3.戦前の戯言
朝食を食べ終えたセリアは宿を出る。グザヴィレの拠点へ行こうと足を動かすと背後から声がかかった。
「やぁセリア、今日も良い天──」
「何の用だよエルネスト」
セリアはエルネストの声を遮り、不快そうな気持ちを隠そうとせず声を出す。
「つれないね、いつも君は」
「生憎、無駄話をする程暇じゃないんでね」
サラサラな髪質を持っているとひと目でわかる金髪。
瞳は浅葱色をした高身長の男性であるエルネストは、セリアの憮然とした態度に嘆く。
彼は適正等級が八等級であるドラゴンを討伐して、つい最近七等級から八等級になった者である。
「無駄ではないよ。情報交換は冒険者として大切なことだからね。それに僕だって君と話す機会が滅多にないものだからさ」
「ふぅん、お前が勝手に治療した患者と話す機会は多い癖に?」
ははは、痛いトコ突くねぇとエルネストが陽気に笑う。彼はこのブロンド地区の治安の悪さとは裏腹に、路上で死にかけている者を老若男女問わず治癒し、自前の巨大な屋敷に保護するという度を超えたお人好しとして有名である。その知名度は国境を越え、他国にも知れ渡るほど。そしてその活躍があってか、市民から貴族まで色々な人々から尊敬されている。
「何やら赤い依頼をセリアが引き受けたとの情報を耳にしてね。心配になってしょうがないんだ。だから僕も同行して良いかな?」
「お前のそのどうしようもないお人好しをやめたら考えてやるよ」
「じゃあ一生、いや僕の目的が達成できるまで無理だね。……まぁその提案に僕が乗っている頃にはもう目的は達成しているけど」
諦めたような仕草をしてそう呟くエルネスト。そしていつの間にか彼とセリアを遠巻きに見ている人々の姿にセリアは気がついた。セリアは心做しかちょっとした劣等感を抱く。その後、観衆の視線から逃げるように目線をエルネストへ戻す。セリアはとりあえず口を開いた。
「ん? お前の目的って何だよ?」
今迄のエルネストの行動と実績を聞いてきたセリアは疑問を浮かべた。
「まだ秘密だよ。じゃあね、健闘を祈るよ」
エルネストは、はぐらかすようにそそくさと去っていった。セリアは質問の答えを脳内で考えていたが、昨日の酒の酔いがまだ残っていた所為で頭が回らず、結局考えるのを止めることにした。
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帝都レットムントを出て西にある巨大な山脈、マギッド山脈の麓に数時間程で着くセリア。辺り一面鬱蒼と茂る木々と蔦。手馴れた冒険者でないとすぐに足が引っかかり、転倒しそうな天然の罠を掻い潜って、さらに奥の森林へと歩んでいく。
時折魔獣が出現するが、それを流れるような動作で撃退しながら進む。さらに半刻、奥地へと足を運ぶと遠くに建造物が見えてきた。
その建造物の周辺は小さな平原になっており、誰が見てもひと目で分かるであろうその建物は近くの森林が相まって無機質な印象を感じられる。
建造物の持つ鉄壁は人を拒むかのように威風堂堂とセリアの前に立ちはだかる。セリアは正面入口だと考えられる大きな扉から入ろうとする。しかしその大きな扉の前には男女二人と思わしき者が立っていた。
「……よぉ」
セリアは片手を挙げながら馴れ馴れしく挨拶をし、彼らを一瞥する。セリアより些か幼く見える二人は、お互い茶色の髪を持ち、頭の上には猫耳と思わしきパーツが見られた。
そこからセリアは彼らを獣人だと断定する。二人はボロボロの何も装飾がない服を着ていた。そして何故か肩がポコっと丸く形になっている。セリアはグザヴィレの性格から奴隷だと推察した。
一応レムレット帝国では奴隷制度は違法とされている。しかし、スラムと評されるブロンド地区では度々奴隷らしき者が垣間見えていた。……つまりはそういう事である。セリアが二人のことを観察していると右側の男と思わしき獣人が口を開いた。
「……ご主人様の認証がない限りこの中に入れる真似はできかねます」
「……お引取りを」
続けて左側の少女と思わしき獣人が言葉を発する。セリアは不意に2人の顔つきが似ていることに気づき、双子だろうかと思った。
「悪いがそういう訳にはいかねぇなぁ。こんなトコにいつまでもいたらいつ魔物に襲われるのか不安で不安で堪らねぇよ。だから早く中に入れておくれや」
「……いいでしょう」
右の男の獣人がそう答える。セリアは思ってもみなかった返答に目を丸くした。
「自分で言ってもなんだがどうゆう風の吹き回しなんだよ」
「……貴方様の剣呑な目つき、精錬された足の運び方からして相当お強いでしょう。ここで私達が貴方様と揉め、無意味に殺されるぐらいならという事です」
「アハハッ、察しが良くて助かるぜ。意思ある門番さん達に感謝だ」
「……お褒めいただきありがとうございます」
ゴゴゴ……
セリアは荘厳とも言える扉を開け、中へ入っていく。
するとそこはまるでこの世界とは違うような着色をした壁の色。さらに魔道具やら何らかの鉱石などが壁の隅々まで置かれている。セリアは少々魅入りながら奥の扉へと歩き出していくが、偶然床に散らばっていた実験の記録用紙のようなものを踏んでしまい、転びそうになる。
「おわっ……とと。……ッチ、あのクソ博士整理ぐらいちゃんとしろよ」
「おやおや、私のことを今呼んだかい?」
ばっとセリアは声のした方向である真上を見上げると、上の階に白髪の老人が立っているのが見えた。きっと自分がここに来るのを待ち構えていたのだろう。そして、さっきの獣人との会話も筒抜けなのだろうとセリアは思慮深く考えた。
「おいおい随分とお茶目な登場の仕方だな。お前はガキか?」
間近にいたのにもかかわらず、気配に気づくことが出来なかった自分を滑稽だと思ってしまい、グザヴィレと思わしき白髪の老人を饒舌に罵ってしまう。
「クックック……いや、気を悪くしたというならお詫びしよう。つい先程の君と彼らの科白が興味深く感じてしまってね。君が私の印鑑を押してある依頼書を提示せず、暴力的解決に持ち運ぶ様は、君が何一つとして昔から変化していないことの証明がなされているみたいでついつい面白く感じてしまっていたようだ。何、そう落ち込むことではない。そのような短気な所は今回に関して、非常に喜ばしいことである」
「相変わらず殴りたくなるような喋り方をどうも。そしてお前が私の昔を語るな」
「クックック……まぁ生産性を疎かにした感情だけを働かす会話はここら辺にして、歓迎するよ。ようこそ、闇の巣窟へ」
両手を仰々しく横に広げ、彼のモノクルの中に潜む金色の眼光の残像が弧を描くように煌めいた。
彼は、セリアの足元に二十本の柄が黒と赤のナイフをガチャガチャと音を立てながら放り投げた。それをセリアは無造作にいっぺんに拾い上げる。
「紳士なふりしてやること雑だなオイ」
「それは闇属性を通すことが出来るのは勿論、魔力を遮断できる優れものさ」
グザヴィレが得意そうにそう言った。セリアはいつもの皮肉を忘れ、純粋に驚愕する。
「まじかよ!? ってことはどんな魔法でも貫通するってことか!」
「ご名答。しかし、あらゆる物事に完璧という単語を当てはめることは不可能である。このナイフは『アーツ』までも効果を遮断することが出来ないことを肝に銘じておくように」
ここで一度、アーツについて語る前に魔法について説明をする。魔法を行うには適性属性というものが存在し、人によって適正はそれぞれ異なっている。
属性は火、水、風、土、光、闇、無の7つがある。それぞれ使えると分かると、ある程度自由に操れる。例えば水だと皮袋いっぱいの水を出せたり、集中して一つや二つ、水の弾を飛ばせたりできる。
そしてもし、強力な魔法を扱いたいなら、『アーツ』と呼ばれるものを習得する必要がある。しかし、それが中々習得に難しく、持っていない人の方が多い。習得には何か劇的な身体的、精神的変化が必要とされている。または鍛錬の賜物によりある日突然出来たりもする。
使えば場を完全にコントロールできるとさえ言われている『アーツ』という絶大な力。その中には、ごく稀に限定的なものが存在する。……まぁその事はおいおい話すとしよう。
セリアは貰ったナイフを我が子を見るような目で細部まで観察する。
「しっかし、誰がこんなイカれたナイフを用意したんだよ」
「私だと公言出来れば良かったのだがね。これはある黒目黒髪の男の来訪者が取引でくれた物だ。是非とも丁重で粗末に扱って欲しい」
セリアは、これから起こる小さな籠城戦の闘いに武者震いなるものをした。グザヴィレはそんなセリアを尻目に、奥の部屋へと向かっていった。セリアは遅れてついて行き、さっきとは比べ物にならないくらい大きな部屋へと着く。そこには一階と二階の間にある仕切りがなく、筒抜け式の部屋にあっており、二階の通路が丸見えになっていた。
セリアは周囲を隅々まで見て、敵がどのように入ってくるのか、またその時の立ち回りなどを考える。その時、彼女はあるものに気がついた。
「おいイカれ博士、これは何だ?」
セリアが手に持った物は帯灰紫色が大半を占め、少々強烈な赤みが混じった鉱石であった。グザヴィレはセリアがその鉱石に興味を示している事を知ると、まるで啓蒙するかのように言い始める。
「それは紫凶石と言うんだよセリア君。このマギッド山でしか採掘できないこの石は少々特殊でね、魔力に触れると尋常ではないエネルギーが放出されるのだ。だが、魔力を持っているのに属性適性が全くない無能共と同様、石単体ではまるで意味をなさない。故に、加工して武器や装備にすることで卓越した頑丈性、又は攻撃性が期待出来ると注目されている。恐らく国が今になって私を亡き者にさせようと躍起になる理由としてこれが一番有力であろう」
「それで? まさか国一番の気狂いがそんな素朴なものを気に入る訳がねぇ」
セリアが口を弧を描くようにして嗤いながらそう言った。グザヴィレはそれを聞き、一瞬目をパチクリとさせると豪快に嗤い始める。
「ハッハッハ! やはり君はこっち側の人間だ! どうして共感性を著しく欠けた、頭のネジが外れた者でも、同じネジが外れた者同士なら分かり合うのだろうか!?」
興奮した様子のグザヴィレだが、次第に落ち着きを取り戻し、再び説明に戻る。
「ゴホンッ…… 私はこの鉱石にそれ以上を追求したのだ。魔力と適合度が高い物質は人々が考える空想上の理論を軽く飛び越える。そして近年発見して分かったことなのだが、紫凶石を人の体に埋め込むと媒体としての効果を発揮し、結果として一般的な無属性の身体強化を上回る効果が見込まれるのだ」
グザヴィレは近くに散乱してある紫凶石を手に取り、恍惚とした表情を顔に浮かべながら、もう1つの手をモノクルに当てる。
「しかし、紫凶石は同時に体内の中枢神経を刺激させる効果が伴い、利用者を興奮状態へと誘う。初めは体内にある魔力を鉱石に使ってやることで加減を調整出来るのだが、次第に使っていく内に自然と体と鉱石が一体化する。そうなってくると実に私の探究心を掻き立てるもので、紫凶石自身が魔力を自動的に吸い上げるようになるのだ。また使っていく内に自傷行為や殺人衝動にも駆られるという」
「やっぱり碌なもんじゃないな」
セリアは呆れた目をグザヴィレに向け、そう吐き捨てると共に嘆息する。しかし、セリアはグザヴィレの隙をついて、ローブの中に一つだけ紫凶石をくすねた。おそらく金になると踏んだのだろう。
「ああ、そういえばさっき君と会っていたあの二人には埋め込ませてもらっている。あとディアラバという奴も……ああ、アイツは逃亡したんだった。……まぁとにかく私の盾として役目を果たしてくれるから君も頑張りなさい」
セリアはあの双子の肩が丸くボコっとしていたことを思い出す。グザヴィレは言い終えると目の前にある大きな水晶玉をじっと見つめ始めた。
成人男性よりも大きい水晶玉は、反射したグザヴィレを映さず、どこかの風景を浮かび上がらせている。セリアは紫凶石が山ほどある所を離れ、グザヴィレの前にある水晶玉へ駆け寄った。
「魔道具か? にしてもデカいな。自分のちっちゃさにため息が出るぜ」
「これはここ周辺の監視が出来る優れものの魔道具だ。だがこいつは少しばかりデリケートでね……些細な振動で使えなくなる。あくまでも周囲の観察が主力だ。そしてこれが壊れる時こそ危険ということを覚えた方がいいぞ、まぁ情報によるとあと2、3日は猶予があるらし──」
──プツンッ。
水晶玉が黒く塗りつぶされた。
「……そうかいお前、人を安心させといて不安に突き落とすのが趣味なんだな」
とセリアは大胆な皮肉をグザヴィレにぶつける。
「確かに感情を正から負に変えてしまったのは申し訳ないが、君としてはハッピーな展開なのでは? おっと敵が襲来してきたよ、セリア君」
突如、さっきまで正常に作動していた水晶玉が黒く染まり、其処には人間として何か失った男性と少女が薄っすらと写っていた。