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ほくそ笑む大悪党 アルバロ・デ・モリーナ  作者: ひまえび
第2章――「メキシコ遠征篇 テノチティトランと黄金と神々」

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第9話――「ポテチカとロバの取引」

 1519年3月中旬 ポトンチャン、河港。


 ポトンチャンの河口には、ここ数日、見慣れぬ舟が増え始めていた。川沿いのマヤ族やプトゥン人の丸木舟とは造りが違い、艫には彩色された板が立ち、舳先には蛇や鷲をかたどった木彫りが据えられている。舟板には青緑の塗料が塗られ、側面には見たこともない記号のような模様が並んでいた。


 チャックニクによれば、それはポテチカと呼ばれる商人たちの舟であった。


「ポテチカ、王の目と耳」


 彼女は卓の上に指で川の形を描きながら言った。


「遠く遠く歩く人たち。山を越え、森を越え、海のそばの村や町を回る。カカオや塩や羽根を集めて、王に持って行く。遠い国の話も、王に持って行く」


 アルバロは、興味深げに耳を傾けた。


 背後では、黒人精鋭兵たちが川面と舟を眺めていた。かつて自分たちこそが荷を背負う「足」であり「荷車」であったことを思い出しながら、新たな荷役獣の匂いと、これから自分たちに回ってくるであろう仕事の変化を、それぞれ胸の内で計算していた。ルシアは腕を組み、商人たちの衣の質と飾りを一瞥し、彼らがどれほど金と権力の匂いを纏っているかを静かに値踏みしていた。


「つまり、カカオと情報の両方を握っているわけだな」


「そう」


 チャックニクはうなずいた。


「王のために歩くけれど、自分たちでも商売をする。王の怒りを買わないようにしながら、ポテチカ同士でこっそり話し合っている」


 アルバロは、椅子の背にもたれながら、すでに心づもりを固めていた。


 ロバとラバの用意は済んでいる。キューバの港で、彼は別の船を雇い入れていた。そこにはロバのつがいが何組も乗せられ、ラバも束ねられている。いまポトンチャンにいるのは、そのうちの一部にすぎない。残りは「必要とあれば、いつでも海の向こうから呼べる札」として、彼の頭の中の帳簿にしまい込まれていた。


 まずは少数を見せて味を覚えさせる。手放せなくなったところで、本隊を運び込む。そのときには、獣だけでなく、それを運ぶ海の道そのものも自分のものにするつもりであった。


 数日後の朝、ポトンチャンの河港に一本の長い丸木舟が滑り込んできた。舟には色鮮やかな綿の衣をまとった男たちが乗り、荷台には麻袋と木箱が積まれている。舟が桟橋に横付けされると、中央から年長の男が立ち上がった。


 肩には青と黄の羽根を組み合わせたマント、胸には金属と貝を組み合わせた飾り。瞳は鋭く、口元には算盤を弾くような冷静さがあった。


「トチトル」


 チャックニクが小声で告げた。


「トチトル、ポテチカのひとり。カカオの道をよく知っている」


 男は、ゆっくりと桟橋に降り立ち、モリーナ家の仮桟橋へと歩み寄った。後ろには、背中に荷を背負った人足たちが静かに続く。


「偉大なる王の商人トチトルが、東の海から来た者たちに挨拶をする」


 彼はナワトル語でそう名乗った。チャックニクがすぐに訳す。


「彼、こう言う。『テノチティトランの王のために歩く商人トチトルが、東から来た者たちを見に来た。あなたたちが何者か、どんな物を持っているのか知りたい』」


 アルバロは、鎧の上から白いマントを羽織り、仮桟橋の上に立った。後ろにはルシアと黒人兵数人、側にはチャックニクとルイスが控えている。


 ルイスは兄とトチトルのやりとりを聞き取りながらも、その半分も理解できていなかった。チャックニクが流れるように言葉をつなぎ、トチテペクやテノチティトランの名を口にするたび、自分の知らない世界と兄の計算が、その女を通して結びついていくようで、胸のどこかがざわついた。


「私はアルバロ・デ・モリーナだ」


 アルバロはスペイン語で名乗り、チャックニクの訳を待った。


「カスティリャの海の向こうから来た。向こうの国にも王はいるが、我々がここへ船を出したのは、なにより天の主の意志による。お前たちが王の商人であるならば、こちらも王と天の主の名において取引の話をしたい」


 トチトルは、しばしアルバロを観察していた。白い肌、黒い髭、鉄の衣。川沿いで聞いていた噂の通りであった。彼はゆっくりと頷いた。


「私たちは荷を運ぶ。山を越え、森を越え、海のそばを歩く」


 トチトルは自分の胸を指で叩いた。


「足で歩き、背で荷を運ぶ。時々、王のための戦でも歩く。だが、あなたたちは、荷を運ぶ不思議な獣を連れていると聞いた」


 チャックニクがこちらを振り返る。アルバロは唇の片端を上げた。見せ物の幕が上がる合図のように、口元だけでほくそ笑んだ。


「見せてやろう」


 モリーナ家の仮屋敷の裏手には、すでにロバとラバが繋がれていた。灰色のロバが2組、計4頭。ひとまわり体格のよいラバが2頭。現地人たちは、この獣を見るたびに足を止めたが、その用途をまだ十分には理解していなかった。


 アルバロはトチトルをそこへ案内した。


 ロバは、長い耳をぴくぴくと動かし、鼻先を近づけてきた。ラバは落ち着いた目で一行を眺める。黒人兵のひとりが、無意識に自分の背中に残る古い縄目の跡を撫でた。これからは、その縄が獣の背にかかることになるのだと、直感的に理解していた。


「これが、我々の荷を運ぶ獣だ」


 アルバロは、ロバの首を軽く叩いた。


「人間の何倍もの荷を背負い、山道を歩く。川沿いのぬかるみも、森の坂道もだ。こいつらがいれば、お前たちの背中は軽くなる」


 トチトルは、目を細めた。


「足は細い。毛は少ない。森の中で転ばないか」


「試してみるといい」


 アルバロは、あらかじめ用意していた麻袋を指さした。中にはカカオ豆がぎっしり詰まっている。


「お前の人足をひとり選べ。そいつの背中に袋をひとつ載せる。それと同じ重さの袋を、ロバの背にも載せる。どちらが先に丘の上まで行くか、見てみよう」


 トチトルは、黙って人足の一人を呼んだ。若い男が前に出る。裸足の足に、すでに厚い皮膚ができている。


 小さな丘までの道は、ぬかるんだ土と石が混じっていた。


 号令とともに、人足とロバが同時に駆け出した。最初のうちは人足が先行したが、坂がきつくなるにつれて速度が落ちていく。ロバは短い足で着実に地面を踏みしめ、息を荒くすることもなく、一定のペースで歩み続けた。


 丘の上に先に到達したのは、ロバの方であった。


 人足は膝に手をついて息を切らしている。ロバは背中に袋を載せたまま、耳を立てて周囲を眺めていた。


「どうだ」


 アルバロは、トチトルの横顔を盗み見るようにして言った。


「こいつが10頭、20頭いれば、お前たちの隊商はどれだけ楽になると思う。荷を倍に増やし、一日の道のりを伸ばすことができる」


 トチトルは、しばらく黙っていた。彼の頭の中には、自分たちの歩く道の地図と、荷の重さが次々に思い浮かんでいた。タバスコ、ショコノチコ、トチテペク、そしてテノチティトラン。


「この獣は、王が望めば、王だけの獣にできるか」


 やがて、彼は低い声で問うた。


「王の名で歩く私たちだけが使い、他の者には与えないように」


「できる」


 アルバロは即座に答えた。


「いまここにいるのは、海の向こうにいる我々の王から預かった獣の一部だ。ほかにも、同じような獣を積んだ船が、海の向こうの港で待っている。私は、テノチティトランの王と話し合い、王が望むならば、その船をこちらへ向けさせるつもりだ」


 実際には、その船はすでに出帆の準備を終え、アルバロの報せひとつを待っているだけであった。彼はそれを口に出さなかった。札は、見せるよりも隠しておいた方が効き目があると知っていたからである。


 トチトルの目が、わずかに光った。


「では、今ここで、お前は何を差し出すつもりだ」


「まずは、こいつらだ」


 アルバロは、ロバの首の縄をとり、トチトルの方へ向けた。


「ロバのつがい2組、4頭。それとラバ2頭。この6頭を、お前たちポテチカに預ける。王のための荷を運び、この土地の道を試してみろ」


 トチトルは、思わず一歩前へ出た。


「ただし」


 アルバロは、言葉を続けた。


「この獣をただくれてやるわけではない。私は、王とお前たちから、いくつかの約束を欲しい」


 トチトルは口をつぐんだ。チャックニクが訳すのを待つ。


「ひとつ。テノチティトランへ運ぶカカオのうち、ある分け前を、この港で我々に回すこと。どれだけかは、王と話して決める」


「ふたつ。私と私の仲間が、お前たちの道を通るときは、ポテチカがその安全を守ること。山の賊や、敵対する町がいれば、前もって知らせること」


「みっつ。ロバとラバの世話を覚えるために、若いポテチカを数人、私のところに寄こすこと。私はその者たちに獣の扱いと海の話を教える。その代わりに、その者たちは私の言葉と考えをお前たちの間に運ぶことになる」


 チャックニクが訳し終えるあいだ、アルバロはトチトルの瞳から目を逸らさなかった。条件の本体がロバやカカオではなく、「若い商人たち」という人間そのものにあることを、相手に悟らせないようにしながら、じわじわと締めつけるように視線で押していた。


 トチトルは、長い沈黙のあと、ゆっくりと頷いた。


「王は、遠くのものと新しいものを好む」


 彼は言った。


「私たちは、王のために歩く。王のためになる話であれば、受け入れるべきだ。私は、王にこの話を伝える。この獣を連れて歩き、その力を見てからだ」


 アルバロは、満足げに手を差し出した。


 トチトルもそれに応じ、互いの手首を固く握り合った。


 その日、ポトンチャンの河港では、初めてロバとラバがポテチカの隊商に加わった。人足の肩から荷が下ろされ、代わりに獣の背に縄でくくられていく。若いポテチカたちは、恐る恐るロバの首を撫で、その歩き方を真似するように歩幅を合わせていった。黒人兵たちはそれを眺めながら、自分たちの背中から降りていく重さと、これから肩代わりするべき血と火の重さを、無言で天秤にかけていた。


 夕暮れ、トチトルの舟が川をさかのぼっていくのを、アルバロは仮桟橋の上から見送った。


「これで、王の財布に通じる細い紐が一本できた」


 彼は小さく呟いた。


「紐の先を握るのが王か商人か、それとも別の誰かか。確かめる楽しみが増えたな」


 ルイスはその言葉の意味を測りかねたまま、ただ兄の横顔を見上げた。チャックニクは黙って川上の舟を見送り、その目はすでにトチテペクと王都の方角を見据えていた。


 ポテチカが去った川面には、なおカカオを焙る甘い香りが漂っていたが、その香りの向こう側で、海と陸と王都を結ぶ新しい道が、静かに形を変えつつあった。

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