12 夜の森
夜の森の中というのは何度入っても奇妙で面白い。足下の草や茂み、木の根っこ、枯葉や水たまりが作り出す多様な起伏。木の上や遙か遠く、あるいはすぐ耳元で聞こえる動物や虫の声、息づかい、葉擦れの音、水のしたたり。自然に包まれているという安心感を感じることもあれば、何かに見張られているような緊張感を強いられることもある。それは森自体ではなくその時々の自分の心の鏡なのだ。
「こっちで間違いないんだな?」
「間違いない」
「ふむ、おまえ、森の民だったのか」
「故郷の森は三年前に出ちまったけどな」
俺の道案内に迷いが無い様子を見て、トールは俺が先ほど話した出身についてやっと合点がいったようだ。
「どうして出たんだ? 森の狩人として腕は良さそうだが」
「まあ色々あってさ」
「そうか・・・・・・。ベルゼンから聞いていたんだよ。若くてちっこい赤毛が“神隠し森”で一人で狩りして、たまに「検査場」に持ち込んでるって。おまえのことだったんだな」
「検査場」の司会者エプロン・ベルゼンの姿が思い浮かぶ。ターバンの少年によって、もしかしたらもう命は散っているのかもしれない。トールも名前を言ってから思い出したのか口をへの字にし、邪魔な茂みを払う手に力を込めた。
「検査場」を脱出した後、俺たちは二手に分かれた。老女と娘のミナ、手負いの商人は身を隠せる場所へ。俺とラルク、トール、魔道士、そして合流したターバンの少年は、俺たちが半人半猿と遭遇した森の中へ、といった具合だ。
俺とラルク、トールは半人半猿の怪物について謎を解き明かしたい思いがあったし、魔道士たちはまさに“猿”を追い求めてはるばる別の国からこの森まで来たのだ。軍人が出張ってきている以上、彼らよりも早く猿たちの体を確認したい。
だが、老女や手負いの商人たちまで森に入る必要はない。そして、応急処置はしたものの、商人には手当と休息が必要だった。
俺はほんの少し前の状況を思い出す。
俺たちはそのとき、にっちもさっちもいかない状況だった。幸いにも俺たちが脱出した検査場の建物の裏手に兵士は誰もいなかったが、すぐにでも移動しなければいつ見つかるともしれない。素早く身を隠さなければならなかった。
町へは検査場の前を通り抜けなければ入ることができないのに検査場建物の正面は兵士によって封鎖されている。もちろん街道を反対方向に進んで他の村を経由するか森に入って迂回することで町へ入ることはできるが・・・・・・とても女性や怪我人、老人が容易に進めるルートじゃない。
かといって俺たちが安全な場所まで護衛するのも時間を浪費するし、ここまで関わった以上じゃあ勝手にどうぞって訳にもいかない。
せめて建物正面の兵士たちがどこかに行ってくれれば・・・・・・と思っていた矢先、轟音と共に雷が落ちた。
思い出すだけでその大音量と地揺れの迫力にゾクッとなる。一瞬死んだと思った後、検査場は落雷の一撃により盛大に出火し、木造の建物はあっという間に燃え広がり巨大な松明と化した。そしてそれは兵士が状況把握と消火で右往左往しすっかり建物の前の警戒を解くには十分な事態だった。
俺たちも建物からさらに距離を置くため離れかけたその時、上から予想外すぎて生涯忘れられないであろう三つのものが落ちてきた。
一つは猿の頭。
もう一つは白い布で全身をぐるぐる巻きに拘束されたミイラ男。
そして最後に長い銀髪をふわりとなびかせた美少女。
正直最後の少女にはこんな状況にも関わらず目を、心を奪われた。なんて美しい・・・・・・天国の住人なら、この美少女こそ奥の神殿に住んでいそうな・・・・・・と考えてから、服装でこれがターバンの少年である事実に気付いた。そう考えて改めて見ると、直前に落ちてきた男に巻かれている白い布は少年のターバンだ。少年じゃなくて女の子、だったのか・・・・・・。
「いるかと思って、一応持ってきた」
美少女は猿の頭を拾い上げると老女に差し出した。老女は雷と火事に思考が停止していたが、美しい生き物と自分の息子が含まれている猿を目の前にして再度頭が動き出したらしい。涙混じりにお礼を言いながらそっと猿の頭を受け取った。
森の中をトールと先導しながら、俺は後ろを振り返った。俺のすぐ後ろにはラルク、魔道士、そしてその後ろに続く馬の背に美少女はいる。少女の尻の後ろには意識を失ったターバンぐるぐる巻きミイラ男の体がグニャリと伸びたまま鞍の上に置かれて馬に揺られていた。
(レアラード、か)
背が高く、女性らしいふくよかさが服の上からではわからないのでもしかしたら少年かと思ったが、伝説の美少女剣士と同名のレアラードと名乗ったので女性なのだろう。
俺のことを「女とわかった途端に恋愛対象として見てしまう純情発情期野郎」だと思われたくはないが、彼女が目に入るだけで胸がドキドキするのは止められない。この美しさだから仕方ないと自分に言い訳するが、それにしても・・・・・・本当に有言実行しやがった! 死なずに合流するどころかたぶん背格好からしてヴォルキャストだろう男をぐるぐる巻きにして拉致し、あまつさえ猿の頭の手土産まで持ってくるとは。どういう大活躍があったのかはわからないが、相当疲れているのか今は馬上で静かに目を閉じている。
「あのタイミングで雷なんて、まったく天の思し召しだな。雨も降ってなかったが、日頃の行いが良いからかな」
トールが雷を思い出したのか興奮した様子で語る。俺はあの雷がとても偶然発生した自然現象とは思えなかったが、後ろにいる魔道士と魔法に詳しいはずのラルクが無言を貫いているので他のことで応じた。
「ミナたちは無事に着いたかな?」
「大丈夫だろう。「検査場」の周囲はてんやわんやの大騒ぎだっただろ? 町から野次馬も多く駆けつけていたし、魔道士殿が着替えのローブを気前よくミナたちに渡して変装もさせたしな」
「町へ戻るのはできただろうけど・・・・・・ビダルは本当にかくまってくれるかな?」
そう、俺たちはミナたちの隠れ先として、「検査場」で出会った乙女チック皮革商人・ビダルの元へ行くようを提案したのだ。
「あいつもあの「検査場」の常連だ。と言っても売買の品が違うから交流はほとんどしたことねえが、言動でわかるように自分の好みには素直な奴らしいから、大丈夫だろう。“しばらくかくまってくれたらラルクと食事できるぞ”と一筆書いたのをミナに持たせたんだ。兵士に密告するより楽しい思い出作りを選ぶはずだ」
「私でいいんですかねえ。ビダルさんはキルファさんの方を熱心に見ている気がしましたけど」
げっそりすること言うなよ。確かにあいつからは何度か熱視線を感じたが、決して恋い焦がれている感じじゃなかったぞ。何だか値踏みされているようで、正直ぞっとした。
「あ、あの・・・・・・半人半猿の体があるところまでは、まだかかりますか?」
言った魔道士は肩で息をしていた。森に慣れている俺とトールが急いで進んでいるペースに見た目通り貧弱そうな彼は明らかに追いつけなくなってきていた。使い魔ってやつを使ったら良いのにと思ったが、魔法も無尽蔵ではないからこの後半人半猿と遭遇する可能性を考えてなるべく温存したいらしい。
「もうすぐだけど・・・・・・ちょっとだけ休憩するか」
俺の言葉に頷いて、トールが周囲の下生えを払って地面が見えるように準備する。魔道士はやっと休めると茂みにどかりと腰を下ろしかけたので、俺はすぐさまその胸ぐらを掴んで体を支えた。
「え⁉ 何ですか⁉」
「あ! いや……この森だとそれ、危ないんだぜ」
「ええ? 座っちゃダメなんですか?」
「そうじゃなくて、地面を確認するっていうのが基本なんだよ」
「地面だけじゃねえ。気軽に木や石に手をついたりするのも御法度だ」
トールが地面をきれいに露出させた場所に腰を下ろして説明を足した。
「“神隠し森”だぜ? 何が原因で“動物もどき”になっちまうのかまだ誰もわかっちゃいねえんだ。今まで同行者が“動物もどき”になった事例の証言から、何かに触ったんだろうとは言われてる。それでこの森ではなるべく触れる物を少なくするのが常識なんだよ」
胸ぐらを掴んでまるで喧嘩寸前かそれとも接吻の手前のような態勢になりながら、俺の目の前で魔道士はこの森の暗黙の了解を知らずにここまで駆けてきた自分に絶句していた。
身長差もあって、俺の位置からはっきりとフードの中の顔が見える。存外に悪い顔立ちじゃないし・・・・・・
「左右違う色の目なの? しかも紫なんてカッコいいな、あんた」
手を離しながら俺は初めて見る紫色の瞳に口笛を吹いた。




