5 魔道士とトカゲ
「シャーッシャーッ!」
「押さえろ! 袋から出るぞ!」
慌てた司会者エプロンの声が響く。舞台を見下ろすと、筋肉エプロンが手にした麻袋がしっちゃかめっちゃかに暴れ出していた。その袋は舞台に降り立った例のターバンの少年から渡されたばかりのものだ。
「イテッ!」
声と共に筋肉エプロンが咄嗟に手を引っ込める。麻袋はズサッと床に落ち、中からは大きなトカゲが姿を見せた。人間の赤子くらいの大きさがある、暗緑色の肌はざらざらとして、大きな口からは細長いピンクの舌がちょろちょろと滑稽なほどすばやく出し入れされている。
「あんなの見たことないから、ひょっとするかしらねえ」
斜め後ろの席に座っていた商人が、大トカゲに噛まれ怒り心頭の様子で尻尾を掴む筋肉エプロンを見ながらつぶやいた。ラルクがぱっと顔を輝かせてすかさず振り返る。
「ひょっとするって、どういうことですか?」
「あのね、“動物もどき”は珍種に多いのよ。この界隈では見かけないような鳥とか獣とか、そういうものになっていることがよくあるわけ。ええと、あなた、この森や“動物もどき”に興味あるのかしら? もしもっと詳しく聞きたければこの後、私のうち・・・・・・」
「へえ、そうなんですね!」
純粋な美青年の質問につい照れながら答えてしまう商人を尻目に、ラルクは聞きたいことだけ聞けた途端に身を翻して舞台上の大トカゲの方へ向き直った。悪意はまったくないが、虜にしておいて突き放すなんて、俺だってできるものなら一生に一度くらいやってみたいものだ。まあ普通のおっさんの見た目で意外な言葉遣いのこの商人を虜にしたいわけではまったくないのだが。
失恋した乙女のような顔で所在なげに俺と視線を合わせる商人に同情しつつ、俺も舞台の方へ目をやり――俺の見間違いでなければ、その時、その大トカゲはラルクを目にして確かに動きを止め、その一瞬後、ものすごい勢いでこちらを目指して駆けだした。なんだ? ラルクの奴、まさか動物まで虜にする能力があるのか?
「ぐおおおお!」
尻尾を掴んでいた筋肉エプロンが、腕を丸太のように張って大トカゲの突進を封じる。慌てた司会者エプロンや掃除係たちも加勢に訪れる中、
「“眠りよ、来たれ”」
光る魔方陣が空中を飛んできたかと思うと、それは危うく脱走しかけた大トカゲを包み込み――そして静寂が訪れた。
「魔法・・・・・・なの?」
ぽかんとした顔で乙女チック商人がつぶやく。鍋釜や農具にかけられる壊れにくくする魔法とは違う、本物の魔法だ。日常でお目にかかることはほとんどないだろう。かく言う俺だって、そんなに見たことはない。
かつては冒険者にも魔道士が多く、やれダンジョン攻略だ魔物退治だとパーティを組むと必ずメンバーの一人が魔道士だった時代があったそうだが、今では珍しい。北にある魔法王国ガイレンティアではまだ魔道士が一般的に見られるそうだが、俺は行ったことがないのでわからない。それなりの規模の都市になると“魔法横町”みたいなところもあるが似非魔道士もよくいるし、どの国も抱えている宮廷魔道士に至ってはたいした実力も無いのに威張っているというのが一般人の共通認識だ。
「催眠魔法です。あの背の高い人、上級魔道士ですよ」
先ほどのお礼とばかりにラルクが振り返ってニッコリと乙女チック商人に説明した。そのはっきりとした口調からして初心者冒険者だというこの青年はなぜか魔法の確固たる知識があるようだ。
ラルクの言葉が本当なら、上級魔道士で野良ってことはないだろう。すると、一緒にいるあのきれいな顔の少年は実はどこかの王子様とかで、あの背の高いローブ姿の男はそれを護衛する宮廷魔道士なのだろうか。
思いついた変な想像を、俺は頭を振って止めた。これじゃあラルクのことを王子じゃないかと疑っていた居酒屋の連中と同レベルじゃないか。顔のいい奴、品のいい奴を見るたびに王子様、強面を見るたびに悪者、優しい口調の奴を乙女心ありなんて偏った想像をしていては想像力に欠ける。
今はただ、ラルクが当面の同行者として、それなりの剣士で魔法知識もあることを喜ぼう。
(それにしても謎な奴だな)
まだ出会って二日の間柄だが、ラルクのことを名前と年齢くらいしか知らない。俺より二つ下の十九歳で年齢が近かったことでパーティメンバーの中で唯一気さくに話してはいたが、ほとんどが世間知らずの彼に俺が何かを教える形だった。
(ま、人のこと言えないか)
謎な奴、といえば俺もラルクに名前くらいしか話していないし、まだ話す時間も機会もなかった。身の上話をするよりも早く背中を合わせて死線をくぐり抜けたことで、通常は群れない俺もラルクと一緒にいられるんだろう。
「お騒がせしました!」
舞台上にいた背の高いローブの男が筋肉エプロンに謝りながら、隣の美少年をつつく。
「なんであなたは全然動こうとしないんですか!」
抗議するその様子から、どうやら別に彼らに主従関係は無さそうである。
少年はしれっとした顔で「どこに行くつもりだったか見たかったんだ」と、眠りについて再び捕まった大トカゲの鼻先を辿って俺たちを見て言った。