第1話――「アルバロ ユカタン半島を目指して出航する」
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モリーナ家の親世代(兄フアンの遺産の継承者)
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兄の財産と役職を引き継いで、サントドミンゴ側を守る人たちです。
・父 ガルシア・デ・モリーナ(58)
カスティーリャ地方出身の小貴族。若いころは聖職者の家系の次男として神学を学び、のちに商いと土地経営に転じた男。新大陸で出世した長男フアンの遺産管理と、モリーナ家の名誉を守る役目を負う。
・母 エレナ・デ・モリーナ(52)
穏やかだが芯の強い女性。サントドミンゴの屋敷と人間関係の取りまとめ役で、未亡人となったイサベルと孫2人も庇護する立場になる。
※この2人はキューバ・サントドミンゴ側に残り、兄の位と財産を受け継ぐ中核。
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メキシコ遠征・家族メンバー
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・アルバロ・デ・モリーナ(25)
主人公。第3次メキシコ遠征隊の指揮官。
・妻 イサベル・デ・モリーナ(31)
もと兄フアンの妻。テノチティトランへも同行させる。
・長男 フアン・イグナシオ・デ・モリーナ(8)
落ち着いた性格の少年。父フアンに似て、文字や数字にも興味を持ち始めている。病弱ではなく、長旅にも耐えられる体力はある。
・長女 マリア・エレナ・デ・モリーナ(5)
母イサベル似の女の子。
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メキシコ遠征・弟たち
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・三弟 ペドロ・デ・モリーナ(23)
槍と馬の扱いに長けた、実直なタイプ。アルバロの副官格として戦場で横に立たせやすい。
・四弟 マルティン・デ・モリーナ(21)
弓と火器を好む。新兵たちの訓練役を任せやすい性格。
・五弟 フランシスコ・デ・モリーナ(19)
血気盛んで、手柄を焦りやすい末っ子寄りの弟。突撃役・トラブルメーカーとしてドラマを作れる。
・六弟 ルイス・デ・モリーナ(17)
まだ少年の雰囲気が残るが判断は冷静。兄たちの間を走り回る伝令役・偵察役に向いたキャラクター。
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インヘニオ工場の黒人管理人夫婦(帯同組)
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・夫 トマス・ベニテス(30)
サン・クリストバル水車インヘニオの現場監督。もとはトラピチェの奴隷だったが、アルバロのやり方の下で徐々に信頼を得て「管理人」格になった男。力仕事にも慣れており、遠征では荷駄隊・橋頭堡づくりなどの実務を任せやすい。アルバロの忠実な黒人奴隷。
・妻 ルシア・ベニテス(26)
インヘニオの黒人奴隷管理を一手に引き受けてきた。今回の遠征では、60名の黒人奴隷精鋭部隊を率いる部隊長。アルバロの忠実な愛人兼黒人奴隷。
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1519年1月15日早朝。サントドミンゴの港は、まだ朝靄に包まれていた。入り江の水面には、ゆっくりと揺れるマストの列が影を落としている。白い帆はまだ畳まれ、船体の黒い側板だけが、静かな獣の背中のように並んでいた。
埠頭の一角では、ルシア・ベニテスが黒人たちを60人ほど並べていた。荷を運んでいた男たちが、彼女の短い合図ひとつで、ゆっくりと槍と盾を手に取り直した。
埠頭の先に立つアルバロ・デ・モリーナは、潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。鉄の胸甲は着けず、肩にだけ軽い革鎧を引っかけている。高い背丈と厚い肩幅のせいで、遠くからでも彼の姿は目立っていた。
「馬の積み込みは終わったか」
振り返りもせずに声を張ると、すぐ後ろで副官の兵が答えた。
「はい、閣下。軍馬16頭、予備の馬4頭、すべて2隻目と3隻目に収めました。大砲12門も固定済みです」
アルバロは小さくうなずき、今度は別の方向を見やった。埠頭の根元には、槍と盾を持った歩兵の列が伸びている。鋼の兜が朝日を反射して、点々と光った。
「兵と水夫を合わせて、これで600人あまりか」
「はい。病人も脱走者もおりません」
「よろしい」
短く返すと、アルバロはようやく埠頭から目を離し、陸の方へと歩を向けた。
港の石畳の上には、モリーナ家の一行が集まっていた。父のガルシア・デ・モリーナは、黒いマントの裾を押さえながら、年齢の割にしっかりした足取りで立っている。その隣には、質素な濃紺のドレスをまとった母エレナがいた。指先にはロザリオが光っている。
「父上、母上。寒くありませんか」
アルバロが近づくと、エレナは微笑んで首を振った。
「大丈夫よ、アルバロ。あなたを見送らずに家にじっとしていられる母親が、どこにいると思っているの」
ガルシアは、息子の肩を軽く叩いた。
「屋敷もインヘニオも、フアンの残したものは我らが預かる。お前は前だけを見ろ。振り返るのは、金と栄誉を抱えて戻ってくるときでいい」
「ええ、必ず」
アルバロは父の目をまっすぐ見返した。老いてなお鋭い灰色の瞳に、一瞬だけ若いころの炎が戻ったように見えた。
少し離れた場所では、イサベルが子どもたちのコートの前を留めている。薄青のドレスにマントを羽織り、髪はきちんとまとめられていた。肩口には、旅路の長さを思ってか、いつもより少しだけ硬い表情が浮かんでいる。
「フアン・イグナシオ、こっちを向いて。紐がほどけているわ」
「わかってるよ、母上」
8歳の長男は、口では反抗的な調子を装いながらも、素直に母の手を受け入れた。茶色の瞳が、時折ちらちらと船の方を盗み見ている。
その足元では、5歳のマリア・エレナが、祖母エレナのスカートの裾を握っていた。
「おばあさま、本当に海の向こうに行っちゃうの」
「そうね。でも、あなたのお父さまは強い方よ。また必ず戻ってくるわ」
エレナが優しく答えると、マリア・エレナは不安そうに唇を噛みしめた。
その一家の背後で、黒人の男が荷馬車の縄を締め直していた。トマス・ベニテスである。鍛えられた腕と肩は、インヘニオで重い砂糖の樽を運び続けてきた証だった。
「トマス、火薬樽の上には決して火の使える荷を置くな。縄も二重に締めろ」
「承知しております、ドン・アルバロ。サン・クリストバルでやっていたときと同じやり方でやりますよ」
屈強な男の声は、落ち着いていた。その少し離れたところで、妻のルシア・ベニテスが、大きな布袋を数えながらメモを取っている。
「乾燥肉が20袋、豆が30袋、小麦粉が15袋。合っているわね。鍋と薬箱は、イサベル様のお部屋の近くに積んでおいて」
「わかりました、奥さん」
彼女の声は張りがあり、周囲の雑然とした空気をきゅっと引き締めた。インヘニオでは宿舎と病人の世話を任されてきた女だ。遠征でもその役目は変わらない。
「兄上」
背後から呼びかける声に、アルバロは振り返った。槍を肩に担いだペドロ・デ・モリーナが歩み寄ってくる。23歳の三弟は、無駄のない動きで兄の前に立った。
「騎兵の配置は整った。馬の様子も悪くない」
「よし。ペドロ、お前は先頭の船に乗れ。敵も嵐も、まずお前の顔を見ることになる」
「望むところだ」
短く笑うと、ペドロは踵を返して兵たちの列へ戻っていった。
そのすぐ後ろから、マルティン、フランシスコ、ルイスの3人も現れた。21歳のマルティンは、弓と銃の入った木箱の蓋を片手で押さえながら歩いてくる。
「アルケブスは全部で12丁。火薬と鉛玉も確認した。雨さえ降らなければ、最初の戦いで奴らを驚かせてやれる」
「弓の弦は替えを多めに持った方がいいわね」
その横から、フランシスコが口を挟んだ。19歳の五弟は、落ち着きなくあたりを見回している。
「俺は前に出るぞ、兄上。この遠征で、一番最初に敵の首を取るのはこのフランシスコだ」
「首を数える前に、自分の頭を守れ」
17歳のルイスが冷ややかに言って、兄たちを見上げた。まだ少年らしい顔つきだが、瞳は静かに周囲を観察している。
「隊列が乱れたら、どんな英雄もただの的だよ。兄上の目の前で恥をかくな」
「こいつめ」
フランシスコが軽く小突こうとすると、ルイスは半歩下がってかわした。その様子を見て、アルバロは喉の奥で笑った。
「いい。お前たち全員、海の上では私の目と腕だ。互いに死なせるな」
弟たちはそろってうなずいた。兄の声には、冗談めかした響きと、戦場を知る者の硬さが同居している。
やがて港の奥から、鐘の音が響き始めた。教会の司祭が、簡易の祭壇の前でミサの準備を整えている。兵士たちは列を組んだまま、静かに十字を切った。
「行きましょう、アルバロ」
イサベルが歩み寄り、彼の横に並んだ。青い瞳には、恐れと期待が入り混じっている。
「あなたの父上と母上に、最後のご挨拶を」
「そうだな」
アルバロは一歩前に出て、ガルシアとエレナの前に膝をついた。
「父上、母上。どうか祝福を」
エレナは、ロザリオを握った手をそっと息子の頭に置いた。
「聖母マリアがあなたをお守りくださいますように。無用な血を流さず、必要なときには迷わず剣を振るいなさい」
「はい、母上」
ガルシアは、少しだけ顔をしかめた。
「イサベルと孫たちは、宝より重い。どれほどの金銀を手に入れようとも、置いてくるな」
「約束します」
アルバロは立ち上がり、イサベルの腰にそっと手を添えた。
「さあ、船へ」
フアン・イグナシオは、祖父の手をしっかりと握ったまま、最後まで離そうとしなかった。
「おじいさまも来ればいいのに」
「誰かが家を守らねばならん。お前の父上と同じくらい大事な役目だ」
ガルシアは孫の頭をわしわしとかき回し、ぱっと手を離した。
「男なら、行ってこい」
その言葉に背を押されるように、少年は父のいる方へ走り出した。マリア・エレナは泣きながら、祖母の首に腕を回してしがみついている。
「おばあさま、嫌だ」
「大丈夫よ。船の上から手紙を書いてもらいなさい。父さまにそう言うのよ」
エレナが囁き、少し強引に孫娘をイサベルの方へ押し出した。ルシアがすかさず腕を伸ばして、少女を抱きとめる。
「さあ、お嬢さま。一緒に船を見に行きましょう。あんなに大きな船、めったに近くでは見られませんよ」
マリア・エレナは涙をぬぐいながら、こくりとうなずいた。
やがて、港に号令が響き渡った。
「全員乗船せよ。錨を上げる準備」
太鼓が打ち鳴らされ、兵士たちが一斉に動き出した。槍と盾の列が整然と船へと向かう。荷馬車が軋みながら埠頭を進み、その後ろを従者たちが走る。
アルバロは、一度だけ振り返った。埠頭の端に、父と母の姿が小さく見える。周りには、インヘニオから出てきた黒人たちや街の人々も集まっていた。
「行ってまいります」
小さな声で呟き、彼は手を挙げた。ガルシアもエレナも、その仕草を見てうなずいた。
船に渡された甲板への板は、潮と血の匂いを吸い込んだ古い木だった。アルバロがそれを踏みしめて進むと、その後ろを弟たちとイサベル、子どもたち、トマスとルシアが続いた。
甲板に上がると、海風が一層強く頬を打った。マストの上では水夫たちが帆の縄を解き、叫び声が交錯している。
「イサベル、ここから見えるか」
アルバロは、船縁まで彼女を導いた。サントドミンゴの街並みが、まだ朝の光の中にくっきりと浮かんでいる。
「ええ……あの屋根、あれが私たちの家ね」
イサベルは、小さく手を振った。岸辺の人影は、すでに顔の見えない塊になりつつある。それでも、誰かがそれを見ていると信じるように、彼女は何度も何度も手を振り続けた。
号令とともに、錨が引き上げられた。重い鎖の音が船腹に響き、やがてゆっくりと船体が動き出す。別の船もほぼ同時に帆を張り、港の外へと舵を切った。
遠くで、砦の大砲が空砲を放った。白い煙が一瞬だけ空に広がり、祝砲の音が遅れて届く。兵士たちはそれに応えるように歓声を上げた。
「アルバロ」
イサベルが、彼の腕にそっと指を絡めた。
「本当に、戻ってこられるわよね」
「戻るさ」
アルバロは、迷いのない声で言った。
「この海の向こうには、我らのものになる土地と金が眠っている。奪いに行って、抱えて戻ってくる。それだけだ」
イサベルは何も答えず、ただ彼の横顔を見上げた。潮風に晒された頬には、少年のような笑みが浮かんでいる。しかしその瞳の奥には、嵐を待つ海のような静かな暗さが宿っていた。
船団は、ゆっくりと湾口を抜けていった。背後には、サントドミンゴの白い家々と、細く伸びる煙突の影。前方には、果ての見えない碧い海が広がっている。
ユカタン半島はまだ水平線の向こうに隠れたままだった。それでもアルバロは、まるでそこに立つ都市をすでに見ているかのように、まっすぐ前を見据えていた。




