第4話――「バルサスの谷、石弾の雷鳴」
険しい山地の中腹に、石を積み上げた砦が張り付くように建っている。その斜面には、すでに黒い点々が無数に動き、銅を鍛えた槍と斧を持ったタラスコの戦士たちが、壁に取り付こうとしていた。谷の空気は煙で曇り、火の粉が細かい赤い虫のように舞っている。
砦の上では、アステカ兵たちが必死で応戦していた。遠くからでも、投槍が放たれる弧と、黒曜石の剣が日差しを跳ね返すぎらりとした光が見えた。だが、その戦列はところどころ薄くなり、石壁の一部はすでに崩れかけている。
「間に合ったな」
アルバロは、馬の首を軽く叩きながら低く言った。その声には、安堵と同時に、これから始まる仕事への確かな期待が混じっていた。
カヌーは川岸に引き上げられ、兵たちは慣れた手つきで舟をひっくり返し、再び台車に載せた。大砲は岩場の上まで引き上げられ、砦へ向かって緩やかな斜面を見下ろす位置に据え付けられる。足場の悪い山肌にスコップを突き立て、石をどけ、砲の下に板を敷き、楔を打ち込む。土と汗の匂いが一気に濃くなり、指先の爪の間には黒い泥が入り込んだ。
馬たちは、砦に向かう斜面のうち比較的なだらかな筋に回されていた。鞍の下に敷いた汗で湿った布をいったん外し、背中の毛を乾かしてから再び装着する。蹄の縁に挟まった小石を短刀の刃先でほじくり出し、割れかけた蹄には獣脂を塗り込んだ。スペインの騎兵は、タラスコ兵の隊列がまだこちらに気づいていないうちに馬を岩陰に伏せさせ、鼻面を撫でて宥めた。砦を救う一撃を加える前に、まず馬に息を整えさせるためである。
砲身に石弾が込められ、火薬が筒の奥に押し込まれる。紙包みを破った瞬間、湿気を含んだ硫黄と炭の匂いが立ち上り、舌の上には、乾いた灰を噛んだような渋い苦味が広がった。耳を澄ますと、砦のほうからは、まだタラスコの戦士たちの鬨の声と、黒曜石の刃が盾を叩く鋭い音が、細かな振動となって伝わってきていた。
「最初は石弾だ。砦に取り付こうとしている列を叩き潰す」
アルバロは指揮杖で斜面を指し示し、砲兵たちを一人ずつ見て回った。目の前の男たちの顔には、汗と煤が筋を作り、その目だけが異様に澄んでいる。
「砲列、よく狙え。合図で一斉に火を入れろ」
スペイン人の掛け声が短く重なり、その意味をチャックニクがナワトル語に変える。言葉が山肌を駆け降り、弩兵とアステカ兵たちの背筋が、一斉に伸びた。
斜面の中ほどで指揮を執っていたタラスコの若い将官は、その瞬間、一拍だけ、世界が静かになったように感じていた。砦の上で黒曜石の刃が光り、自軍の銅の槍の列が山肌を埋める光景が、山風の中で一枚の絵のように凍りついて見えた。次の鼓動が胸の内で打たれるとき、山そのものが裂ける光景を見ることになるとも知らずに。
タラスコ軍との距離が十分に縮まったところで、アルバロは右手を高く上げた。
「撃て!」
山地を震わせる轟音が一度に爆ぜた。
20門の大砲が、ほぼ同時に火を噴いたのである。
耳の奥が白く染まり、世界から一瞬、他の音が消えた。地面が跳ね、砲の反動が足裏から腿へと突き上がる。目の前には白い煙の幕が一気に広がり、火薬と熱い石粉の匂いが肺の奥まで流れ込んだ。舌の上で黒い灰がざらつき、喉の粘膜が焼けたように痛んだ。
煙の向こうでは、石弾がうなりを上げて斜面を駆け下り、砦の壁に取り付いていたタラスコ兵の列に突っ込んでいた。盾も胸当ても一緒に粉砕され、身体ごと石段から弾き飛ばされる。人の身体が岩に叩きつけられる鈍い音は、砲声にかき消され、目に映るのはただ、羽飾りと盾と肉が一緒くたになって宙を舞う光景だけであった。
斜面の途中には、砲弾が穿った溝と、そこから転げ落ちていく戦士たちの群れが見えた。さっきまで駆け上がっていた足が、今度は前後も分からず空を掻き、銅の槍が手から放れて岩肌を叩き割る。そのたびに、火花の小さな光が、煙の隙間で瞬いた。
「第二斉射、用意!」
アルバロの声が、自分自身の耳には遠く聞こえた。耳鳴りの中で、砲兵たちは手慣れた動きで次の弾を込める。アステカ兵たちの中には、最初の砲声で膝を震わせた者もいたが、砦の上から響いてくる味方の歓声を聞き、すぐに顔を上げた。
再び火薬と血の鉄臭さが入り混じった匂いが立ちのぼり、二度目の雷鳴が山を揺らした。今度は、斜面を下りかけていたタラスコ兵の背中にも容赦なく石弾が追いつき、逃げようとした列をまとめて薙ぎ倒した。
「弩兵、前へ。逃げ腰になった列の腰から下を狙え」
アルバロの命令に従い、スペイン弩兵とイシュタパラパの弩兵が砲列の両脇に展開した。弦を巻き上げる軋みと、指先に伝わる弦の硬さが、短い緊張の時間を刻む。射出の合図とともに、数千本のボルトが一斉に空を走り、山肌の斜面に黒い雨を降らせた。
ボルトは盾の縁や脚、逃げ惑う背中に突き刺さり、もつれ合った足をさらにもつれさせた。斜面を転げ落ちる身体と、そこへ遅れて落ちてくる石の破片がぶつかり合い、乾いた骨の砕ける音が、ようやく耳鳴りの向こうから浮かび上がってきた。
砦の上からは、アステカ兵たちの雄叫びが上がった。敵の背中が崩れ始めたのを見て、彼らは残りの投槍を一斉に投げ、黒曜石の剣を構えて石壁から打って出た。
その日の戦いは、半日と経たずに決した。
タラスコの前線は完全に崩れた。斜面の下には、砲弾とボルトに打ち倒された死骸が幾重にも折り重なり、その間を、まだ息のある者たちが血にまみれた手で必死に這い回っていた。銅の槍と斧はそこら中に投げ出され、陽の光を受けて、まだ鈍く光っている。
アルバロは、砲列の前からゆっくりと下り、煙と血の匂いの中を進んだ。靴の裏に、砕けた骨と石が混じった感触が伝わる。どの一歩も、柔らかく、嫌な沈み方をした。
「死体はそのままにしておけ。動ける者だけを囲い込め」
短い命令が発せられると、黒人兵とアステカ兵たちが手際よく動き始めた。山腹のあちこちに散ったタラスコ兵を、槍と盾で追い立て、谷の一角に追い込んでいく。腰を抜かした者には槍の柄で背中を叩き、なおも逃げようとする者の前には、弩兵が冷たい矢じりを向けた。
夕刻までに、逃げ遅れた2万名近いタラスコ兵が、武器を取り上げられ、砦の麓の平らな場所に集められていた。敗兵たちの汗と血と恐怖の匂いが一つに渦を巻き、空気はぬるく重くなった。
その周囲には、ひときわ大きな羽飾りと金属板を身につけた男たちと、その妻たちが別に括られていた。30代前半と思しきタラスコの将官や司令官たちである。顔の塗料は汗と煙で崩れ、威厳を示すための金属板は、ところどころ凹みと焦げ跡をつけていた。
そのうちのひとり、先ほど斜面の中ほどで指揮を執っていた若い将官は、膝をついたまま、目の前のスペイン人の男を見上げていた。自分たちが挟み撃ちにしつつあったはずの石の砦が、いまは王と国を縛る首輪に変わり、自分自身の喉元に食い込んでいるように思えた。
そのすぐ後ろには、20代後半の妻たちが、鮮やかな布と銀の飾りを乱しながら立たされている。女たちの髪には、煙の匂いと焦げた布の匂いが染み込んでいた。指先には、夫の血か、自分の転んだときの血か分からない赤い筋が乾きかけている。目の奥には、恐怖と同時に、まだ完全には折れていない怒りの光が残っていた。
アルバロは、その一団の前で足を止めた。
「この者たちは生かしておけ」
ナワトル語で静かに告げると、チャックニクがタラスコ語に近い言い回しで言葉を繰り返した。拘束された将官たちが顔を上げ、アルバロの靴から鎧、そしてその口元へと視線を移した。
「タラスコの王に伝える口と、耳が必要だ。こいつらと、その妻たちは、オストゥマの石壁と同じくらい、役に立つ人質になる」
戦闘の区切りがつくと、アルバロはすぐに、砦の周囲の斜面についても命令を飛ばした。バルサス川から少し離れた南側の斜面に、湧き水と短い草の混じる小さな盆地があることを、斥候が報告してきたのである。そこにいたタラスコの農民と家畜はすでに逃げ去っていた。アルバロは、その土地を砦付きの放牧地として押さえるよう指示し、木立を間引いて柵を組み、夜の獣を防ぐための見張り台を立てさせた。
疲れ切った馬たちは、鞍と鐙を外されて、その盆地へ順番に連れて行かれた。汗と血で固まった毛並みに水をかけてこすり落とし、脚を冷たい小川に浸させると、何頭かはその場で目を細めてうとうとと立ち寝を始めた。乾いた草地に放たれた牝馬は、しばらく警戒して鼻を鳴らしていたが、やがて頭を下げて草を食み始める。スペインから連れてきた種牡馬のうち、気性の穏やかなものだけが、牝馬の群れの中に残され、残りは砦近くの囲いに戻された。
「砲はここで壊れたら終わりだが、馬はここで増やせる」
アルバロは、放牧地の縁から馬の群れを眺めながら、ぽつりとそう言った。何人かの騎兵には、気に入った牝馬と種牡馬の組み合わせを記録させ、タラスコの馬丁あがりの男を一人見つけて、今後の世話と仔馬の訓練役を任せるつもりであった。ここオストゥマを、西南戦線の石の爪であると同時に、スペイン式の騎兵を増やす揺りかごにもするつもりだったのである。
夕暮れの光が、西の山の端に沈みかけていた。砦の上に立つアステカ兵たちは、疲れ切った喉から、かすれた歓声を上げた。煙の薄くなった空には、まだ砲声の余韻が澱のように残っている。
バルサス川の谷に吹き込む風は、火薬と血の匂いを運びながら、それでも少しだけ冷たさを取り戻しつつあった。アルバロはその風を胸いっぱいに吸い、戦場の匂いを肺の奥まで行き渡らせた。ここから先、この西南の石の爪をどう使うかは、自分の手の中にあると感じながらである。




