した。


「こいつらをすべて埋める必要はない。谷の底に落ちたのは放っておけ。上から見えるところだけ、浅く土をかぶせろ。風と獣が、いずれ仕上げてくれる」


「疫病は」


「風上に砦がある。腐った匂いも病も、タラスコの村のほうへ流れるさ」


 アルバロの口元に、わずかな笑いが浮かんだ。


「王の喉元に、昨日の敗戦の匂いを、季節が変わるまで残してやる。ここが『石の首輪』の締め具だと、嫌でも思い出すようにな」


 砦の中庭では、黒人兵とアステカ兵が捕虜の整理を始めていた。まだ息のあるタラスコ兵は武器と腰帯を取り上げられ、縄でつながれて一角に追い込まれている。うなだれる者、怒りの目を向ける者、放心したように空を見上げる者。汗と恐怖と血の匂いが渦を巻き、空気がねっとりと重くなっていた。


 別の一角には、金属板と羽飾りで身を飾った男たちと、その妻たちが座らされていた。将官と司令官、そして20代後半の妻たちである。顔と手だけは水でぬぐわせたが、衣の焦げ跡とほころびはそのままにしてある。


 アルバロは階段を下り、人質たちの前に立った。革靴の底が、乾ききっていない血をじゅくりと踏む。


「王都から、ここまでどれくらいかかる」


 ナワトル語で問うと、チャックニクがすぐにタラスコの言葉に変える。ひとりの将官が、低い声で答えた。


「早馬なら、山道を抜けて……3日」


 アルバロはその男を顎で指した。


「名前は」


 男は一瞬ためらったのち、胸を張って名乗った。


「いい顔をしている。王の前まで走っても、言うべきを忘れなさそうだ」


 チャックニクが訳すと、周囲の将官たちの顔に、怒りと不安が同時に走る。


「伝えろ。オストゥマの砦は、もはやアステカ王だけの砦ではない。モリーナ家の砲と馬が守る砦だと」


 アルバロは、わざと一語ずつ区切った。


「もし再びこの砦に槍を向けるなら、次の石弾は、この谷ではなく、パツクァロ湖の岸へ飛ぶ、と」


 そう言ってから、彼は将官たちの背後をちらりと見た。そこには妻たちが立っている。


「そしてこうも伝えろ。タラスコの王が理をわきまえるなら、ここにいる将官たちと妻たちは、生きて帰ることができる。理をわきまえないなら──」


 アルバロは、自分の喉元の前で指を輪にした。


「この首輪は、石ではなく縄になる」


 訳し終えたころには、将官たちの顔色はそれぞれ別の色に変わっていた。青ざめる者、唇を噛みしめる者、妻を一瞬だけ振り返る者。妻たちは怒りと屈辱の光を目の奥に沈めたまま、歯を食いしばって立っていた。


「彼らはわたしが預かる」


 アルバロはペドロのほうへ顔を向けた。


「テノチティトランへ戻るとき、砲と一緒に連れて行く。王の宮殿で良い飾りになる」


 ペドロは、兄の声の底に冷徹な計算を聞き取った。


「では、この砦は」


「お前に預ける」


 アルバロは、中庭と城門を見回した。崩れかけた角、砲を据えるのにちょうど良い張り出し。


「スペイン人の弩兵を100名、黒人兵を20名、イシュタパラパの弩兵を2000名、アステカ兵を1万名ほど残す。足りるか」


「足りるかどうかは、敵がどれだけ怖がってくれるか次第でしょう」


 ペドロの目は真剣だった。


「恐怖は、石と火薬で補ってやる」


 アルバロは石壁の上を顎で示した。


「砲を4門、ここに残す。谷向こうの斜面にも土塁を築き、小砲を並べろ。タラスコが近づくたびに、谷そのものが怒鳴るようにするんだ」


 ペドロは深くうなずいた。


「承知しました。兄上が戻るまで、この『首輪』は緩めません」


 ちょうどそのとき、中庭の端からいななきが上がった。砦の南側にはなだらかな斜面が広がり、その先に低い草の台地が続いているのが朝の光の中でよく見える。


 スペインの馬たちは、砲とは別にバルサスの谷を抜けてきた。山腹の穏やかな斜面を選び、黒人兵とアステカ兵が手綱を引きながら岩場を回り込み、浅い瀬を渡らせたのである。泡立つ水を胸までかぶりながら泳ぎ切った馬も多く、幾頭かは膝を傷めたが、ほとんどはしっかりと立っていた。


 いま、その馬たちが砦の南の斜面で鼻を鳴らしている。まだ湿った毛並みから、汗と川水が混ざった匂いが立ち上り、脚にこびりついた泥がぽろぽろと落ちていた。


「いい土地だな」


 アルバロは南の台地を眺めた。膝丈の草が陽を受けて揺れ、斜面の裾には小さな沢が流れ、岩の間から冷たい水が湧いている。


「夏のあいだ、ここで放せば馬は太る。仔馬も増やせる」


 ペドロがうなずいた。


「タラスコの兵の中に、馬の足ばかり見ていた連中がいました。あれは慣れている目でした」


「そいつらを選べ」


 アルバロは即座に言った。


「手足の無事な若い男を十人ほど。槍を持たせるかわりに、馬の世話をさせろ。逃げようとしたら、まず馬を撃て。その次に足を撃て。それでも走るなら、好きにしろ」


 ペドロが苦笑した。


「馬のほうが大事、というわけですね」


「当然だ」


 アルバロは、砦から南の斜面へ続く道筋を目でなぞった。


「ここを西南の騎兵育成地にする。数年もすれば、わたしたちの馬の群れは、モクテスマの神殿より多くなる」


 そばで控えていた黒人管理人トマス・ベニテスが、静かに口を開いた。


「旦那様、この草と水なら、50頭は楽に太らせられます。今いる雌を中心に、毎年10頭は仔馬が増えます」


「タラスコの者をこき使う役目も、俺に任せていただければ」


「任せよう」


 アルバロはトマスの肩を軽く叩いた。


「お前は砦の馬丁長だ。ペドロの下で働け。馬も黒人もタラスコも、まとめて面倒を見るんだ」


 日が傾き始めるころには、砦の内外の混沌は形を取り始めていた。斜面の見える死体には薄く土がかぶせられ、砦の下には捕虜用の囲いが組まれた。南側には馬の柵が立ち、タラスコ出身の馬丁見習いが黒人兵の監視の下で鬣を梳き、蹄を洗っている。草を噛みちぎる音と、馬の吐く息が谷の風に混じって聞こえた。


 夕暮れどき、アルバロとペドロは、再び石壁の上に並んだ。西の空は赤く染まり、タラスコの山並みの向こうへ太陽が沈みかけている。


「ここから東へ帰るのですか」


 ペドロの問いに、アルバロは短くうなずいた。


「モクテスマに、首輪の出来栄えを見せに行く」


 彼は、湖の都テノチティトランを思い浮かべた。石の堤、防波堤のように並ぶ神殿、運河を行き交うカヌー。その頭上に、いま掌握したオストゥマの砦と砲台、放牧地が、目に見えない石の輪のようにかかっている。


「西南の爪は、もうこちらのものだ。あとは、王の頭の上に『石の王冠』をかぶせてやるだけだ」


 アルバロは静かに言った。


「お前はここを守れ、ペドロ。タラスコが震え続けるかぎり、この砦は生きた首輪だ。わたしが東で王の喉に手をかけているあいだ、ここの指は決して緩めるな」


 ペドロは兄の横顔を見つめた。焦げた煙と馬と火薬の匂いが混じる夕風が、二人の髪とマントを揺らしている。


「承知しました、兄上。この谷を通る者は誰であれ、モリーナの砲声を思い出すことになります」


 バルサス川の底から吹き上げる風が、砦の旗をはためかせた。その布の音が、遠くでくぐもった雷の余韻のように響く。


 アルバロはその音を聞きながら、心の中で東の湖を見つめていた。テノチティトランへ戻る行軍、人質の護送、砲と馬の見せ方。ひとつひとつを並べては、『どの首にどの輪を通すか』を確かめていく。


 石の爪は、首輪になった。


 あとは、その首輪を、誰の喉にかけるかを選ぶだけであった。

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