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呪罵庫  作者: あむろ さく
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第2話 イチョウ並木




 倉田さんと団地のイチョウ並木を歩いていく。彼女のすり足で進むスピードに合わせて、ゆっくりと風景を眺めるのは私のお気に入りの時間だ。この散歩道はリハビリにも適しているし、何より気分がいい。


「こんな慣れた場所でも一人で歩けない。ごめんなさいね。毎回年寄りのわがままに付き合わせて」

「そんなことありません」

「足がだんだん動かなくなるのが辛い時もあったけど……こうやって誰かと話しながら景色を楽しむのって贅沢だわ。北川さんのようにきれいな女性ならなおさらね。デートみたいで心が弾むみたい」

「私も楽しいですよ。倉田さんと歩くこの時間が好きですから」


 しばらく道なりに彼女についていく。

 午後の風は穏やかで、イチョウの木々をそよそよと揺らせている。


「今日はどうします? 公園にでも行きましょうか?」

「それって川向うの公園のこと?」

「橋を越えて少し距離はありますが、リハビリにはいいかもしれません」

「この足だとまだ止めておいた方がいいわね。怖くなるわ……坂を見下ろすと転がり落ちるような気持ちになる。ああ、川沿いはゴミで汚れていたりしないかしら?」

「近くに保育園がありますから、わざわざ捨てる人は少ないですよ」

「橋の近くは?」

「階段の下辺りですか。私はそっちから歩いて団地に来ますけど、空き缶とかコンビニの袋とかたまに落ちてます。絶対やめて欲しいんですけど。子どもが見てるのにポイ捨てする人も中にはいるし……信じられませんよまったく」

「……そうね。子どもがいる場所は、汚れてほしくないわ」

「団地内の公園、今の時間なら保育園の子どもが遊んでいる姿が見られるかもしれませんよ。どうされますか?」

「今日は広場に行きたい気分ね」


 この時間帯は試合に向かう少年野球チームが練習をしている時がある。団地内なのでボールは使わず、ウオーミングアップと素振り、ランニングくらいだが、倉田さんはそういった活動を見るのが好きなのだ。私もそう思う。何のために、ということが明確な頑張りは応援したくなる。声には出さずとも、その前向きさと努力が報われて欲しいのだ。


「野球、テレビで観戦とかするんですか?」

「そうねえ……野球、というより応援したいと思う人を見ていたい。そんな感じ。元気を分けてもらえる気がするし、楽しいの」

「分かる気がします」

「こちらこそよ。北川さんが来てくれて毎日が楽しいわ。貴女の訪問の無い日は散歩した場面をモチーフにして絵を描いたりするの。最近までずっと、そんな気持ちにはならなかった。いつか行った場所や、写真を元に筆を取ってみても気持ちがこもらないのよ。ただ写しているだけ、というのは絵じゃないの。絵と言うのは……って、ごめんなさい。こんな話は聞いてて退屈よね」

「いえ。もっと聞きたいです絵の話。そういえば子どもの頃、服のファッションデザイナーを夢見たことがあります。両親や妹に、どんな服が似合うのか想像してよく画用紙に書いていました。残念ながら着せ替えごっこの域を出ず、やがて興味が薄れていきましたが」

「その想像する気持ち、とても大切だと思うわ。本当に集中して絵を描いているとね、()()()()()()()()()()()

「声ですか?」

「そう。絵から聞こえる声。正確には絵を通じて返って来る自分の感情や想いが、言葉で現れるのだけれど。ここは違う。しゅーっと勢いをつけたら? ここは最初べたーっと。厚みを持たせる? タッチは本当にこれでいい? 全体の調和は取れてる? 他にぴったりの色は? ……みたいなね」

「なんか粗探しみたいで厳しい感じがしますね」

「ええ。褒めたり励ましたりする声は一つも聞こえない。想像し続けても作品を否定する指摘ばかりで嫌になったりする。でも、その声にひたすら耳を傾けられた時には……魂を塗りこめたような心地よい疲れと、もう一人の私に拍手を受けたような感動。そして描き切った作品が残るの。ただの自己満足かもしれないけどね」


 妥協をしない、ってことなんだろうか。

 何かを自分で作りあげる時、ついつい愛情や愛着で悪いところに気付かなかったり、見ない振りをしてしまいがちだ。自分の子どものようなもの、と感じてしまう人も一定数いる。純粋に作品と向き合うことができるのが、物作りの職人と言えるのかも知れない。

 ただただ完成度を高める。理想に近づけるための努力。倉田さんの言いたいのはその辺りかな? 


「絵画の道は難しそうです。私は割とすぐ自分を甘やかしたり、弱音を吐いてばかりなので」

「別に趣味や仕事だけに留まらないわ。それに……頑張らない、怠けようって声もまた、心が何か気付いて欲しい合図だったりするものよ」

「本当ですか? なら、本当はなんて言ってるんだろう」

「時間があるときは耳を傾けてみて。貴女の中で生まれた声は必ず意味がある。無視したり冷たくはしない方がいいのだけど……色んな声が聞こえても迷うわよね」




 倉田さんはいつものベンチに座ると困ったように笑った。

 それからは絵のモチーフを探しているのか、どこか遠くを一点に見つめ続ける。その横顔とイチョウの並木道の風景は写真に収めたいくらい印象的で、自分は絵なんて描けないけどずっと心に残しておきたいなと思った。




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