三話
「守羅、仕事に連れて行ってちょうだい! 」
「耳元で大声出すな……。頭痛い……」
守羅は頭に手を当てた。もう日はすっかり高い。起き上がろうとすると酷い頭痛がした。昨日は風太の前だからああ言ったものの、酒精は大分回っていた。俺の負けだな、と心の中で呟く。
顔を右に向けると、実に奇妙な色彩の少女と目が合った。煌めく金髪と翠玉の瞳が、宿酔の頭をチクチクと刺した。思わず目を細める。
莉凛香は守羅の不調を知ってか知らずか、にこにこと笑った。
「おはよう、守羅」
「おはよう……。朝から何……?」
莉凛香は頬を膨らませた。
「もう、さっき言ったじゃない! 仕事に連れて行って欲しいの! 」
「ああ……わかったよ、今日はどこの家の人の手伝いをするんだ? 」
「この家の人よ」
「ああそう、この家の……はあっ?この家? 」
「そう、守羅の仕事について行きたいの」
ますます酷い頭痛がした。体の下に敷き込まれた尻尾が気持ち悪かった。
頭痛を堪えて起き上がり、頭を搔いた。ぐうっと伸びて、面倒な現状に向き合った。
「何?村の連中の下働きじゃ満足できなくなった?」
「そういう訳じゃないけど。実際に戦えるようになりたいと思って」
守羅は訝しむように睨みつけた。莉凛香はその視線を正面から受け止めた。
「それだけ? 」
沈黙。二人の間を、天使が通り過ぎた。
「本当の理由を言うね」
沈黙を破ったのは莉凛香だった。
「おおよそ見当はついてる」
「あなたに、私について来て欲しいのよ。私にその資格があるってこと、証明してみせるわ。私を守って、お姉ちゃんを助ける手伝いをしてよ。お金なら払うわ。もう旅にだって耐えられるわ。それなら、私にも依頼する資格はあるわよね?」
「断る。足手まといだからじゃない。お前の依頼を受ける理由がないからだ」
「どうして!? 依頼を受けなさい、あなたは用心棒でしょ!? 」
莉凛香はてきぱきと布団を片付け、朝餉の用意をしながら言った。興奮しているのか、頬が赤くなっている。朝から結構な事だ。
そういう問題じゃないんだが。振り払うように、守羅は苛苛と尾を振った。とにかく、何とか説得しなくては。
「はあ?いいか、こっちはお前の依頼を受けなくても十分に生活できるんだ。わざわざ遠い所まで、危険を犯して行く必要は無い。割に合わない依頼なんだ。お前を連れてなんて、無理に決まってるんだから。しかも、俺はどこの何かもわからない子どもを、わざわざ拾って育ててる。これを親切と呼ばずになんて言うわけ?莉凛香の恩知らず! 」
いかんせん言いすぎたような気がするが、12の子どもを連れて旅をするなんて言うのは無茶なのだ。それに、守羅には莉凛香を手伝う気は無い。
だが、莉凛香には守羅が必要なはずだ。
「わかったわ。それならこっちにも考えがある」
「何?」
莉凛香はにやりと笑った。
「あなたが『はい』と言うまで、私はご飯も作らないし、お洗濯も掃除もしないわ。あなたが楽しみにしてた切り干し大根も食べさせないわ」
それは困る。守羅とて家事ができない訳ではないが、莉凛香ほどではない。特に料理に関しては、莉凛香の飯がなければ、また味気ない飯を食う日々に逆戻りだ。
自問自答は、腹の虫の鶴の一声により決した。
「わかった。ただし、今日の依頼に同行するだけ。それに耐えられたら、……まあ考えないでもない。あと、仕事についてくるからには、足手まといにはなるな」
「あら、任せて! 」
莉凛香は嬉しそうに朝飯を出してきた。切り干し大根は出汁の味が染み込んでいて、噛みしめるたびにうまみを感じた。
切り干し大根だけではない。昨日の酒だって、半分は風太が持ってきたものだが、残りは莉凛香が作った。女衆に教わったのだろうが、多芸な娘に育った。
悔しいが、家事の才能があるのだ。悔しいが。守羅は残りをかき込んだ。
約束してしまったものは仕方がない。幸い、今回の仕事はそんなに長いものではない。守羅は莉凛香に装備の予備を持たせて、連れ立って家を出た。
「いいか、俺たちは依頼されてる。商いである以上、誠心誠意、最善を尽くす。莉凛香を連れては行くけど、足手まといにはなるな」
真剣な表情に、自然と気が引き締まったらしい。
「ええ、わかったわ」
守羅は頷いた。まあ、何とか連れて行けそうだ。
「よし、まずは依頼者を迎えに行くぞ! 」
『おう! 』
親方の号令に、逞しい男達の野太い声が響いた。6人でぞろぞろと村を通り抜ける。守羅の口添えで、莉凛香は無事に一行に加わることとなった。
莉凛香は隣に立つ守羅を見上げた。
「村の人なの? 」
「さあ……? 裏山と逆方向ってことは、村の人間か海の方から入ってきた九十九だろうけど」
九十九だといいな、とひとりごちた。九十九は基本的に愉快な連中で、莉凛香は彼らが訪れるのを楽しみにしている。
麓に守羅の家をちょこんと乗せる裏山は、裏山とは名ばかりで、村から内陸に繋がる唯一の陸路だ。村は三方を海に囲まれ、海を渡ってやってくる九十九の商人の市場が近い。
「よう、嬢ちゃん」
「風太さん」
風太は大きな手を莉凛香の頭に乗せた。頭髪越しにも、タコやマメができて、手のひらの固さとザラつきを感じた。
「とうとう嬢ちゃんも俺たちの仲間入りか?」
「そんなところよ。ダメ?」
「いーや、全然。昨日のを見りゃ嬢ちゃんの度胸はよく分かるさ。その刀、業物だろ? なら十分戦力になる。戦いの訓練はどのくらいしてる? 」
莉凛香は腕に抱えた封魔刀を抱え直した。細かい退魔の細工がびっしりとなされていて、陽の光を不規則に反射している。
「毎日素振りを」
「あっはっは!なるほど戦闘に関しちゃ素人って訳か。よし、嬢ちゃんは内側の方に居な。何かあったら守ってやる」
「風太っ……。そんなの、護衛対象が1人増えるようなものだろ」
「そんな顔すんなよ、守羅。」
風太は明るい顔で言った。
「俺達もみんな、そうやって育ったんだからな。お前がいれば、随分仕事は楽だし。なーに、お前はうちの村の土地神みたいなもんだな、守羅! 」
「…………」
守羅は無視した。押し殺したような表情で、耳は緊張したように固まり、尻尾は風に揺られて微かに動いた。
「……あっ」
「どうした? 守羅」
「ごめん、先に行ってて。すぐに追いつくから」
守羅の視線の先には、小さな子どもがいた。蹲って泣いている。転んでしまったらしい。藍色の着物の前は土で茶色く汚れ、小さな草履が転がっている。
守羅は草履を拾って駆け寄った。しゃがんで目線を合わせ、なにか話しかけている。尻尾が柔らかく揺れていた。
見つめていると、親方に手首を掴まれた。
「ほら、お前はこっちだ」
なんとなく後ろ髪を引かれるような気持ちを抱えつつも、莉凛香は従う。
「守羅って本当に親切なひと……」
「そりゃあそうだ」
親方は人好きのする感じに笑った。
「律儀な奴だからな。誰かに親切にするってことを、自分に課してんだ。ま、ああいったからにはすぐに戻ってくる。それよりほら、待ち合わせ場所についたぞ」
目線を上げると、真っ青な海が広がっていた。朝日を浴びて、魚の腹のようにキラキラと輝いている。
「ここが……?」
「そうだ、今回の依頼者の住処だ」
「住処……?」
「おうよ、ほら、依頼者のお出ましだ」
不意に、波が渦を巻いた。
息を詰めて見守る莉凛香達の前で、渦はどんどん大きくなって、とうとう小舟ほどの直径となった。
渦の中心から、ず、と緑色の頭が現れる。
「いやぁ、用心棒の皆様、よく来てくださいましたなぁ」
現れたのは、頭の窪みと背中に背負った甲羅が特徴的な、全身緑の妖怪だった。
よく見ると、巨大な亀にまたがっていた。藻が茶色の甲羅を覆い尽くし、まるで苔むした岩のような様相を呈している。
亀がゆっくりと口を開いた。先程喋ったのも、どうやらこの亀だったらしい。
「皆様、儂が、依頼者の『長老』でございますぅ」
親方が手を挙げて応えた。
「ああ、噂は聞き及んでおります。俺が、この用心棒連中を纏めてる、仁という者でさぁ。早速ですが、依頼内容の確認に入ってもよろしいでしょうか? 」
長老はゆっくりと頷いた。頭の沈むのに伴って、波紋が生み出される。
「ああ……。儂の依頼はじゃ、この娘を家まで送ってやって欲しいのですじゃ」
長老が今度は頭を上げたので、莉凛香達も上を見た。緑の身体の妖怪は、顔の色を濃くした。もしかしたら、赤くなっているのかもしれない。頭の窪みの縁から垂れ下がった海藻に似た髪に隠れて、顔はよく分からない。体つきは、若い女性に似ている。
「この娘はなぁ、はて、いつだったかのう。儂も年での、年々記憶がダメになっていくわい……」
緑の妖怪が、長老を軽く叩いた。
「ああ、いかん、話が逸れましたのぉ。そう、いつぞやの大雨で、海まで流れてきたのがこの娘じゃった。まだほんの小さい娘でしての、儂の鼻の穴にも入れる程じゃった」
確かに、長老の鼻の穴は、潜り込めそうな程大きい。まるでちょっとした洞穴だ。
「儂は哀れに思いましてな、帰ることもできんこの娘を育ててやりましたのじゃ。そうそう、あの頃は本当に可愛くてなぁ、儂の尻尾の上で……」
ペシッ
緑の妖怪がまた叩いた。
「ああ、すみませんのう。年寄りの話は長くなっていかんわい。まあそんなこんなでのお、こうして暮らしていっても良いかと思っておったのですがの、この娘の姉が婚儀を挙げるとの噂を聞きましてのう。家に帰してやろうと思いましたのですじゃ。道中には人の村も幾つかありましたからのお、皆様がいてくださると、なにかと都合がよいじゃろうと思いまして、依頼させていただいたのですじゃ」
振り返ると、幾人かはうつらうつらと船を漕いでいた。
親方はふむふむと頷いた。
「なるほど、そういう経緯で。それで、事前に伝えられたとおり、俺たちはその娘さんを護衛しながら、川を遡って二山越えた緑芽峠の泉まで行きゃあいいんですね? 」
「はて? 今なんとおっしゃいましたかなぁ……? 近頃、耳がめっきり遠くなりましてなぁ……」
親方は小さくため息を吐いて、声をはりあげて同じ事を尋ねた。
「ああ、そうじゃ、そうですじゃ……。 お代はこの娘が持っておりますでな、儂の甲羅の一部ですじゃ」
そう言って長老が頭をぐうっと水に浸けると、緑の妖怪は長老の上をぺたぺたと歩き、海にとぷんと沈んだ。水の溜まった頭の窪みをぷかぷかと上下させながら、こちらにやって来て、とうとう陸に上がった。意外と小柄で、身長は莉凛香より頭1つ分ほど高いだけだ。魚のような、生臭い体臭をしている。背中の甲羅は重そうだが、そんな様子は微塵も見せない。
緑の妖怪はすう、と手のひらの上の物を差し出してきた。
赤味を帯びた黄色が陽の光をきらきらと散らす、とても美しく繊細な宝石だった。薄っぺらくて、大きさは莉凛香の顔ほどもあるだろうと思われた。
「おうよ、長老。確かにこりゃあ滅多と見ねえお宝だが、俺たち用心棒はこういうのには手を出さねえんだ。支払いは銭で頼みてえんだが」
親方が腹から声を出して言った。
「ああ……。それは困った事じゃのう。儂ら海の者は、人間の通貨なんて持っておりませんのじゃ」
「それなら、あっしにおまかせあれ! 」
突如響き渡った声に、その場の全員が振り向いた。
遠くの方に、何やら茶色い獣がいた。二足歩行で、大きく手を振りながら走ってくる。
近づくにつれ、それが太鼓腹をゆさゆさと揺すって走る、狸の九十九だとわかった。
「話は聞きましたよ。あっしは商売人でさぁ。そのお宝をあっしが買って、海亀の旦那が用心棒の旦那に金を払う。これでどうです? 」
「ふむ……なるほどのぉ……」
長老は何度も頷いた。
その時、大声が響き渡った。
「こらぁぁぁぁあああっ! 待ちやがれっ、このっ、詐欺師野郎!!」
守羅だった。声を張り上げて、鬼の形相で走ってくる。
「ひえええぇっ」
「詐欺師? 」
親方の眉が吊り上がった。狸をむんずと掴み、地面に叩きつける。
「お許しくだせぇ、お許しくだせぇ! 今回はちゃんと仕事するからよう」
狸は親方を拝み倒した。幾多の修羅場をくぐり抜けた親方の顔には大きな傷痕があって、凄むと凄まじい顔になるのだ。
「ふう……。親方、そいつは狸島から来た狸だ。幻術と話術で粗悪品を売りつけて、金を騙し取ろうとしてたから追いかけてた」
追いついた守羅が軽く呼吸を整えながら言った。毛並みは乱れているものの、その表情に苦しさはない。
「へぇ……? つまり、この取引も相場より安く買取って得しようって魂胆だな。追いかけ回されてんのにこの村の用心棒の目の前でまた下らねぇ商売するつもりだったのか?」
用心棒は村の治安維持も担っている。用心棒の村は大抵そうだから、本当にいい度胸をしている。
「ううっ……。本当です、本当にちゃんと商売しますからァ……今回だけ、今回だけは見逃してくだせェ……」
狸は顔を涙と泥でぐちゃぐちゃにして懇願した。
「……わあったよ。なら今回は不問にしてやる」
「はっ! 本当でごぜぇますか! ありがてぇ!海亀の旦那、これが旦那の甲羅の買い取り額でさぁ! 」
狸は背負った背嚢から金貨をひと束ね出した。
「おお、すまんのう狸の方……。用心棒の方、これで足りるでしょうかの?」
「多すぎるくらいだな。俺たちを数日雇うだけなら、この3分の1も要らんくらいです」
親方は金貨の束から何枚かを取り出し、残りを紐で括り直した。
「そうですか。じゃがのお、人間の通貨なんぞ持っておっても、儂には使い道が浮かばんのでのう。全部差し上げますじゃ。元々、儂が皆様に差し上げようとしていたものじゃしのう」
親方はやや逡巡したが、丁寧に礼を述べ、残りの金貨を守羅に渡した。
「守羅、俺達の中ではお前が1番しっかりしてる。この仕事が終わったら山分けするから、それまで預かっとけ」
「わかった」
守羅は従順に頷き、金貨を懐に入れた。
「そんじゃあ、長老! 依頼は確かに引き受けた! このお嬢さんは確かに送り届けさせて貰います! 」
「よろしく頼みますぞ、皆様ァ」
親方はまた声を張り上げた。長老の耳にはしっかり届いたらしく、間延びした返事が返ってくる。
長老は目だけを動かして、緑の妖怪を見た。
「今生の別れじゃ。老いた儂も、お前と過ごした数年は楽しかったぞう。これからは家族と一緒にの、達者に暮らせよう」
緑の妖怪は頷いて、深々と頭を下げた。頭の窪みの水は、奇妙なことに揺れもしない。それが最後だった。長老は再び海の底に帰り、緑の妖怪は海に背を向けた。
親方は緑の妖怪に声をかけた。
「そんじゃ、河童のお嬢さん。これから川沿いに山を登ってくぞ。まぁお天道様の機嫌が良くて妖_がでなけりゃ、緑芽峠まで数日で着けるだろうよ」
緑の妖怪はこくんと頷いた。
莉凛香は、なるほど、これが河童かと合点がいった。どんな妖怪なのか聞いたことはあったが、実物を見るのは初めてだ。
「あの~。あっしも連れて行っちゃあくれませんか?」
「はぁ?」
恐る恐る、といった様子で声を上げたのは、狸だった。村での詐欺行為で捕まっておきながら、よくそんなことが言えたものだ。守羅は明らかに苛ついた声を上げた。不機嫌そうに耳が伏せられる。
「いやぁ、緑芽峠、って聞きましてねぇ。実はあっしも、そこに用があるんですわ。それで、あっしも連れて行ってくんねぇかな、と」
「あっはっはっは!いい度胸をしてるな、コイツ!」
「お前達、よく笑えるな……。親方、こんな奴連れていかないよな?」
親方は守羅の問いかけを無視して、狸をじいっと見た。狸は手足をばたつかせて、必死に言葉を連ねる。
「いやぁ、そりゃあ、ね?あっしだって、都合のいいこと言ってんなぁ、っては思いますよ?でも、旦那達にも損はさせません!あっしの故郷の狸島といえば、狸の聖地!そこで生まれ育ったあっしはいわば狸幻術のエキスパート。あっしがいりゃ、妖だって楽にいなせますぜ?」
親方は小さくため息をついた。守羅は、呆れてものも言えないといった表情をしている。
「あー…………。わかった。連れて行こう」
「親方!」
「守羅、親方は俺だ」
「でも……」
親方は首を振った。守羅以外の男達は、河童を取り囲んで色々と構っているようだった。
「いいか、俺達はコイツを護衛するわけじゃねえ。どうせ村に置いておいても、ろくな事がねえからな。とっととどっかに放逐するか、狸島に帰した方がいい。そうなりゃ、俺達について来させて、ついでに見張るのが丁度いいって訳だ」
「……わかった」
守羅は不服そうにしながらも頷いた。
「ま、そういう事だ。お前は護衛してもらおうなんて考えるなよ。お前の仕事は、いざという時の盾役だからな」
「へ、へぇ、お任せ下さい……」
狸は身をちぢこめた。守羅はフンと鼻を鳴らし、男達の輪に入って行った。
莉凛香がついて行くと、男達と河童はすっかり打ち解けた様子だった。
「おう、嬢ちゃん。河童の嬢ちゃんと仲良くしてやってくれよ」
「ええ、わかったわ」
河童は莉凛香の右手を優しく包んだ。しっとりとした手には、独特なぬめりがある。
正直手を引っ込めたかったが、ぐっと堪えた。河童は少し笑った。
「おいお前達、いつまでもお嬢さんに構ってるんじゃねえよ!さっさと出発しねえと、今日中に予定地点まで着けんぞ! 」
「おっと、そうだったぜ。お嬢さん方、行くぞ」
風太はそう言って、莉凛香と河童の背中を叩いた。河童の右隣には守羅が立った。
莉凛香と河童を守る為の陣形になっているのだ、と思った。1度村を出て山に踏み入れば、そこは人間のルールが通じない世界だ。
どういう訳かこの村に来て5年。見慣れたはずの山がなんだか不気味な気がして、思わず、胸元に忍ばせたの御守りを撫でた。
村から川に沿って遡ること一日半。道のりは驚く程順調だった。途中の村で一夜を明かし、山に分け行った。途中で1度妖に出くわしたが、用心棒達が一斉に矢を射かけ、その隙に振り切った。
「別に、俺達は退治屋じゃねえからな。逃げられるんなら、死人が出る前に逃げるが勝ちって訳よ」
風太はそう言って、莉凛香の頭を軽く叩いた。風太は何かと莉凛香を気にかけてくれているようだった。
「おおい!お前達!緑芽峠が見えたぞ! 」
「もうか、今回は順調に来たもんだなぁ」
一行はさんざめいた。風太が、莉凛香の後頭部をとん、と叩いた。
「ほら、嬢ちゃんも見てみな。笑っちまうから」
莉凛香は河童の手を引いて男達の間に滑り込み、緑芽峠を見下ろした。
「すごい、これがあなたの故郷の景色なの?」
河童は恥ずかしそうに頬に手をやった。
見渡すかぎり、まるで平原のようだった。木々の高さが麓に行くにつれ高くなっているから、平らな地面みたいだ。今は秋口だから葉はまばらで、燃えるような赤と濃い黄色ばかりだが、芽吹きの季節になれば、本当に平原に見えかねない。
「ほぇー、奇妙なもんだなぁ。普通、こういう山なら麓の村の連中が切り出すから山頂の木の方が生い茂ってくるとか、よく育ってるとかしてそうなもんなのに。この辺の木は、むしろ若い木やチビばっかだ」
莉凛香の隣に、狸がひょっこりと顔を出した。物珍しげに緑芽峠を見渡している。
「…………」
親方と一緒に少し先で立っている守羅が振り返った。淡く七色の光を放つ黒瞳が細められる。内側に寄った眉が、守羅の内心を如実に物語っている。莉凛香の隣で、狸は身震いした。
視線が狸から逸らされて、莉凛香に移った。射るような視線は緩んで、また親方に戻っていった。
「どうだ、びっくりしたろ?」
風太はアハハ、と豪快に笑った。
「ええ、とっても。でも、本当に不思議。どうしてこんなふうになったの?」
「それはな、」
風太は屈んで莉凛香の耳元で囁いた。
「この山の天辺には、鬼が出るんだ」
「えっ」
莉凛香は驚いて風太を見た。その顔は、子供をおどかしてやろうという企みでニヤついていた。
「……もう、おどかさないでよ」
「いや、鬼がいるのは本当らしい。伝説が残ってる。俺は見たこたぁねえが、向こうの村やこの辺を通る奴らが偶に消える。……連れて行かれてるって噂だ。緑芽峠まで1人で行き来するのはおすすめできねぇな」
風太は身を起こして、真面目な表情で言った。
「そいつが火の玉を飛ばしやがるから、山の天辺では木が育たねぇんだそうだ。村人達も鬼を怖がって滅多に山の方には近づかねえから麓の木は育つ。だからこうして山頂から眺めると平らな原っぱに見えるって訳だ」
「へぇ……。じゃあ、悪い妖怪なのね? 」
「そうだ、退治するか? それが嬢ちゃんの使命なんだろ? 」
河童のぬめった手を軽く撫で、莉凛香はちょっと笑った。
「今の私は用心棒見習いだもの。無理に戦って、彼女を危険に晒したりしないわ」
「フッ……いい子だ」
風太は頷いた。目線の先では、守羅が物言いたげにしていた。
「……さて、そろそろ行くか」
「うん。もしかして、私達にここからの景色を見せるために、気を使わせちゃった?」
莉凛香がそう問うた時だ。
視界が朱色に染め上げられた。完全に囲まれてしまった。炎からは離れているものの、肌を熱が嬲る。
鬼火だ。
一行に緊張が走った。莉凛香と河童、そして狸を背に庇うように、5人が円の形になった。莉凛香も河童の手を離して、封魔刀を構えた。誰もが息を詰めて、どんな小さな変化も見逃すまいとしている。
オオォォォォ……オオォォォォォォォ……
どこからともなく恐ろしい声が響いてきた。誰かに手首を掴まれ、そのぬめりで河童だとわかった。少し目線をやって、手首を握るその手を優しく解いた。
声はどんどん大きくなった。近づいてきているのだ。
『オオオオオ……恨めしや……あな恨めしや……』
不意に炎の壁を突き破って鬼が現れた。長い白い衣の裾を引きずって、ゆっくりゆっくりと動いている。身の丈は7、8尺はあるだろうと思われた。
『河童の娘め……許すまじ……許すまじ……』
地の底から湧き上がってきたかのような、どす黒い情念の篭った声。2本の角が天を刺し、炎が蒼白な面を赤く染め上げる。その表情はまさしく般若。
『なるものかよ……私の山で、祝言なぞ挙げさせてなるものかよ……』
うわ言のように1人呟き続けながら、鬼はゆっくりと莉凛香達の前を横切る。思わず息を止めて見守った。
鬼はただすらに前を見つめたまま去って行った。後には木々が焼け焦げて無惨な姿となって残っている。莉凛香は鬼の背を見てほっと息をついた。封魔刀を鞘に納める。無意識のうちに懐の膨らみを撫でた。
守羅を見上げると、剣呑な表情で、鬼が消えた方向を見つめていた。
「守羅……?」
「親方、アレはやっぱり、アレですね」
「そうだな」
守羅の言葉に、親方は頷いた。親方と目線を合わせた河童の顔は、青色になっていた。
「俺達の仕事はアンタをこの山の泉に帰してやることだが、正直今は無理だ。あの鬼、ありゃ今度祝言を挙げるっつうアンタの姉御が狙いだろう。どうする?」
河童は葡萄色の瞳を揺らがせた。しかし、強い力で莉凛香の手首を掴み、鬼の消えていった方を見つめた。
「親方、彼女を助けてあげて。お願い……」
莉凛香は親方の赤茶の瞳をじっと見つめた。
「……わかった。送り届ける先が無くなっちまうってのも、困るしな。何より、助けられるかもしれねぇモンを見捨てるってのも寝覚めが悪い。野郎ども、褌締めてかかれよ! 」
『おうよ! 』
「わかった」
幾多の修羅場をくぐり抜けてきた男達は威勢よく応えた。
「ひ、ひえぇ、あっしは嫌ですぜ、あんなおっかないのがいる所に行くなんて!」
逃げようとする狸の首根っこを、親方ががっちり掴んだ。
「お前も来るんだよ。そもそもお前、役に立つからって付いて来たんだろうが? 」
「そっそれは……」
「つべこべ言わずに付いて来い。あと、アンタ、自分の家の場所わかるか? 」
河童は頷いて、鬼の向かった方向より若干ずれた場所を指した。
「よし……。なら、ここからは案内して貰ってもいいか。俺が先頭を行く。アンタの隣には嬢ちゃんと守羅がつく。風太、山彦、黄色、お前達は殿だ。あの鬼が居るような山に他の三下が居るとは思えんが、念の為警戒しておけ」
「任せてくれ、親方」
風太にちょいと背中を押され、莉凛香は一行の前に立った。親方の、3日分程の荷物を背負った背は頼もしい。
河童の指し示した方角へ、峠を下って行く。親方は時々立ち止まって、河童に道を尋ねた。
「 この泉か……! 」
潅木の道を踏み折って越え、先頭を進んでいた親方が声を上げた。
それは、生い茂った木と尖った潅木が天然の鎧を果たし、人も妖怪も滅多なことでは近寄らない秘境だった。澄んだ水が蒼く、水底の岩場からは清水が滾々。身体を洞窟の中に隠し、あの「長老」の甲羅程の大きさを露にした泉だ。岩場には所々黒い陰が差していて、水草の揺れ具合からして他の水場に繋がっていそうだ。
「凄い……。とっても綺麗ね」
「ああ……普段この山で道を外れるなんてしねえからな。俺も見たのは初めてだ、絶景だな」
莉凛香と風太は言い合った。河童は顔の緑を濃くした。黒っぽくなった肌の中で、白目が三日月形に浮き上がって見える。
河童は泉の縁に立って、頭を水に浸けた。
こぽこぽ、と小さな泡が上がってくる。
こぽこぽ、こぽこぽ、こぽこぽこぽ……
銀色の泡はどんどん増えていく。水は緑を深めた。
水が膨れ上がった、ように見えた。泉を埋め尽くす程の河童だった。河童の一族だ。
その中で最も大きな河童に歩み寄り、親方は膝をついた。
「初めまして、河童。事情はそこのお嬢さんから聞いたと思いますが、俺たちは彼女を護衛してきました。で、今からここに鬼が来るはずです。アレは強い。生前の怨みは相当のものだった。はっきり言って、あなた方じゃ敵わない。今すぐ逃げて欲しい」
大きな河童は親方の目をじっと見つめ返した。そこから何を読み取ったのか、従えている仲間に向かって、何やら説明しているようだ。
大河童の指示に従って、甲羅に覆われていない腹に皺のよった女河童達が、小さな河童を数匹ずつ連れて、岩陰へと潜っていく。
大河童を含めた、緑の明るく鮮やかな連中は、それをただ見送った。
「お前達、戦うつもりか? 無駄な犠牲だ、あの女のことは隠れちまって一時的にやり過ごした方がいいんじゃ……」
「忠告感謝する。だが、決めていた事だ。……一族の者の祝言の度に隠れて過ごすのにも、もう我慢ならない」
大河童はがらがらに乾いてひび割れた声を発した。その時、莉凛香の背筋を悪寒が駆け上った。守羅が鋭く振り返った。
「親方! 」
「そして、もう遅い……」
視界が赤橙色に染まる。鬼が来たのだ。
「きゃっ」
「ひえぇぇぇ……」
突風が巻き起こり、莉凛香はよろめく。泉の傍に座っていた河童が泉に落ちた音が聞こえた。風太が太い腕で背中を支えてくれる。視界の端で、狸が走っている。鬼火は突風に乗り、莉凛香の隣を駆け抜けた。泉の上に炎が躍り、逃げ遅れた河童達が犠牲となった。もし標的となっていたら、莉凛香もただではすまなかっただろう。
「クソっ! 応戦しろ! 守羅、結界を! 」
「任せて! 」
守羅が両掌を前に向け、突風に対する防壁を創り出した。炎が遮られ、蛇行するような形にまとまっていく。生き残った河童と人間は、炎の壁の間にできた安全地帯に逃げ込んだ。
「やっぱり、妖術の火は軌道を変えて逃すのが精一杯だな……」
守羅が呟く。額が赤く輝いている。顔も髪も照らされて、真っ赤になっている。
しかし、炎が防がれた程度で鬼は止まらない。ゆっくりゆっくりと泉に近づき、長い袂からは、長く鋭い、太刀のような爪がのぞいている。
「クソっ! アレを泉に近づけるな! 」
守羅が叫ぶ。守羅自身は、場を覆い尽くしそうな炎を制御するのに手一杯だ。
風太が小刀を投擲した。しかしそれは、鬼に届く寸前、長い髪に巻き取られた。岸辺に居た人間は咄嗟に距離を取った。凄まじい勢いで放たれた短刀が、泉の奥にいた河童の喉に突き刺さる。その河童は短刀の勢いで仰け反り、そのまま沈んで行った。
「クソっ、あん畜生め! 」
風太が毒づく。鬼の爪に引っ掛けられて、河童達が宙を舞う。青い血が飛び散った。腥い匂いと焼け焦げの匂いが、清浄な空気を穢していく。
莉凛香は封魔刀を何とか引き抜いた。鞘は地面に落ちるままにして、よろめきながらも走る。
「たあぁっ! 」
鬼の左手の爪と、刃が衝突した。刃は半ばまで爪を切断しながらも、鬼の髪に莉凛香ごと投げ飛ばされた。
「きゃあっ! 」
「嬢ちゃん、大丈夫か! 」
跳ね飛ばされた莉凛香を、風太が受け止める。
「いたた……」
「ったく、言ってる場合か! アイツ、俺たちのことなんぞちっとも気にしてねえな! どうするんだ!? 」
視線の先では、鬼が次々と河童を爪に掛け、炎で炙っている。抵抗しようと爪を掲げる河童もいたが、歯牙にもかけられない。
「アホなこと言うな、風太! 乗りかかった船だ、討ち取るしかねえよッ! 」
親方も駆け寄り、刀を構える。鋭い刺突は髪の防御の狭い隙間を掻い潜り、鬼の右脇腹を刺した。
バキッ
刃先が砕けた。急所でも、これほど固い。
「ちっ。……野郎ども、縄を持ってこい! とにかくコイツを泉から離すぞ!守羅、炎を広げるなよ! 」
黄色と山彦が縄を投げる。だが、縄は鋭い爪と燃え盛る炎に呆気なく散った。莉凛香は考えた末に、昔習ったまじないを石にかけた。二、三言の短い術だ。
「風太、これを投げてみて」
「任しとけ」
風太は振りかぶって、石を投げつけた。石はまっすぐ飛び、鬼の左耳にぶつかって砕けた。女の首が折れ曲がって、陸の方を見た。
『忌々しい……』
首が真逆、背中側に折れたようになって、長い髪が膝裏まで届いている。炎に赤く照らされた白い顔は、恐ろしいまでの怒りに燃えている。
『先に貴様らを殺してやる……術師の娘……許さん……許さんぞ……』
「ひっ……」
身体が動かない。つり上がった目つきの鋭さに、縫い止められたかのようだ。
ずり、ずり、と着物の裾を引き摺りながら、死が近づいてくる。
「嬢ちゃん、大丈夫だ! 俺が何とかする! 」
風太が駆け出した。
「うぉおおおおおお! 」
短刀の一撃は、爪によって止められたように見えた。が、一呼吸遅れて、爪が折れた。
『何だと……!? 』
莉凛香の一撃で傷ついていた爪が、衝撃に負けたのだ。
風太は胴に短刀を振るったが、刃が折れる。
「風太っ! 」
守羅が叫んだ。額が煌々と光を放ち、守羅は目を瞑った。
ガキンッ
重たい金属がぶつかり合ったような音がして、結界がもう片手の爪を弾く。
「しまった! 」
限界以上の力を出したせいで結界の一部が不安定になり、炎が溢れ出した。
「このままじゃジリ貧だ! 」
「何とか突破口を見つけねえと! 」
風太が振り返って叫んだ。
「嬢ちゃんの刀だ! アレなら、彼奴を倒せる! 」
莉凛香ははっと我に返った。そうだ、莉凛香が持っているのは封魔刀だ。あらゆる妖怪を滅する、退魔師一族の誇り。
柄を強く握り締めて、己を奮い立たせる。
「たああっ! 」
刀を構えて走る。
『小癪な娘……! その刀……! 』
「きゃっ……! 熱っ……! 」
鬼の長い髪が天を衝く。吹き荒れる熱風に、近づく事が出来ない。
封魔刀を地面に突き刺し、何とか踏ん張る。飛んでくる火の粉が、金の髪を焦がす。色素の薄い瞳に、燃え盛る炎はあまりに眩い。
その時、赤一色だった視界に、色が降り注いだ。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。一瞬遅れて、莉凛香は冷たい水を思い切り被った。
「あなた達は……!」
炎の壁が消え顕になった水面が、真緑に染まっている。河童たちが両手を掲げ、鬼火を打ち消す程の水流を生みだしていた。
「お前達、今だ、縄を掛けろ! 」
親方の怒号に、男達が濡れた縄を投げる。鬼の首と手に絡んだ縄が、動きを制限した。
「お嬢さん、少しの間、奴から見えなくしますぜ! 」
潅木の間から聞こえたのは、あの狸の声だ。莉凛香のことを、無数の木の葉が隠す。
「今なら……! 」
刀を構えなおした。
『足音が……足音が聞こえるぞ……娘……どこにいる……』
鬼は髪や爪を闇雲に振り回した。莉凛香は構わず突っ込む。確信があるからだ。
ガキンッ
赤く輝く壁が、莉凛香を守る。思い切り刀を振った。
「やあああああっ! 」
刃は鬼の脇腹辺りから斜めに切り裂いた。帯が緩み、懐からは胸に突き刺さる五寸釘がのぞいたが、それもすぐに塵と化した。
「きゃっ」
勢いあまって莉凛香はつんのめった。あはは、と笑われて、何よ、と顔を上げる。
男達は、鬼の抵抗で縄ごと振り回されて、身体を土まみれにしていた。守羅も含めてだ。黒真珠のような瞳は細まって、白い尾は嬉しそうに揺れている。
そうだ、と莉凛香は潅木の間にちかづいた。
「貴方もありがとう」
しかし、そっと差し出した手は掴まれなかった。
「ひ、ひぇぇええっ! あっしはまだ殺されたかねぇよ! 」
そう叫んで、狸は何処かへと走り去ってしまった。別に、莉凛香は無意味に妖怪を滅したりしないのに。
「今日のところは、見逃してあげよう」
「最後の最後まで、小心者だったなぁ」
守羅と風太が言った。
ざぶ、ざぶ、と水音がして、泉に注目が集まる。
河童達が揃って此方を見ていた。彼らは深深と頭を下げ、盃を差し出した。お礼のつもりだろうか。
「こら、いくら今ので男が随分減ったからって、うちの連中は駄目だ。みんなもう買われてるんだから」
守羅の言葉に、親方は盃を取り落とした。それを見て、守羅はまた楽しそうに笑う。河童達も悪戯っぽく笑った。そして、今度こそ水底の世界へと帰って行った。
後に残ったのは、莉凛香達とやってきた彼女だけ。
莉凛香は、泉の縁にぺたりと腰を下ろして、彼女と向かい合った。
「帰れてよかったわね。あと、言い忘れてたけど、お姉さんの結婚、おめでとう。……あなたが頼ってくれて、私嬉しかった」
河童は水の中から腕を伸ばし、莉凛香の頭に手を回した。
どぷん。
莉凛香の頭を水中に引き込んで、河童は、莉凛香の耳元に顔を寄せた。鼓膜を水が震わせる。
『ありがとう』
「……ぷはっ」
莉凛香は解放されて、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。水面はもう凪いでいる。
河童。人里離れた川や池、泉に住み、頭の皿から清らかな水を吸収する。その言語は水中でしか意味をなさない。古来から人と共存してきた妖怪。
きょとんとしたままの莉凛香を、風太が立たせた。
「ほら、嬢ちゃん……。仕事も終わったし、帰るぞ」
「はい! 」
莉凛香は満面の笑みで頷いた。鞘を拾い、布で軽く拭った封魔刀を収める。
「ほら、莉凛香、しっかりして。仕事は終わったとはいえ、帰りも危ないんだから」
守羅が荷物を持ってくれる。ありがとう、と言うと、今回だけだから、と返された。帰りは無事に帰れるに違いない、という確信があった。
直感のとおり、川沿いを通る必要もなくなった一行は人間用の歩きやすい道を通り、1日程で帰りついた。
なんだか、たった数日のことなのに、何年も村を離れていたような気がする。莉凛香は胸を撫で下ろした。
その夜。莉凛香は、焦げ臭い匂いで目を覚ました。台所の火を消し忘れてしまったのかしらと起き上がった。
「起きたのか。丁度いい」
傍らに守羅が立っていた。ほら、と投げ渡されたものを咄嗟に受け止めた。莉凛香の荷物が入った背負いつづらだった。守羅も荷物を抱えている。
「火付けにやられた。火が回る、急いで」
そう言われてようやく気づいた。辺りがえらく明るい。まるで鬼火に囲まれた時のように、家全体が赤赤と燃えていたのだ。