32 牢屋での目覚め
しくしくと女の泣く声に目が覚める。
昨夜は恐ろしいほどに気を張っていて眠る間もなかった身としては眠れるだけありがたいが、弱い者の泣く声はどうにも居心地が悪く感じる。もう起きなきゃダメなのか? でももう少しこのまま――
「痛っ‼」
後頭部の激痛に思わず体を丸める。粗末なベッドがきしんで音を立てた。
「キルファさん、起きましたか?」
優しい声がする方へ顔を動かすと、鉄格子の先には予想したラルク――ではなく、検査場で会った老女の姿があった。
「ここは・・・・・・?」
後頭部に響かないようにゆっくりと体を起こしながら、周りを見回す。俺がいるのは見覚えのない鉄格子で囲われた部屋であった。部屋を構成する壁の内一面のみが通常の石壁で、残りの三方が人の頭が入らない程度の枠の鉄格子で構成されている。
一面の鉄格子を共有する形で隣接したもう一つの鉄格子部屋には俺を気遣うように佇んでいる老女がいた。検査場で猿の頭を息子だと看破した、あの老女である。
部屋にはそれぞれ、粗末なベッドとトイレ代わりなのかバケツが一つ備え付けられているのだが、俺が驚いたのは、そうした鉄格子を壁として区切られた部屋が、見える限り何部屋も左右に続いていることであった。
「ビダルの屋敷の地下です」
ビダル――そう聞いて、一気に俺の頭の中が記憶を取り戻す。そうだ、神隠し森から出た俺たちは合成獣亀を見つけた後、街道へ出て――朝市から帰ろうとしている農夫と交渉して空の荷馬車をそっくりそのまま買い上げ――王都へ行くその道すがら、俺とラルクだけは別動隊としてビダルの屋敷へ向かったのだ。
トールとレアラードとヴァリスは馬の姿のエミー王子と神隠し森の元凶である合成獣亀を王城へ送ることで、軍の追跡を心配しない状況を作り出してくれる。
ビダルがどれくらいの待遇でミナたち検査場で会った三人を置いていてくれるのかわからないが、なるべく早く安心させてやりたいと思い、屋敷に着いて早々に頭をゴツン、だったっけ。それで気を失っている間にここに連れ込まれていたってことか。
「ラルクは?」
「あちらです」
老女が通路を挟んだ向かいの部屋を示す。やはり三方を鉄格子で囲まれているので、部屋の中すべてを見通すことができる。奥に配置された粗末なベッドに似つかわしくない豪奢な金髪が横たわっていた。
左右を見渡してみると、捕らえられ、この奇妙な格子で区切られた狭い部屋に入れられているのは俺たちだけではなかった。数えられるだけでも十人近くの人間がそれぞれ部屋に閉じ込められている。ほとんどの者がうつむき、気力なくベッドに座ったり寝転んだり、あるいは新参者の俺たちを興味深く見守っているが、それぞれの足には鎖がついて格子の一部と繋がれていた。当然、俺たちにも。
「どうやらこの屋敷は皮革商人の稼ぎだけで維持していたわけじゃなさそうだな」
トールがこの屋敷を見たときに「おいおい、どんな商売すればこんな大きな屋敷に住めるんだよ」と驚いていたことを思い出す。確かにビダルの屋敷は、郊外とはいえ桁外れに大きかった。元々貴族かなにかの出なのかもしれないと思っていたが、これは――
「人身売買を生業にしているようですね」
ラルクが眉をひそめながらむっくりと体を起こした。俺と同じように後頭部が痛むらしい。頭を振ると金が溶け出したような髪がさらさらと動き出す。
「この国って奴隷や人買いは禁じられてるよな?」
一人頭の中で奴隷制度の残っている地域を思い描きながら、ラルクを見る。俺たちはビダルの皮革商人以外の顔に気付かざるをえなかった。
国外からも多くの客が来る、なんて言っていたが、“動物もどき”の皮を買いに来る酔狂者を隠れ蓑に、この国から奴隷を輸出していたってことか。だとしたら俺たちみたいな冒険者ってのは、どこで野垂れ死んでもよくわからない存在だから、体のいい稼ぎ駒だよな。特に、ラルクみたいな容姿では。
しかも“神隠し森”のすぐ近くなんだから、急に人が行方不明になっても森のせいにできる。よく考えられたからくりだ。
「ごめんな、まさか人買いの家に送り出してたなんて思ってもなかったから」
「それは信じていました。それに、検査場で助けていただかなければ私たちは命もなかったでしょう」
老女が落ち着いた様子で応じる。没収されたようで、手には息子の一部が混ざった半人半猿の頭はなかった。そのせいでもう息子が帰らないものと心の中で区切りが付いたためなのか、それとも自分の身が奴隷に落とされかけている究極の状況によってなのか、彼女からは妙に達観した雰囲気が漂っている。
「もう一人の怪我をしていた商人の方は・・・・・・?」
ラルクが聞いた途端にミナのすすり泣きがもう一度高まる。寄り添った老女がうつむいて首を振った。
「殺されてしまいました。私たちの目の前で」
「あの人は何も悪いことはしていないわ! ちょっと騒いだだけなのに!」
「何があったんだ?」
キッと睨み上げるようにして、ミナは俺の目を真正面から見つめた。ミナみたいな大人しそうな女性の強い怒りの表情に俺は息を飲む。
「私たち、この屋敷に来るのに検査場に繋いでいた私たちの馬車に乗ったんです。でも馬車の上であの人は眠ってしまった。怪我をしていて疲れていたのよ。門をくぐってこの屋敷の玄関前に着いた後に、彼は起きて・・・・・・“ここは本当にビダルの家か? ここはヴォルキャストの屋敷だ!”って」
はっと、俺とラルクが顔を合わせた。




