6.血腥いナイフ
ルーシアが浮遊させている朱と黒色のナイフがセリア目掛けて飛んでくる。セリアはタグロスが自身の間合いに入ることを危惧して、あえてナイフが飛んでくる方位へ飛び込むように移動した。
ナイフが彼女の額のど真ん中に命中する直前、神体憑依を使い、間一髪避けることに成功する。ナイフが髪を掠ったことに一瞬頬を強ばらせるセリアであったが、すれ違いざまに自身のナイフを旺盛に振った。
──ドンッ!
ナイフとは思えないような鈍い音が交差時に漏れ出る。セリアはなんの冗談なのかと舌打ちしそうになったが、タグロスが続いて襲いかかってくる。突起としての役割を大きく占めるロングソード。
それが彼の俊敏な動きによってまるで針が何千本もあるかのようにセリアに向かって突いてきた。冷静に一つ一つを見極め避け続けていると、頭上からナイフが降ってくる。セリアはそのことに気がつくも、同時にタグロスの突きが激しくなっていき、思うように隙を着けないでいた。
だが、ナイフはどんどん加速して落ちてゆく。
「ッ! 『黒闇の一閃』」
苦肉の策として、アーツによって強化されたナイフを頭上へ投擲した。落ちてくる朱と黒のそれの軌道は若干傾きを変え、セリアの足元に突き刺さる。
すぐさまタグロスが攻撃を仕掛けるも、別のナイフで応対した。青白いオーラを纏わせた彼女は、なんとか彼のロングソードを跳ね除けることを成し遂げる。
彼女はこれを好機だと思ったのか猶予なく右手でナイフを彼の首元目掛けて振るった。
しかし──
「背中を見せちゃったわね」
「やべぇッ!?」
地面に突き刺さった禍々しい色を持つルーシアのナイフとタグロスの挙動に注意を割いたせいなのか、背後に忍び寄るルーシアの存在に全く気づけなかったセリア。
ルーシアの持つダガーが彼女の首元へ吸い込まれるように振られたと思われたが、咄嗟にセリアは左腕で首元をガードした。ダガーはブスリとぬちゃぬちゃ音を立てながら彼女の左腕の奥へ進んでいく。傷口からどくどくと赤い液体が流れる。
「勘がいいわね闇刃。でもいいわ、あんたの生き血を享受しましょうか。フヒヒヒヒ」
ルーシアの目は半分イってしまっていた。理性と狂気、相反する二つの感情を混濁させながらもダガーを奥へと捩じ込ませる。セリアは頭に光が飛び散るぐらいの痛みとショックを受けたものの、今までの修羅がここで終わらせまいとして頑張っていた。
タグロスが一歩セリアの方へ駆け出すように動き出す。決着を着けようと決心したのだろう。しかしその行動は、セリアにとって、蜘蛛の巣に引っ掛かった虫のようなものでだった。
セリアはにぃと口を弧を描くようにして嗤った。
「──ほら、向こうから死ににやってきやがった。──『烈火乱舞』」
突如、セリアを軸として周りに火花が無造作に飛び散る。辺り一面火の海と化すが如く強力な火花が轟々と音を立てた。勿論、至近距離でいたルーシアとタグロスは反射的に距離を空けようとするも、如何せん彼女のアーツの範囲が大きいお蔭で中々抜け出せない。
そこで彼らは魔法を使うことにした。タグロスは火を遮断するために何も無い場所から土を隆起させ、ルーシアは無属性の魔法を身に纏わせた。神体憑依よりは劣るが、脚を強化してまだ無事な障害物の影に上手く逃げ仰せることに成功する。
「ふぅん、奴のアーツは真上と真下には影響しないのねぇ」
ルーシアが遠くで黙々と舌舐めずりをしながら観察をする。しかし、セリアの烈火乱舞にはまだ隠し要素があったようだ。周辺に飛び散っていた火の粉の一部が即席で出したタグロス特製の天然土嚢の上を飛び、彼目掛けてやってこようとしていた。
「馬鹿な!」
流石のタグロスも、人二人分以上の範囲攻撃を持ったアーツによる攻撃に加え、まさか火の粉を操作して飛ばせることが出来るなんて微塵も思っていなかった。
このまま為す術もなく命中するかと思われていたが、横から人影が現れた。そいつは脇腹を抑えながらタグロスの方へ無属性の魔法を使い、走ってゆく。そして丁度火の粉がタグロスにヒットする一歩手前、彼は無事間に合い全身を火の粉に包まれながらも最期の一言を漏らす。
「タグロス、お前の酒ぇ悪くなかったぜ」
「ダペス……すまないな……」
彼の魂が身体から浮遊していくような様を、鋭い目付きで見ていたセリアが憮然とした態度を取る。
「……ッチ、仕留め損なったかクソッタレ。このアーツは魔力の消費量多いってのに」
左腕を着ているローブの端を千切って素早く止血をしたセリアは、再びナイフを取り出しタグロスに向かって投げる。その攻撃を首を傾げることでひらりと避けたタグロスはお返しとばかりにロングソードをセリアに向けて大きく動作を行い投擲した。
まさか抛ってくるとは微塵も思っていなかったセリアは目を丸くするも大きく身を横にズラすことで事なきを得る。だが、安心していられるのも束の間、彼女の背後から毒々しい色をしたナイフが投げられてくる。
それを頭を後ろへ傾け応対した。その瞬間、全身に大きな振動をセリアは受けてしまい、体のバランスが取れず二歩三歩後ずさってしまった。前を向くとタグロスが右手で殴ろうと差し掛かって来ている。咄嗟に両手でガードするが、彼の岩のように硬い手を持つ殴打に口を歪めた。
セリアは殴打のタイミングを掴み取り、ついに彼の腕を掴むことに成功する。そして神体憑依を使ってタグロスの巨体をこちら側に引っ張りこみ、思いっきり膝蹴りをしてその後鳩尾を食らわす。
一瞬怯むタグロスだが、次の瞬間には予備動作を殆ど行わない強烈な右フックを入れた。しかし、セリアはアーツによる身軽さと彼との体格差で器用にその右フックを避け、彼の周りを最短距離で移動しついに背後を取った。そして待ってましたと言わんばかりにナイフを素早く逆手に取り、『黒闇の一閃』を掛けて彼の首元へ刺そうとする。
だが、その時セリアはとてつもない透視感に駆られ、気づくと背後に向かって全力投擲していた。
ガキィン!
その予感は見事的中。ルーシアのアーツである『狂剣』にセリアの投げたナイフがガツンと当たる。すると狂剣は先程からの過度な使用からか、当たった瞬間砕け散った。それを少し遠くで見ていたルーシアが苦しい表情を露わにする。
「ちょっとは頭回るみたいねこのクソガキィ!」
散々とした一室に反響するルーシアの声をバックに、セリアはタグロスがその後に放った蹴りを避け、その隙を突いてナイフを脇腹に差し込もうとする。すると見事お腹辺りを刺す目論見を果たした。セリアは血で化粧をした狂喜の顔を出す。
「てめぇの臓物の生暖かさが五臓六腑に染み渡るぜアハハハハハッ!!!
……って、え?」
気が付くとセリアはタグロスの両腕によって強固に抱き締められていた。セリアが暴れようとしても、アーツを使って振りほどこうとしても、ビクともしない。まさに堅固な金庫のように微動だにしないタグロスにセリアは危機感を覚えた。
その時、タグロスの口が開く。
「──ルーシア! 我ごと切ってしまえ!」
「ぁあ!? おいてめぇふざけんなよ!?」
セリアが声を荒らげるが、返ってくるのは腕によってより圧迫される感触だった。ルーシアは狂剣が破壊された影響なのか、凛とした雰囲気を纏わせており、タグロスの言っていることを受け入れている様子である。
──ルーシアがこちらへ走り始めた。手に何かを持って。セリアは神体憑依を使うも一向に振りほどけないでいた。
ルーシアがこちらへ走ってきているのを大量出血による貧血によって歪んだ視界で捉える。手には先程タグロスが投げたロングソードを持っていた。その足取りは規則的なもの。
その時セリアは不意に違和感を感じ取る。
──少し話ができすぎではないか、と。
彼女は不敵に微笑を浮かべた。まるで覚醒した主人公のような、そんな笑み。
セリアはアーツを発動させた。
「『烈火乱舞』」
タグロスはセリアの口の開き方だけでアーツの発動を察知し、彼女が言い終わる時には簡単に束縛を解き、逃げようとしていた。その時、丁度ルーシアはロングソードをセリアに向かって投擲してきていた。ロングソードは常軌を逸した速度で飛んでくる。
おそらく無属性の魔法を使っているのだろう。ルーシアはセリアの方へ走った後に投げたため、至近距離である。よってどんなにセリアがアーツを使って回避しても間に合わないだろう。そして、彼女はセリアの烈火乱舞の間合いを絶妙に避けた位置で投げた。
──まるで、セリアがそうすると予知したかのような動きだ。
爛々と燿る火の粉を突き抜け、ロングソードは台風の目であるセリアと交わろうとする。
避けれない。持ち前のナイフじゃ捌けれない。そんな詰んだ状況でセリアは両手を広げた。まるで空中に浮いている答えを手繰り寄せるかのように。
──なにかをつかんだ。
ざしゅ、ぽたぽたぽた
ロングソードが体に捩じ込まれる。ねじ込まれた箇所からは血が最初はぽたぽた、しかし後からはドボドボと重力に甘んじて落下していく。
セリアは胸を撫で下ろす。
──掴んだタグロスと共に。
「があぁあ……なんで俺が……芝居を打ったと……バレ……た?」
「んなの簡単だ」
「──死に逝くヤツは皆、頭がハイになっちまったと勘違いしちまうからだ」
ロングソードに肺を貫通させられたタグロスはゆっくりと崩れ落ちた。彼は緩徐に首を傾けこちらを見下しているセリアの瞳を最期に覗いた。
──生意気な目だ。
そう言おうとしたがもう口が動かなかった。そして、彼は二度と動かなくなった。
「……まぁあの女の攻撃を信用しなかったのも原因じゃね」
ぶっきらぼうにそう呟いたセリアは最後の敵であるルーシアに顔を向けた。
「嘘でしょ!? タグロスが死んだ!?」
呆然といった様子で狼狽するルーシア。そして彼女はそのままセリアの方へ駆け抜けてくる。セリアはすぐさまナイフを投げ、この戦いに終止符を打とうとした。ナイフは予定調和に彼女の首のど真ん中に命中した。血が溢れ出る。
しかし、ルーシアはそれでも歩みを止めずただひたすら直進する。セリアは思わずその場からバックステップで離れた。
だが、避ける必要はなかったようだ。
ルーシアはセリアの方へ行かずに、転けるように仰向けで死んでいるタグロスを抱擁した。その瞬間、ルーシアの顔が微睡む。
「あたしもそっち行くから……一人にさせないで……ぇ」
その場でルーシアはタグロスと共に寝るかのように息を引き取った。
……閑散とした空間、しかし周囲を見れば血と臓物で血塗られた現場が数秒前まで起きていた戦闘をフラッシュバックさせる。
セリアは、横並びで死んだルーシアとタグロスを一瞥した後、何を思ったのか他の隊員の腸を出した。その腸をジグザグ模様のように2人の上に置き、毛布の役割にした。一通り置いたセリアは、ふぅ、と息を吐いた。
中指を立てながら、こう呟く。
「あの世でよろしくやってろ」
奥の部屋で轟音を聞いた。どうやらグザヴィレの方はまだ終わっていないらしい。しかし、今すぐ援護に駆け寄る気にはなれなかった。
「少し……疲れた」