19 リカゲル王子
「何なんだ、ここは・・・・・・」
「チビ、こっちだ」
いつまでも幻想的な景色を見呆けている俺にじれて、後ろの兵士が俺を小突く。弓矢を取り上げられ満身創痍の俺としては逃げ出すつもりも無いのだが、こう扱いが悪いと投げやりな抵抗でもしてやりたくなる。
だが、同時にこの光景を見たからにはどうしても死ぬにはまだ惜しいと感じてしまう。一歩進めば、また新たな驚きが形となって目に飛び込んでくる場所なのだ。なるべく時間を稼いで生き延びる策を考えたいという打算より、人間の根幹にある知りたいという欲求が俺の足を進ませていた。
もう一度小突かれながら、俺はヴォルキャストと数人の兵士たちが先に歩いた足跡をなぞるように棚田状の泉の縁を登った。
この空間に辿り着く前に渡った地下水の小川もそうだったが、水が透き通っていて空恐ろしいほどだ。その小川の水で腫れた顔を洗ったときは、爽快な冷たさで生き返る心持ちだったが、流れのほとんどわからないいくつもの皿に満々と水を溜めたようなここではとても俺の血で水を汚染する気にはならなかった。足跡をなぞったのも、こんなきれいな場所はなるべく汚したくないという思いの表れだった。
ガンッ
その音が聞こえたのは棚田状の泉の端を中腹まで登ったときだった。見飽きない景色を楽しんでいた俺は攻撃的な音にぎょっとしてその出所――ちょうど俺がさしかかった踊り場の壁面から急に開いた横穴を覗き込んだ。
この横穴には明らかに人手が加わっていて、人が出入りするのにちょうどいい大きさに広げられている。ちょうど近くを通った蝶の光を頼りに奥を透かし見ると、少し先に新し目の、しかし荒々しく凹んだ金属の扉が見えた。
ガンガンッ
凹みが増すように扉が再度激しく叩かれる。
「催促しやがって」
上から階段を降りて現れた兵士が舌打ちをして、手に小瓶を持って扉へ向かった。すれ違いざま、ふわりと独特な香りが鼻をつく。この香りって・・・・・・
「おまえは早く登れ」
扉が開けられる前に、監視役の兵士に尻を蹴飛ばされて上へ上がらざるをえなくなったが、
「中に猿たちがイマしタ」
わざわざ飛んで扉の開閉を見届けたインコが俺の肩に戻りながら耳打ちした。自らの目で答え合わせは今できないが、納得できた。あの扉の先にはもう一つ空間が広がっていて、猿の軍団はそこに囲われているのだろう。
「薬物を使ってマシタね」
「あれ、やっぱりそうだよな。ヴァリスわかったんだ?」
「そリャわかりマス。長年薬物実験の実験体をシテきましタから」
「おまえ、けっこう苦労人なんだな」
なぜか照れたようにピュルリ、と軽快な鳴き声。
「森には覚醒させたり酩酊させたりする植物がけっこうあってさ、俺はけっこう詳しい方だと思うんだけど、でも何かちょっと変だったな」
「自然由来のモノじゃナイ、混ぜ物の匂いでシタから、体には悪いデショう」
「本当に詳しいんだな。でも、そういうことか・・・・・・」
「コントロールの効かナい半人半猿を動かすナラ、薬漬けにするノが楽だ・・・・・・と考えるデショう、悪い奴ハ」
「こんなにきれいなところで、そんな人道にもとることが行われてるなんてな・・・・・・」
人じゃなくて猿だから、と言い切れないむなしさが襲ってくる。愛情でコントロールできない生物だから、依存性のある薬を命令に従わせる原動力にしているのだろうが・・・・・・なら、そもそもなぜ半人半猿なんかが産まれることになったのか。
「上に人がいマスね」
ヴァリスの言葉で、俺はようやく先に進んだヴォルキャストが階段を登り切り、誰かと向かい合っているのに気付いた。
想像だがたぶん現実の胸くその悪い考えから逃れるために、がたついた体にむち打って駆け上がると、ヴォルキャストたち兵士がその人物に跪いて一礼しているところであった。
「リカゲル様、ご無沙汰しております」
臣下の礼に対応したのは三十半ばの痩せた男だった。蝶たちによる青白い光のせいだけではない、病的な白い肌をした男は痩けた頬を緩ませてヴォルキャストに応える。
「生きていたな。おまえが死ぬはずはないと思っていた」
親しげにヴォルキャストの額に手を当てて、彼は微笑んだ。
「どこか怪我をしていないか? 微弱ではあるが回復魔法は学んでいるぞ」
「いえ、それには及びません」
「ああ、回復魔法は受け付けないか! そう言えばロイから買った封魔石があるんだったね」
「ロイ⁉」
突然の耳元での大音声に思わずうずくまる。キンと響いた耳を押さえていると、ヴァリスが羽ばたきながら「スミませン‼」と連呼する声が頭上を回った。
「誰?」
「申し訳ありません、リカゲル様。紹介が遅れました。重要な証言をする者たちを捕らえて参りました」
ヴォルキャストの言葉をきっかけに、俺は数人の兵士によってリカゲルの前に引き出された。無理矢理に片膝を折って、かしずく形にさせられる。
「キシリー帝国出身のキルファです。この森の謎を解明しました」
「何⁉ 一体どうやって⁉」
「なんてことはない。目の前でこの鳥が出来上がったからですよ」
言うが早いかヴォルキャストの腕が驚くほど速く俺の頭上を旋回していたヴァリスをひっ捕まえた。
「グエ‼ 苦しイ! もう少し丁寧に扱っテくだサイ‼」
「この鳥、しゃべるんだね! “動物もどき”なのかい?」
リカゲルの顔に赤みが差し、初めて血色が感じられた。髪と同じ茶色の瞳も一瞬にして生気にあふれて輝く。
「元魔道士です。インコに変化したことで“動物もどき”になっても話せるようで」
「すごいね! こんな事例はかつてなかっただろ? ああ、すべての“動物もどき”がこうであれば、兄さんだってきっと逃げ出したりしなかっただろうに」
ヴォルキャストたちの言葉遣いや態度から、彼こそが引きこもりがちと言われるこの国の第二王子・リカゲルだとわかった。しかし、夢見るような物言いは年齢よりも随分、いや不自然に幼く感じる。
「可哀想だよ、離してあげてよヴォルキャスト。さあ、こっちへおいで。大丈夫、私はひどいことはしないよ。名前は?」
「ヴァリスでス。どうモご機嫌ヨう、王子様」
「わあ! かわいいね‼」
ヴォルキャストの手から小さなインコを受け取ると、リカゲルは少年のように喜んで頬ずりした。ヴァリスは借りてきた猫みたいに余計なことは何も言わずにじっと耐えている。
純真な物言いはラルクによく似ているが、まだ十代のラルクに対してリカゲルはもうとっくに少年時代を終えている年齢なので愛らしさよりも不気味さが先に来る。しかもその動向は自然とは言いがたく、どうも浅はかな計算の上で演じられているのが出会って数分の俺にすら感じられた。いわゆるぶりっ子ってやつだ。
乙女チック商人のビダルとはまた違ったなんとも言えない感覚で、俺は自分の顔がいわゆる苦虫を噛み潰したようになっていると自認できた。




