第10話――「神の使いと名乗った男と女」
1519年3月下旬 ポトンチャン、モリーナ家仮屋敷。
ポテチカの舟団がロバとラバを連れて川をさかのぼっていってから、まだ多くの日は経っていなかった。トチトルたちは、丘を越える道で繰り返し獣の力を試し、その様子を細かく書き留めていた。
「荷は軽くなり、足はまだ歩ける」「一日の終わり、人の息は荒いが、獣はまだ歩こうとする」。
そうした報告が、山の向こうのトチテペクへ、そしてテノチティトランへと伝わっていった。
その知らせとほとんど同じころ、ポトンチャンの川面に、いつもと違う太鼓の音が響き始めた。
下流から上ってくる舟は、ポテチカのものよりもさらに華やかであった。舳先には羽飾り、側板には青緑の塗料、中央には豹の毛皮を敷いた座が据えられている。その周りを、羽根帽子と肩当てで身を固めた男たちが囲んでいた。
舟が仮桟橋に横付けされると、細い板が渡された。最初に降り立ったのは、深い青のマントをまとい、胸に金の円盤を下げた男であった。背はそれほど高くないが、身のこなしには貴族特有の自信がある。その後ろには、白い綿衣をまとった司祭と書記が続いた。
「テノチティトランの王、モクテスマの使者たちでございます」
現地語で告げた声を、チャックニクがすぐさまアルバロの耳元に移した。
「彼ら、こう言う。『偉大なる王の命により、東の海から現れた者たちを見に来た。王は、お前たちが何者であり、何のために来たのかを知りたがっている』」
アルバロはうなずき、椅子から立ち上がった。鎧の上に白いマントを羽織り、腰には剣を帯びている。横には、濃紺のドレスに金糸の刺繍を施したイサベルが並んでいた。首元には十字架、肩には薄いショールがかけられている。
黒人兵たちは広場の周囲に散り、無言で槍と火縄銃を構えていた。ルシアは一歩下がった位置から主と使者一行を見つめていた。ついこのあいだまで奴隷市場で値踏みされていた自分たちが、いまは「神の側」の飾りの一部として並べられている。その事実に舌打ちしたくなったが、彼女は表情を変えなかった。神の仮面の裏で笑っている男が誰かを、誰よりもよく知っていたからである。
ここ数日、アルバロはチャックニクやプトゥン人、そしてポテチカから、テノチティトランの噂を聞いていた。東の海から白い顔の男たちが現れ、いつか王と会うことになるという予言の話も耳に入っていた。ポテチカには「海の向こうにも王がいる」とちらつかせてみせたが、目の前の使者に対しては別の仮面をかぶる方が得だと、彼は判断していた。
使者たちは、仮屋敷の広場に上がると、装飾を施した輿の前で立ち止まった。青いマントの男が一歩前に出て、儀礼的な言葉を述べる。
「偉大なるモクテスマは問う。海の彼方から来た者たちよ、お前たちはどこの王に仕え、なぜ我らの土地に現れたのか」
チャックニクが短く訳す。注目を浴びる中、アルバロは一歩前へ進み出た。
「我らは、いかなる地上の王の臣下としてここへ来たのではない」
アルバロは、ゆっくりと、しかしはっきりした発音でスペイン語を口にした。
「我らは、天におわす唯一の神の命によって海を渡った者である」
チャックニクが、マヤ語とナワトル語を織り交ぜて訳す。聞き手の顔に、ざわめきが走った。
「この男、こう言う」
チャックニクは使者の方へ向き直る。
「『我らは海の向こうの王ではなく、天にいるただひとりの主に仕える者だ。その主は、すべての海と山と風をつくり、その命により我らは船を出した』」
司祭のひとりが小さく息を呑み、書記が慌てて色付きの紙を取り出して何事かを書きつけた。
アルバロは続けた。
「私の名はアルバロ・デ・モリーナ。この身は、海と雷を司る男神の器である」
彼は胸に手を当て、淡く笑った。
「そして隣にいるのは、豊穣と慈悲を司る女神の器。イサベル・デ・モリーナ。我らは、天の主がこの土地をどう扱うべきかを見るためにここへ来た」
イサベルは、静かに微笑んで軽く会釈した。その仕草は柔らかく、それでいてどこか人を寄せ付けない冷ややかさを含んでいる。神の衣をまといながら、その瞳は常に計算を失っていなかった。
チャックニクがこの言葉を慎重に訳す。男神、女神という言い回しをどう伝えるか一瞬迷ったが、「天の主の力を宿した男女」と言い換えた。
使者たちはしばし沈黙し、お互いの顔を見合わせた。司祭が一歩前へ出て、アルバロの髭と肌をまじまじと見つめる。
「白い顔。黒い髭。鉄の衣。これは……」
彼は囁き、青いマントの男の耳元に何事か告げた。彼らの間で、以前から語られていた予言の断片が頭をよぎった。東の海から白い顔の者が現れ、王と国々の行く末を変えるという話である。ポトンチャンでポテチカが見たもの、ロバとラバの話も、すでに王の耳には届いていた。
青いマントの男は、やがて深く首を垂れた。
「ならば、我らは、天の主の使いと、その女神の器の前に立っていることになるのだな」
チャックニクが訳すと、アルバロはあえて謙遜せず、短くうなずいた。
「そのとおりである。我らはこの土地を焼き尽くすために来たのではない。しかし、天の主が望むならば、海も山も国も変わることになる」
言い回しは曖昧でありながら、十分な威圧を含んでいた。黒人兵たちはその言葉を聞きながら、心の中で「焼き尽くす」という部分だけを拾い上げていた。誰が焼かれ、誰が焼く側に立つのかは、そのときの主の気紛れひとつで変わると知っていたからである。
儀礼の言葉が交わされたのち、使者たちは持参した贈り物を運び込ませた。
金でできた太陽の円盤、月を象る銀板、蛇や鷲の形をした胸飾り。鮮やかなケツァルの羽を編み込んだマントと、滑らかな白い綿布の束。さらに、香油の香りを身にまとった若い女たちが数人、俯いたまま前に進み出た。髪には花、耳には小さな金の飾りが揺れている。
アルバロは女たちを一瞥し、腰の線と肩の肉付き、耳飾りの細工を同じ目で見た。美しさと同時に、「誰の娘であり、どの一族の顔であり、どの家をこちらに縛る紐になり得るか」を素早く値踏みしていた。
「モクテスマは言う」
青いマントの男が、再び口を開いた。
「『もしお前たちが天の主の使いであるならば、これらの贈り物を受け取り、我が国の豊かさを知るがよい。そして、我が心を傷つけるためではなく、共に交わる道を示してほしい』」
チャックニクが訳し終えるのを待って、アルバロは金の円盤のひとつを手に取った。重さを確かめるように掌で転がし、光を眺める。その表情は、驚きも喜びも薄く、当然の報いを受け取る者の顔であった。
「王は、天の主がつくった富の一部を我らに返したにすぎない」
アルバロは静かに言った。
「これらは受け取ろう。我らがここにいるあいだ、この金と綿布と女たちは、天の主の名のもとに保護する。王に伝えよ。我らは東の海辺に陣を敷き、その返答と心の向きを待つつもりだとな」
ルシアはその言葉を聞きながら、かつて奴隷市場で自分を「保護」し、「買い取った」と言った商人の顔を思い出し、奥歯を噛みしめた。だが声には出さない。今はこの男の剣の陰に立つ方が、生き残る道に近いと知っていた。
イサベルが一歩前に出た。
「そして王に告げてください」
チャックニクを通して、柔らかながら揺るぎない声が使者たちに届いた。
「天の主は、血と恐怖だけをお喜びになる方ではありません。秩序と捧げ物、民の穏やかな暮らしもまた好まれます。王がそのことをわきまえるならば、我らはその王を助けることもできるでしょう」
女神の器として語るその言葉に、司祭たちの顔つきが変わった。血の祭壇しか知らなかった彼らの頭の中に、別の秩序の姿がぼんやりと描かれ始めたのである。
使者たちは、深く頭を垂れて引き下がった。金銀財宝と美女を残し、舟は再び川を下っていく。
仮屋敷の広場には、夕陽を受けて光る金の山と、所在なげに立つ若い女たちが残された。
アルバロはそれらを一瞥すると、肩をすくめた。
「さて、神の使いの顔をしたまま、どこまで王と商人たちを動かせるかだな」
彼は金の円盤を卓の上に置き、イサベルと視線を交わした。
イサベルは小さく笑い、残された女たちに向かって歩み寄った。
「まずは彼女たちに衣と食事を。ここでは、天の主の名のもとに、恐れず眠れる夜を与えましょう」
豊穣と慈悲の女神の器としての役目を果たしながら、彼女は同時に、テノチティトランへの新たな糸口を手に入れたことを理解していた。これらの女たちは憐れむべき贈り物であると同時に、王城への鍵であり、人質であり、どの家とどの家を結び直す糸にもなり得ると見ていた。
モクテスマの使者たちが運んできた金と女たちは、単なる贈り物ではなかった。
ポテチカとの同盟とロバの隊商、その報告の先に現れた、アステカ帝国と天の主の名を騙る征服者とのあいだに張り巡らされる、最初の太い橋であり、ほくそ笑む大悪党アルバロ・デ・モリーナがその橋の真ん中に立つための足場でもあった。




