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ほくそ笑む大悪党 アルバロ・デ・モリーナ  作者: ひまえび
第1章――「サントドミンゴ篇 砂糖と疫病と未亡人」

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第1話――「アルバロ サントドミンゴに上陸する」

―――――――――――――――

主要人物

―――――――――――――――

・主人公(24)

 アルバロ・デ・モリーナ


 カスティーリャ地方出身。聖職者の家の次男。

 明るく楽天的で、逆境に強い。どんなトラブルも笑いながら「さて、どう料理しようか」と考えるタイプの男。

 身長193cm、体重86kgのたくましい大男で、肩幅が広く、遠目にも目立つ体格をしている。


 父からラテン語と聖書、教会法を叩き込まれ、祖父たちからはグラナダ戦争の武勲話を聞かされて育った。その結果、信心深い言葉をすらすら操りながらも、内心では「勝った側だけが正義だ」と信じている。


 子どもはいじめない。子どもは守るべき存在であり、長く働かせるべき『将来の資産』でもあると考えているからだ。

 一方で大人は、数字と駒として扱う。税、制度、人間関係を頭の中で盤面のように並べ替え、自分の利益が最大になるように動かす頭脳型の悪党である。


 表向きは陽気で気さくな好青年に見え、人当たりもよく、冗談も言う。だがその笑顔の裏で、兄フアンの妻イサベルに横恋慕し、あの手この手で心をこちらに傾けさせようと企んでいる。


・長兄(34)

 フアン・デ・モリーナ

 サントドミンゴ近郊の地方知事。

 秩序と信仰を重んじる正統派。暴虐は好まないが、植民地支配そのものには疑問を抱かない。

 弟を信頼しており、まさか妻を狙われているとは夢にも思っていない。


・兄嫁(30)

 イサベル・デ・サラサール

 高位聖職者の家の娘。敬虔で教養があり、植民地社会では「模範的なスペイン人夫人」。

 孤児や先住民の子どもにはパンと服を施すが、制度としての搾取までは見えていない。

 正しいが退屈な夫と、よく話を聞いてくれる義弟の間で感情が揺らいでいく。

―――――――――――――――


挿絵(By みてみん)


 1518年1月15日、イスパニョーラ島の港町サントドミンゴは、朝から熱気とざわめきに満ちていた。


 海から吹き上げてくる風は確かに涼しいはずなのに、波止場の上に立つと、砂と石と人いきれが熱を抱え込んで離さない。石を積み上げた防波堤の向こうでは、入港してくる船の帆がゆっくりと巻き取られ、甲板からはロープと樽と人の声が入り混じった怒鳴り声が飛び交っていた。


 その甲板の一角で、ひときわ背の高い男が、肘を欄干に預けて港を見下ろしていた。


 アルバロ・デ・モリーナである。


 潮と汗で硬くなったシャツの袖をまくり上げ、指先で額の汗をぬぐう。陽に焼けた顔に浮かぶのは、疲れではなく、いつもの楽天的な笑みだった。肩幅の広い体を伸ばすと、193cmの大男は船の上でも目立つ。


「長い船旅ってのは、結局、退屈か吐き気かのどっちかだな」


 隣で桶を抱えてうずくまっている若い船員に、アルバロは肩越しにそう言った。まだ顔色の悪い少年は、苦笑とも呻きともつかない声をあげる。


「ドン・アルバロは、どうしてそんなに元気なんですか……」


「神父の息子はな、子どものころから断食とひもじい食事に慣れてるんだ。それに」


 アルバロは欄干に片手をついたまま、すっと背筋を伸ばした。船員たちの頭越しに、港の全景がよく見えた。


「退屈の先には、たまにこういう眺めがある」


 波止場に面した斜面には、白い漆喰の壁と赤い瓦屋根の家々がぎっしりと並び、その奥には建設途中の大きな石造りの建物が見えた。教会か、将来は大聖堂になるのだろう。鐘楼はまだ低いが、そこから鳴らされる鐘の音が、港の喧噪に割って入るように響いていた。


 岸辺には、すでに別の船から降ろされた黒人たちが、鎖をつながれたまま日陰に集められている。褐色の肌の先住民らしき男たちが、彼らを値踏みするように眺めている姿もあった。スペインから渡ってきた商人と役人たちが、その周りで早口に言葉を交わし、帳簿の束がめくられている。


 白い壁、赤い屋根、石の塔。


 その向こうに、兄の屋敷があるはずだ。


 そこに、イサベルがいる。


 父の狭い書斎の片隅で祈祷書を開いていた、若い日の横顔が、一瞬、白い壁のどこかに重なった。アルバロはまばたきを一度して、視線を港へ戻した。


 祖父たちが語ったグラナダの陥落の話を、ふと思い出す。


 異教徒の城壁に旗が立ったあの日、負けた側の男たちは黙って剣を差し出し、女と子どもはうつむいて城門の外へ歩き出した。祖父は酒を片手に、その光景を何度も何度も語ったものだ。


 勝った側は、城と土地と税を手に入れた。負けた側は、家と誇りを失った。


 勝った者が「秩序」と「正義」という名前を自分のものにし、負けた者は黙って従う。


 ただ、それだけのことだ、とアルバロは思う。


 船が桟橋に横付けされると、待ち構えていた荷役たちが、怒鳴り声とともに縄をかけた。板を渡す音がして、樽や麻袋が次々と担ぎ出されていく。汗と魚と樟脳の混じったにおいが、一気に甲板へ押し寄せた。


 そのとき、甲板の隅で、細い泣き声がした。


 振り向くと、小さな男の子が、荷物の陰にしゃがみ込んでいた。顔立ちからして、先住民と黒人の血が混じっているのだろう。まだ6、7歳といったところである。


 親らしき女が、波止場に先に降ろされた荷物の方へ引きずられていき、子どもだけが取り残されていた。周囲の水夫たちは忙しく、誰も気づかないふりをしている。


「坊や」


 アルバロは、ひょいとそこまで歩いていくと、膝をついて目線を合わせた。


 子どもの涙で濡れた黒い瞳が、不安げに彼を見上げる。


「船は怖かったか?」


 言葉が通じているのかどうかわからない。それでも、声の調子と表情は伝わるはずである。アルバロは、ポケットから干しぶどうの小さな袋を取り出すと、一粒つまんで見せた。


「食べてみるか」


 そっと差し出すと、子どもはしばらく躊躇したあと、おそるおそる指を伸ばした。指先がアルバロの指に触れる。


 甘い粒が小さな口に消えていく。


 子どもの表情が、ほんの少しだけ緩んだ。


「そう。それでいい。泣くのは、飯を食ってからにしろ」


 アルバロは立ち上がり、子どもの頭を軽く一度だけ撫でた。そのまま波止場の方へ視線を向ける。


 あの子は数年たてば、砂糖畑か、どこかの倉庫か、あるいは港で担ぎ手になるだろう。今は震える小さな背中だが、やがて大人の男となり、汗を流し、税を払い、誰かの帳簿のどこかの行に、数字として刻まれる。


 その帳簿をつける手が、自分であればよい。


 アルバロは、そう思った。


 子どもにだけは手を出さない。その決まりは、少年のころから自分の中に根を下ろしている。


 だが、大人は違う。


 大人は交渉の相手であり、税の対象であり、必要ならば盤面の駒になる。そこに情けを挟みすぎれば、勝つ側には回れない。


 船長の怒鳴り声が響き、乗客たちも順に桟橋へと降り始めた。


「ドン・アルバロ! 荷物はこちらに!」


 港務役らしいスペイン人が、手を振っている。浅黒く焼けた顔に立派な髭をたくわえ、麻の帳簿を抱えていた。


「アルバロ・デ・モリーナ。フアン・デ・モリーナ殿の弟君で?」


「そのとおりだ」


 アルバロは軽く笑い、手を差し出した。握手を交わすとき、相手の指先にできた小さなペンだこを見逃さない。


「長旅、お疲れでありましたな。こちらで手続を。お兄上からは、あなた様を知事府の補佐としてお迎えするよう仰せつかっております」


「ありがたい話だ。兄はお元気か?」


「ええ、もちろん。サントドミンゴの太陽よりお元気ですとも」


 男は冗談めかして笑い、帳簿をめくった。紙に走るインクの線、行ごとに並んだ名前と数字がちらりと見える。


 アルバロは視線をそこに落とし、一瞬でその書き方の癖と粗さを見抜いた。


(なるほど。ここはまだ、磨く余地がたくさんある)


 税、荷役料、港湾使用料。


 いくつもある項目のうち、どこに手を入れれば自分の取り分を生み出せるか。どこをいじれば、反発を最小限に抑えながら負担を増やせるか。


 そうした計算が、頭の中で自然に動き始める。


 港の向こう、丘の上に白い屋敷が見えた。赤い瓦屋根が、朝の光を反射している。


 あそこが、おそらく兄フアンの住む屋敷である。


 その屋敷の中に、イサベルがいる。


 少年だったころ、父の狭い書斎の片隅で初めて見た、兄の許嫁。祈祷書を開いていた横顔を、アルバロはよく覚えている。静かな目元と、読み上げる声の落ち着いた調子。それが今、この暑い町のどこかで、どんなふうに変わっているのか。


 疲れているだろうか。退屈しているだろうか。


 そのどちらであっても、構わない。


「ドン・アルバロ?」


 港務役が不思議そうに呼びかける。


「失礼。日差しに目を奪われていた」


 アルバロは軽く笑い、視線を屋敷から港へ戻した。


「兄上にお目にかかる前に、この町の空気を少し吸っておきたくてね」


「それなら、馬車を回す手配をしているあいだに、ご覧になりますか。市場もすぐそこです」


「ありがたい。案内してくれ」


 

 ◇ ◇ ◇


 波止場を離れると、石畳の道が坂を上っていた。両脇には、まだ低いが、整った石造りや漆喰の家々が並んでいる。玄関先ではスペイン人の婦人が洗濯物を干し、先住民の女が水瓶を運び、裸足の子どもたちが犬と追いかけっこをしていた。


 市場に近づくと、香辛料と干し肉と糖蜜の匂いが鼻をついた。


 砂糖きびの束を載せた荷車が行き交い、黒人の男たちがロバの手綱を引いている。スペインから来たばかりの若い兵士が、先住民の女にぞんざいなスペイン語で言い寄っている姿も見えた。


「口説き方が下手だな」


 アルバロは小さく笑った。


「最初から命令口調じゃ、税でも女でも逃げていく」


 聖具を売る露店の隣では、粗末な祈祷札と護符を並べる先住民の老人が、同じような熱心さで客引きをしている。


 どこを見ても、違う肌の色と違う言葉が混じり合い、同じ太陽の下で汗を流していた。


 アルバロは、ゆっくりと市場を一周するように歩いた。


 ここで穫れるもの。ここを通るもの。ここで税を取れるもの。


 ひとつひとつを、手の中で転がすように見ていく。


 太陽に照らされたこの町全体が、ひとつの盤面に見えた。


 そこに並ぶ駒は、まだ自分のものではない。


 だが、いずれそうなる。


 勝つ側に立ち、数字と印章を握る者のものになる。


 その未来を思い浮かべると、自然に口の端が上がった。


 ほくそ笑みを、アルバロはすぐに飲み込んだ。


 ここでは、まだ早い。


 兄にも、兄の妻にも、港の誰にも、自分の笑みの意味を悟られてはならない。


 彼は代わりに、陽気な旅人の顔を作って、案内役の男に声をかけた。


「いい町だな。兄上がここを任されているのは、少しうらやましいくらいだ」


「ええ、自慢の町でありますよ」


 男は胸を張った。


「もっとも、まだまだ問題も多いですが……そこは、これからドン・アルバロのお力で」


「そうだな」


 アルバロは、穏やかに答えた。


「兄上を助けるために来たのだから」


 その言葉は、半分は真実であり、半分は嘘だった。


 彼が本当に助けたいのは、兄ではない。


 この町そのものでもない。


 自分自身である。


 自分が勝者としてこの土地を掴み取るために。


 アルバロ・デ・モリーナは、この熱気と雑音の中に足を踏み入れようとしていた。


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